前回までのあらすじ
Apple社は,初代のiPodがそれほど成功しなかったにも関わらず,後継機種を出し続けた。第2世代機ではWindowsに対応。第3世代機では,音楽配信サービス「iTunes Music Store」との連携を発表した。この製品が市場拡大の起爆剤になった。(以下の本文は,『日経エレクトロニクス』,2004年7月19日号,pp.221-223から転載しました。メーカー名,肩書,企業名などは当時のものです)

 招待状の内容は曖昧だった。差出人は米Apple Computer,Inc.。「音楽を耳元に届ける」何かを発表するという。Apple社が指定した会場は,サンフランシスコのど真ん中にある巨大施設 Moscone Convention Center。ちょうど竣工したばかりのWest Wingを,業界へのメッセージを奏でる場に選んだ。

 誘いを受けた報道陣は,憶測を巡らせた。有力な説は大手レコード・レーベルの買収だった。Apple社が米Universal Music Groupを傘下に収める——そんな噂がシリコンバレーを駆け巡った。

 発表会当日。2003年4月28日は,いかにもカリフォルニアの春らしい一日だった。青のジーンズに黒いタートルネック。Steve Jobsは,見慣れた姿でステージに立った。

 Steveは語り始めた。これから話す内容をほのめかしつつ,音楽業界へのささやかな謝意を呈した。「iTunesを発表した時,我々が掲げたメッセージは『rip,mix,and burn(吸い上げ,並び替え,CDに焼く)』だった。これだと音楽業界には,海賊行為を助長すると見えたかもしれない。これからの合言葉は『acquire,manage,and listen(手に入れ,管理し,聴き入る)』だ」。

 そしてSteveは,「iTunes Music Store」を発表した。

Let’s Do This Right

 ——iTunes Music Storeは,Steveが1年数カ月前に出した要求から始まった。「一番の狙いは,使いやすさだった。曲のサンプルを聞けて,クリックすれば買えて,曲が自分のものになる,そんなオンライン・ストアをSteveは望んだ。そこで僕らは,ユーザーが圧縮フォーマットやDRMを気にせずに,音楽だけに集中できる『体験』をつくり出したんだ。他のすべてのサービスに欠けていたものをね」。Apple社でiTunesのDirector of Product Marketingを務めるChris Bellは振り返る。