いま日本の葬儀が急速に変わりつつある。と同時に「死」の受け止め方も変容しており、日本の葬儀と死生観はある意味で混乱期にあるという。民俗学の立場から、日本の葬儀と死の受容を見つめ続ける山田慎也先生の研究室に行ってみた!

(文=川端裕人、写真=内海裕之)

 国立歴史民俗博物館の山田慎也准教授は、変わりゆく日本の葬儀を研究する第一者だ。著書『現代日本の死と葬儀──葬祭業の展開と死生観の変容』(東京大学出版会)は、人間が必ず体験する葬儀やいつかは通ることになる死について考察する快著である。「死と葬儀」の本に「快い著」と表現するのも変な気がするが、知らなかったこと、見えていなかったことを、次々に明らかにしてもらえるのは、まずは快いことだと思う。

 さて、山田さんが、「死と葬儀」について深い考察を出来た理由として、ひとつの幸運な事情がある。1990年代、葬儀について大きな変化が起きている時に、山田さん自身が学生として長期間のフィールドワークをしえた、ということだ。それは、21世紀の今につながるコアな体験だった。学部では法律を学んでいたのに、4年生の就職活動の途中で、急きょ方向転換して、趣味で続けるつもりだった民俗学の世界へ本格的に入っていくことに決めた。会社員生活があまりイメージできず、ならば好きなことをやろう、というふうな決断だったそうだ。

形骸化と多様化

「研究テーマを決める時に、葬儀がいいと思いました。お正月とか結婚式の儀礼にも関心があったんですが、そういった儀礼が一番、人々にとって必要とされる場面が葬儀じゃないか、と。死という問題は、不可知というか、知ることができない。そこで何かに意味づけを求めるときに、やっぱり儀礼が必要になるだろう、と」

 山田さんが埼玉県の元宿場町で少年時代を過ごした後、80年代以降になって葬儀が変わり始めたという。1984年にヒットした伊丹十三の映画『お葬式』では、はじめて葬式を出す家族が「何でこんなことやんなきゃならないのか」という気持ちを抱えつつ翻弄される姿をコミカルに描いている。死者を送る儀礼が、ある意味、形骸化している様が表現されているとも言える。その一方で、従来とは違う形、例えば、散骨や合葬墓といったやり方が出てきたのも80年代の終わりから90年代のはじめ頃だそうだ。そして、山田さんがフィールドに出たのが92年。

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ナショナル ジオグラフィック日本版2016年4月号でも、独特な葬儀と死生観をもつトラジャの特集「インドネシア 亡き家族と暮らす人々」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。
国立歴史民俗博物館准教授の山田慎也さん。難聴のため補聴器を使って取材に応じてくれた。
国立歴史民俗博物館准教授の山田慎也さん。難聴のため補聴器を使って取材に応じてくれた。
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「都市部では変わってきていても、地方に行けば、まだまだこうやらなきゃいけないって言われてそのまま従わざるを得ない、それが当たり前の時代でした。最初、和歌山県串本町の古座というところのお祭りのフィールドワークをしていたら、通り道にちょうど葬儀社が1軒あったんです。それで、勇気を出して、しばらく仕事一緒につき合わせてもらえないでしょうかって言いに行くと、二つ返事で『ああ、いいよ』(笑)。民俗学の調査って、葬儀に入るは難しいので、聞き取りが中心だったんですが、やはり私はフィールドワークがしたくて」

 この時、山田さんの念頭には、葬儀だけではなく、葬儀業についての調査という意識もあった。先行研究としては、国際日本文化研究センター教授の井上章一氏が『霊柩車の誕生』(1984年)を出し、さらに、宗教学の立場から大正大学の村上興匡(こうきょう)教授が東京の葬儀社の調査をした研究がすでにあったそうだ。それを地方でやってみたら、どうなるだろうか、という発想だ。

葬儀社にくっついて

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 ここで、おやっ、と思う人もいるのではないだろうか。民俗学というのは、自文化を理解する眼差しを持つとはいえ、その対象は、例えば柳田國男の『遠野物語』のように伝承的なもの、つまり、古くから伝わるものに限られるイメージがある。葬儀について言うなら、葬儀社というのは比較的、最近出てきたもののようにも思えるし、あまり民俗学的な探求の対象にはなりにくいのではないか。

「たしかに、民俗学では、葬儀業者も登場しないような報告が多いんです。要するに村だけでやってきたような世界です。かりに葬儀社が出てきても、せいぜい1行ぐらいで『祭壇の設置は葬儀社がやる』みたいな。ある意味、記述を忌避するようなところがありました。でも、私は、村だけでやっていた時代と、今現在とをつなぐみたいなことをやりたかった。ですから、葬儀社が来て祭壇を設置するという当時定着していたスタイルがどうやって維持されているのかとかに興味がありました」

 こうして、山田さんの葬儀の研究は、「葬儀社にくっついていく」ところから始まった。これが後々、非常に実り多いフィールドワークに発展していく。

「ちょうど過渡期だったんですよね。つまり、自分たちでお葬式をやる。儀礼の意味をよく知っている長老を中心にしてやって、葬儀社は祭壇に必要な荷物を置くだけというぐらいの関わり方から、葬儀社を中心にし、葬儀社が知識を与えてそれに従うという形へ。ある意味、都市の当たり前の感覚への変化が、ちょうど私がフィールドワークをやってる92年から97年ぐらいにかけて目に見える形で起こったんです」

 なるほど、映画『お葬式』にも、江戸家猫八演じる葬儀業者が出ていた。風体は怪しげだが、彼が与える助言(それこそ、お坊さんへのお礼はいくら位が適切か、など)によって葬儀が完遂される。葬儀社は、葬儀の総合プロデューサー的な立場のように描かれていた。あれがあの時の都市部のリアリティ。けれど、串本では「祭壇を設置」くらいであとは村の中でこなす仕組みが残っていた。山田さんの子ども時代(1970年代)の埼玉県の元宿場町もそうだったのかもしれず、山田さんははからずも幼いころ胸に刻んだ光景に立ち戻っていたわけである。

 しかし、山田さんの目の前で変化が起きる。

「古座で、あるおじいさんが93年に亡くなって、その3年後、たまたま5月の連休に調査に行ったら、今度はそこの家のおばあさんが亡くなったんです。おじいさんのときは初めてお会いしたんですけど、私はその後も顔を出していたので、おばあさんとは知り合いで、その親戚も当然知っていて。そしたら、もう、おばあさんのときは全然体制が変わっていました。おじいさんのときは納棺から何から何まで自分たちで仕切っていたんです。ところが、96年になった段階で、『納棺、それはもう葬儀社がやることや』って形で、つまり、やるべきことが変わっちゃっていたんですね」

国立歴史民俗博物館第4展示室の展示より。奥の大きな写真は94年の調査で山田さんが撮影した伝統的な葬列。
国立歴史民俗博物館第4展示室の展示より。奥の大きな写真は94年の調査で山田さんが撮影した伝統的な葬列。
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 まさに決定的な瞬間。

 しかし、なぜなのか。ふと想像したのは、昔からの知識を持っていたおばあさん本人が亡くなり、葬儀を仕切れる人がいなくなったということ。

香典を辞退

「いや、むしろ周りの状況です。それはおれたちがやることじゃない、みたいに周りが引けていく。ひとつ背景として言えることは、もう子どもたちは全員外に出ちゃってるんですね。結局、世代的に、完全に外に出た人たちが喪主になってしまうんです。そういう外に出た喪主にしてみると、何か聞くにしても、隣のおじさんではなくて、業者に聞くっていう、どこに依存するかが明確に変わってしまったっていうのがありますよね。そうすると、村の親戚があえて香典を辞退するようにとか言い出すわけです」

 香典を辞退……。これも、また、最近、よく聞くパターンだけれど、葬儀社仕切りの葬儀とセットになってやってくるとは。

「おじいさんのときは、香典を受けたと。でも、これはどこでもそうなんですけど、香典っていうのは借金みたいなものだって、よく言うんですよね。つまりいずれ返していかなきゃいけない。ところが、おばあさんが亡くなった時点で、もう子どもたちは村の他の家の葬儀には出ないわけで返せないでしょう。ならば、香典を辞退しなさいってことになって、それで村との地縁的な関係が切れていく。その村で初めて香典を辞退する葬儀があると、その後、香典辞退っていうのが、急速に広がっていくんですね。地縁的なものが崩壊して、ある意味、都市的な葬儀の様式っていうのが入っていくっていうのが、目の前で起きたわけです」

 山田さんは、最初の意図の通り、自分たちが中心になって葬儀を仕切る時代から、葬儀社に一切のノウハウが移る現代的な状況との「間」の様子を見るこができた。

 最初に挙げた『現代日本の死と葬儀』にはそのことが、くっきりと描き出されている。

つづく

山田慎也(やまだ しんや)

1968年、千葉県生まれ。国立歴史民俗博物館准教授および総合研究大学院大学准教授を併任。社会学博士。専攻は民俗学。葬送儀礼の近代化と死生観の変容を主な研究テーマとする。1992年、慶応義塾大法学部法律学科卒業。1997年、慶応義塾大大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学後、国立民族学博物館COE研究員、国立歴史民俗博物館民俗研究部助手を経て、平成19年8月に現職となる。単著に『現代日本の死と葬儀 葬祭業の展開と死生観の変容』(東京大学出版会)、共編著に『変容する死の文化 現代東アジアの葬送と墓制』(東京大学出版会)、『冠婚葬祭の歴史』(水曜社)、『近代化のなかの誕生と死』(岩田書院)などがある。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)『天空の約束』、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、知っているようで知らない声優たちの世界に光をあてたリアルな青春お仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。

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