(写真:ロイター/アフロ)
(写真:ロイター/アフロ)

 2011年3月11日午後2時46分18秒――東日本大震災が発生してから7年が過ぎた。この大災害は国土にも社会にも私達の心も、大きく傷つけた。その影響は今なお新たであり、今後も長期間に渡って続くだろう。

 「あの瞬間」から、といえば格好をつけすぎだけれど、私はこの7年間、ある疑問について考え続けている。ひょっとするとそれは答えの出ない質問なのかも知れないが、それでも考えないわけにはいかず、調べ、考え、立ち止まり、また調べ、を繰り返している。

 疑問とは、私達は、見るべきものを全然見ていないのではないかということだ。

 巨大災害に直面すれば、誰しも何らかの意見を持ち、時に行動するであろう。が、その行動が正しいかどうかは、まず事態を正しく認識しているかにかかっている。なにかを見落としたり、見ていても解釈を誤ると、認識は狂い、行動は空回りする。

 「自分は、社会は、日本は、なにかを見落として、この7年間空回りしているのではないか」――と、私は考え続けている。

原発事故で露呈した、見ているようで見ていない私たち

 分かりやすい例から説明しよう。

 震災により東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、放射性物質が原子炉から放出され、風に乗って拡散する事態となった。

 当時、ネットで頻繁に見られたのが「生き物がおかしくなっている」という投稿だった。

 椿の葉っぱの形がおかしい、苺の形がおかしい、蟻の群れがぐるぐる一カ所で渦を巻く不審な挙動をしている――みな、放射線の影響を疑い、不安になっていた。はなはだしい例では、「水たまりに黄色い粉が浮いている。原子炉から出たウラン(イエローケーキ)じゃないか」というのもあった。

 が、もちろん、それらはすべて以前から普通にあったものだ。

 椿の葉の奇形は、ありふれたもので、その形から金魚葉椿という名前までついていた。店頭に並ぶ形の揃った苺は、農家の高い栽培技術の賜物であって、形が不揃いなのが当たり前。主に加工用に使われるので、そのまま売られることはあまりないだけのことだった。

 蟻の行進が渦を巻くのは、通称「死の渦」などと呼ばれる現象だった。蟻は腹部から分泌するフェロモンで、次に続く蟻に道を教える。足跡が運悪く円を描いてしまうと、蟻はその場でくるくると渦を巻いて回り始め、結果、足跡がますます強化されて渦から出られなくなってしまう。

 水たまりに浮く黄色い粉は、主に松などの植物の花粉だった。花粉の飛ぶ季節になれば、原発事故が起きるはるか以前から、当たり前にあった現象だった。

 つまり、「放射能の影響かも知れない」と騒いだ人達は、毎年、日常の中で見ているものを、意識していなかったのである。見ているものが見えていなかったのだ。それが、「放射能が」という疑念で周囲を見回したところで初めて気がついたので、騒いでしまったのだった。

 これらの事実は、私達が、日頃当たり前に見ている風景を、実際にはいかに「見ていないか」を示している。意識して観察しないと、自然の実相は頭に入ってこない。

 これは「日常的な人間の感覚」は、事実を見据えるにあたって非常に当てにならないことを意味している。「だって普通に考えてこうでしょ」というのは、間違いに落ち込む近道だ。

 だから科学は、人間の感覚に惑わされないようにしつつ、自然のありようを理解する方法を発達させた。

「核廃棄物は無害になるまで10万年」の意味

 原発事故が起き、ご多分に漏れず私も原発というものについて調べ始めた。その一部は当時書き続けていた「人と技術と情報の界面を探る」という連載の中に、「原子力発電を考える」という名称で書いたのだが、執筆中から引っかかっていた疑問があった。

 それは「本当に原子力発電は危険なのか」ということだ。

 「なにをいうか、あれほどの事故を起こしたものが危険でないはずがない」というのが大方の反応だろう。

 だが、正確には「原子力発電は危険」なのではなく「原子力には原子力特有の危険性がある」ということだ。そして、原子力工学が決して危険に対して無策でいたわけではないということも見えてくる。

 例えば、「発電の結果発生する核廃棄物は10万年間、環境中に漏れ出さないように保管する必要がある」という事実がある。

 「10万年も! なんという危険性だ」と思う方がほとんどだろう。が、10万年という時間にどのような意味があるかをきちんと理解している人は少ないようだ。

 10万年というのは核廃棄物に含まれる放射性同位体の出す放射線が、稼働前の核燃料と同じレベルになるまでの時間だ。核分裂反応でエネルギーを取り出すと、後には様々な種類の放射性同位体を含む使用済み核燃料が残る。最初の核燃料1トンが出す放射線と、使用済み核燃料1トンの出す放射線が等しくなるのに10万年かかるということである。

 「元に戻るのにそれほどの時間がかかるとは!」と驚くところだ。が、具体的な減り方を見ていくと、想像していたのと様子が少し違うことがわかる。

 「10万年かかる」というと、10万年の間、ずっと非常に危険な状態が続くように思うが、そうではない。

高レベル放射性廃棄物の放射能の減衰(グラフは<a href="http://www.rist.or.jp/atomica/" target="_blank">ATOMICA</a>より)
高レベル放射性廃棄物の放射能の減衰(グラフはATOMICAより)
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 このグラフはベクレル単位で測定する放射性同位体の量が、時間と共にどう減っていくかを示したものだ。様々な元素の放射性同位体にはそれぞれ固有の半減期がある。半減期の時間が過ぎると半分に減る。2回半減期が過ぎると1/4になるし、3回過ぎれば1/8だ。半減期の短い同位体は、大量の放射線を出して急速に消えていくし、長い同位体はだらだらと少量の放射線を出しつつ、ゆっくりと減っていく。

 グラフ(縦軸も横軸も対数であることに注意してほしい)を見ると、発電前の核燃料1トンは1000GBqの放射性同位体を含んでいる。それが、使用後は一気に100億GBqまで増える。実に1000万倍だ。比較を容易にするために指数表記で書くと、1000GBqは10^12Bqで、100億GBqは10^19Bqである。

もっとも危険な期間は最初の10年程度

 しかし一気に放射線を出す同位体は短寿命なので、急速に消えていく。このため、放射性同位体の量も急減する。最初の10年でだいたい1/500程度まで減る。そして50年程度で1/1000になり、100年で1/5000ぐらいにまで減る。1000年ともなると1/10万ぐらいになる。

 このあたりで強力な短寿命の同位体が消えてしまい、後には長寿命の弱い同位体が残るので減り方はゆっくりになる。それでも元の核燃料の2倍程度まで減るのは1万年後。使用直後に1000万倍もあったことを考えると、もとの核燃料の2倍というのは大した放射線を出すわけではない。10万年のうち9万年はそんな状態で、だらだら、ゆっくりと放射線が弱くなっていくのである。

 10万年保管が必要ということは、10万年ずっと同じように危険ということを意味しない。本当の本当に危険なのは最初の10年程度なのだ。

 このグラフを理解すると、地層処分の印象も変わってくる。「危険なものを埋めて知らんぷりするのか」「本当に漏れてこないのか」などと考えがちだが、100年もすれば埋めても問題ない程度に放射線が減衰している、ということなのである。

「廃棄物処理」には一定の合理性がある

 このような理解に対しての反論は「放射線が何分の一になるかが問題なのではなく、それほどまで減った放射線がなおも健康被害を出すかどうかが問題だ」であろう。「減ったといっても、健康被害を起こすのに十分な強さがある放射性同位体が地下水などに漏れ出したらどうするのか」というわけだ。

 そこで、より詳しく放射性同位体の種類を見ていくことにする。

再処理してガラス固化体に封じ込めた放射性同位体の経時変化(<a href="http://www.rist.or.jp/atomica/" target="_blank">ATOMICA</a>より)
再処理してガラス固化体に封じ込めた放射性同位体の経時変化(ATOMICAより)

 ある程度時間が経過して短寿命の同位体が消えた使用済み核燃料は、再処理をして、極めて安定な物質であるガラスの中に溶かし込んで封じ込める――ということに今の所はなっている。これをガラス固化体という。ガラス固化体を地中に埋めてしまうのが地層処分だ。

 このグラフは再処理をしてガラスの中に封じ込めた放射性同位体がその後どのように変化していくかを示している。前のグラフと同じく、縦軸・横軸とも対数になっていることに注意しよう。

 最初の放射性同位体の総量は、ガラス固化体1本あたり3×10^15Bqぐらいだ。これは使い終えた直後の核燃料1トンの10^19Bqと比べると1/3000ぐらいだ。

 その内訳を見ると、セシウム137(Cs137)、バリウム137(Ba137)、そしてストロンチウム90(Sr90)、イットリウム90(Y90)が非常に多いことがわかる。これらの元素は水に溶けやすい。ガラスで固めてあるとは言え、まかり間違って地下水と接触して溶け出すという事態も考えておく必要がある。

 ところがこれらは、グラフを見ると急速に減っていって1000年ぐらいでほぼ消えてしまう。後に残るもので一番量が多く、しかもなかなか消えないのはアメリシウム241(Am241)だ。アメリシウムは酸に溶けるので、火山などの酸性水には気をつける必要がある。その他の元素は量が少ないか、水に溶けないかだ。総量はといえばだいたい2万年ぐらいで最初の核燃料1トンと同じぐらいの10^12Bqまで減る。

 つまりガラス固化体による地層処理では最低限1000年ぐらいは確実に水に触れない地層を用意すれば、危険性はぐっと小さくなるということだ。もちろん近辺に火山がなく、酸性の水が存在しない場所である必要もある。そしてそういう地層は、世界にはたくさん存在する。

 用地確保の難しさや、実際に受け入れる自治体、住民の気持ちは申し訳ないがひとまずここでは置かせていただく。あくまで、システムとして見ていく限りでは、原子力工学者は安全性について何も考えずに、原子力発電を始めたわけでもないし、無節操に核廃棄物を地下に埋めて後は知らんぷり、というわけでもないことが分かってくる。きちんと物理学や化学の法則に従って安全性を確保できるように考えたうえで、原子力発電というシステムを核燃料精製から核廃棄物処理までの一貫した体系としてまとめ上げている。

 一例として核廃棄物の放射能が時間変化でどう推移するかを取り上げたが、このような事例は原子力工学では事欠かない。理学と工学、研究と技術開発に関しては、原子力工学は実によくやって巧みな仕組みを作り上げ、危険性を現実的な範囲内に落とし込んでいる(ガラス固化体製造については、欧米でできているものが日本ではできないという別の問題がある。が、他国でできているということは原理的にできないものではないということである)。

二酸化炭素と核廃棄物、どっちがより危険なのか

 「そんなこといっても、これまでの経緯から原子力を推進する側は信用出来ない。実際に大事故を起こしておいて、どうして信用しろというのか」と思う方もいるだろう。

 ここで、他の危険性も含めて考えてみてもらいたい。

 放射性同位体には半減期があり、徐々に消えていく。ここまで見てきたように諸々を安全側に考えても、10万年経過すれば危険性は消える。たとえ環境中に放出されたとしても、最終的には絶対確実に、例外なく消える。これは物理学の法則が示すものだ。

 では、例えば徐々に増加しつつある大気中の二酸化炭素濃度はどうか。

大気中の二酸化濃度の推移(気象庁ホームページより)
大気中の二酸化濃度の推移(気象庁ホームページより)
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 1985年には350ppmほどだった大気中の二酸化炭素濃度は、徐々に増え続け、ついに通年でも400ppmを超えるところまで増えてしまっている。この33年で14%の増加だ。この増加による地球環境の変化はまだ完全に解明されているわけではないが、近年の異常気象に影響を与えているであろうことはほぼ確実視されている。

 気象現象の怖いところは、あるところまでは増えても影響が小さいものの、一定ラインを超えると激変が起きる可能性を否定できないことだ。

 しかも二酸化炭素を人間の手で大気中から回収できるかといえば、まずできない。一部は森林が固定するし、大気中の分圧が増えれば海に溶け込む分も増える。それでも、現状では増えつつあるわけで、これは無策でいると何が起きるか分からない。

 発電のために火力を使えば、二酸化炭素を放出することになる。いっぽう原子力発電は二酸化炭素は出ないが、後に核廃棄物が残る。

 少しぐらい大気中に放出しても、現状では大した危険があるわけではない。ただし、回収が不可能でこのまま増えると環境激変が起きる可能性を否定できない二酸化炭素。大変危険だが人間が管理できる量で、かつ10万年経てば絶対確実に消えることが分かっている核廃棄物。どちらが人類の長期的な生存と繁栄にとって、より危険なのだろうか。

 はっきり書こう。今の私には分からない。

 「そんなにエネルギーを使わなければいい」、あるいは「太陽光がある」と考える方もいるだろう。しかし、エネルギーを使わないということは、文明の退行を意味する、と私は考える。もちろん、省エネ技術も進歩している。が、省エネで得られた余裕は、より高次の文化・文明の達成に使うべきだろう。

 太陽光発電は発電方式のひとつであって、原子力や火力、水力と同様に利点も欠点もある。それだけに依存できるものではなく、むしろ他方式と補完関係にあるのだ。

科学的に、定量的に、考え続けることの大事さ

 このように考えて、私は震災から7年後の今も、ぐるぐると思考を巡らし、迷っている。何かを見落としていないか。日常的な感覚を信用して、自然の有り様を間違って理解していないか。ちょっと目には分かりやすい言説にのって、かえって社会を退歩させ、破壊する思潮や運動に加担していないか。

 「そういうお前は、原子力をどう考えているのか」という問いならば、今のところ私は、今後100年程度は日本社会にとって原子力発電は必要ではないかと考えている。

 これには色々な理由がある。エネルギー安全保障的観点もあるし、今後の廃炉に必要な原子力技術者を定常的に育成するという観点もある。

 100年というのは、おそらくその間の技術開発で原子力発電以上に利便性が高く危険性の小さい発電手法が実用化する、と考えているからだ。太陽光発電は候補の一つだし、100年もあれば核融合発電も可能になるだろう。それまでは、原子力には他に代替できない利便性があり、「10万年の危険性」に注意しつつ使うしかなかろうと見ている。

 が、もちろん私が絶対正しいという保証なんかない。
 あなたが「原発の存続に反対だ」というならば、その考えを私は尊重する。

専門用語ごときに怯んではいけない

 ただ、これだけははっきり言える。必要なのは、科学に基づいて定量的に物事を考えること。そして、すぐに答えがでないからといってめげることなく考え続けることだ。

 なお、本稿では、Bq(ベクレル)やGBq(ギガベクレル)、指数に対数、放射性同位体や半減期といった用語をあえて解説しなかった。この7年間、本気で原子力について考えてきた方なら、当然理解していて然るべきだからである。

 なに、そんな専門的なことは理解していないほうが当然?

 もしもあなたが、これらの用語を理解せず、他方で原子力について賛成・反対の意見を持っているならば――あなたは途方もない間違いを犯している可能性がある。

 なにしろ人間の感覚は、自然の実相を理解するにはあきれるぐらい当てにならないのだから。毎年目の前でうつろい、当たり前に展開していた自然のあれこれを、原発事故後に「放射能のせいだ!」と思い込んでしまうほどに。

 ただし「いや、そういう物理法則ではなく、人間側が、事故を起こした電力会社や、所管の官庁の管理体制が信じられないのだ」というご意見は当然あると思う。後編ではそちらを考えてみたい。

(続く)



3月11日で東日本大震災から7年を迎えました。被災地の復興が進む一方、関心や支援の熱が冷めたという話もあちこちから聞こえてきます。記憶の風化が進みつつある今だからこそ、大震災の発生したあの時、そして被災地の今について、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

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