マイケル・フリン前大統領補佐官が、自身のFBIへの偽証を認めたのだそうだ。
 あわせて、氏は、司法取引に応じて当局の捜査に協力する意向を示しているという(こちら)。

 この種のニュースは、専門家の解説を仰がないと意味がわからない。
 もう少し詳しく述べると、私のような国内限定仕様の人間は、海外発のニュースを、背景にある政治状況や国際関係や歴史的経緯にあてはめて、全体的な文脈として把握する能力を持っていないということだ。

 これは、サッカー初心者が中盤でのパス交換の意味を理解せず、野球のルールを知らない観戦者が牽制球の無意味さに苛立つのとよく似たなりゆきで、要は、文脈としてのゲームの流れを理解していない人間は、単独のプレーの意味を知ることができないということでもある。

 トランプ政権のかつての主要メンバーであったフリン氏への捜査が、新しい局面を迎えたというこのニュースが、政権の基盤を脅かす深刻な変化なのか、それとも一過性の危機に過ぎないのか、また、ロシア疑惑の捜査の進展を意味しているだけなのか、でなければ、トランプ米大統領の今後の行動を変える緊急事態であるのかを、正しく、適切に弁別するためには、幅広い知識とそれなりに深い洞察力が必要だ。

 私はそれらを持っていない。残念なことだが、事実なのだからしかたがない。

 ただ、「専門家」の解説にも、色々とバラつきがある。
 というよりも、ことトランプに限って言えば、単独の専門家の発言はあまり参考にならない。

 国際政治の研究者はこの大統領の言動や手法に面食らうばかりだし、ホワイトハウスの事情に詳しいジャーナリストやアメリカ政治の専門家の多くは、単純にトランプを嫌っている。一方、トランプ氏の出身母体である不動産取り引きやプロレスの世界の人間は政治や外交の基礎知識を持っていない。そんなわけなので、トランプ関連のニュースには、相容れない解説コメントが両論併記のカタチで並べられるケースが多い。

 一貫してトランプ大統領の資質に疑問を投げかける立場から分析する人たちもいれば、そうでない人たちもいる。いずれを採るのかは、なかなか難しい問題で、どの専門家に従うべきであるのかについても、もしかしたら専門家の助言が必要なのかもしれない。

 私は、なるべく公平に事態を観察したいと思っているので、かねてからツイッターのリストに何人かの立場の異なるトランプウォッチャーを並べて入れている。で、適宜、彼らの分析に耳を傾けてつつ、遠いアメリカの空の下に思いを馳せている次第だ。

 その、彼らの反応が、ここへ来て、足並みを揃えている。
 具体的には、トランプ支持派の声も、トランプ批判派の声も、要約すれば

 「あーあ」

 という感じの間投詞に終始しているのだ。

 トランプ批判派のものの言い方は、もともと辛辣だったのが、さらにぞんざいな口調に傾いている。

 「アタマおかしい(笑)」
 「っていうか、何も考えてないんだろうか」
 「おやおや」
 「自分が言っていることの矛盾に気づかないんだろうか」
 「医者に連れて行けば診断がつくと思う。マジで」

 対して、擁護派はというと、彼らは沈黙している。あるいは、意味のある論評を避けている。

 大統領選挙直後や、就任半年ぐらいまでは、トランプ大統領の型破りな政治手法を「ビジネスマンならではのリアリズム」などと評してしきりに称揚していた彼らも、夏以降は、ほとんどまったくトランプ関連の話題に言及しなくなっている。

 結果、ここしばらく、トランプ大統領にまつわるニュースへの解説ツイートは、茶化したりまぜっ返したりが中心のネタツイートが席巻している状況だ。

 私自身も、真面目にトランプ氏関連のニュース記事を読むことがむずかしくなってきている。

 特に、金正恩総書記とトランプ大統領の間で繰り広げられる罵倒合戦は、自分ながら困ったことに、毎度毎度ネタとして楽しんでしまっている。反省せねばならない。そう思っている。でも、反省できない。なにもかもがあまりにもくだらないから。

 北朝鮮がICBMとみられるミサイル「火星15号」を発射した11月29日、トランプ米大統領は、中西部ミズーリ州セントルイスで、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を「ちびのロケットマンは病気の子犬」呼ばわりにする、まあ、なんというのか相当にとんでもない内容の演説をしている(こちらとか、こちら)。

 英語でいう「sick puppy」というこの言葉が、どの程度の侮蔑をこめた表現であるのかは、私にはよくわからない。が、北朝鮮では、人間を「犬」にたとえることは、最上級の侮辱だ。このことは、9月のニュースで知った。

 9月のニュースというのは、トランプ大統領が9月19日、国連の演説で

 「米国は強大な力と忍耐力を持ち合わせているが、米国自身、もしくは米国の同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」

 と言明した時の、その演説を受けて、22日にニューヨークを訪れた北朝鮮の李容浩(リ・ヨンホ)外相が、記者団に語ったコメントに関するものだ。

 その時、李外相は、
「彼が犬の吠え声で我々を威嚇出来るだろうと考えるなら、それは犬の夢だ」
 と述べたとされている(こちら)。

 このコメントについてのテレビのニュースの中で、人間を犬に例えることが北朝鮮では 最も強い侮辱の表現とされていたのだ。

 まあ、どこの国のどんな文化であれ、人を犬にたとえることが無礼でない道理はないわけなのだが、北朝鮮ではとりわけ致命的なニュアンスを帯びているということのようだ。
 トランプ大統領は、果たして、北朝鮮における「犬」の事情を知悉した上で、「sick puppy」という言葉を発音したのだろうか。
 それとも、特定の言葉が持つ固有のニュアンスを知らずに発言したのだろうか。

 知っていて言ったのなら、彼は、極めて愚かで危険な挑発をしたことになる。
 というのも、もし仮に、トランプ氏が常々揶揄している通りに、金正恩総書記が、小児的な独裁者であるのだとしたら、そのミサイルのボタンに人差し指をのせた状態の小児的な人間を侮辱して挑発することは、アメリカならびにその同盟国にとって、軍事衝突勃発の可能性をいたずらに高める行為にほかならないからだ。

 一方、トランプ大統領が北朝鮮における「犬」のニュアンスを知らずにその言葉を発したのであれば、彼は、愚かな失言を漏らした愚かな年寄りだったということになる。
 どっちにしても、愚かな態度であった事情は変わらない。

 ここへ来て、トランプ大統領の言動は、ますます奇矯さの度を加えている。
 私は、専門家ではないが、彼のツイートには必ず目を通すウォッチャーの一人ではある。
 その私の目から見て、この夏以降、トランプは、やはり錯乱しているようにしか見えない。

 BBCニュースが伝えているところによれば、ドナルド・トランプ米大統領は29日、英極右団体「ブリテン・ファースト」の副代表がツイートしたムスリム(イスラム教徒)排斥の扇動的ビデオ3本をリツイートした。テリーザ・メイ英首相が報道官を通じてこれを非難すると、大統領は首相を名指しで反論している(こちら)。

 話題の動画を見て唖然とした。

 どこからどう見てもイスラム教徒に対する偏見を助長するようにしか見えないこんなあからさまに扇情的な映像を、4000万人のフォロワーを擁する自由世界のリーダーが拡散することが、どんな意味を持つのか、トランプさんは、想像することさえできなくなっているのだろうか。

 あるいは、自分が為していることの結果を、ある程度予測した上で、それでもあえてRTのボタンをクリックしたということなのだろうか。

 どっちにしても最悪の選択であることに大きな違いはないが、後者の場合、トランプ氏は、本気でイスラム世界との対立を煽っているのか、あるいはもっと良くない可能性として、心底からイスラム教徒を憎んでいる、てなことになる。

 こういうことをやらかす大統領については、もはや「専門家」の専門的な分析はあてにならない。

 われらド素人も含めた世界中の人民が、自分たちが直面している近未来に対して感覚を研ぎ澄ますほかに、対応の方法がないと思う。

 凶悪な動画ツイートに付いているRTボタンをクリックすることのできる愚かな指は、もっと凶悪な未来を招くボタンをクリックすることができる指であるのかもしれない。その可能性を、私は排除しない。すべての選択肢がテーブルの上にあるということは、われわれがあらゆる人類の未来を根こそぎに破滅させるボタンによって葬り去られる可能性がテーブルの上に並べられているということでもある。

 ついさきほど(12月6日午後、日本時間7日未明)、トランプ大統領が、ホワイトハウスで演説し、エルサレムをイスラエルの首都として「公式に承認する時だと決断した」と述べ、宣言文書に署名した。現在は商都テルアビブにある米大使館をエルサレムに「可能な限り速やかに」移転させる手続きを始めるよう、国務省に指示したというニュースが流れてきた(こちら)。

 この唐突な宣言も、正気の沙汰とは思えない。

 異論はあるだろうが、いまこの時に、半世紀以上にわたって中東における利害対立と宗教対立の核心であり続けているエルサレムにいきなり手を突っ込むことが、彼の地の平和に貢献すると考えているのだとしたら、トランプ氏の頭脳は正常に機能していないと思う。いったいトランプ氏は何を狙ってこんな決断を下したのだろうか。

 さきほど来、「奇矯さを増している」「錯乱している」「正気の沙汰とは思えない」「正常に機能していない」と、強めの表現を連発してしまっている。

 本来なら、批評対象の精神の健康を疑わしめるようなこの種のものの言い方は、相手が権力者であっても慎まねばならない。

 ポリティカル・コレクトネスを云々する以前に、その種の形容を連発することは、文章の書き方として下品だし、効果的でもないからだ。

 それでもなお私が、ややもすると下品な表現でトランプさんについて語っているのは、結局のところ、彼自身の言動が、上品なボキャブラリーで形容しきれる範囲を超えているからだ。

 ジャパンタイムズという日本の英字新聞が、
 "The madness of King Donald"

 というタイトルの論説記事を書いている(こちら)。

 この見出しは、たぶん、"The madness of King George"(1991年にロンドンで初演された舞台、および、1994年制作のイギリス映画。邦題は『英国万歳!』)を踏まえたものだ。

 ストーリーは、ウィキペディアによればだが、「18世紀の終わり、時の国王ジョージ3世が突然乱心してしまう。この機会に政権を手に入れたい皇太子、阻止したい側近たちなどが入り乱れ、英国王室は大混乱に陥る」というものらしい。私は未見だが、とにかく、狂った王の物語ではあるようだ。

 相手が権力者であるとはいえ、先方の正気を疑ってかかるような、この種の論評は、本来ならルール違反だ。記事の中にも、「アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)が個別に診断していない人間について診断を下さないルールを定めている」旨の記述がある。

 が、記事は、何人かの精神科医が、「国難」(言語では”national emergency”)に際して、あえてルールを破ることを決断したことを知らせた上で、トランプ大統領の言動が「自己愛性パーソナリティー障害」の症状にぴたりと当てはまる点を指摘する精神科医の声や、大統領が初期の認知症を患っているという見方を紹介している。

 こういうある意味でルール破りの論評記事が出てくるということは、書き手がそれだけ深刻な危機感を抱いていることを意味している。

 敏感な人々は、精神のバランスを崩したリーダーが、世界に災厄をもたらす近未来を、具体的なイメージとして共有しはじめている。

 その、彼らが共有しているイメージは、もしかしたら被害妄想なのかもしれないし、だとすれば、そのイメージを恐れている私のような人間は、いくぶん狂気の領域に足を踏み入れている人間であるのかもしれない。

 ともあれ、私は、トランプ大統領の「乱心」を、昨年の今頃よりは5倍ほど真剣な気持ちで憂慮している。

 独裁者というのは、無抵抗な民衆を不本意な決断に向かって駆り立てる強引な人物なのであろうと、つい10年ほど前までは、私自身、そんなふうに思っていた。

 しかし、世界で起こっているさまざまな出来事を観察するうちに、現在では、結果として独裁者になるのは、むしろ同調的な人物なのではなかろうかと考えるようになっている。

 でなくても、形式上は民主主義が機能している国家において真におそろしいのは、いやがる民衆を戦争に導く強権的な独裁者ではなくて、どちらかといえば、民衆の中にある狂気を掬い取り、それを自らに憑依させ、行動として体現してしまうような、ポピュリストのリーダーであるはずだ。

 同調的なポピュリストが、私たちの内心にわだかまっている嫉妬心や攻撃欲求や縄張り根性を糾合する近未来の到来を、私はかなり高い確度で予感している。

 しばらく前にある人に聞いた話では、昨今は、「狂気」「精神異常」「狂う」といったあたりのボキャブラリーは、小説や評論の中で軒並み、使用を控える流れになってきつつあるのだそうだ。

 侮辱や差別を含む「○ちがい」が使えないは当然なのだとして、テレビドラマやCMの世界では、それ以前に、精神のバランスを崩した人間の様態に言及することそのものが敬遠されつつある。

 当たり前の話だが、特定の状態を表現する言葉を使用不能に追い込むことで、その表現されているところの実態が消えなくなるわけではない。

 むしろ、その言葉を使わなくなることは、その言葉が指し示している事実から目をそらす結果を生むはずだ。

 私は、人間の精神がその正常さを失うことを描写するボキャブラリーを、安易に排除すべきではないと考えている。

 なぜなら、狂気という言葉を排除するのは自分以外の誰かを狂人であると断ずることと同じく、ある種の狂気を孕んだ態度であり、わたしたちが全体としての自分たちのマトモさを維持し続けるためには、狂気という言葉を排除しないことと同時に、常に狂気に対して感覚を研ぎ澄ます心構えが大切だと考えるからだ。

 私が抱いているタイプの恐怖を、犬の夢だと断ずる人々がそんなに少なくないことは承知している。

 私自身、自分の恐怖が犬の夢であってくれたらありがたいと思っている。
 が、それでも夢見る犬にとって、夢が現実よりもリアルである事情は変わらない。

(文・イラスト/小田嶋 隆)
オダジマさんのイベント告知です。
戸越銀座場所、砂かぶりでご観戦ください。

 来る12月13日(水)、小田嶋隆さん、平川克美さんが月例で行っているトークイベント「二人でお茶を」の拡大版が開催されます。

 詳細は→こちら

 以下、小田嶋さんからメッセージを転載いたします。

「義理にからんだ忘年会をひとつキャンセルしてご参加くださるとうれしいです。よろしくお願いします」

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