2016年4月14日、九州・熊本県を中心とした地域を地震が襲った。熊本県では40人以上の犠牲者を出し、阿蘇大橋が崩落するなど各地で物的被害が生じた。さらに16日未明にも大きな地震が発生し、今度は大分県で震度6弱の揺れが観測された。

 日経ビジネスオンラインでは、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)の今村正治副学長に、地震が起きてから現在までの話を聞いた。

 APUは、約6000人の学生のうち、半数が80カ国から集まった留学生。しかも4月ということで、日本の学生549人と留学生325人の新入生が入学し、そのうち留学生のほとんどが大学内の学生寮に入ったばかり。学生寮では約50ヵ国・地域の1114人が暮らしており、市内にも多くの学生が住んでいる。

 国内外から学生が集まる日本有数の国際大学APUは、地震にどう直面し、対処したのか?

多くの留学生は地震の経験がない

 大分県別府市に震度6弱の地震が起きたのは、4月16日深夜1時25分のことです。4月14日に熊本県で震度7の地震があり、その後も余震が続き、大分でも時折、揺れを感じていたので、ある意味で心の準備がありましたが、それでも震度6レベルの地震は強烈です。私の住まいは別府市内のマンションの8階ですが、書棚の本から食器までが散乱しました。

 この大きな地震が起こってまもなく、私を含めAPUのスタッフは、事務局長を中心に職員チームが電話と緊急のメールでメッセージを交換しながら、現状を把握し、必要な対応を確認し各部署がすぐに動けるようにしました。

<b>今村正治(いまむら・まさはる)氏</b><br/>立命館アジア太平洋大学 副学長<br/>1958年生まれ。1992年、立命館大学学生部学生課長。1997年、新大学設置準備事務局 新大学設置準備事務室課長に就任。以来、立命館アジア太平洋大学の設立や発展に深く関わってきた。
今村正治(いまむら・まさはる)氏
立命館アジア太平洋大学 副学長
1958年生まれ。1992年、立命館大学学生部学生課長。1997年、新大学設置準備事務局 新大学設置準備事務室課長に就任。以来、立命館アジア太平洋大学の設立や発展に深く関わってきた。

 心配だったのは、学生たち、とりわけ海外から来た留学生や別府が不案内な新入生たちがどうしているか、でした。多くの留学生は、地震の経験がありません。ですから、とにかく、安全確保と安否確認に全力を注ぎました。

 まずは、学生寮です。APUのキャンパスは郊外の山の上にあり、5974人(2016年4月現在)中約1200人の学生がAPハウスと呼ぶキャンパス内の学生寮で暮らしています。キャンパス管理のスタッフとRA(レジデントアシスタント)という先輩学生の先導で、地震直後には、寮にいた学生全員をいったんキャンパスの駐車場に避難させました。幸いにも雨が降っておらず、避難訓練を実施していることもあり、学生たちは冷静に行動をとることができました。

 同時に行ったのが、学生寮に住んでおらず、別府市内のアパートなどに下宿している学生や教職員の安否確認です。APUには大学当局が学生とウェブ上の掲示などで連絡がとれるイントラネットがあります。

 地震発生後、すぐにこのイントラネットを通じて学生や教職員たちに安否確認を行いました。学生については、5974人の全学生のうち4000人程度から反応がありました。幸いなことに、その後の調査で、学生たちの被害は、ごく数例の軽傷のみでした。相前後しますが、熊本に実家のある学生180人についても、熊本の地震が起きた時点ですぐにイントラネットでの安否確認を行っています。

世界中の留学生の家族から問い合わせが殺到

 4月16日の早朝からは、日本国内はもちろん世界中の学生のご家族から問い合わせの電話とメールが殺到しました。お子さんの安否確認と大学の状況、地震の様子、「来週から授業をするつもりなのか」、「子どもをいったん家に帰したい」などなど。

 熊本県の甚大な被害の報道に衝撃を受け、また、東日本大震災の記憶がまだ生々しく残っているだけに、日本はもとより世界中の学生のご家族の皆さんが心配するのは無理もありません。

避難所での学生の様子。日本人学生も留学生も、避難所での作業を手伝った (写真:大分合同新聞提供)
避難所での学生の様子。日本人学生も留学生も、避難所での作業を手伝った (写真:大分合同新聞提供)

 さらに、各国大使館や領事館からの問い合わせもありました。

 中には、学生をいったん福岡県に避難させ、希望者は帰国させたいとして、タイや韓国の大使館や領事館はバスを手配して学生を県外に避難させました。後日、インドネシア大使館や韓国領事館からは実際に代表が大学まで安全確認をしに来られました。なお、他に、スリランカ、ブルネイ、モンゴル、台湾からも問い合わせがありました。また、世界中の提携大学や高校などから、多数のお見舞いのメールが届いています。

 APUでは、4月16日の午後に、大事をとって翌週18日から20日までの休講を決定し、発表しました。

 地震直後から、別府市内で暮らしている学生たちの多くは、互いに声を掛け合って、市内各所に設けられた避難所に移動しました。特に16日の夜、そして余震を最も警戒していた翌17日の夜には、約1000名の学生が、各避難所にいました。避難所によっては過半数が本学の学生だった避難所もあったようです。 

 真夜中に地震にみまわれ、不安な状況を避難所で過ごす学生たちの様子が正直、心配でした。半数を占める留学生たちのほとんどは地震の経験がありません。いきなり震度6の地震に遭遇したら、とても平静ではいられないでしょう。また、ある程度は日本に慣れているとはいえ、異国の地で自国語が通じない街です。

 パニックを起こしたりしていないだろうか、と、私やスタッフで週末にかけて学生が身を寄せている避難所を歩いて回りました。

多数の留学生が避難所で助け合ったのは、防災史上初

 結論から言うと杞憂に終わりました。

 避難所の学生たちは、日本人学生も留学生も「はじめての大地震でとっても怖かった」といいながらも、避難所では、「なにか自分たちにできることは」と積極的に手伝いを申し出、率先して毛布など物資を運んだりしていました。

 一人で避難されたお年寄りに声をかけて励ます学生もいたそうです。避難所の事務局の方からは、「APUの学生さんたちはみんなマナーがよくて親切で助かる」とおっしゃっていただきました。

日本人にまじって避難所での自衛隊の炊き出しに並ぶ外国人留学生。避難所の事務局からは「立命館アジア太平洋大の学生はマナーがいい」との声も (写真:大分合同新聞提供)
日本人にまじって避難所での自衛隊の炊き出しに並ぶ外国人留学生。避難所の事務局からは「立命館アジア太平洋大の学生はマナーがいい」との声も (写真:大分合同新聞提供)

 別府市には留学生が多いにもかかわらず、避難所で英語が通じないなど「地震への備えができていなかった」などと一部で報道されています。しかし数千人の学生たちが暮らしており、しかもその半数が留学生、という別府において、避難所で市民と学生たちが身を寄せ合い、大きなトラブルもなく助け合いながら危機をしのいだ、というのは、むしろおおげさにいえば日本の震災・防災史上前例のないことではないでしょうか。

 もちろん「日本語ができないため、避難所でうまくコミュニケーションがとれない留学生がいた」「一部にマナーの悪い学生がいた」という指摘もありますが、きわめて少数だと思います。今回の地震でAPUの学生たちと別府市が得た経験は、日本が今後、多文化共生社会をめざすうえでの教訓を示してくれていると思います。

 4月19日現在の別府市の状況ですが、建物倒壊など甚大な被害もなく、18日月曜日には、おおむね平常を取り戻しており、市内の学校や幼稚園は授業を再開し、スーパーやコンビニも温泉も営業しています。

 日本各地から別府市までの交通は、飛行機から鉄道、自動車まで問題なく確保されており、市内の交通も通常通り運行しています。なにより、電気・水道・ガスなどライフラインについても問題ありません。

 キャンパスの状況は、一部の床が浮いたり、壁のタイルが剥がれたりしましたが、それ以上の被害はなかったため、大学の食堂も施設も問題なく使えるようになっています。図書館についても書籍が散乱する程度の被害に留まりました。

 余震についての懸念は依然ありますが、別府市内やキャンパスでの生活は平穏をとりもどし、授業再開の準備ができています。そこで、本学としては、25日月曜日から授業を再開することにしました。ただし、休講をなお21日、22日まで継続したのは、本学の学生の多くが、国外や日本各地に広域避難している状況を考慮したからです。今週末には、地震の影響と休講で延期になっていた就職説明会も可能な限り開催し、課外活動などのキャンパス利用も可能になります。

 国際大学であるAPUが地震にみまわれ、日本と海外の若者が地震に直面しました。これを奇貨として私たち大学は何をすべきか、今後、どんな対策を講じるべきか。

 私たちがいま早急に講じようと考えているのは、大学と教員、職員と学生、そして親御さんとの間で、学内のイントラネットに加え、大学HPやフェイスブックなどSNSでの情報発信と共有の徹底です。今回も避難所の指示などはフェイスブックの書き込みが役に立ちました。

 そして、可能な限り迅速に、適切な避難情報や連絡などをできるだけ多く、日本語と英語で発信することです。本学では、海外オフィスなどとも情報を共有し、中国語、韓国語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語など多言語でもフォローしていく体制を整えています。

学生寮に住んでいない学生の安否確認にはイントラネットが役に立った (写真:大分合同新聞提供)
学生寮に住んでいない学生の安否確認にはイントラネットが役に立った (写真:大分合同新聞提供)

精神的ショックを受けた学生のケアを行っていく

 今後は、地震災害による精神的ショックを受けた学生が、学生生活、市民生活を不安なく送れるような相談体制や支援体制を充実させていきたいと考えています。また、防災対応については、今回の経験をふまえて、学生からもヒヤリングをおこない改善に活かしていきたいと思います。さらに今回の市内での災害避難のあり方から、成果や教訓を行政や市民団体とも共有し、連携を強めていきたいと思います。

 APUでは、この地震の余波で、来年度以降の、海外からの留学生と国内の学生募集に影響が及ぶことを危惧しています。

 しかしながら、国内外の卒業生からは、母校への応援と協力のよびかけが早くも多数寄せられています。学生たちも熊本地震への募金活動に早速、取り組むなど活動を始めています。別府市でも、ゴールデンウィークを控え、ホテル・旅館のキャンセルが相次いでいると聞きます。このような現状を打破しようとしている別府市のみなさんとも力を合わせ、APUをとりまくすべての人たちとつながって、前に向かって進みたいと思います。

 実は、地震が起きる1週間前、4月11日にAPUは、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市と提携し、お互いに地方創生の道を探る共同プロジェクトを立ち上げよう、と調印したばかりでした。学生たちが気仙沼を具体的に応援する仕組みを作ろうとしたばかりだったのです。

 今度は、私たちが地震の当事者となってしまいました。たった1回の地震がいろいろなものを壊してしまう。いざ当事者となると、地震の象徴的な怖さに直面させられます。でも、世界中日本中からたくさんの学生たちが学びに集い、卒業生たちが支えてくれるAPUの教育の灯火を地震で消すわけにはいきません。

 APUは地震も風評も乗り越えられるだけの対策と実績をつくり、学生たちが安心して学べるよう努力していきます。

外国人留学生にもわかるように、避難所での注意が英語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語…など多言語で書かれている。こうした経験は、多文化共生社会を目指すうえで貴重だ (写真:大分合同新聞提供)
外国人留学生にもわかるように、避難所での注意が英語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語…など多言語で書かれている。こうした経験は、多文化共生社会を目指すうえで貴重だ (写真:大分合同新聞提供)
まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中