17社という日本一のサテライトオフィス数を誇る徳島県美波町。一見、何の変哲もない漁村に、なぜ、これほどベンチャー企業が集まってくるのか。2012年、最初にこの地にサテライトオフィスを構えたIT企業サイファー・テックの吉田基晴社長に話を聞くと、この地の吸引力の真髄が見えてくる。「大家族主義」という強いつながりを持った地域が、進出企業をもその輪に加えて盛り上がっていく。都会の働き方に一石を投じる、四国の漁村の物語を聞いた。

 ※日経ビジネス12月25日・1月1日合併号では「『家族』を考える つながりの再構築」と題した特集を掲載しています。併せてお読みください。

四国の田舎町にオフィスを作るとは、思い切ったことをしましたね。

徳島県の漁村に本社を移転したサイファー・テックの吉田基晴社長
徳島県の漁村に本社を移転したサイファー・テックの吉田基晴社長

吉田社長(以下吉田):実は、私がそもそも美波町の出身なんです。でも、大学で県外に出て、2003年に東京で情報セキュリティー会社のサイファー・テックを設立しました。それから創業10年近くたって、故郷にオフィスを作ることを決めたんですが、実は止むに止まれずやったことなんです。あとで詳しく話しますが、とにかく人材が採れなかった。だから、東京でやっていては仕事が回らない。でも、いちかばちかで進出してみると効果はすぐに出てきたので、翌年に本社まで美波町に移転してしまいました。それからは私も、東京と美波町を往復して仕事するようになったわけです。

 一昨年4月、ついに家族ごと美波町に移住しました。妻も子供も東京生まれの東京育ちだったんですが、私は男の子が生まれたら、小学校からは田舎で育てたいという思いが強かった。なので、息子が小学校に上がるタイミングで移住したんです。

奥様は大変だった。

吉田:まあ、徳島県は観光客が一番少ないし、「47番目に行く県」と言われていますからね。で、私の体形を見ていただくと察しがつくと思いますけど、よく食べる。だから糖尿病も日本一(笑)。限界集落の比率も日本で一番高いんです。

 ならば、何でわざわざ過疎地に行くのか。私も「情報ビジネスは東京だ」と思って都会に出ました。でも、先ほど言ったように、人が採れない。それに、私自身も東京暮らしが何か物足りないなと感じていました。

仕事も個人生活も行き詰まっていた。

「美波町は避けたかった」

吉田:本当に苦しかったですね。理由は簡単で、サイファーとは暗号(技術)ですが、ベンチャー企業で知名度がないから人が来ない。給料も安いし、福利厚生もしっかりしてない。そんな中で、セキュリティープログラマーがほしいと言っても、希少な人材ですから、NTT関連企業のような有名企業が採っちゃう。5人で始めた会社でしたが、10年たっても2人しか増えていなかった。

 採用におカネをたくさん使ったんですけど、ことごとく失敗する。さすがに「これじゃいかん」と思って発想を変えようと。東京が日本一の都会なら、逆張りで過疎地だと。戦術的に言えば、もう正面作戦で戦っても負けるので、ゲリラ戦をするしかない。都会志向ではない人の楽園にしたらどうかと思いました。

 まあ、誰も来てくれないので結構へこんでいました。経営者として自信をなくしていたんですけど、そのころ私は千葉で稲作をやっていて、こっちは時給を払うわけでもないのに友達が友達を呼んで次々と集まってくる。きつい肉体作業なのに、子供を連れてきたりとか。それを見たときに、やっぱり都会にいようが一部上場企業にいようが、食べ物を得る行為とか、あと仲間と一緒に同じことをやるとか、こういうことって実は多くの人が求めているんだなということは思いました。

 ただ、田舎でどうやって仕事をやるんだという課題はあったんですが、私にチャンスが訪れました。故郷が、地デジ対応で光回線をどんな家にも張り巡らしていた。そこに3・11以降、都内にいて「今までの生き方ってどうだったのか」と考える人が増えてきた。これをとらまえて、IT事業ならばできるだろうと。

それで、生まれ故郷の美波町にオフィスを構えた、と。

吉田:いや、実は美波は避けたかったんです、本当は。

最初は乗り気でなかったと。なぜですか。

吉田:うちは代々、美波町の家系ですし、親父は小さな家庭金物(店)を今でもやっているんですね。実直に商売人をやってきたという信頼がある。一方、私は経営のチャレンジとして採用のためにやるので、半年ぐらいやってダメなら、また次の手を打てばいいや、ぐらいの考えでした。そんなことをすれば、「吉田の息子はけつが軽いな」と言われかねない。それで、美波町を最初は避けて、実は神山町(注:徳島県でIT企業や芸術家の誘致に最初に成功した自治体)も視察に行ったんです。

 当時、美波町はサテライトオフィス誘致にそれほど積極的ではなかったんですね。でも、いい話には違いないだろうという感覚はつかんでいた。

今では影治信良町長をはじめ、戦略的な誘致をしているように見えますが、当時は違った。

吉田:その頃はまだ実績がありませんから。ただ、役場に幼なじみがいて、建設関連の部門にいたんですけど、彼が特任担当者として付いてくれた。

それで、やっぱり美波町だと決めた。

農業に参加する吉田社長
農業に参加する吉田社長

吉田:そうですね。あくまで採用を主目的にしていたので、単純に「過疎地にシステム開発のオフィスを作りました」と言っても、転職希望者に届かない。そこで、イメージできるワークスタイルを提唱しようと、「半X半IT」というコンセプトを打ち出しました。ITで収入を得ながら、都心ではできない個人の趣味「X」を生きよう、と。Xは人によって違う。これは塩見直紀さんが提唱している「半農半X」をアレンジしたものです。自給できるぐらいの農業をやって、あとは自分なりの生き方をやろうという発想ですが、私たちは「農業じゃなくてもいい」と。

 結果的に美波町を選んだのは、この「X」の可能性が圧倒的に高いからなんです。引っ越ししてでもやりたい趣味が、この地域にはふんだんにある。

採用コストゼロ

社員の中で最初に美波に移住した住吉二郎さんは、サーフィンが趣味で、都心の会社勤めをやめてサイファーに転職した、と。

吉田:もう骨をうずめちゃいましたね、彼の場合は。

住吉二郎氏(左)と吉田社長
住吉二郎氏(左)と吉田社長

結婚してお子さんも生まれたそうですね。

吉田:うちの会社は、地域による給与格差がほとんどないので、彼の方が暮らしぶりはこっち(東京)の取締役よりもいいかもしれません。

 サテライトオフィスをやったのは、たぶん、私が「欲望の千手観音」と社内で呼ばれているほど欲張りだからでしょうね。仕事のために何かを捨てるというのが苦手なタイプなので。好きなのは「大人の遊び人」なんです。仕事はプロ意識を持ってやるが、遊ぶための段取りもちゃんとやるのが大人のかっこよさだと思っていて、そんな人たちが来てくれる会社にしたい、と

で、人材獲得に成功したわけですね。

吉田:7人だった社員数が、今は24人になりました。

あっという間に3倍になったと。

吉田:はい。マスコミに注目され、サーフィン雑誌にも掲載されました。また、ニュース番組の取材で桐谷美玲ちゃんが取材に来て、うちの女性社員と対談したこともありました。メディアが取り上げてくれたので、今までリクルートさんなどにおカネを払っていたのに、採用コストゼロになって、しかも応募が増えたんですね。

 東京の課題を何とか東京で解決しようとしていましたが、うまくいかないので、肩の力を抜いて地方に振ってみたら、なぜか過疎地が解決してくれた。私にとっても驚きでしたね。集まってくるエンジニアも、ほとんど都内からのIターンなんです。東京の子を東京で採ろうとすると採れないのに、美波町で採ろうとしたら東京の子が採れた、みたいな。

逆張りが当たったわけですね。

吉田:さらに、新しい気付きがありました。東京にいる人には、「吉田さん、美波に行っている間はスローライフでいいですね」と言われるんですけど、まったく違います。

忙しいんですか。

吉田:はい。サテライトオフィスのある集落は20世帯ぐらいしかないので、そこに突如現れた数人の若者って、集落にとってすごい戦力ですよね。それで、いろいろな声を掛けていただいて、オンリーワンIT企業だったので、学校教育にうちの社員が行って講義をやったりしている。東京では、ソフトバンクさんにはそういう役割がいっても、サイファー・テックには来ませんから。

ほかにも役割がたくさんある?

吉田:地域の祭りも、消費する側じゃなくて、創造する側に回らないといけない。あと、社員はみんな消防団に入っているので、サイレン1つで仕事をほったらかして消火に行く。それから認知症の方の行方不明が多いので、社員を山の捜索で2日間ぐらい出すこともあります。僕らは社会貢献をやろうと思っているわけでなく、誘われるままにやっているんですね。すると、地元の人から「村が元気になってきた」「面白くなった」と喜んでもらえる。

 私なりの気付きなんですけれども、対価のない社会の中での役割があったんですよね。学校で教えるとか、みんなで避難所の草刈りをするとか。これが本来はあるべきだし、東京や都会が失ってしまったもの、若者が失ってしまったものなのかなと。私が、東京で何か物足りないと思っていたのは、この充足感がないことなんだろうというふうに今は思っていますね。

田舎に助けられている

そういう意味でも、美波町にオフィスを構えた効果は大きかったですね。

吉田:結論としてはそうですね。私がオフィスを出す時、「救世主が来た」という言われ方をしたんですけれども、むしろ助けられているのは都会の会社の方なんです。日本とか東京にとって、地域が持つ力こそが足りてなくて、実は助けられているのは田舎じゃなくて、田舎に都会が助けられているんじゃないのか。そうした考えや動きを、もっと日本社会の中に増やしていきたいと思って、それで「あわえ」という地域再生を支援する会社を美波町に設立しました。

田植えで地元と交流する
田植えで地元と交流する

美波町の成功モデルをほかの地域にも展開していくプロジェクトですね。

吉田:ビジネスモデルはシンプルで、美波町で地域が元気になった。私にとっては、都会と美波と両方で「課題の交換」をして、双方が良くなっていると思っています。地域が元気になる「新薬」を飲みやすいジェネリック薬にして、全国で展開していきたい、と。

 株式会社にしたのは、ボランティアでは永続性がないと思ったからです。優秀な若者が入ってこないと地方の問題は解決しないなと思う。「いいことをしているから貧しい」ではなくて、「いいことをして稼げる」という所までいかないと人が集まらない。

大阪大学を出てメガバンクに勤めていた20代の人材が入りましたね。

吉田:彼のような人材に「タダで働け」と言ったって来ません。だから、あえて営利組織にしてやっています。それで、人材の流出対策をする。過疎地こそ、工場ではなくて、ベンチャー企業を呼ぶべきだという思いがあります。

 「田舎に仕事がないから人がいなくなる」とよく言われますけど、真実は逆じゃないかなと思っています。役目とか、仕事はあれど、担う若者がいなくなっちゃっている。なので、会社が田舎に来るつもりでも、雇う人材がいなければダメなので、人も地域に誘致して育成する。そこで、クリエーターズスクールをやったり、あとは大学生のインターンによって数年後に美波町に来てくれる人材作りもやっている。その環境づくりの1つとして、都心の小学生の住民票を動かさずに、美波町の公立小学校に通える「デュアルスクール制度」も肝いりで進めています。

美波町の人口が14年に50年ぶりに増加したと聞きます。

吉田:たくさん会社が来てくれるのでね。でも、最近は、空き家はあるけど、貸家となるとまだ少ない。

450戸の空き家のうち、20戸しか「貸してもいい」と言ってもらえないそうですね。

吉田:確かに、家賃相場が上がってきているんですよ。これは地方にとっては珍しいことなので、いいことだとは思っているんですけどね。それで国からも注目されているのかなと思っています。

移住者と地元の人を結びつけているのが「祭り」ですね。

田舎に残る「大家族主義」の効果

吉田:美波町の中心に日和佐八幡神社があって、毎年、秋祭りがあります。サテライトの社員も総出で祭りの準備をしています。

 20世帯ほどの集落にいる子供たちは、地元の子もいれば、サテライトの(社員の)子もいれば、デュアルスクールで来た杉浦那緒子さんの息子さんも飛び入りで参加しています。祭りの責任者も、うちの社員である住吉がやったりとか、移住者が担っていることもあるんです。他の進出企業の社員の結婚式も地元の神社でやったんですが、本当に久しぶりのことだったようです。地元の人も神社での挙式を選ばなくなっているのに、移住者の方が「どうしても八幡神社で挙式をあげたい」というんですから。

 美波町だけでも、何十と神社があるんだと思うんです。昔はその神社と氏子が1つの集落で、つながりを持って生きていました。今の日本とか、都会に足りないものって、何かそういうつながりではないのかな、と思います。核家族であっても、地域とのつながりで大家族主義の中で育まれていたようなことって、地方の集落に行けば、やれるんじゃないかなと思っています。

 今の「地方創生」にちょっと疑問と不満があるとしたら、そういうことではないか、と。予算をもらって若者を隣町と奪い合っても仕方がないんです。今、美波町で起こっていることは、祭りを中心にして、若者や移住者の心をつかんで、一緒に何かを作るということなんですね。若者や子供の住民票を移さないと優遇しません、ということはないんです。ある種、「緩い」というか、「ぬるい」というか。

でも、その緩さが多くの人をつなげる接着剤となる。

吉田:意識が高い若者とか、社会の中での立っている場所や仲間を意識する。祭りなんかはもうそれの集合体で、担いでいる間だけは氏素性、年収、職種、全部違うけど、「かっこよくみこしを担ぐ」という共通の目的が一瞬バチーンと合う。やっぱりそういう場が今、社会からなくなっていて、美波に来ている連中は、もちろんビジネスチャンスも見ているけど、美波らしさをいいと感じてやっているんだろうなと思っています。

祭りは、子供からお年寄りまで世代を超えて一緒に、わずか1日の、一瞬のために1年かけて準備してくるので、強いつながりを作り出しますね。

吉田:そうですね、すごい大きなサイクルで回っていてね。いくらロボティクスとAIが進んでも、さすがにロボットがみこしを担ぐという光景は見たくもないしね。人でないとダメなことは、たぶん変わらないんだろうなと。地元の人が燃えるだけじゃなくて、移住者が熱狂している姿を見ていると、何か今の社会のひずみと、逆に言うと希望が見えるような気がしてならないんですよ。(地方創生のための)減税だとか、いろいろなニンジン作戦には、僕はあんまり希望が見えないんです。

祭りに参加する吉田社長。移住者と地元住民の距離を一気に縮める
祭りに参加する吉田社長。移住者と地元住民の距離を一気に縮める

大人がかっこいい

 吉田さんも美波町で育ったわけですが、新しい人たちが来て、これだけ熱くなって祭りや文化を残していきたいという。それは、地元の方にも感慨深いものがあるんじゃないかと思うんですけれど。

吉田:本当に、無茶苦茶ありますね。自分たちが好きなものを「好き」と言ってくれるって、一番うれしいことだと思うんです。うちの祭りって快楽的な楽しさとはまた違うんですよ。決してカーニバル的な消費するタイプの祭りじゃなくて、一緒に作るタイプの祭りなんです。しかも、美波のいいところは、作る側に入れてくれるし、大役まで任せてくれるというところではないでしょうか。創造型の祭りに参加できる。

 地方創生の議論では、「若者が消費しなくなった」とかいって、「なぜ消費しないんだ」みたいな、何か人間を消費マシンとして論評しているように感じます。でも、大事なのは創造することではないでしょうか。祭りを見ていると、人はそういうことを求めているんだなと思います。ただ、その場所がなくてみんな困っている。

吉田さんの小さいころの秋祭りを思い出すこともあるかと思います。準備の1年って、子供にとっても大きいですよね。

吉田:そうですね、お正月よりも重要でしたからね。私たち子供はみこしの上で太鼓を叩くんです。昔は子供が多かったので、本番で叩けるのは数人で選抜なんです。そして、子供ながらに見ていても、やっぱり大人がかっこよかった。

太鼓でも祭りでも、まあ力も技も違いますからね。

吉田:子供なので叩きたいという気持ちはあったんですけど、やっぱりおっさんたちの姿がかっこいい。今って、「子供のときが一番いい」みたいに、社会全体がなっている気がするんですけど、僕は祭りを通じて、「早く大人になりたいな」という思いがあった。今って何か大人になると損をするみたいな感じになっちゃっていますけど、やっぱり子供のころ、早く大人になって、祭りの中心でかっこよく活躍したいと。

大人がかっこいいというのは、祭りのどういう場面ですか。

吉田:やっぱり重いみこしを担ぎ上げて、熱狂している様ですよね。何なんでしょうね、あのかっこよさは。本気の大人って、今はそもそも見られないでしょう。仕事は本気でしょうけど、オフィスの中だから子供に見せられないし。でも、美波の祭りは年に1回、大人がガチで、時にはけんかまでしながらやっていく。それを見ていて、やっぱり大人ってすげえなというのがあった。あと、「宿老」といって、おじいちゃんたちが旗を振って先導役をするんですが、あれもかっこいい。やっぱり、目上の人たちの存在というのが、祭りの中で役割があって、まあ、歳を取るかっこよさみたいなものは子供ながらに思うんですね。

今、失われていることですね。若手も高齢者も、それぞれがどういう役割を地域で担っているか、祭りを通して顕在化して見えるんですね。

吉田:そうですね、見えると思いますね。やっぱり、昔に対する「敬い」というか、先輩たちに対する敬いが可視化される瞬間です。昔のことを知っているって、それだけで本来は価値があるのに、今はGoogleの方が詳しかったりしちゃう。

 やっぱり昔から伝えられてきたことを、困難を突破して残してきた先代たちがいる。祭りでは、みこしは最後に海に飛び込んでいくんですけど、伝統が途切れる危機があった。「人が足りない」とか、「危ない」とか、「野蛮だ」みたいな雰囲気が社会にあったりしました。でも、それも先輩たちが突破してきてくれた。先輩たちから受け継いだバトンを手にしているという感覚が持てることは、ありがたいことなんですよね。

影治町長がやるべき施策として、「歴史をきっちりと発掘して残していく」と言っていました。ハード面の施策も重要なんでしょうけれども、一番大きいのは、土地がどういう歴史をたどってきて、今の人たちに何を語り掛けてくれるのか伝えていくことなんでしょうね。そうすることで、地域がもう一度、歴史の中で存在意義を取り戻してくるのかなと思いました。

吉田:そうですね。祭りでいうと、みこしは50~60人ぐらいいないと担げないんですね、1トンを超えているから。そういう意味では50分の1の役割ということもあるし、残す側に立っているという時系列の中での役割もある。地域の人の役割もあれば、外から来た人の役割もある。

 世の中、どんどんシンプルになってきたんですけど、一方でやっぱり複雑にその役割を背負っているところがあって、それが実はすごく精神安定剤になっているのかなと思っています。そこがうまく絡み合う社会や地域コミュニティーが求められているんでしょうね。そこでは、会社も稼ぐ軸だけで集まる組織じゃなくて、あらゆる役割で支え合っているふくよかな集合体にしていきたいし、その周囲にある地域社会も含めて、役割を担い合う形を目指して、これからも取り組んでいきたいと思います。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中