5年後のオリンピック・パラリンピックに向けて組織委員会が準備や運営に必要な費用を試算したところ、およそ1兆8000億円と当初の見込み(3013億円)の約6倍に上り、組織委員会の財源だけでは大幅に不足することがわかった―― というこのニュースが報じられたのは、昨年の12月18日、いまから約3週間ほど前のことだった。

 私は、このニュースをNHKのホームページで見つけて自分の作業PCのevernoteにクリップしたのだが、さきほど確認してみたところ、NHKの当該のニュースページは削除されている。まあ、どこのソースでも一定の時日が経過するとニュースのページが削除される仕様になっている。テレビ局のサイトではニュースの寿命が短いということなのだろう。

 なので、以下に、第一報を報じたとされている共同通信のサイトと、それを紹介したハフィントンポストの記事にリンクを張っておく。

 18日にこのニュースが報じられて、ツイッターの私のタイムラインは、しばらくの間、ちょっとした騒ぎになった。

 が、この日の段階では、NHKをはじめとするいくつかのテレビ局とスポーツ新聞が報じた以外、大手の新聞はこのニュースについて独自の記事を書いていない。

 つまり、扱いは小さかったわけだ。
 国立競技場の見積額が、1300億円から3000億円超にふくらんだ時には、あんなにデカい見出しを打ったのに、だ。

 翌々日の21日、時事通信が以下のような記事を配信する。

《2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は21日、大会運営費が組織委の当初見込んだ額の約6倍となる1兆8000億円に上ると試算されたとする一部報道を受けて東京都内で記者会見し、「現在、経費の精査を行っている最中で確たる数字を持っていない。1兆8000億円と現時点で考える事実はなく、極めて不適格なもの」と報道内容を否定した。----略----》(こちら)。

 「1兆8000億円」という報道を見て、組織委員会が「火消し」に走った形だ。
 五輪組織委の武藤敏郎事務総長は、「1兆8000億円」について「極めて不適格なもの」と言い切っている。
 なるほど。

 ところが、記事を最後まで読むと、末尾は、以下のような不思議な一文で締めくくられている。
《組織委はこれまでに、東京都などと合わせた運営費が2兆円程度に膨らむ懸念があることを明らかにしている。》

 どういうことだろう。
 そんな言葉を、いったい誰がいつ、口にしたのだろうか。

 で、さらに色々と検索してみると、五輪組織委の森喜朗会長が2015年の7月22日、東京都内の日本記者クラブで会見して、大会施設の建設や交通インフラ整備など大会にかかる経費の総額について、「最終的に2兆円を超すことになるかもしれない」と述べた、という記事が出てくる(こちら)。

 こういう数字の行ったり来たりを見ていると、あるいは、組織委員会は、五輪招致に手を挙げる段階で、国民を説得するために提示する金額と、招致が決まってから各方面にお願いする数字を、はじめから別のものとして二通り用意していたのではないかという気がしてくる。

 もしかしたら、「実際にかかる金額」は、「最終的な額」ともまた別の金額になるかもしれない。ともあれ、正直な森さんが、7月の段階で「2兆円を超すことになるかもしれない」と言ってしまっていることから見て、この程度の数字は、ずっと以前から、関係者の胸の中に静かに畳まれていた金額だったはずだ。

 その「1兆8000億円」という数字が、メイン会場の再出発も決まり、国民的な意識としてもはや引き返せない段階に差し掛かっていることがはっきりしたこの12月のタイミングで、あらためてデビューしたわけだ。
 そういうふうにして、彼らは、様子をうかがっている、と、そういうことなのではあるまいか。

 反発が大きいと見るや、ひとまずその数字を引っ込めて、さらに様子をうかがっている。
 なんだか、はじめから「観測気球」だったみたいな記者発表の仕方だ。

 この21日の武藤敏郎事務総長の会見を受けて、朝日新聞と日本経済新聞が以下のような記事を書いている(出典はこちら。朝日日経)。

 朝日は、「予算増額の見通し 2020年東京五輪」という見出しで、金額を明らかにせず、「増額の見通し」である旨だけを簡潔に記している。日経もほぼ同様。「東京五輪組織委運営費、想定を上回る」として、運営費が当初見込みの約3500億円を上回る見通しである旨を伝えている。

 以来、続報は無い。
 各社とも

《武藤事務総長によると、現在は組織委や東京都、国がそれぞれ負担すべき業務を整理しており、来夏をめどに計上額をまとめる予定。》

 という21日の時事通信の記事にあった説明を受けいれて静観する構えだ。

 2016年の初回分の原稿で、私がこの話題を取り上げているのは、昨年のうちにちょっと炎上して既に鎮火している案件にいつまでも拘泥していることになるのか、それとも、この夏をめどに発表されるはずになっているより確かな試算の数字を待てずに先走った結果なのか、いずれにせよ、空気を読み違えている態度ということになるのかもしれない。

 その可能性はある。
 私は、空気を読み違えているのかもしれない。
 新聞もテレビも雜誌も、事態を静観している。
 なのに、オダジマだけがいきり立っている。
 バカみたいだ。

 しかし、静観していて良いのだろうか。
 私はジャーナリストといったようなものではないが、それでも、1兆8000億円だとか2兆円だとかみたいな数字を匂わされて、おとなしく黙っていることは、苦痛だ。
 このまま夏まで黙って数字が出てくるのを待っている気持ちにもなれない。

 その時になって出てくる数字が、1兆5000億円なのか、あるいは3兆円になるのか、私にはわからない。が、どんな数字が出てくるのであれ、その数字とて最終的な決算から遡れば、目安に過ぎない。

 この国の空気は、今現在でさえ

「いまさらグダグダ言うなよ」

 という感じになっている。
 夏が来れば、圧力はさらに強まるだろう。

 12月19日に「1兆8000億円」の数字が出たタイミングで、私は、ツイッター上にいくつかの短文を書き込んだ。

当初見込みの6倍って、やくざの忘年会でもこんなことないぞ → 東京五輪の運営費1兆8000億円 当初見込みの6倍

五輪の運営費が、当初見込みの6倍(1兆8000億円)って、つまり、「当初見込み」として説明されていた数字が、まるっきりの騙りだったということで、これは、国家的な詐欺だぞ

五輪関連費用がどこまでふくれあがったところで、マスコミ各社が大掛かりなキャンペーン報道を展開することはないだろう。なぜなら、テレビ新聞をはじめとする大手商業メディア企業は五輪関連費用を差し出す側の人間ではなく、五輪によって動くカネを受け取る側の人たちだからだ。

そりゃ五輪にはそれなりの経済効果があるんだろうけど、「経済効果」という言葉自体、「関係者が儲かる」ということであって、世の中全体が豊かになるということとはまるで話が違う。そこのところはきちんと峻別しないといけない。

 これらのツイートは、一定数の賛同の声を糾合する一方で、相当数の反論を集めることにもなった。

 反論の多くは例によって

「選挙を通じて国民に付託された政権が選択している国策に反対するのは民主主義の否定だ」
「金が回れば景気が良くなる。こういうケチくさいことを言うヤツが不況を長引かせている」
「誰かが儲かることに嫉妬する人間は、誰かが儲かることが誰も儲からないことより良い結果を招くことを知らない」
「どうしてそんなに日本が嫌いなのか」
「安倍さんが嫌いならそう言えばいいじゃないか」

 という感じのお話だった。
 ただ、今回のやりとりの中で、私の目を引いたのは

「みんなで決めたことなんだから応援しようではありませんか」
「出費が痛いのはわかりますが、痛みを分かち合うのが国民のつとめだと思います」

 という、一見前向きな言葉だった。

 この種の声には、反論しにくい。
 というよりも、なんだか闘志を失うわけです。
 思うに

「言いたいことはわかるけど、いまはそれを言う時じゃないだろ?」

 と言ってきている人たちは、私の主張の内容にではなく、姿勢というのか、私の「生き方」に苦言を呈している。

 彼らは、オダジマが言い張っているツイートの内容に関しては半分以上賛成してくれていたり、一定の理解を示してくれている。しかしながら、「いま、このタイミングであなたのような影響力のある人が五輪の成功に水をさす発言をすること」に対しては、断固反対の意向を貫くわけなのである。

 ちょっと関係の無い話をする。

 暮れも押し迫った12月の28日、岸田文雄外相が急遽ソウルに飛んで、韓国の外相と会談し、慰安婦問題について日韓両国が「最終的かつ不可逆的に解決」するという合意を持ち帰ってきた。

 各社の報道を眺めていて私が強く感じたのは、わたくしども日本人が「蒸し返す」ということをとても嫌う国民であるということだった。

 「蒸し返す」という言葉は、はじめからネガティブな評価を含んだ用語で、その意味からすると、こういう言葉を国家間のやりとりを表現する記事の中で使うのは、そもそも不適切であるのかもしれない。

 が、ともあれ、一部の新聞が「蒸し返す」という言葉を使わずにおれなかったのは、新聞読者たるわれわれがそうされること(つまり「蒸し返す」=「一度解決した事柄をまた問題にする(大辞林)」)に強い不快感を抱いてきたことの反映だったと考えて良いのだと思う。

 ちょっと前の当欄でも書いたことだが、わたくしども日本人は、「起こってしまったこと」には反対しない傾向を備えた国民だ。

 このことは、われわれが「ひとたび決定したこと」を、あらためて議論の場に持ち出したり、いつまでもいじくりまわしたり、もう一度振り返って考え直したりすることを嫌がる国民だということでもある。

 武士道の世界では、古い話を蒸し返さず、言い訳をせず、自らの出処進退に恬淡としている武士らしい態度を「潔さ」として、大変に珍重している。

 その文脈からすると、何であれ、既に片付いているものの包装を解くことや、決定事項の中にある瑕疵を暴き立てるしぐさは、「空気を読まない態度」として、強くいましめられることになる。

 おそらく、五輪をめぐるお話は、すでにその時期、つまり「蒸し返してはいけない時期」に入っている。

 関連予算が当初の何倍に膨れ上がっていて、その増大分の中に癒着や情実の種が仕込まれているのであっても、とにかく、もはや引き返すことができない以上、同じ船に乗っている同じ乗客として、いまは、船賃が不当だとか、部屋割りが不公平だみたいな私的な不満はぐっとこらえて、とにもかくにも、船が港に着くまでの間は、安全かつ快適な航行のために、皆が船長の号令に服するべきだ、ってな感じで、われわれは航海を続けている。

 とすれば、この夏にあらためて五輪関連予算の数字が発表された時に、私がどんな論評をしたところで、多くの日本人は

「いまさらグダグダ言うなよ」

 と言うだろう。

 個人的な思い出を書く。
 私は、偏食家で、なおかつ小食で、おまけにわりとケチだ。
 なので、大勢で食事に行くとけっこうな確率でトラブルになる。

「なんだよこのシェフのきまぐれパスタって、気まぐれで2000円とかバカにしてんのか?」
「いいから文句言わずに食えよ」
「そうだよ。店に入る前ならいざしらず、もう席についちゃってるんだから、食事を楽しめよ」
「お前が不満なのはお前の勝手だけど、お前の言い草を聞いてるとオレのメシがマズくなる」
「お前はアレだな。文化祭は出席取るのかって質問してた頃から成長してないな」

 つまり、明らかにおかしいことがあっても、「おかしい」と口に出して言う人間は、共同体の空気をかき乱す存在として、煙たがられるわけなのである。

 この夏が終わる頃、私たちは、組織委員会の人間の口から、中間段階の五輪関連予算の見積額として冗談みたいな数字を聞かされることになる。で、私たちはそれを受け容れる。しかも、末っ子のやんちゃ坊主にゲームソフトをねだられたクリスマス前の甘いパパみたいに嬉々として、だ。必ずそうなる。賭けても良い。

 もちろん、新聞もテレビもたいして騒がない。

「良いオリンピックにすることで、はみ出した分の予算を取り返そうじゃありませんか」
 とかなんとか、どうせアタマの良いキャスターがそういうことを言うのだ。
 で、われわれは、その言葉に感動して拍手をする。
 そのわれわれの熱狂ぶりを、テレビと新聞と広告代理店とスポーツ庁のお役人たちが金メダルと同じ色の目で見守っている。
 なんとまあ、大したゲームであることか。

 蒸し返した料理がマズいのは分かりきっている。
 だが、大抵の場合、それはそもそもの料理がマズいからだ。
 マズい物は、やっぱりマズいと言うべきだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

おいしくない料理の調味料は空腹感…。
あ、家ではなんでもおいしくいただきます。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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