ついこないだ「2017年はこうなる!」的コラムを書いたばかりなのに……、早い。早過ぎる。
あっという間に1年が終わる。
と言いつつ、1つひとつの出来事を思い出すと「え?ソレって今年だっけ?」と記憶は薄れている。
ふむ。これは要するに……、深く考えるのは止めておこう。
いずれにせよ、昨年とは違い年の瀬に向かうにつれ「景気いいんだなぁ」と感じることが増えた。かれこれ10年以上、いろいろな企業に講演会に呼んでいただいていると案外景気の動向は肌で感じられるものだ。
ただし、それが社員に還元されてるかはどうかは謎。儲かっている人は「メチャ儲かってる!」とわざわざ言わないし、残念ながら私個人にいたっては何の変化もない。タクシーの運転手さんに聞いても「あまり実感はないね~。昼間は使ってくれても、夜はダメ。会社の経費で落ちないからダメなんだろうね~」と回答は渋い。
それでもボーナスの支給額は(民間企業と公務員)、前年比3.6%増の18兆4,270億円で「冬としては2014年以来の伸び(こちら)」。
一方、賃金格差は4年連続で広がっている。
その格差は同時に「働き方(働かせ方)」の格差でもあるので、どんなに「バブル期を越える株価だ~!」と騒がれても……、なんだかなぁという感じなのです。
ページビューとコメント数ランキング、発表!
というわけで今年最後のコラムは、2017年「もっとも読まれたコラム」と「もっともコメントの多かったコラム」and others を振り返りつつ、アレコレ考えてみます(集計は先週までのデータ)。
【2017年もっとも読まれたコラムトップ3】
1位 ブラック企業リストに覚えた新たな怒り
2位 瀕死の部署を再生したら、左遷されちゃった!
3位 大炎上“バニラエア車椅子事件”の大いなる誤解
【2017年コメント数の多かったコラムトップ3】
1位 「#子連れ会議OK」アナタの常識はNOと言う?
2位 大炎上“バニラエア車椅子事件”の大いなる誤解
3位 瀕死の部署を再生したら、左遷されちゃった!
さて、みなさんの読んだコラムは入っていますか?
コメントした方は、どうですか?
昨年末に「みなさんのコメントはちゃんと読んでます」と書いた(こちら)ら、「そんなこと書いたら調子にのってひどいこと書く人がいますよ」と温かい警告をしてくださる方々が何人もいらっしゃいました。
とてもうれしかったです。そうやって気遣ってくれることが……。
でも、やはり今年も言います。「ちゃんと読んでますよ」と。
で、昨年同様、賛同、共感、否定、罵倒、上から目線、感謝コメントetc etc……すべて大歓迎。
いただいたコメントで気付きを得ることもあれば、「伝わらない人には伝わらないのだなぁ」と落胆することもある。脳内ライオンが「ウぉ~~!!!」と暴れることもあれば、脳内ウサギから「そりゃあそうだ。まだまだ未熟だし、どれだけ現場に足を運び、いろんな人たちの意見や話を聞いても…、すべてを把握することなんてムリだよ」と諭され、開き直ることもあった。
一方で、人格攻撃をするコメントに対してコメントしてくださる方々に何度も救われ、「ちゃんと分かってくれる人はいる」と安堵してきました。中には「公開を望まない」としながら、応援のメッセージを下さる方たちもいました(この場合は編集者が送ってくれます)。ホントにうれしかったし、勇気をいただきました。
この場を借りて、すべての方々にお礼を申し上げます。心から、ありがとうございました。
ただし、今年は……、例年よりも……、目を背けたくなるコメントが多かったのも事実です。
それは私に関するコメントというより、私が取り上げた事象に関するコメントで
「なんでこんなに苛立っているのだろう?」
「なんでこんなに安全地帯から石を投げるのだろう?」
と、息苦しくなるものが確実に増えた。
「恐い」と思ったし、
「ここに書いてスッキリしてくれるなら、それでいい」とまで思うようになった。
なんでコイツだけが
ひと言でいうと「不寛容」。
人は誰しも過ちをおかすし、感情的になることもあれば、傲慢になったり、保身に走ることだってあるのに、それを決して許さないギスギスした社会。
そうなのだ。たくさん読まれたコラムも、たくさんコメントがついたコラムも、「なんでコイツは許されるんだ」と、自分より優遇される人への不満、弱者や少数派への排除や断絶を感じさせる“正義”の主張が、「不寛容な社会」そのものだ、と感じた次第だ。
奇しくも歴史学者の小熊英二先生が「論壇時評」(朝日新聞)で、内容は違うけど全く同じ“感覚”を吐露している。
なるほどと溜飲を下げたのは、ジェームズ・パーマーの「劉暁波の苦難は自業自得? 反体制派が冷笑を浴びる国」(ニューズウィーク日本版7月19日号)を引用した一節。
「不公正な世界を前にしたとき、人間は精神的な防衛機能として、世の中は公正だと思い込もうとする」。そして「他人の苦しみを正当化する理由を探し、自分は大丈夫だと根拠もなく安心したくなる」。つまり、現状を変えられない自分の無力を直視するより、今の秩序を公正なものと受け入れ、秩序に抗議する側を非難するのだ」(論壇時評より)
不公正な世界――。
私が「清廉潔白じゃないと今の社会は許してくれないのだなぁ」と感じた背景に存在する“正義”だ。
が、ひとつだけ不思議なこともあった。
自身のコメント欄やSNS、あるいはテレビなどの街頭インタビューなどで感じる「不寛容」さが、リアル世界の人たちと接していると和らぐ。
みな優しいし、みな人を思いやる温かい気持ちをもっていて、異なる価値観や意見が雪解けする。
例えば……、
いろいろな立場の人たちを対象にしたフォーカス・インタビュー、
10年来続けている個人を対象にしたインタビュー、
レギュラーでやっているテレビやラジオ番組のスタッフ・関係者・共演者、
講演会やセミナーで接する人々、
メディア関係ではない仕事関係の人たち、
プライベートの会合、
などなど、たくさんの人たちと時間と空間を共にするわけだが、最初はギスギスしていた人がだんだんと柔らかくなったり、対立する意見であっても言い合いではなく議論になったり、頑なに弱者を排除していた人が「そっか。そういうこともあるのか……」と異なる見解に理解を示したり。
私もたくさんのことを学ばせていただけるし、自分の意見を深化させることができる。
それは「言葉」だけのやり取りでは決して沸き立たない感情。
いわゆる「共感」である。
――上と下が“つながる”にはその場の空気、すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を共有できる“場”が必要不可欠。
冒頭の会合で、“下”は「毎週月曜日に社員全員にメールする社長さん」「年頭に現場に出向いて講話する経営陣」を嘆いていたけど、おそらく“上”はそれでつながると思い込んだ。
でも、“下”はつながらなかった。
「見る(視覚)、聞く(聴覚)」だけでは、心は“つながった”と認識できない。
元気な会社のトップが歩き回り、昼食を共にし、社長室のバーで語りあったように、触れる(触覚)、匂う(臭覚)、味わう(味覚)が満たされて初めて心と心の距離感が縮まっていく。
――「役員エレベーターと不正発覚の不機嫌な関係」より抜粋
ヒトは類人猿の昔から…
自分で書いたことだが、つながる、とは「共感」であり、「信頼」をつなぐことだと、いろんな人たちと対面し会話する中で確信した。
そういえば、霊長類研究で知られる京都大学総長の山極壽一先生が、「人は類人猿の時代から、身体活動を通じて集団を作り生き延びてきた」と話されているのを、ある講演会で聞いたことがある。
先生いわく、
「人が信頼をつなぎ、安心を得るには“共に過ごすこと”が必要不可欠で、それができなくなったとき不安がたえまなく大きくなり続ける」。
いつの時代も、相手と対面するのはめんどくささを伴う。
そのめんどくささなしに“つながれる”ツール=SNS が出来、「共感」が生まれる機会が激減。
対面していれば、そこでまた必然的にやり取りが生まれるけど、SNSの世界では断絶が可能だ。だが、共に過ごしていないので不安になる。その不安を払拭するために“正義”を振りかざすもの同志が結託する。
いわば信頼欠如社会の不寛容の魔のスパイラル。
「不寛容」は社会に宿るのであって、「個人」に宿っているわけではないことを身をもって痛感させられたのが、2017年だったのである。
実は日本人の「他者への信頼」の低さは、10年ほど前から問題視されてきた。
世界の国々を対象に「他者を信頼する傾向」を比較したところ、日本は「他者を信頼しない国」であることがわかったのだ。
「信頼」にはいくつかの概念が存在するが、この調査では「social trust(社会的信頼)」を用いている。
「世の中のほとんどの人は信頼できる」という問いに、日本人の53%が「いいえ」と回答し、「はい」の43%を10ポイントも上回った。
中国は、19%が「いいえ」、79%が「はい」と答え、信頼する傾向が高い。さらに、個人主義とされる米国は「いいえ」が41%「はい」は58%。
地域の結びつきが強いとされるアジア圏内で、日本は「他者を信頼しない」傾向がもっとも高かったのである(Pew Global Attitudes Survey 2008 より)。
また、2005年のOECD(経済協力開発機構)報告書では「孤独」の項目が盛り込まれ、友だちや同僚たちと過ごしたことが「まれ」あるいは「ない」と答えた人の割合を調査。
その結果、日本では、男性16.7%、女性14%が「友だちや同僚と過ごしたことがない」(まれも含む)と答え、OECD 加盟国21カ国中トップであることが明かになっている(OECD:Woman and Men in OECD Countries 2006 )。
不寛容社会は日本だけの問題ではなく、世界中で起きている問題だと指摘する識者は多い。
難民問題、人種差別、ヘイトスピーチなど、すべて不寛容社会の産物だと。
そのとおりだとは思う。が、日本の“私たちの足下”では、ちょっとばかり質の違う不寛容さが広がっているのではないか。そんな疑問も沸く。
眼は共感の入り口
「入り口がないんですよ。僕たちのころは、『名刺交換をするときには必ず相手の目を見なさい』といわれたし、SNSなんてないから、苦手な人だろうと目上の人だろうと会って話すしかなかった。『電話じゃなく、直接伝えなさい』と何度も言われたしね。
でも、今は名刺交換するときでも下しか見ない人が増えましたよね。それってなんか話しづらいし、そのあとは大抵メールだけのやり取りになるでしょ。すると名前も覚えられないというか、記憶に残らない。初対面でちゃんと目を合わせるかどうかだけで、その後の関係性が変わるんです。
会って、話して、ぶつかって、怒ったり、許したり、笑ったり、喜んだりしてるうちに仕事の信頼関係ってできるわけです。
なのに、そこに至る入り口がない。SNSのおかげで他者とつながる頻度は増したのに、信頼関係を築くのが難しくなった。まぁ、そんなことを感じる日々ですわ」
こう話す男性は社外の人とチームを組むプロジェクトでの仕事を生業にする、50代の男性である。
入り口がない――。
SNS世代(=20代)に表情がないなぁと感じるのも、「入り口がない」ことと通じているのかもしれない。
そういえばトップ3には惜しくも入らなかったが、もっとも読まれたコラム4位、筑波大学の松崎一葉先生との対談「窮地のクラッシャー上司は、あの言葉を繰り返す」にも、「入り口」のヒントがある。
このコラムは対談の2回目だが、1回目で部下を潰すクラッシャー上司は、「甘えによる共感性の欠如がある」とする松崎先生に、「共感とは何か?」と私は問うた。
河合:先生の言う共感性というのはどういう定義ですか?
松崎:人の心の痛みが分かる。
河合:先生、生意気なこと言いますけど、私、それってムリだと思うんです。
(中略)
もちろん相手の気持ちに立つ意識を持つことは大切だと思うんですね。でも、それって実は傲慢な考えで、できることといったら横に立つことぐらいなんです。
松崎:なるほど。確かにそうかもしれませんね。
(中略)
共感とは何かと問われれば、「人の心の痛みが分かる」と答えますが、共感というのは非常に難しい。河合さんがおっしゃるように横に立つことなんですけど、僕の中のカウンセリングの精神療法では寄り添うことですね。何かこの辺にいい感じの守護霊みたいなものがいる感じとよく言うんですよ。変な背後霊じゃなくて。
で、これを受けた形で先の2回目の対談は進み、松崎先生はこう話した。
「例えば、部下に『ちょっと相談があるんですけど』とオファーされたら、そこで手帳を開いて予定を確認して、具体的に日時を決めなきゃ共感にならない」。
3回目の対談では、「挨拶も相手に伝わるように大きな声で、グッドモーニングと言わないとダメ。挨拶がちゃんと伝われば共感が生まれる」と、米国時代の話をしてくださった。
まだ見ぬ景色を見に行こう
そして、「共感は単なるスキルだと割り切ればいい。とにかく行動すれば、それが共感につながっていく」と教えてくれたのだ。
そういえば先日、セミナーで挨拶の大切さを話したあとで、「河合さんに言われたとおりに、挨拶をルーティンにしました。そのとき相手の目を見て、ニッコリ笑って挨拶することにしたんです。そしたら、それだけで上司や部下と話しやすくなった。たいしたことやっていないのに、案外小さなことから始めればいいんですね」と、メールをくれた方もいた。
入り口を作るだけで、社会に蔓延するギスギス感は少しだけマシになるかも……ね。
なぁ~んて具合にアレコレ2017年を振り返ると、2018年の課題も見えてきたように思います。
「社会の窓」は見る角度をちょっとだけ変えるだけで、風景が変わる。私も今まで以上にさまざまな角度から見つめ、自分なりの視点で考えていきますが、私には見えない景色をご教示いただければ幸いです。
今年もたくさんの方に読んでいただき、コメントしていただき、さらにはインタビューにもたくさんの方がご協力くださいました。
改めて……ありがとうございました。では、よいお年をお迎えくださいませ!
なんとおかげさまで五刷出来!あれよあれよの3万部! ジワジワ話題の「ジジイの壁」
『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)
《今週のイチ推し(アサヒ芸能)》江上剛氏
本書は日本の希望となる「ジジイ」になるにはどうすればよいか、を多くの事例を交えながら指南してくれる。組織の「ジジイ」化に悩む人は本書を読めば、目からうろこが落ちること請け合いだ。
特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。
気軽に読めるが、学術書並みに深い内容を秘めている。
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