「AI人材」の獲得競争が激しさを増していると、日々の報道でよく目にするようになりました。これからのAI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)社会の到来でチャンスを逃さないようにしっかりと先手を打っておきたいというのが企業の本音です。

 華僑がお金儲けの代名詞と言われる理由の一つがまさにそれ、時代の流れを読みいち早くチャンスをつかみに行く進取の気質です。私は日本人としては早い段階で中国の大都市圏以外や、フィリピン、ベトナム、カンボジアなどアジアの新興国に投資しましたが、現地に根付いて久しい華僑たちからは「今頃来たの?」という反応をされてきました。

 まだ何も起こっていない、変化の兆しも見えない段階から行動を起こす華僑は、「今ここから取れる利益はいくらか」という「直接計算」はしません。「今ここでどれだけ仕込めば、何年後にどこでどれだけの利益が得られるか」という、時空を超えた「間接計算」をして壮大な先手を打つのです。

 今すぐ利益を得ようとする人が一手先を読むなら、後で大きく取りたい華僑は何十手も先を読んでいます。それは新興国に乗り込んだ華僑に限ったことではなく、日本にいる華僑も同様です。

 先を読み間接計算をする彼らの言動や態度は、不可解に感じることも多いですが、その意味・狙いを知れば納得です。少なくとも、知っておいて損はしないでしょう。今回は、組織サバイバルをしたたかに生き抜くためのノウハウの一つとして、華僑が先手を打って「無害な人」を演じる狙いについてお話ししていきます。

 無害といっても、休まず・遅れず・働かずの少し前のサラリーマンとしての長続きのコツとは趣は全く正反対ですので、その辺りも比べて読むとより楽しんでいただけるのではないでしょうか。

華僑の成功者は「切れ者」には見えない

 私自身、華僑のボスに弟子入りして多くの華僑と知り合う中で、不思議に思っていたことがあります。それは、賢そうに見えない人ほど着実に成功していくということです。起業して毎年連続で年商を倍にしたり、一流企業でスピード出世したりなど、結果を出した若い華僑たちは、周囲も「えっあの〇〇君が?」と驚くように、お世辞にも頭の良い切れ者には見えません。失礼ながら少々鈍臭そうで、何手も先を読むどころか深く考えずに動いているようにさえ見えます。

 首を傾げる私にボス曰く「賢さを隠すのが本当に賢い人。だから彼らこそ実は賢いんです。彼らに『あなたは賢いね』と言ってごらん。おそらく彼らはあなたのことを警戒して近づかなくなるよ」。

 さらにボスは中国古典の言葉を引いて説明してくれました。孔子が若い頃に、老子から言われた言葉だとされている「良賈は深く蔵して虚しきが如し」。意味は「賢い商人はとっておきの品物は奥にしまって、無いように装う」ですが、老子はこれになぞらえて「本当に賢い人は才能を隠して無いように見せるものだ」と孔子を諭したのです。

 若く理想の実現に燃えていた孔子にとって、100%理解できるものではなかったようですが、現実主義の華僑にとっては大いに役立つアドバイスだということで、彼らは賢さを隠そうとします。

 華僑たちがよく口にする言葉に「賢い=ずるい」「ずるい=賢い」があります。日本語の狡い(ずるい)とは少し意味合いが違いますが、「賢いね」という褒め言葉は、彼らにとって、打ち手を読まれた、と危険を感じる言葉なのです。

戦いを好まずとも挑まれる可能性は常にある

 なぜ賢さを隠す必要があるのかといえば、賢さを見せれば自分をライバル視する人が増え、足を引っ張られるからです。足を引っ張るのは、何も嫉妬心からだけとは限りません。羨望や憧れ、横並び感覚からも足は引っ張られます。これは変化に危機感を覚える動物の本能からきていると考えておいても遠からず、でしょう。

 競争に巻き込まれて表に引っ張り出されれば、前回のコラム「ヒーローになるのは損!華僑的『明哲保身』の術」で述べた「ヒーローではなくフィクサー」のポジションも取りづらくなります。また、これも以前のコラム「人と自分を比べない華僑は『弱くても勝つ』」でお伝えしましたが、華僑的成功法則の一つに「できる人に貢献する」というものがあります。

 華僑的には優秀な人は競う相手ではありません。競い合うより相互に利用してうまくやっていくべき相手なのです。ですが、こちらにその気がなくても賢さがバレてしまうと勝手にライバル視され、戦いを挑まれる可能性が出てきます。ライバルと敵は違う、ライバルとはお互いに切磋琢磨するもので戦う相手ではないとはいえ、相手がこちらを敵だと認識している場合には通用しません。

 「天下安しといえども、戦いを忘るれば必ず危うし」。兵法書の一つ『司馬法』にある言葉で、「たとえ大国でも戦争ばかりしていては必ず滅んでしまうし、たとえ平和でも戦いを忘れれば必ず危い目にあう」との解釈でいいでしょう。

 味方の少ないアウェーでビジネスの成功を目指す華僑は、自ら戦いはしませんが戦いを忘れたわけではありません。想定外の相手から戦いを挑まれる可能性も想定して先手を打ち、戦意を生じさせないように備える。その先手の一つが「賢さを隠す」ことなのです。

 賢さを隠すと言ってもバカを装うのはやりすぎです。それはそれで悪目立ちしますので、可もなく不可もない「無害」がほどよいラインということになります。無害な存在だと思わせることによって周囲の興味関心を自分から反らし、いわばダークホース方式で「戦わずして勝つ」を狙う。そこまで考えているからこそ、いつの間にやらあっと驚くような成功を遂げる人が出てくるわけです。

「無害」だからこそ使える「褒め殺し」の術

 華僑はただ「無害な人」を演じるだけではありません。無害だと思われているからこそ有効な「ずるゆる」な手段を使い、厄介な相手を操縦していきます。

 例えば、他人を下げることで自分のポイントを上げようとする人がいるならば、「人の長所を見る目がある」「人を褒めるのがうまい」など逆方向のことを言って褒め称えます。実際とは逆の評価を与えることで、人の短所をあげつらったり悪口を吹聴したりすることをやりづらくしてしまう。そうです、「ずるゆる」な手段とは「褒め殺し」です。日本の政治が今よりもダイナミズムを帯びていた時代に使われた政治手法の一つでもあります。これを、いちビジネスパーソンが使うのです。

 褒め殺しを成功させるポイントは、大勢の前で褒めること。部署の会議など上司もいる場で、話の流れに乗じてさりげなく褒めるのが良策となります。人前で「あなたのここが素晴らしい」と評価されれば自尊心が満たされ、同時にその評価を守りたいという気持ちも芽生えます。褒められた通りに行動せざるを得なくなるわけです。他人を下げているという自覚がない場合は、本当に人の長所を活かす才能がある、人を褒めて動かすのがうまいのだと刷り込むことも可能でしょう。

 そこでなぜ「無害な人」であることが有効なのかといえば、「何かおかしい」「何か裏があるのでは」など、褒めた相手から勘ぐられにくいからです。

 想像してみてください。自分がライバル視している相手や、明らかに自分よりもできる相手から褒められたらどうでしょう? 相手の意図が気になり警戒心が発動し、褒められても素直に喜べないのではないでしょうか。

 その点、特にマークしていない相手であれば「たまたまそういう(褒めたくなる)場面を見たんだな」くらいにしか思わずスルーしてしまう可能性が高くなります。マークしていない相手のことはよく知らないので、相手も自分のことをよく知らないと思い込みがちな上、マークするに値しないわけですから、無意識のうちに相手を見下している場合もあるでしょう。そういった心理的な隙をついて警戒されずに褒めを使う、これぞ褒め殺しの面目躍如なのです。

 不自然さを完全に払拭するには、常日頃から相手を観察し、本気で相手の「いいところ探し」をすることです。前述の、他人を下げたがる傾向がある人にしても誰彼構わずそのような行動を取るわけではなく、場合によっては相手を立てることもあるはずです。また欠点が目立っているとしても、見習うべき長所もあるはずです。たとえ気に食わない相手でも、長所や美点を認め、相手の憧れや目標も把握しておく。先回りして仕込んでおくことで、然るべき時に、ごく自然に先手を打つことが可能になるのです。

 人の「いいところ探し」などと聞くとなんだか甘ちゃんの世界の話のように感じるかもしれませんが、そんなことはないのですね。「いいところ探し」こそが、うまく処世していくため、自分のためになることなのです。好きでもない相手の「いいところ探し」なんてお人好しのすることだとバカにしている人は、その考え違いによって、痛い目に合う可能性が出てきますので注意が必要です。

抜擢されても妬まれないY次長の秘策

 それでは“ずるゆるマスター”の事例を見てみましょう。

 「あ~、やれやれだな。毎度の会議のことだけれども、私のこの壮大な作戦を成功させるために色々と気を遣うなあ。まあ、多くの人が近視眼的な発想をしているうちはバレることはないだろうけど」

 Y次長は定例の全体会議が終わった後、一人1階ロビーの自販機で缶コーヒーを飲みながら一服していました。Yさんは特に目立つわけでもないのに、順調に昇進を続け、気づいてみれば同期の中で一番乗りで次長に抜擢されたどころか、役員からの評価が異様に高いにも関わらず、彼を悪くいう人はごく僅かしかいません。

 「Y次長、お疲れ様です。今日もお見事でしたね。この後、一杯いかがでしょうか?」。声をかけたのはPさんです。Pさんは新入社員の頃、Yさんのチームに配属され、それ以来、別の部署になっても定期的にYさんに教えを乞いにくる人の一人です。

 「Y次長、今日はどのような戦略術で臨まれて、あのような流れになったのでしょうか」

 「今日はね、中国の兵法書の一つ『司馬法』にある『天下安しといえども、戦いを忘るれば必ず危うし』だよ。今の景気は悪くないどころか、五輪特需やアメリカ政府の迷走でとても平和な企業環境が整っている。でも平和だからといって、来たる五輪後やアメリカ政府がまともに機能し始めてから準備を整えていても遅すぎるんだよ」

 「はい、おっしゃる通りだと思います」

 「そのためには今までの合従連衡ではなく、新たな血を我が社にも入れていかないといけないんだよ。要は、優秀なベンチャーなどへの出資や、小さくてもキラリと光る会社と組んでいく必要がある」

 「はい」

まだ誰も気づいていないお宝の価値

 「今日の会議で例のベンチャーへの出資がほぼ決まったけれども、彼らは非常に優秀な集団だ。でも彼らが優秀だということが我が社の皆にわかってしまえば、保身を第一に考える人が出てきてもおかしくない」

 「なるほどですね、だから部長が彼らの弱点を挙げ連ねた時に、Y次長は『さすが部長ですね、鋭いです。彼らに長所はあるものの、弱点があるのでそれを我が社がカバーすることによってシナジー効果が出るというわけですね、素晴らしいです』と発言されたのですね」

 「当たり。よくわかったね。出資して一緒にやっていこうと言っても、セクショナリズムや派閥のようなものができてしまうのは致し方ないけれども、それはそれ。まずは他社にあの有望なベンチャーへの出資で先を越されないことが重要なのだよ、我が社の今後にとってね」

 「彼らの技術力はそんなに素晴らしいものなのでしょうか?」

 「彼らは非常に優秀だし、とても頭がいい。『史記』にこのような話が残っている。孔子が若い頃、老子のもとを訪ねて教えを受けた。そこで老子は『良賈は深く蔵して虚しきが如し』という言葉を引いて孔子を諭した。『本当に賢い商人はとっておきの品物は奥にしまって、一見そんなものは無いように装う。同様に賢者はみだりに学識を現さない。だが、あなたは自分の才能を見せ、欲望や意欲も表に出しすぎている』と。彼らは深センで先端のAI開発をしているから、恐らく現地の中国人たちからもこの言葉を聞き、目立たないように活動しているんだよ」

 「なんだか、画商、画廊の世界のようですね」

 「さすが見聞の広いP君だね。画商、画廊も表にはいい品を置いていないし、どんなお宝を持っているかなどは絶対に喋らない。だからこそ、古今東西問わず、お金持ちたちは画廊画商を通して交流をしているというのは間違いじゃないね」

考えすぎると動きが止まる。だから先手を打つ

 「それにしても部長は、欠点を挙げるのをお得意とされていますね」

 「そこがチャンスなんだよ。悪口を言う人はどこにでもいる。だからと言って遠ざけたり、スルーしても話は前には進まない。そういうタイプの人にこそ、褒め殺しが有効なんだよ」

 「褒め殺し、ですね。覚えておきます。それにしてもY次長は仰ることはハッキリと仰るのに、皆さんにあまり警戒されていないのが不思議でならないのですが」

 「ははは、面白いこと言うね。実はそれには答えがあって、私が無害だからだよ」

 「無害、ですか?」

 「そう。綺麗事でもなんでもなく、私は人のいいところ探しばかりしている。人にはいいところも悪いところもある、ただ、それは時と場合、事情によって変化する。だから常に物事をフラットに長期的に見るように意識しているのだよ。時と場合、事情によって変化するということは決めつけが一番いけない。でも色々と考え過ぎると動きが止まってしまうので、先々を見据えた目の前の動きとしては関係者各位のいいところ探しを常にするのが利口な選択だと思うよ。そうすると結果、P君が今言ってくれたように警戒されないようになるし、ライバル視する人から逃げることもできるようになるんだよ。いいところ探しはお人好しでもなんでもなくて、ずるゆるへの一番の近道かもしれないよ」

 特に目立つわけでもなく、かといって何も動かないわけでもない、飄々としているのに見えながらも自分の思うように物事を進めるあの人は、賢いことを隠している“ずるゆるマスター”かもしれません。

 筆者の最新刊『巧みな「人心操縦術」中国古典の教え:華僑大富豪の成功法則 (知的生きかた文庫)』では、巧みに人の心を操りながら人に嫌われない、安全第一の華僑流人心操縦術を多数紹介しています。ぜひ当コラムとあわせてお読みください。

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