国鉄しかり、電電公社しかり、公的企業の民営化は必ず「分割・民営化」でなければならない。だが、郵政公社については政治的な妥協から実現できなかった(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
国鉄しかり、電電公社しかり、公的企業の民営化は必ず「分割・民営化」でなければならない。だが、郵政公社については政治的な妥協から実現できなかった(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 政府の郵政民営化委員会は3月中にも、ゆうちょ銀行の預金限度額を撤廃する見通しだ。これは退職金などまとまった額の資金を預けたいという利用者のニーズに、現行の1300万円の限度額が障害となっていることや、資金を分割する業務処理のコスト高、などが理由として挙げられている。

 これに対して、他の金融機関から預金シフトが生じるなど民業圧迫であり、ゆうちょ銀行の民営化が十分に進んでいない現状では時期尚早との批判がある。

 しかし、これは単に郵政族と銀行界との利害対立といった、国内政治の枠内を超えた問題である。

 まず、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の原則に反するなど、グローバル経済の視点も重要である。

 また、本来、何のための郵政民営化だったのかという本質的な観点で考えてみる必要がある。アベノミクスの成長戦略にも反し、過去の郵政三事業改革の歴史の針を、大きく昔に戻すものといえる。その意味では預金限度額の撤廃はもとより、政治的な落しどころとしての限度額のさらなる引き上げも、安易に認めるべきではない。

防ぐべき巨大な民間企業

 小泉純一郎政権(2001年4月~2006年9月)において、郵政公社の民営化が最重要の政策課題であった。

 これは国が巨大な金融機関を経営することで、民間の金融機関との公平な競争を妨げるとともに、民間資金を非効率な公共事業に吸い上げる役割を果たしているという、日本の構造問題を解決するのが目的だった。すなわち、日本の金融サービス産業の健全な発展を促すためには、郵政公社の民営化が必要という論理であった。

 日本に限らず、巨大な公的企業を民営化する際には、絶対にしてはいけない原則がある。それは官の独占企業を、単に民の独占企業に変えることである。

 これを防ぐためには、公的企業の民営化は、必ず「分割・民営化」でなければならない。日本国有鉄道(国鉄、現JR)や日本電信電話公社(現NTT)の民営化には適用されたが、郵政公社については政治的な妥協から実現できなかった。

 代わりに、郵政公社の組織内で、銀行業や保険業という「機能分割」にとどまったことが大きな違いである。このため179兆円の預金量(2016年度末)と、民間メガバンクトップの三菱東京UFJ銀行の1.3倍の規模のゆうちょ銀行は、巨大な官製銀行のままで民営化されるという、最悪の結果になってしまった。

 当時、経済学者の一部には、仮に郵政公社の形態のままでも、郵便貯金の限度額を大幅に引き下げ、少額預金のみを取り扱う金融機関にすれば、その弊害は小さいという見方もあった。

 これは経営形態が「官か民か」の違いよりも、むしろその「資金規模の大きさ」が問題という視点であったが、全く考慮されなかった。その意味では郵政民営化後でも、この銀行部門の預金限度額の引き上げが、政治的には隠れた重要なポイントとなっている。これが2016年度の1300万円への預金限度額引き上げを通じて、今回の預金限度額撤廃への大胆な要求に結びついたといえる。

国際標準に合わない民営化

 日本で言う「民営化」の概念は、経済協力開発機構(OECD)などの国際標準とは大きく異なっている。国内では日本郵政が、単に株式会社の形態になったことを民営化と呼んでいる。しかし、国際標準では、政府が日本郵政の株式を市場で売り尽くした場合に、初めてそう言える。政府が元国営企業の株式を保有し、その経営に介入できる限り「民営化」とは決して呼べないのだ。

 この意味では、ゆうちょ銀行の持ち株会社が日本郵政であり、その株式の3分の1以上を政府が持ち続けることが法律で定められている以上、ゆうちょ銀行はいつまでも国際標準での民間銀行とはいえない。

 これは銀行に信用不安が生じた際に大きな問題となる。現在でもゆうちょ銀行の預金限度額は1300万円だが、このうち、預金保険で保証されるのは1000万円だけである。

 しかし、預金者は残りの300万円も政府が保証するという暗黙の前提で安心して預けている。これは預金限度額が撤廃されても同様であり、ゆうちょ銀行の高い信用力は、とくに民間の中小銀行と比べて見えない大きな競争力となっている。

融資業務を持たない銀行肥大化の意味

 ゆうちょ銀行は、民間銀行のように融資業務を持たず、資金運用のみという中途半端な組織である。そうした銀行に預金や、企業融資に回る民間銀行の資金がシフトすることは、「貯蓄から投資へ」というアベノミクスの基本方針に反することにもなる。

 他⽅、国債⾦利が低迷する下で、ゆうちょ銀⾏⾃体もリスクの⾼い運⽤が避けられない。⽇銀同様に⼤量の国債を保有していることは、政府にとって財政ファイナンスを続ける上では都合がいいが、国債価格の値下がりで⼤きな損失を被るリスクは高まるばかりである。

 さらに、預金限度額の引き上げは、定額預金にも適用される。この民間銀行にはない「解約オプション付きの定期預金」という不思議な商品は、金利上昇期には借り換えを、また低下期には10年間の長期保有を可能にすることで、圧倒的な競争力を有している。

 ゆうちょ銀行の最大の強みは、全国の郵便局のネットワークと一体的なことだ。こうした民間銀行と比べた巨大な支店網という競争力を抑制するために、当初の民営化プランでは、郵便局の不動産を所有する郵便局株式会社を、郵政・銀行・保険事業から独立させる。そこで民間の金融商品等も自主的に販売可能な「金融コンビニ」とすることが意図されていた。

 しかし、2011年の民主党政権下で、これを郵便事業株式会社と合併する法改正がなされたことで、当初の郵政民営化の構想は大きく後退した。

 このように郵政三事業の改革は、当初の小泉政権の、元々、不十分な民営化プランから次々と後退を続けてきた。今回の預金限度額の撤廃は、仮に実現すれば、実質的に、本来の郵政三事業改革にとどめを刺す大きな意味をもっている。

海外からの不公正競争批判

 今回のゆうちょ銀行の規模拡大に反対するのは国内の銀行だけではない。これは外国の銀行にとっても、TPP等の経済連携協定に不可欠な「内外無差別原則」への重大な違反といえる。

 日本には外国企業を狙い撃ちするような露骨な制度はないが、特定の国内銀行を、事実上、優遇する政策は、外資系を含む他の銀行に対する間接的な差別といえるからだ。

 日本政府が3分の1の株式を保有するという意味で、国際標準では国営企業である日本郵政の子会社のゆうちょ銀行の預金を、事実上、無制限に国が保証することは、海外企業にとっては差別的な取り扱いと見なされても不思議ではない。

 これは多くの巨大な国営企業を抱える中国が、TPPのようなハイレベルの経済連携協定に加入できないひとつの大きな要因である。グローバル化が進む日本経済の下で、TPPを成長戦略の大きな柱として掲げる安倍政権が、国内の郵政族の圧力に屈して、それと矛盾する政策を進めてよいのだろうか。

 アベノミクスでは、金融財政の拡大で景気を維持し、その間に構造改革を進めることが、本来の戦略であった。しかし、肝心の構造改革が進むどころか、むしろ逆行していることが大きな問題といえる。

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