今回は、さる国際政治学者がテレビ番組の中で発信したコメントの余波について書こうと思っている。
番組内での発言そのものについては、この数日、様々な場所でさんざんに議論されてもいるので、簡単な紹介にとどめるつもりでいる。
以下、番組を見ていない人のために、国際政治学者の三浦瑠麗氏が、「ワイドナショー」(毎週日曜日午前10時よりフジテレビ系列より放送)の中で「スリーパーセル」について語った部分の書き起こしを引用する。
三浦:もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。
※ここで『スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト』というテロップが画面上に表示される。
東野:普段眠っている、暗殺部隊みたいな?
三浦:テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。
松本:潜んでるってことですか?
三浦:潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。
そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。
番組への反響や、三浦氏からの再反論についてより詳しく知りたい方は、リンク先にあるハフポストの記事を参照してほしい(こちら)。
多くの人が指摘している通り、「スパイ」なり「工作員」なりが実在することはまず間違いなく事実だ。わが国にせよ、ほかの国にせよ、北朝鮮の工作員や、ほかの国や組織から送り込まれたスパイの暗躍を完全に阻止できている国はおそらく存在しない。
その意味からすれば、三浦氏が、市民になりすまして潜伏する工作員の存在を示唆したことそのものは、さして目新しい指摘でもなければ、驚くべき暴挙というのでもないのだろう。
ただ、彼女は、「スリーパーセル」という通称を明らかにしつつ、「大阪」という地域を特定したうえで、「ヤバい」という言い方で危機意識を煽っている。
さらに、その大阪の地に潜伏する工作員について、「指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める」「テロリスト分子」「いざという時の最後のバックアップ」などと、具体的な描写をしている。
こういうふうに特定の都市を名指しにして具体的な危機を指摘する言葉は、一般論としての注意喚起とは別のカテゴリーのトピックになる。
たとえば
「インフルエンザが流行っています。外出時には気をつけてください」
という呼びかけと
「豊島区東池袋でインフルエンザが流行しています。健康に見える市民の中にも多数の保菌者が含まれています。付近を通りかかる方は細心の注意をはらって行動してください」
という警告ではかなりニュアンスが異なる。ここで言っているインフルエンザという病名をほかのもう少し深刻な伝染病の名前に差し替えれば、この警報はさらに破壊的な響きを獲得することができる。
この種の無思慮な警告や扇動がいかに凶悪な影響力を及ぼすのかについて、われわれは、この数年来、福島と“放射能”をめぐる噂や言説を通じて、さんざんに学習してきたはずだ。とすれば、大阪という具体的な地域名を持ち出して「スリーパーセル」なるものの一斉蜂起を暗示した今回の三浦氏の言葉は、やはり地上波のテレビ経由で発信されるメッセージとしては、軽率だったと申し上げざるを得ない。
「スリーパーセル」という言葉が指し示す人々の行動計画や実態が、どの範囲の人々の間でどの程度具体的に共有されているのかについて、私はほとんどまったく情報を持っていない。
情報収集なり物品調達なりに従事している工作員がおそらく、いまも日本のどこかで活躍しているのであろうことはなんとなく想像できるし、実際にそうなのだろうとも思っている。
でも、指導者の死を知った瞬間に、外部との連絡を一切断って一斉に蜂起するべく訓練されたテロリストたちが、本当に大阪に潜伏していて、いまもその牙を磨いているのかと言われたら、私個人としては、そういう人間がいないと断言することまではできないものの、鵜呑みにすることもまたできない。
とはいえ「スリーパーセル」という言葉が地上波のテレビ番組を通じて拡散され、その刺激的な名前で呼ばれる人々が大阪に潜伏しているという情報が有識者と目される人間の口から確信をもって語られたことで、テロリストの狙いは半ば以上成功したと言って良い。
というのも、テロリストに課せられた最も重要な任務は、平和に暮らす人々の心の中に棲みついて疑心暗鬼の暗闇の中に引きずり込むことだからで、その人心の惑乱は、自分たちの暗躍の噂がまことしやかに広められたことにより、すでにして果たされているはずだからだ。
もうひとつ、私が今回の件に関して不可解さを感じているのは、この「ワイドナショー」という番組が、生放送で送出されているコンテンツではなくて、事前収録のうえで録画放送されている番組である点だ。通常、出演者の不適切発言が問題化し炎上するのは、生放送の番組を舞台にしたケースに限られる。その意味で、今回の炎上は、普通の炎上とは性質が違っている。
テレビ出演は、緊張を強いられる経験で、それゆえ、出演者が口を滑らすのは珍しいことではない。
出演者は、自分の考えや感想を、限られた秒数で端的に伝えなければならないという強いプレッシャーに晒されている。であるから、時に激越な表現に頼ってしまったり、ただし書きとしてつけ加えておくべき限定辞をうっかり省略してしまう。であるから、生放送の番組から飛び出す不規則発言や不適切コメントは、ある程度割り引いて受け止めてあげないといけない。人は誰でもミスをするものだし、ましてスポットライトとカメラに包囲されたスタジオの中に身を置くことは、そのこと自体、判断ミスなのかもしれないからだ。
だが、収録番組における不適切発言は、「言葉の勢い」や「行きがかり」といった生放送の時に使われる弁解で免罪できるものではない。
不適切ならカットすれば良いし、ミスがあったのなら撮りなおせば良い。編集ができるというのはそういうことだ。
収録番組は、スタッフなりプロデューサーなりが、責任を持って大丈夫であることを確認した上で放送される編集済みのコンテンツとして送出されている。とすれば、最終的な責任は出演者でなくて、番組制作者の側にあると考えなければならない。
というよりも、スタジオ収録の情報番組をナマでなく、収録済みコンテンツとして編成することの意味は、ライブ配信に伴うリスクを回避するところにあるはずなのであって、ということはつまり、収録番組の中で出演者が漏らす言葉についての責任の半ば以上は、放送局の人間が負うべきものなのだ。
三浦瑠麗さんが、収録中にああいう言葉で危機を煽ったことそのものは、スタジオのやりとりの中ではあり得る話だったのだろうと思っている。
それどころか、しゃべりの達者な芸人に囲まれて言葉のやりとりをしている素人が、過剰な言い方で自説を強調してしまいがちなのは、むしろ当然のなりゆきと言って良い。というのも芸人にしてみれば、緊張した素人から何らかの過剰さを引き出すことで笑いを拾うこともまた芸のうちなわけで、いずれにせよスベらないためにはジャンプしてみせないとおさまらないのがサーカスの実相だからだ。
そういう意味で、この問題は、ご本人が「言い過ぎました。すみません」と言えばそれで済んだ話でもある。
それ以前に、番組のスタッフが、当該部分の表現をあらためるべくお願いして撮り直すか、でなければ、まるごとカットしてしまえばそもそも問題にすらならなかったはずだ。
にもかかわらず、現時点で、番組スタッフから釈明らしい釈明が聞こえてこない。
以前「ワイドナショー」について「ワイ、どないしよ」の含意があるのではないかという仮説を提示したことがあるのだが、本当に”What shall I do?”(われ如何に生くべきや)を標榜する番組であるのなら、現在求められているのは、現今の状況についての責任ある説明だと思う。
まあ、名ばかりのワイドショーだというのならそれでもかまわない。
どっちにしても私は見ない。
上にリンクを張ったハフポストの記事によれば、三浦瑠麗さんは、twitterなどを通じて、氏の発言が在日コリアンへの差別や偏見を助長するという意見が多数寄せられたことに対して
「私は番組中、在日コリアンがテロリストだなんて言っていません。逆にそういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。」
と反論している。
「曲解だ」
「こじつけだ」
「誤読だ」
「歪曲だ」
と、三浦氏の側に差別を助長する「意図」がなかったことを強調する人たちも、それはそれでたくさんいるはずだ。
が、実際に、あの放送を見た多くの人間が、在日コリアンとテロリストを結びつけた見方に立った情報発信をしている事実は動かしようがない。
人々の読解力は、偏見に多くの部分を負っている。
別の言い方をすれば、偏見を持った人たちは、自分の偏見に沿った読み方でしか文章を読解しないものなのだ。
とすれば、ある種の偏見の持ち主を大喜びさせる形式で情報発信してしまったことの責任は免れ得ない。
「大阪がヤバい」
「大阪に北朝鮮のスリーパーセルが潜伏している」
というこの二つの情報は、
「大阪には在日コリアンが多い」
という人々がその内心にあらかじめ抱いている情報とセットになって、
「大阪には在日コリアンのスリーパーセルが大量に潜伏していてヤバい」
というひとつながりの情報となって拡散する。
で、実際に拡散している。
これはとりかえしがつかない。
ひとつの傍証をあげておく。
2月14日の未明私のツイッターアカウントに、sionさんという在日コリアン3世の20代男性からこんなメッセージが届いた。
《こんにちは。今回の三浦瑠麗氏の発言について書かせて頂きました。私は在日コリアン3世です。ああいう言い方は私たちの命に直結すると思います。もし宜しければお読み下さい。》
私はリンク先のブログの文章を読んで、
《色々な立場の日本人に読んでほしい文章だと思いました。RTしてもかまいませんか?》
とお断りして許可を得た後、彼の最初のメッセージをリツイートした。
以下に示すのは、その私のRTに対して寄せられたリプライ(返事)の一部だ。
《北朝鮮のスパイと疑われたく無いなら気違い染みた金正恩体制を厳しく批判すりゃ良いだけ、日本で生まれ育った癖にそんな簡単な事すら出来ない連中が被害者面すんなって話しだわ》
《積極的に北朝鮮批判をして自浄作用を示せば、信頼を勝ち取れるかもしれませんよ?なぜやらないのでしょうか?》
《非国民はすっこんでおれ》
《日本人は朝鮮人と違って、相手のことを考えて行動できる人が大半ですから、そこまで気に病む必要はないですよ。ちゃんと相手を見て判断すると思います。》
《反日教育をし差別教育を未だしている朝鮮人が差別するなという権利はない。被害者ズラして三浦氏の日本人に対しての助言を不用意って頭おかしいんじゃない?》
《どこまでも他人事なのね。北のやってる事だから関係無いってか。自浄作用の無さに呆れる。むしろ在日コリアンの間で自らスパイ狩りやってみるくらいしたらどうなんだ。ミサイル撃たれたりテロされれば在日だろうが日本人だろうが区別なく被害受けるんだぞ。》
《在日コリアン様
祖国でお暮らしになれば、万事解決します。
止めませんのでお早目に、どうぞ。》
《そもそも、何故日本に居ついているの?
3世に永住権は無いのだから、韓国で幸せに成ればよいですよ。》
以上、アカウント名とリンクは伏せてある。オリジナルのメッセージに興味のある向きは、実際にリツイートにぶらさがっているコメントを読みに行くか、フレーズ検索で当該のツイートを見つけてください。
いくらかなりと共感を感じられた方には、そもそも確たる証拠が何もない時点での言葉であることと、もし「スリーパーセル」が居るのならば、その人たちはむしろ「北朝鮮批判」をすることによって、疑われることを避けようとするんじゃないか(ん?)、という点について、考えてみてほしい。
上に列挙したのは、私がRTしたメッセージ(sionさんへの巻き込みリプライを含む)に対して寄せられたリプライに限っている。このほか、sionさんに単独で届いたリプライには、さらに凶悪なものが含まれているはずだ。
私のツイッターは、一般の人から比べれば、かなり荒れたアカウントだと思っている。
毎日のように誹謗中傷や罵詈雑言のメッセージが寄せられるし、その中には脅迫を含んだものもある。
今回、sionさんのメッセージのRTへのリプライを読んでみて思ったのは、今までの私のアカウントは、まだまだ平和だったのだなあということだった。
スリーパーセルが現実に潜伏していて、決起の時を待っているのかどうかについて、私は確たる情報を持っていない。見当をつけることさえできずにいる。
ただ、日朝間に不穏な事件が勃発する近未来がやってきたのだとして、その時に「スパイ狩り」「工作員狩り」が起こるのかどうかについて申し上げると、相当に高い確率で、それが実際に起こってしまうのではないかと思っている。
私のアカウントに寄せられている在日コリアンへの偏見に満ちたメッセージについて申し上げるなら、こちらは、まぎれもない現実であり、無視できない恐怖だとも思っている。
個人的には、まず目の前にある現実に対処したいと考えている。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
憎悪でなく理性に基づく書き込みをどうぞ
当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。
記事掲載当初、本文中で「sionさんという在日コリアン3世の女性から」としていましたが、正しくは「sionさんという在日コリアン3世の20代男性から」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2018/02/16 9:30]
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。