「東洋のグランド・キャニオン」、ダム計画を変更へ

中国で唯一ダムのない川、怒江に暮らす人々とダム計画の行方(1)

2016.05.20
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中国の大河、怒江はチベットの氷河に端を発し、アンダマン海へと流れ込む。写真は、雲南省丙中洛付近を蛇行する怒江。この川に予定されていた連続ダム建設計画は、現在棚上げ状態になっている。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
中国の大河、怒江はチベットの氷河に端を発し、アンダマン海へと流れ込む。写真は、雲南省丙中洛付近を蛇行する怒江。この川に予定されていた連続ダム建設計画は、現在棚上げ状態になっている。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 ミャンマーとの国境に近い中国、怒江(ヌージャン)の川沿いを走る道路脇で、熊向南(シォン・シァンナン)さんは観光客を相手に魚を売る。オールバックにした髪、ジーンズに白のクロックス、肩からは現金の入ったバッグを下げている。たむろしてタバコを吸う友人たちの横で、熊さんは魚を売り込む。

 魚を獲るのは大変なんだ、と熊さんは言う。夜のうちに網を張り、獲物を確認するために朝早く出て行く。バケツの中で一番大きな魚を240元(約4000円)という高値で売るのはそのためだという。

「ダムのことはあまり考えないようにしています」

 熊さんの背後では怒江が悠々と流れ、時に早瀬に当たって渦を巻く。その一部はチベット高地の氷河に源を発し、中国からミャンマー、タイへ2700キロの渓谷を旅してアンダマン海へと流れ出る。

 中国で唯一、いまだにダムがひとつも建設されていない怒江だったが、そこへ2003年、水力発電ダムの建設計画が持ち上がった。そのうちの1基が、怒江の下流、ミャンマーとの国境に近い人口4万5000人の町、雲南省六庫(リウク)に予定されている。(参考記事:「中国雲南省 地上の楽園の現実」

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 計画について聞かれると、熊さんは「その話はもう何年も前に聞きましたよ。でも政府はまだ許可していません。あまり考えないようにしています」と答えた。20歳の熊さんの本職は農業だが、副収入を得るために漁をしている。

 怒江にダムが建設されるとどうなるのだろうか。「水が汚れて魚が死んでしまうでしょうね。僕たちにとって良いことではないですよ」

 過去50年間で盛んにダムが建設された中国で、保全活動家たちは厳しい戦いを強いられてきたが、怒江に関しては珍しく明るいニュースが聞けそうだ。雲南省の党委員会書記が最近になって、怒江の支流での小規模水力発電計画を中止すると発表したのである。さらに、同地域を国立公園に指定する考えがあることも明らかにした。

 多くの人々は、それで怒江ダム計画も棚上げされるのではないかと考えている。もしダム建設が実行に移されれば、数千人の村人が立ち退きを迫られ、渓谷の美しい景観は永久に損なわれてしまう。

 雲南省の省都昆明(クンミン)をベースに活動する環境保護団体「緑色流域」代表の于暁剛(ユー・シァオガン)氏は、ダム計画が提案されて以来、多くの変化があったと話す。まず、地質学者が調査に入り、この地域に地震の危険性があると警告した。また、中国政府の汚職摘発政策により、ダム建設を提案していた中国華電集団公司と親しい雲南省の役人たちが一掃された。そしておそらく何よりも効果的だったのは、新しい法律のおかげで、怒江のような巨大プロジェクトがもたらすあらゆる影響を政府が考慮し始めていることだろう。

「怒江を毎年訪れていますが、2012年以降、建設会社はプロジェクトから少しずつ手を引いています。怒江は、ダムがひとつもない中国最後の川なのです」と、于氏は言う。だからこそ、建設の是非が問われている。

大麦を収穫する農夫。怒江流域にはこのように肥沃な村が多い。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
大麦を収穫する農夫。怒江流域にはこのように肥沃な村が多い。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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東洋のグランド・キャニオン

 東洋のグランド・キャニオンとも呼ばれる怒江の大渓谷は、中国とミャンマーの国境、雪を頂く高黎貢山に沿って曲がりくねった切り込みを形成する。谷底を流れる川は馬蹄形に蛇行し、急こう配の渓谷の壁を抱きかかえるようにして狭い道が通っている。(参考記事:「写真:グランド・キャニオン」

 カーブを曲がる度に、ノコギリの歯のようなギザギザの岩石層や、かつて山頂を覆っていた広大な森林の名残が目に入る。森林が姿を消したのは、薪の材料にするために人間が大量に木を伐採したためだ。しかしそれでも、中国に生息する動物のうち約半分の種がここをすみかとしている。中には、ユキヒョウやクロキンシコウなどの希少な野生生物も生息している。

 東を向くと、そこにはもうひとつ別の岩山が連なり、その向こうには瀾滄江(ランツァンジャン:メコン川の中国名)が流れている。怒江とはまるで趣の異なる穏やかな川で、複数カ所にダムが建設されている。怒江は開発の手が入っていないため危険も多く、長距離にわたって流れの急な場所がある。季節によって水量や水の色が変化し、冬の乾燥した時期には、川は青緑色を帯びる。(参考記事:「ダム建設に揺れるメコン川」

【フォトギャラリー】世界遺産の秘境、怒江に暮らす人々

 中国内の怒江流域にはおよそ500万人が住んでいるが、その多くがリス族やダイ族といった少数民族で、中国の中でも貧困が深刻な地域である。そのため、住民たちの中には雇用をもたらし、道路を整備してくれるダム建設を歓迎するものも多い。(参考記事:「大河の上を飛ぶ! 少数民族が暮らす絶景」

 ある朝、チベットとの国境に近い怒江沿いの村、丙中洛(ビンジョンルオ)で、子牛の肉を売っていた37歳の李広進(リー・グァンジン)さんもそんなひとりだ。埃っぽい道端で、李さんとその妻は防水シートを拡げ、まだ血の滴る肉を並べて客が来るのを待っていた。

 飼っていた子牛は、その前日に大けがを負ってしまったため、殺すしかなかったと李さんは語った。ダム建設について聞かれると、渓谷の上流に住む人々は農業だけではやっていけないので、雇用や開発をもたらしてくれる建設には賛成だと答えた。

「きっと良くなると思います。電気も通るし、電力会社で働くこともできるでしょう」。李さんは、町から1キロ離れたところに住んでいる。

怒江の支流、普拉(プラ)河にかかったつり橋を男性が渡っている。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
怒江の支流、普拉(プラ)河にかかったつり橋を男性が渡っている。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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水力発電で怒江へ幸福を

 中国華電集団公司は10年以上前から、繁栄をもたらすとうたい、ダム建設の売り込みに力を注いできた。怒江観光への玄関口となっている町、六庫へ入ると、「緑の水力発電で怒江へ幸福を」、「100年の開発がここから始まる」と中国語で書かれた華電集団の看板が目に飛び込んでくる。

 建設支持者たちは、計画が停滞している理由のひとつが、中国の電力供給過多にあることを認識している。しかし、水力発電工程学会副秘書長の張博庭(チャン・ブオティン)氏は、それも近い将来必ず変わるだろうと期待する。経済が今後成長を続ければ需要は増し、さらに政府としても、国際的な温暖化ガス排出削減目標を満たし、大気汚染を解消するために、再生可能エネルギーの選択肢を拡げる必要に迫られている。(参考記事:「大型ダム計画で小水力発電の村が危機、マレーシア」

「ダムはいずれ建設されることになると思います」と張氏は述べ、雇用が生まれて税収入が増えることを歓迎している地元役人も多いと付け加えた。

 しかし、水力発電は本当に農村地域発展の万能薬となりうるのだろうか。過去の実績を見ると、別の現実が浮かび上がってくる。

つづく
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