沖縄で20歳の女性が米軍嘉手納基地に勤務する軍属の男性に殺害される事件が起こった。

 東京の東小金井でも、同じ20歳のシンガーソングライターとして活動していた女性が、ストーカーの男に刺されて意識不明の重体となる殺人未遂事件が発生している。

 二つの事件に直接の関連は無いが、若い女性が襲われたショッキングな出来事だっただけに、反響は大きい。
 今回は、二つの事件への世間の反応を見比べることで、われわれが、軍隊や基地や芸能界のビジネスにどんな気持ちを抱いているのかを考えてみたい。

 こういう痛ましい事件が起こると、当然の反応ではあるのだが、人々は、悪者を探しにかかる。

 もちろん、悪者は、いずれの事件においても犯人だ。

 犯行についての95%以上の責任は、ただただ犯人の一身に帰せられなければならない。この点は誰の目から見てもはっきりしているはずだ。

 ところが、この種のあまりにも理不尽な犯罪を目の当たりにすると、人々は、犯行への見方を単純に処理することができなくなる。で、中には、犯人を責めるだけでは満足できず、犯人以外の悪者を探しはじめる人々が現れる。

 沖縄の事件では、犯行の当事者たる犯人もさることながら、その犯人の所属母体である「基地」ならびに「軍隊」の存在が強く非難される展開になっている。

 というのも、これまで、沖縄では、米軍の関係者による暴行事件や不祥事が途切れることなく続いていたからだ。

 しかも、琉球新報の調べによれば、在日米軍の兵士と軍属の法的地位を定めた日米地位協定で、米軍関係者による「強姦」が起訴前の身柄引き渡しの対象とされているにもかかわらず、1996年以降に摘発された米兵35人中、8割強に当たる30人が逮捕されず、不拘束のまま事件処理されていたことがわかっている(こちら)。

 こうした状況を踏まえて考えれば、沖縄の人々が、この事件を、単なる偶発事故とは見なさず、基地という環境がもたらした必然の災厄であると受けとめるのはむしろ当然の反応と言って良い。

 別の見方をする人々もいる。
 たとえば、中山成彬衆議院議員は、女性の告別式があった5月20日に、こんな文言をツイッターに書き込んでいる。

《沖縄で米軍属による殺人事件が発生した。結婚前の愛娘を殺された身内の悲しみと怒りは深い。折角のオバマ大統領の広島訪問に冷水を浴びせた。原爆投下には謝罪しない大統領も謝罪せざるを得ない。辺野古移転反対の活動に弾みをつける。折からの県議選にも影響する最悪のタイミング。今から沖縄に出発。》(こちら

 この「最悪のタイミング」というフレーズは、ほかにも何人かの政府関係者や閣僚が報道陣に対して語ったと伝えられている。

 こういう事件に直面して、「タイミング」という言葉が出てくるのは、その言葉を発した人間が、被害者やその遺族の立場や心情よりも、事件がもたらす政治的な波及効果の方をより強く意識しているからだ。

 たとえば自分の家族が急死した時に

「こんな忙しい時に葬儀なんて最悪のタイミングだ」

 と思う人間はまずいない。そう考えてみると、何気ない一言ではあるが、この「タイミング」という言葉は、その言葉を発した人間の内心をあまりにも雄弁に物語ってしまっている。

 続く21日、沖縄入りした中山氏は、こんなツイートを発信している。

《沖縄でもこれまで強姦や殺人事件はよく起こっているが、米軍基地絡みだと大騒ぎになる。政府も大慌て。犯人が日本人だったらどうだったか。ヤンキー・ゴーホームはヘイトスピーチそのもの。沖縄分断工作に加担する2紙、その裏に中国の影を見る人はまだ少ない。米軍が撤退したら何が起こるかは自明だ。》(こちら

 現地に到着してなお、この人の中では、事件の影響で米軍との関係がギクシャクすることの方が心配なのだろう。
 さらに翌日、中山氏はこんな言葉を書き込む。

《先日の日本武道協議会でも発言したが、護身術を身につけることを勧める。東大の空手演武会で女子部員による普段は禁じ手の護身術が披露された。必須化5年目の中学武道だが、柔道と剣道が殆ど。空手、合気道、少林寺拳法を増やしたい。下手に日本女性に手を出すと逆にやられるぞという風評を広めたい。》(こちら

 ご本人は、犯罪の責任の一端を被害者の責任に帰している自覚は無いのだろうが、この種の「抵抗すれば撃退できたはずだ」と受け止め得る言葉は、事実上のセカンドレイプに等しい。

 実際問題として、女性が武道を身に着けていたのだとして、ナイフを持った元軍人(もちろん特別な訓練を受けている)の犯行を阻止できたというのだろうか。

 以下、参考までに
《性犯罪被害者の女性監督が語る、「なぜ、逃げなかったのか」という言葉の暴力性》という原稿にリンクを張っておく

 できれば、中山議員に読んでもらいたい。

 これほど悪質な犯罪に立ち会っていながら、「下手に日本女性に手を出すと逆にやられるぞ」などという言葉が出てくるのは、犯行を犯した側の陣営を少しでも免罪したい気持ちが働いているからなのだろうか。あるいは、中山氏の内心には

「夜道を一人歩きする無防備さが犯行を誘発した」
「被害者の側にもスキがあったのではないか」

 という被害者の責任を問う気持ちがあったのかもしれない。
 で、25日にはこんな本音が出てくる。

《安倍首相と会った翁長知事がオバマ大統領との面談を要求したが、悪乗りもいいとこだ。マスコミはまだ軍属とか米軍関係者と言っているが、基地に出入りする軍歴のある民間企業の従業員だ。自衛隊OBを軍属とか自衛隊関係者とは言わない。何でも反基地に結びつける輩。政府はオタオタしてはいけない。》(こちら

 要するにこの人は、事件を基地の存続や、沖縄県議選や、日米関係に影響を及ぼす「不都合な出来事」ぐらいにしか思っていない。

 無論、こういう人の反対側には、事件を反基地闘争のカードとして利用せんとしている人々がいるのだろうとは思う。

 とはいえ、カードとして利用するもなにも、軍事基地と隣り合って暮らす日常という現実がもたらした犯罪である以上、この事件が、米軍、ならびに基地および地位協定などなどへの反感を促すことは、ごく自然な展開と言って良い。

 中山氏には、米軍の存続を望むのであれば、被害者を責めたり、沖縄県知事を罵倒するよりは、米軍やアメリカ政府の関係者に真摯な謝罪を促し、地位協定の見直しを訴えた方が得策だということをお伝えしたい。

 意外だったのは、橋下徹氏が、この事件に言及したことだ。
 彼は、21日、ツイッターにこう書き込んでいる。

《米兵等の猛者に対して、バーベキューやビーチバレーでストレス発散などできるのか。建前ばかりの綺麗ごと。そこで風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方lがよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!》(こちら

 やはりと言うべきか、まさかというべきか、橋下さんは、あの時、自分の発言を撤回したことを、いまだに納得していないようなのだ。

 このツイートの元となった橋下元大阪市長の発言については、3年前の当欄で、比較的踏み込んだ原稿を書いている(こちら)。

 その原稿の中で、私は、こう書いている。

 今回、「慰安婦」および「風俗」に関連する話で、彼がいつものように素早く撤退できなかったのは、「マッチョ」であるということが、彼にとって、自分のセルフイメージを保持するために、譲れない一線であるからだと、私は考えている。

 しかも、相手が米軍だ。

 相手が、教育委員会や、労組や、新聞メディアといった、普段からのなじみの敵であれば、彼は、いつでも戦術的な謝罪を繰り出すことができる。なぜなら、それほど敵を恐れてもいないし、重要視もしていないからだ。

 が、相手が米軍だと、簡単に謝れなくなる。

 強い相手にアタマを下げることは屈辱だし、なによりセックスがらみの話題で自説を引っ込めることは、彼の中の「マッチョ」が許さないからだ。

 今回、橋下さんが、一度は謝罪して撤回した3年前の失言を再度蒸し返したのは、彼にとって、このテーマ(←「男らしい男・猛者にはしかるべき性処理が不可欠だ」とする自説)が、どうしても譲れない一線だったからなのだと思う。

 翌21日、橋下氏は、あらためて以下のようなツイートを配信している。

《性の問題は禁止だけ、きれいごとだけじゃ何も解決しない。こういうきれいごとばかり言う人たちは思春期の子どもにどうやって性教育をしているんだろ?難しいけど真正面から取り組まないといけないんだよ。米軍も、きれいごと連中も、結局ここから逃げていた。だから悲惨な事件はなくならないんだ。》(こちら

 この人のツイートを観察していると、この種のセックスの話題が定期的に出てくる。論調はいつも同じで、「きれいごと」ではなにも解決しない。性に関してはきちんと管理して性処理のできる体制を整えなければならないというところに落着する決まりになっている。

 要するに、性犯罪は、軍による性処理のマネジメントがうまく機能していないから発生するというのがこの人の持論なわけで、で、そのあまりにもあからさまな女性蔑視のロジックに反発を表明する人間は、彼に言わせれば「きれいごと連中」というカテゴリーに分類される。どこの脳味噌で考えるとこういう思想が動き出すのか、不思議で仕方がないのだが、この人は大真面目にそう考えている。

 ことほどさように、セックスの話題は、それについて語る人間の品性を明らかにしてしまう。特に、性犯罪は犯人の歪んだ欲望を明るみに出すだけではなく、それについて語る人々の欲望や偏見をも、白日のもとに晒す結果をもたらす。

 武蔵野市在住の20歳の女性が東小金井で開催される予定だったライブイベントの会場付近で、全身を20箇所以上刺されて意識不明の重体に陥っている事件は、当初「アイドル活動をしている」女性が「ファン」の男性に襲われた事件として報じられた。

 翌日になってから、プロインタビュアーの吉田豪氏をはじめとするメディア関係者や被害女性の実際のファンが、被害者の女性について
「アイドルではない。シンガーソングライターだ」
 という旨の指摘をして、以来、いくつかのメディアは、「アイドル」という言葉を使わない方向に姿勢を転換している。が、現在のところ、多数派の新聞、テレビ、雑誌は相変わらず「アイドル刺傷事件」という見出しで続報を報じている。

「アイドルと呼ぼうがとシンガーソングライターと呼ぼうが事件の本質は変わらない」

 というのが、おそらく、各メディアが事件の呼び方を変えない理由なのだと思う。

 たしかに、この事件の本質は、女性がストーカーに襲われたという一点にある。被害女性の職業をどう呼ぶのかは、二義的なお話かもしれない。だからこそ、メディアとしては、当初の最も記事本数が多かった時点で「アイドル刺傷事件」という名前が付けられた以上、混乱を避けるためにも、続報も同じタグで処理した方がわかりやすいと判断して「アイドル」という言葉を引っ込めずにいる、と、そういうことなのであろう。

 ただ、私は、個人的に、この事件が相変わらず「アイドル刺傷事件」と呼ばれている理由のうちの7割ぐらいまでは、「はじめにそう名づけてしまったから」ということに過ぎないとは思っているものの、残りの3割については、「アイドル刺傷事件」というタグで処理しておいた方がわかりやすいから」という事情があずかっているのではないかと思っている。

 そもそも、こういう事件が起こってしまう以前の段階から、最新のアイドル事情に詳しくない一般の新聞読者やテレビ視聴者の間には、

「アイドルのファンって、ヤバそうなヤツ多いよね」
「地下アイドルとかって、なんだかんだ危ない橋わたってるんじゃないのかなあ」

 ぐらいな、さしたる根拠もない思い込みがなんとなく広がっていたはずで、今回の事件がいきなり「アイドル刺傷事件」という命名を得たのも、その見出しが、読者および記者一般の間にあらかじめ共有されていた予断(あるいは偏見)にぴったりとハマるものだったからなのだろう。

 であるから、このマスメディアによる事件の扱い方に対して、アイドルを真面目に追いかけているファンの一部からは、

「この偏見に満ちた見出しのつけ方は許しがたい」
「要するにマスコミの連中はオレらアイドルオタクを《気持ちの悪いヤツら》にしておきたいんだろうな」

 という非難ともあきらめともつかない声が上がっているわけなのだが、私は、実は、アイドル事情にはまったく詳しくないので、正直なところ、この状況をどう判断して良いのやらわからずにいる。

 ひとつ言えるのは、マスメディアで取材をしている人間や、その受け手である特に中高年の新聞読者およびテレビ視聴者が、昨今のアイドルビジネスに漠然とした不信感を抱いているということだ。で、その不信感が、偏見の温床となり、そのまた偏見が、「因果応報」的なプロットを匂わせる見出しを要求した、と、そう考えるとなんとなく釈然とする。まあ、この見方そのものも偏見かもしれないわけだが。

 偏見は、複雑な背景を単純な図式で理解しようとする時に活躍する。

 なので、自分にとってなじみのない不可解な事象やにわかに了解できない珍奇な運動に出くわすと、われわれは、ついつい安易な偏見を発明してしまう。私自身、自分ながらいくらなんでもこれは偏見だろうと疑っているいくつかの見方を、なかなか改められずにいる。というのも、偏見はマトモな見方に比べて切れ味が鋭くて、ひそかに振り回している分には、なかなか気持ちが良いからだ。

 アイドルをめぐる商売については、以前からいくつか考えていることがある。
 が、簡潔に書くことができそうにないので、それらについては、別の機会に譲ることにする。

 ひとつだけ言えば、CDのおまけに握手券をつけて、その握手券の枚数によって、握手できる秒数が決定されるみたいなビジネスを「アイドル」というタグで処理したことが、そもそもメディア側の不見識だったとは思っている。

 アイドルは、手が届かないものだ。ファンの手の届かない場所にいるからこそ、それは偶像化され、無垢な憧れの対象になる。

 会いに行けるアイドルは、手のひらに乗るクジラがクジラでなく、250円のダイヤモンドがダイヤモンドでないのと同じように、はじめからアイドルではない。

 まして、握手をする権利を金銭で売買している人間はアイドルどころか芸能人ですらない。
 そういう商売には別の名前が付けられなければならない。

 名前については、いくつか腹案を持っている。
 でも、ここには書かない。
 ストーカーが怖いのでね。

■変更履歴
本文中、元大阪市長の橋下徹氏の表記が、橋本徹となっていましたため修正しました。 [2016/05/27 10:10]
こっそり聞かせていただきました。
ここで書かないで下さって感謝します…。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。
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