中華人民共和国の建国から67年。
中国は8万基以上のダムを建設し、合計で300ギガワットの水力発電容量をもつ。これは、米国の水力発電量のおよそ3倍だ。その一方で、ダム建設によって数千万人が故郷を追われた。中国最大の水力発電プロジェクトである三峡ダムでは、130万人の村人が立ち退きを余儀なくされた。
三峡ダム完成から10年近く経つ今でも、数千人の元住人が、約束された住居やその他の補償を受け取っていないとして政府に申し立てを行っている。人々は田畑や仕事を失い、貧困生活を強いられていると主張する。(参考記事:「三峡ダムの建設で変貌した長江ほとりの街」)
立ち退いた人々の悲惨な現状
怒江(ヌージャン)ダムの調査が進められていた2002年、環境保護団体「緑色流域」代表の于暁剛(ユー・シァオガン)氏は、一部の村人を連れて瀾滄江(ランツァンジャン:メコン川の中国名)上流にある漫湾ダムの視察に出かけた。そこで一行は、ダム湖建設のため立ち退いた人々の悲惨な現状を目の当たりにした。(参考記事:「ダム建設に揺れるメコン川」)
「ある村では、自分の土地を全て失い、廃品を拾ってダム会社に売ったお金でギリギリの生活を送っている人々がいました」と、于氏は証言する。視察の様子を撮影したビデオには、村人たちの劣悪な環境に動揺する怒江の人々の姿が収められている。
65歳にしていまだ精力的に活動する于氏は、アジア有数の河川保護活動家である。人生のほとんどを、ダムとダム湖建設による影響を記録することに費やし、特に立ち退きを迫られた住民への社会的影響に焦点を当てている。2006年、その功績が認められ、国際的な環境賞であるゴールドマン環境賞を受賞した。
しかし、彼ほどの実績とコネをもってしても、怒江ダム計画によってすでに立ち退いてしまった人々を守ることはできなかった。2000年代半ば、雲南省と中国華電集団公司は提案中だったダム建設に向けて土地を一掃するため、小沙壩(シャオシャバ)村で140世帯の立ち退きを開始した。ところが、ダムは結局建設されることなく、後には村の廃墟が残され、かつてここに暮らしていた村人が訪れる姿が見られる。
李慧珍(リー・フゥイジェン)さんと数人の友人たちは、小さな鎌を手に、今では住む者のない村で菜園の手入れをしていた。自宅を立ち退いて10年、李さんは夫とともに近くに新しく建設された村の2階建て集合住宅に住んでいるが、そこには菜園を作る土地もなく、家畜を飼育することもできない。
住環境は良くなったが、不満は残った。「何もすることがなくてただ座っているだけなので、毎日ここへきて野菜を育てているんです」と、李さんは話す。
ダム建設決定と世界遺産登録
三峡ダムをはじめとする水力発電プロジェクトが国家の威信の象徴となっていた時代に、怒江の開発計画は始まった。2003年、政府は怒江で13基の連続ダム建設を発表、完成すれば、その総発電量は三峡ダムを上回ると言われた。
しかしその後、中国経済は減速し、電力需要も減少した。政府は、新たなダムを建設する前に既存のダムからより多くの電力を引き出す方が得策であることに気付いた。国内の水力発電所がまだまだ効率的に稼働していないことを示す調査報告も複数ある。(参考記事:「米国に広がるダム撤去の動き」)
中国の送電網と起伏の激しい地形が、怒江でのダム建設の大きな障害となっている。瀾滄江や長江(揚子江)でも、源流域の険しい山あいに送電線を設置するのは容易ではなく、莫大な費用がかかった。
2003年、怒江ダム建設計画が正式決定されるわずか数カ月前に、怒江、瀾滄江、長江の3本の川は「雲南三江併流の保護地域群」としてユネスコの世界遺産に登録された。もし怒江にダムが建設されれば、世界遺産の指定区域内か、あるいはそのすぐそばに送電線を通さなければならない。ユネスコによると、ここには7000種の植物と80種の希少種および絶滅危惧種の動物が生息している。なかには、中国国内の他のどの場所にも見られない種も存在しているという。(参考記事:「絶景「三江併流」の玄関口、雲南省シャングリラ県」)
「電気を外へ送ることは簡単ではありません」と、環境保護団体インターナショナルリバーズの中国プログラムディレクターを務めるステファニー・ジェンセン・コーミアー氏は言う。「送電線は建設が大変で、環境への影響は深刻です」
つづく
前回記事へのリンク:
怒江に暮らす人々とダム計画の行方(1) 「東洋のグランド・キャニオン」、ダム計画を変更へ