ITベンダーの経営者はよく、日本のIT教育の脆弱ぶりを嘆く。いわく「米国に比べて日本では、大学でコンピュータサイエンスを学ぶ学生が圧倒的に少ない。しかも日本の大学では、ビッグデータ分析など最先端の技術を教える体制ができていない」。「欧米では電子黒板などの利用が当たり前。中学や高校で黒板を使っているのは日本ぐらいだ」。

 さらに言う。IT教育が脆弱であるために、ITベンダーは優秀な若手技術者を採用できない。日本のIT業界はいつまでたっても技術レベルで米国をキャッチアップできず、結果として日本のユーザー企業や日本全体の競争力低下を招く――。

 これは言うならば、日本のIT業界関係者による“IT教育亡国論”だが、本当にそうか。私には単なる“責任転嫁”にしか聞こえない。

 自国だけでなく全世界から優れた学生を集める米国の大学。そこでコンピュータサイエンスを学んだ若者が、米国のITベンダーで最先端の技術開発を担い、さらには続々と新たなITベンチャーを起業して、恒常的に米国のIT産業をイノベーションしていく。確かに、そんな米国に比べると日本のIT教育の遅れやレベルの低さには、目を覆いたくなる。

 だが、仮に日本のIT教育がもっと優れていたとたら、高度なコンピュータサイエンスを学んだ優秀な若者が続々と日本のIT業界に流入してきて、画期的な製品やサービスを生み出してくれるだろうか。おそらく、それはあり得ない。この「SI亡国論」で既に述べてきたように、日本のIT業界の特徴は「後追い」「御用聞き」「労働集約」だ。そんなところに優秀な若者が大挙して押し掛けることはあり得ない。

 特に問題なのは、今回詳しく述べるが、日本のITベンダーの主たる業務であるSIビジネスが知識集約ならぬ労働集約の典型例であることだ。「ハイテク産業」の看板に似ても似てつかぬ業界構造であるがために、進取の精神に富む若者は日本のIT業界を避けるはずだ。ネット企業などに就職して国内にとどまってくれるならまだしも、多くの若者が教育という“持参金”を持って米国などに旅立つだろう。