尖閣諸島周辺の接続水域に中国の軍艦が初めて侵入した。6月9日未明のことである。もちろんこの海域には軍艦を改造した中国海警局巡視船などがしょっちゅう侵入しては海上保安庁の巡視船に追い出されることを繰り返しているのだが、軍艦となると緊張感がまったく違う。官邸はすぐさま危機管理センターを設置し、米国とも連絡を取り合った。外務省は夜中に駐日中国大使を呼び出して厳重抗議した。中国側のこの行為には、どういう意図があるのだろう。まさかうっかり接続水域に入ってしまったというのだろうか。

「してやったり」ほくそ笑む中国

 まずロシアの軍艦も同じタイミングで接続水域に入ったため、中ロが結託して、日本を挑発したという疑いはある。ただ、ロシア軍艦が定期演習帰りにこの時期に接続水域付近を通行することは想定内。むしろ中国側が自国の領土と言い張る尖閣諸島周辺海域にロシア軍艦が入ったことを口実に、ロシア艦を監視するという建前で自らも接続水域に入った、という見方が今のところ主流である。

 ちなみに駐日ロシア大使館はツイッターで「当海域では中国と関係なくロシア海軍が定例の演習を行い日本の領海に入ることは当然ない。…ご心配不要」と、中国とは無関係であり、また尖閣諸島海域が日本領海と認めているようなニュアンスのコメントをしていた。なお、このコメントは日本語であり「尖閣諸島」という言葉を使っている。さすがにまずいと思ったのか、すぐに削除された。これが“うっかりコメント”なのか、中国に対するある種のメッセージなのかは不明。軍艦侵入そのものが、中国との共謀であれば、もう少し中国への配慮というものがあっただろうとは思う。

 ロシアの狙いは後回しにして、まず中国側の意図を考えてみよう。例えば、ロシア艦の接続水域侵入を見た中国海軍が現場の判断なのか。それとも、習近平政権の意志による計画的軍事行動なのか。

 結論を先に言うと、これは習近平政権の指示による計画的行動だと、私は考えている。

 まず、中国国防部が翌日、「釣魚島およびその付属島嶼(尖閣諸島)は中国固有の領土であり、中国軍艦が本国管轄海域を航行するのは合法であり、他国がとやかく言うことではない。きょうの端午の節句(旧暦)をすこやかに過ごしてください」と、ユーモアと余裕も感じさせるコメントを発表していることだ。この余裕に「してやったり」という中国側のほくそ笑みが見える気がする。

 中国メディアで報じられている内容を整理すると次のようになる。

 8日午後9時50分ごろ、ロシア海軍艦艇3隻が先に尖閣諸島海域(中国語で釣魚島)の久場島(黄尾嶼)と大正島(赤尾嶼)の間の接続水域を北上し、海上自衛隊護衛艦“はたかぜ”に発見された。9日未明午前0時50分ごろ、一隻の中国フリゲート艦・江凱が南下し久場島東北の接続水域に侵入するも海上自衛隊“せとぎり”に発見され、U字型の軌跡を描いて大正島東北の接続水域から脱出。中国軍艦が接続水域を出たのは午前零時3時10分、ロシア軍艦が同域を出たのは3時5分。

「中ロ連携」を匂わせ、建前で逃げる算段

 日本メディアの報道の在り方はおおむね二通りだ。中ロが事前に打ち合わせた計画的行動である、というものと、中ロの連携はなかったというもの。読売新聞の10日の報道は前者で、ロシアが2012年から毎年夏に日本海や黄海で合同海上軍事演習をしているのは日米けん制が目的であり、この中ロの行動は日米印三国の10日の九州付近での合同海上軍事演習に対抗するものだという分析をしている。

 一方、産経新聞は、ロシアが先に接続水域に入ったことを中国軍艦がロシアを監視するかのように見せかけてあとから侵入したと報じ、中ロ連携ではなくロシアを中国が利用して侵入したという見方だ。防衛省・外務省は、中国が日ロ相手にこの領海に近づくな、と威嚇した、とみている。日本政府としては、中国は周到な計画をもってこの事件を起こしたと認定しているようだ。毎日新聞は、元自衛官のコメントを引用して、中国の周到な計画的行動は今後も続き、国際社会の注意を南シナ海からそらそうという意図がある、としている。

 環球時報などが、日本の新聞の引用をしながら、だいたいこのようなことを伝えている。

 軍の行動の意図などは、たとえ官報といえども勝手な解釈報道はできないのだが、こうして海外メディアの引用を反論を加えずそのまま報じるときは、だいたい図星ということである。ロシアとの連携が本当にあったかなかったかは、ひとまずおいておくが、中国としては「連携があった」と日本に思わせたいのだ。中国報道のほとんどが“中ロ軍艦”を主語にしている。そして「ロシアに文句を言わないで中国に文句をいうのはおかしい」「中国軍艦はロシア軍艦の侵入を見張るために南下したにすぎない」という建前で日本の抗議を封じ込めることができるとみている。

 13日付の環球時報は、「いよいよロシアも参入!魚釣島をめぐる大博打」と題した、少々ちゃかした感じの論評を掲載した。これがなかなか興味深い。以下引用する。

「安倍は突然たたき起こされた」

 「ドラマチックに描けばこんな感じだ:眠っている安倍は突然たたき起こされた。中国とロシアの軍艦が来たぞ! 日本の軍艦はどこだ? 日本の艦艇にその行動を妨害させようにも、衝突は怖いし、安倍はただ追随して監視しするしかなく、すぐさま米国に報告する。

 焦った日本の官僚たちは、50歳を過ぎた駐日大使の程永華を午前2時に外務省に呼びつけ、てんやわんや。寝覚めの悪い大使の顔色は悪く、さすがにキレて言い返した。“釣魚島は中国固有の領土、中国側は日本の抗議を絶対に受け入れられない”。

 注目に値するのは日本側の中国とロシアに対する対応差だ。ロシア軍艦の方が接続水域侵入の時間が早く、海域航行時間も長く、艦の数も2隻多い。

 なのに難癖をつけ、抗議するのは中国だけで、ロシアに対しては文句を言わない。理由はロシアは魚釣島の領土主権を主張していなからだ、と。…

 日本はロシア大使館のツイート声明(で尖閣諸島という言葉を使ったこと)によろこんだようだが、これは外交辞令だ。そもそも外交部は軍の意図などわからぬものだ。だからすぐに削除された。…

 いくつか基本的に判断できることは以下の通り。

 ①中ロ軍艦は同時に接続海域に侵入し、ロシアが先に侵入した。②プーチンの6月訪中を前に、南シナ海問題がまさに煮詰まっているとき、中ロが連携してこの航行を行ったから、日本を十分に震え上がらせることができた。③米国のアジアリバランス政策下で、米日が協力を強化している状況で、中ロの協力強化は確かに必要で、これはイデオロギー以上に国家利益的に大きな意味がある。こうした状況からプーチンの訪中は実りあるものになるだろう。④ロシアの艦艇3隻は老朽船であり真の軍艦は一隻だけで残りの二隻は補給艦と曳航艇である。だが敏感な水域をあえて航行するプーチンの軍事外交は大胆かつ強硬である。

 最後に付け加えていえば、ロシアの過剰に大胆な部分を中国は学ぶ必要もないしできないが、少なくとも外交局面においては、もっと活発になることが中国の成功の秘訣だろう。たとえばロシアのウクライナ危機や迅速なシリア撤退のようなこの種の謀略は参考にする価値がある。特に南シナ海問題が煮詰まりつつある今、釣魚島で再び風雲を起こすことは、実際なんの不都合もないのである。釣魚島をめぐる中日の争いは表面的なものであり、実際は米国を避けて考えることのできない問題だ。釣魚島の問題は、全東アジアの大博打の一部でしかない。そこに、いよいよロシアが加わって釣魚島をめぐる大博打が今始まったわけだ。」

 中国としては、ロシアが中国海軍と同時期に接続海域に入ったことに大きな意味を見出している。つまり、南シナ海と合わせて、東シナ海問題にロシアを引き込めれば中国にとって有利だということだ。

 尖閣は日本の実効支配下にあり、日米安保の枠組み内にあるので、中国の実行支配下にある南シナ海の島嶼問題よりもある意味攻略しにくい。そこに米国と対立するロシアを引き込めればこれは中国に利する。万が一、日本とロシアの関係がこじれれば、中国にとっては願ってもないことだ。ロシア軍艦が南シナ海での国際テロ軍事演習にこの海域を通ることは、かねてからわかっていたのだから、中国がタイミングを合わせて尖閣諸島接続水域に軍艦を出すくらいのことは十分考えられる。

習近平はプーチンLOVE

 ロシアは本当のところどう考えているのだろうか。

 ロシアの本音を探る手段は今の私にはない。ただ、プーチンは稀に見る外交巧者である。年内の日本訪問の条件の駆け引きを見据えながら、6月の訪中の内容を詰めているところであろう。ロシアと中国が真の蜜月だとは思わないのだが、習近平のプーチンLOVEはかなり本気だ。

 ウクライナ危機にしてもシリア撤退の奇策にしても、習近平政権が「外交はかくありたい」とほれぼれするようなことをプーチンはやってのける。そういった中国側の気分を見越して、ロシアは4月のモスクワでの中ロ外相会談で、南シナ海問題を当事国間の直接の話し合いでの解決を求める中国側の立場を支持している。

 ロシアはベトナム・カムラン湾を軍事利用しつつASEANにおける武器輸出拡大を図っているところで、南シナ海には巨大な利権をもつ。米国の対ベトナム武器禁輸解除は、中国以上に苦々しく思っているはずだ。中国が米国の対ベトナム武器禁輸解除に対して、あまり怒った風でなかったのは、南シナ海問題にロシアを引き込み、米国と対立させる好機とみた、ということも考えられる。

 一方、シンガポールにおけるシャングリラ会議では、日米印の南シナ海における対中包囲が鮮明化する一方で、ロシアと中国は米韓の対北朝鮮目的のTHAADミサイル配備への反対で立場を一緒にするなど米(韓)VS中ロの対立構造も鮮明化した。中国としては、南シナ海問題で米ロをあおりつつ、東シナ海にもロシアを引き込みたい。ここで、ロシアは外交辞令上、「そんな領海侵犯の意図などありませんよ。中国とも関係ありません」という声明を出しながら、中国に貸しを作るぐらいのことはやっても不思議ではないだろう。

平和ボーナスなき後、試される忍耐

 南シナ海問題は、国際的包囲網が形成され、またフィリピンに親中派大統領が登場し、ベトナムにおける米ロの兵器利権対立が起きそうで、6月末にもスカボロー礁の中国埋め立てをめぐるハーグ仲裁裁判所の判決が出る、という変数が多くあるなかで、中国側も今しばらくは次の一手を攻めあぐねていよう。

 軍制改革を成功させるために南シナ海で、局地戦も辞さない覚悟で軍事緊張を高めることが中国のシナリオであることはこのコラムでも以前に解説したが、環球時報の論評にあるようにここにきて「釣魚島付近で再び風雲を起こすことは何の不都合もない」というのも本音だろう。もともと習近平シナリオには、2013年1月のロックオン事件の際に、日中間で局地戦を覚悟した軍事的緊張を演出するというものもあった。主戦場がいつ南シナ海から東シナ海に移っても不思議はないのだ。

 こういう状況は日本にとって非常に具合が悪い一方で、少しだけ好いことがある。悪いことは、日本の安全保障が脅かされ日本の領海領空を守る海上自衛隊や航空自衛隊に対するプレッシャーが並々ならぬものになるということ。好いことは、7月の参院選を前にして、有権者が安全保障の問題をより身近に迫ったものとして真剣に考えるようになることだ。

 日本政府としては、北方領土問題の交渉相手であるだけでなく、東シナ海や南シナ海を含む、アジア太平洋「大博打」大会の主要プレーヤーであるロシアの思惑を見越しつつ、その外交をうまくこなすことがまず肝要かもしれない。第二次大戦以後の平和のボーナスはそろそろ使い果たされ、いよいよ神経を消耗する厳しい時代になった。一人ひとりの忍耐が試されているのだと思う。

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