ストレスの雨でびしょ濡れになった人には、「強めの指導」が刃となるんです……
ストレスの雨でびしょ濡れになった人には、「強めの指導」が刃となるんです……

 いったい何人の尊い命が奪われれば、この国のお偉いさんは目を覚ますのか?
 いったい何組の家族が涙すれば、企業経営者は「自分の責任」を自覚するのか?
 いったい何故、メディアは不倫報道はしつこくやり続けるのに、過労自殺はあっさりとした扱いになるのか?

 感情的な書き出しになってしまった。
 森友学園への国有地売却にからむ疑惑で財務省近畿財務局の男性職員が自殺していた事件も気になるところだが、今回注目したのは、野村不動産の50代の社員が過労自殺に追い込まれていた事件である。

 裁量労働制をめぐる国会での議論でも野村不動産の事件は取り上げられ、過労自殺の事実を厚労省が(事前に)「知っていたのか?いないのか?」という点ばかりにフォーカスが当たり、本質的なことがまるで議論されていない。とてもとても、残念に思っている。

 本来であれば「事前に知って」いようとも、「報告を受けてない」だろうと、これまで進めようとしていた事案を再考すべきだ。ところが、
・1日の中で一定の休息時間を確保(インターバル制度)
・労働時間の上限設定
・2週間の休日
・臨時の健康診断の実施
 のいずれかひとつを実施、という「こんなのあったり前じゃん!」な健康確保措置の強化策でさえ、「裁量労働制を拡大しないのなら止めちゃお?!」とするというのだ。

 残念というか、悲しいというか。
 今回の“事件”は、裁量労働制のそもそもの問題を解決する絶好のチャンスなのに…。
 過労死や過労自殺という言葉は、死語にしなきゃいけないのに。

 この国の“お偉いさんたち”が、過労死や過労自殺に正面から向き合う気がないことを痛感させられ、憤りを感じている。

 しかも、これは氷山の一角でしかない。
 裁量労働制を違法に適用。その違法の末の過労自殺──。
 本来なら企業が払うべき代償が、働く人の「命」にすり替わっている。

 経営者の方にお聞きしたいです。
 「あなたのお子さんが、勤め先の企業で違法労働を強いられ、命を絶ったときでも、『生産性を上げろ』と言い続けることができますか?」と。

 ということで、今回は「裁量労働制のホントの問題」について書きます。

 では、まずは“事件”の概要から。

 裁量労働制で働いていた野村不動産の男性社員(50代)が2016年9月に過労自殺していた。これを東京労働局が労災認定していたことが分かった。

 男性は2017年末、野村不動産が「裁量労働制を違法に適用していたとして是正勧告を受けた」うちの一人で、“違法発覚”は、男性の家族が2017年春に労災を申請したのがきっけかだった。

 野村不動産は全社員約1900人のうち、約600人に裁量労働制を適用。課長代理級の「リーダー職」と課長級の「マネジメント職」に就く30~40代が中心で、その多くは営業戦略の企画・立案と現場での営業担当だとされている。

 過労自殺した野村不動産の男性社員は、転勤者の留守宅を一定期間賃貸するリロケーションの業務を担当し、東京本社勤務だった。

 2015年秋ごろから長時間労働が続き、頻繁に休日出勤もするなど、ひと月の残業時間は180時間超。2016年春には、体調を崩して休職。その後、復職し、同年9月に自殺。入居者の募集や契約・解約、個人客や仲介業者への対応などにあたり、契約トラブルへの対応で顧客や仲介業者からの呼び出しに追われていたそうだ。
 現行では「営業職」は裁量労働制の対象から外れているので「違法」だが、今国会で先送りになった拡大が認められれば「合法」となる。

 「法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を主として行うとともに、これらの成果を活用し、当該顧客に対して販売又は提供する商品又は役務を専ら当該顧客のために開発し、当該顧客に提案する業務(主として商品の販売又は役務の提供を行う事業場において当該業務を行う場合を除く)」(by 提出される“予定だった”法律案、該当記述は10ページ目)

 ちなみに、2016年には大手医療機器メーカーのメドトロニック(2度にわたる是正勧告)、2017年には損保ジャパン日本興亜で裁量労働制の違法適用が発覚している。

 労働問題に詳しい弁護士さんや関係者に話を聞いたところ、
 「国会に提出された裁量労働制拡大を先取り、違法適用している企業は多い。特に損害保険業界は実質的に導入している」とのこと。

 つまり、この国の経営者の中には、違法に残業労働をさせているだけではなく、端っから「労働基準法なんて関係ないね?」という人たちが一定数、存在しているのである。

 裁量労働制拡大の議論が紛糾したときに
 「いやいや、今のご時世『ブラック企業』なんてレッテル貼られたら人材確保できないから、法律を悪用する企業なんてないよ」
 と豪語する人たちがいたけど、その方たちにこの事件の見解を伺ってみたい。

 改めて言うまでもなく、裁量労働制は「時間」ではなく「成果」で賃金を決める制度だ。そして、裁量制は本来「会社に行かなくてもいい自由」が認められている。

 実は、ここにこそ「裁量労働制」の本質的な問題がある。

 「結果を出さなきゃ」「良い仕事をしなきゃ」という思いが強くなればなるほど、人は自ら長時間労働する矛盾した心を持つ。仕事の要求とプレッシャーが高まるほど、“働き過ぎ”に過剰適応してしまうのだ。そして、必死になればなるほど視野狭窄になり、逃げ場を失っていく。

 仮にそのような状態に陥っても、「職場」にいれば救われるチャンスがある。

 上司や同僚たちが、
 「最近ちょっと根をつめ過ぎだぞ。休め」
 とブレーキをかけてくれることもあれば、
 「どうした? 何か問題があるのか?」
 と手を差し伸べてくれることだってあるかもしれない。

 優秀な上司であれば、
 「ボク(ワタシ)があとの責任は持つから、これ以上、お客さんの無茶な要求に応える必要はない。断りなさい」とストップをかけてくれることだって期待できる。

 でも、裁量労働制という「好きな時に、好きな場所で働ける」環境が、その可能性のすべてを奪い去る。

 そこに残るのは「上司からのプレッシャー」のみ。
 「あれはどうなった?」
 「まだ終わってないのか?」
 「早く決めろ!」
 「結果を出せ!」
 etc etc……。

 疲れ果て、ギリギリの状態で踏ん張っている人には、上司の言葉や態度のすべてがプレッシャーとなる。いわゆる“パワハラ”。そう。パワハラによって、ますます窮地に追い込まれていくのである。

 友人の突然の自殺をきっかけに実例を追い、“過労自殺”という言葉を作った川人博弁護士が、
 「どの事例も、自殺の半年から1年前は長時間残業、休日出勤が繰り返されたことに加え、納期の切迫やトラブルの発生などにより精神的に追いつめられていた」(『過労自殺』より)
 と指摘する通り、過労自殺をなくすには、長時間労働の撲滅に加え、パワハラ規制が絶対的に必要なのだ。

 ところが日本には「パワハラ防止措置を義務付ける法律」が、存在しない。

 厚生労働省では、2011年度からパワハラ対策の議論をスタートし、翌年にはワーキンググループを立ち上げ、パワハラ防止を法律に盛り込むことを訴え続けている。

 ところが、企業側が反発しているのだ(以下は朝日新聞より引用)。
・「上司が適正な指導すらためらってしまう懸念もある。まずはガイドラインで企業の自主的な取り組みを促すべき」(経団連 布山裕子労働法制本部上席主幹)
・「ガイドラインが現実的な対応だ」(日本商工会議所 杉崎友則産業政策第二部副部長)
・「大企業は法制化で画一的な対策を押しつけられていることに嫌悪感が強い。中小企業の経営層には『強めの指導が許されなければ、営業成績が落ちる』など心配する声がある」(労働ジャーナリスト 金子雅臣氏)

 なるほど。ガイドラインね。

 指導、現実的、業績が落ちる、とのたまう方たちは、ワーキンググループが、2012年にパワハラを定義し、類型化した真意が分かっているのだろうか(こちら)。

 「あなたたちの問題なんですよ」と経営者層に自覚してほしかったのですよ。
 パワハラに悩み、傷つき、生きる力をも失った人たちに関わってきた専門家たちが、さまざまな角度から議論を重ねた結果、企業とそのトップが、「パワハラをなくそう!」と積極的に取り組むことが欠かせないと考えたからにほかならない。

 つまり、パワハラは個人だけの問題ではない。会社、すなわち環境の問題だ、と。

 だからこそ、欧米には「パワハラを規制する法律」が存在し、企業に予防・禁止措置を課した厳しい規制を設けているのだ。

 労働基準法を逸脱し過労自殺者を出した電通は、労働基準法違反罪に問われ50万円を支払った。過労自殺の背景にパワハラがあろうとも、それを罰する法律がない以上、たった50万円。それしかペナルティーは科せられないのである。

 「経営の足かせになる」「指導の支障になる」と反対しているトップたちに、ワーキンググループの思いは届いているのだろうか?

 ストレスの雨にびしょ濡れになっている社員には、『強めの指導』が刃と化し、生きる力まで奪っていくことを本当に分かっているのか。

 長時間労働は睡眠不足を招き、思考力の低下、注意力散漫をもたらす。自分でもどうにかしなきゃと思っているときに、上司からのプレッシャー(=パワハラ)がかかると、前しか見えなくなる。「成果さえ出せば、結果さえ出せばいい」と自己暗示をかければかけるほど、暗闇に入り込む──。

 繰り返すが、過労自殺のほとんどに「パワハラ」などのストレス要因が深く関係しているのは、まぎれもない事実なのだ。

 そもそも裁量労働制は、「時間じゃなく成果」というけれど、「成果」で評価されるためには、「時間」で評価されていたとき以上に時間に拘束される。

 フリーランスの私は完全なる裁量労働制で働いているので、そのことを嫌と言うほど実感している。

 朝4時にベッドから起きてそのままパソコンに向かい、深夜遅くまで仕事漬けになることもあれば、わずか5分のテレビ出演のために、1週間近くも時間をかけることもある。1000字ほどの原稿を書くために、何日間も時間を費やすことだってある。

 もちろん就業時間が決まっている会社員ではないので、真っ昼間に買い物に出かけたり、平日にゴルフに行ったりすることだって可能だ。だが、そういう自由な時間を持つことは、想像以上に難しい。そんな「自由」を満喫できているフリーランスなんて、本当に、マジで、稀な存在なのだ。

 突っ込みが入る前に自分で言っておきますけど、これは私の能力が不足していることが問題なのかもしれない。私は個人事業主なので、すべては自己責任。求められる成果を出せなければ、ジ・エンドとなっても仕方がない。仕事の「成果」で評価される働き方を選んだ以上、その仕事に投入した「時間」の多寡は他人には関係ない。

 だが、過労自殺した人たちが所属するのは、会社だ。会社員なのだよ。

 会社=COMPANY(カンパニー)は、「ともに(COM)パン(Pains)を食べる仲間(Y)」こと。つまり、会社とは、「(食事など)何か一緒に行動する集団」であり、一緒にパンを食べる人に救われ、元気をもらい、「もう無理!」と思った時でも仲間がいれば、最後まで踏ん張れることもあるはずなのだ。

 その一緒にパンを食べる人とのつながりを育むのが、“時間”であり“空間”だ。

 日本の会社には、ジョブディスクリプション(職務記述書)がない。
 日本の会社は、たとえ社員がパワハラで死にいたろうとも罰する法律もない。
 日本の会社の経営者の一部は、現在の労働基準法すら守っていない。

 今回は先送りになったとはいえ、こんな状況で裁量労働制も何もあったもんじゃないし、高度プロフェッショナル制度も時期尚早だ。

 1週間当たりの労働時間を35時間に規制しながらも、職場のモラハラ(パワハラ)で過労自殺が問題になっているフランスでは、モラハラの被害者(労働者)は2つの形で会社に賠償要求することができる。

 1つ目は、加害行為そのものに対する賠償。2つ目は、会社の予防義務違反に対する賠償である。つまり、「パワハラは職場の問題」という前提が存在しているのだ。

 一方、損害は、労働者側が証明しなくてはならないという点では、日本の労災裁判と同様である。だが、有罪の場合は、2年間の実刑判決か、最大3万ユーロ(約400万円)の罰金が科せられる。日本とは大きな違いだ。

 現場あってこその企業であり、人あってこその経営なのに……。
 この国では、働き方改革より、経営者改革の方が先なのでは?

『他人をバカにしたがる男たち』
発売から半年経っても、まだまだ売れ続けています! しぶとい人気の「ジジイの壁」

他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)

《今週のイチ推し(アサヒ芸能)》江上剛氏

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 特に〈女をバカにする男たち〉の章は本書の白眉ではないか。「組織内で女性が活躍できないのは、男性がエンビー型嫉妬に囚われているから」と説く。これは男対女に限ったことではない。社内いじめ、ヘイトスピーチ、格差社会や貧困問題なども、多くの人がエンビー型嫉妬のワナに落ちてるからではないかと考え込んでしまった。

 気軽に読めるが、学術書並みに深い内容を秘めている。

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