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日本上空を通過した火星12号(提供:KNS/KCNA/AFP/アフロ)
日本上空を通過した火星12号(提供:KNS/KCNA/AFP/アフロ)

香田さんは、北朝鮮が日本に向けてミサイルを1発撃っても自衛隊は防衛出動できない可能性があると指摘されています。これは、どういうことですか。

香田:我が国は、個別的自衛権を発動し、防衛出動を発令して、はじめて武力行使が可能になります。同時に、武力行使を乱用・濫用しないためこの発動に要件を設けている。

新三要件ですね。

武力行使の新三要件

(1)わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること(存立危機事態)

(2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

(3)必要最小限度の実力行使にとどまること

香田洋二(こうだ・ようじ)
香田洋二(こうだ・ようじ)
海上自衛隊で自衛艦隊司令官(海将)を務めた。1949年生まれ。72年に防衛大学校を卒業し、海自に入隊。92年に米海軍大学指揮過程を終了。統合幕僚会議事務局長や佐世保地方総監などを歴任。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』など(写真:大槻純一 以下同)

香田:そうです。政府は(1)の「武力攻撃」について、「一般に、一国に対する組織的計画的な武力の行使をいう」と国会で答弁しています。

 北朝鮮がミサイルを1発発射して東京に着弾し、200人が亡くなったとしましょう。これまで国会でなされてきた論議に鑑みると、1発のみの発射・着弾ということから、これは組織的でもなければ計画的でもないと判断されるでしょう。北朝鮮が宣戦布告や最後通牒の手続きを踏むとは考えられませんから。

 組織的かどうかを判断するために、北朝鮮軍に対日攻撃命令が出ているか確認すべきだとの真面目な議論も浮上する。もちろん、そんなこと確かめようがありません。もっと言えば「北朝鮮が撃ったとなぜ確定できるのか」と主張する人すら現れかねない。我が国の政府憲法解釈のため、そんな、常識はずれの入り口論から議論しなければならない可能性が高いのです。

 あるミサイル攻撃が組織的・計画的なのかをめぐって、大手新聞などのマスコミも主張が分かれるでしょう。

 その時の政権が安倍政権のような、安全保障の立場が明快で意思決定がはやい政権であれば、「北朝鮮による攻撃だ」と言い切るかもしれません。しかし、その政権の性格によって対応が異なるので、自衛隊が速やかに対応するのを可能とする命令が出るかどうかが当てにできない。20発ぐらいまとめてミサイルが飛んでくれば、組織的、計画的と認めるのでしょうが。

 日本が国として組織的な対応が取れずにいるうちに、第2、第3の攻撃が来る。そしてようやく、これは組織的だと判断して、防衛出動を発令する。自衛隊はそれから対応を開始するわけですから、相当大きな被害が出ることになりかねません。

武力行使を乱用しない歯止め

政府はなぜ組織的・計画的なものだけを武力攻撃としているのでしょう。

香田:「好んで戦を求めることはしない」という考えからです。つまり武力行使の乱用を防ぐため。

 かつては、国境警備兵が1発撃った――というささいなことを口実に、大国が小国に攻め込んで侵略することがあった。そういう事態を起こさないようにという諫めです。

 正確な表現は忘れましたが、米国も自衛権を発動する要件を定めています。合衆国国民、もしくは財産、施設に対する武力攻撃は合衆国に対する攻撃と見なす、というようなものです。米国も、考え方としては「武力攻撃」を組織的・体系的なものと捉えているでしょう。しかし、我が国のように、上で述べた要件に政府解釈などを追加して、自らの判断や自国軍の活動を縛ることはしていません。攻撃してきた相手がどのように動くか分からないからです。

 極端な例ですが、攻撃側が我が国の厳しい武力攻撃の定義や武器使用要件を熟知していた場合、散発的攻撃などの戦術をとることも考えられます。時の政府の立場によっては自衛隊に対する防衛出動が出せないこともあり得ます。この場合、相手側は、防衛出動が出ない自衛隊をしり目に、全く反撃を受けることなく、安全に日本を攻撃することができる事態もあり得ます。

 諸外国は、このような信じられない事態を防止するために、大原則は保ちながら、過度の「縛り」はかけていないのです。要するに、相手の動きに応じて柔軟に動けるようにしている。

 こうした歯止めがかかっているのは、理論の世界としては美しい。ところが、現実との間にはギャップがある。日本は戦後、戦争したことも、弾を撃たれたこともなく、美しい理論の世界に生きてきました。それゆえ「この攻撃は組織的か」という神学論争をするいとまがあった。しかし、現実はそうではありあせん。

核保有国が撃つミサイルは組織的かつ計画的

こうした状況を改めるには、どうすれがよいのでしょう。

香田:これまでの考え方を変える必要があります。ただし、これまでの定義や解釈を現実に変更することは難しい。自らの武力攻撃行使の根拠となる、相手の武力攻撃態様は組織的・計画的なもの――という定義は論理的には正しいからです。だから本来なら、そんな定義をするべきではなかった。「論理的に正しいものを、なくせ」と言ってもなくせるものではありません。ただし、「組織的・計画的」という定義の解釈の幅は相当大きいのもまた別の事実です。

 だから、現実解としては、そのときのリーダーが「これは1発でも、組織的・計画的だ」と言い切ることです。核弾頭がもたらす被害の深刻さを考えれば、核保有国から飛んでくるミサイルは「核兵器を搭載している」とみなして対処すべき。核兵器が相手国に対する致命的な殺傷力を持つことを考えれば、①当該国による弾道弾攻撃は核搭載ミサイルを前提、②そうであるがゆえ、単発の攻撃であっても組織的かつ計画的とみなす、というのが妥当です。ゆえに「1発であっても、組織的・計画的というカテゴリーに当てはまる」とする。

 北朝鮮が核保有国かどうかとは別として、限りなく保有国に近いという認識に立てば、我が国防衛上からは、核保有国と同等として同国に対処すべきです。

日本上空を通過した火星12号(提供:KNS/KCNA/AFP/アフロ)
日本上空を通過した火星12号(提供:KNS/KCNA/AFP/アフロ)

自衛隊法に「破壊措置命令」が定められています。これで対応することはできませんか。

弾道ミサイル等に対する破壊措置

 第八十二条の三  防衛大臣は、弾道ミサイル等(弾道ミサイルその他その落下により人命又は財産に対する重大な被害が生じると認められる物体であつて航空機以外のものをいう。以下同じ。)が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に対し、我が国に向けて現に飛来する弾道ミサイル等を我が国領域又は公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。)の上空において破壊する措置をとるべき旨を命ずることができる。

香田:破壊措置命令は、確かに「弾道ミサイル等」を打ち落とすことを認めています。しかし、想定しているのは、北朝鮮がミサイル実験をした時に何らかトラブルが起こり、我が国に破片が落ちてくるような事態です。

 これは防衛行動ではありません。相手国の武力行使ではない行為(発射実験等)が不首尾に終わった結果生ずる落下物を「結果的に打ち落とせればよい」と考えた官僚的発想の結果に過ぎない。現実には、組織的な武力行使ではないと解釈されることもあり得る相手国の弾道弾の単発攻撃はこの規定で対処するしかないと考えます。

 こうした対処の仕方はある意味で危険です。破壊措置命令が出たままになっていれば、それを悪用してオーバーリアクションもできる。

戦前・戦中に「自衛」を乱用したことが思い出されます。

香田:そうですね。なので、政府、我が国の国民がしっかりと自衛隊をコントロールするという意味で防衛出動を発令すべきです。逆に言えば、防衛出動は、自衛隊が武力を行使して我が国を防衛するということだけではなく、わが国民の意志の発露であり、国民が自らの意思で自衛隊をコントロールするという政治的な意味もあるのです。

 相手の国が撃ったものを撃ち落とすわけだから、それは国家意思の明確な発動です。防衛組織である自衛隊の防衛能力を、国家として我が国の防衛のために発揮する。そのために、国民の意思として自衛隊に防衛出動を発令して対処する。そうでないとおかしいでしょう。

 「破壊措置命令でミサイル攻撃に対処せよ」と自衛隊に命じるのは、ダイコンを切るような気軽さ(国家と国民の意思を発動した防衛出動ではない破壊措置命令)で、人(相手国の弾道弾)を切れと言っているようなものです。そんなことは、法治国家、成熟した民主主義国であってはならないことは当然です。

10万人の死を受け入れることができるのか

鳩山一郎政権が敵基地攻撃に関して答弁したことがあります 。あれは、ミサイルを1発受けた後であれば、敵基地攻撃も容認するということなのでしょうか。

1956年2月29日 鳩山首相の答弁を船田防衛庁長官が代読


 わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、わが国土に対し誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない。攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、例えば、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは自衛の範囲に含まれ、可能である

香田:「ミサイルを1発被弾した後であれば」というのは、核兵器を想定していないから言えることです。核兵器による攻撃を受けたら、使用される弾頭の規模によりますが、10万人、多くの場合それ以上が死亡することを覚悟しなければならない。だから、とにかく最初から全力をもって撃墜する必要があります。

 この措置に反対する人たちは、10万人に上る犠牲を受け入れるということです。そういう人たちには「あなたたちは、この犠牲について国民にきちんと説明できるのですか」と問いたい。もしそういう事態に陥っても、彼らはおそらくだんまりを決め込むだけでしょう。

 奇襲をまったく探知できないまま攻撃されるのだったら、仕方ないかもしれない。しかし、日本と米国は、ミサイル攻撃のほとんどを探知し対処する能力を備えています。こうした国は、イスラエルと共に、世界中でわずか3カ国しか存在しない。そして、探知した後、10分間の間に何をするかが問題となる。

 取りあえず1発目をミサイル防衛システムで撃墜して、その後、防衛出動を発令するのか。ところが、先ほど申し上げたように、1発だけだと防衛出動が発令されない恐れがある。

解決策は自衛隊を戦力として認めること

ご指摘のような状況を改めるために、自衛隊法の見直し、および9条の改正が必要と主張されています。憲法をどのように改正すべきなのでしょう。

香田:戦力の保持を認めなかったり、交戦権を否定したりしていることに問題があります。

 国連憲章は独立国固有の権利として自衛権を認めている。これは絶対真理。しかし日本の場合、現行憲法のもと自衛隊を合憲法的な存在にするため、「自衛のための必要最小限度の実力」と言わざるを得なかった。

 解決策は戦力の保持を認めることです。

 集団的自衛権に注目が集っています。行使に反対する意見もある。これを汲むならば、憲法を改正し、自衛隊を合憲の存在、戦力とした上で、「集団的自衛権は行使しない」と別に明記することも、理論上の選択としてはあります。

 しかし、そこまで手足を縛る必要はないでしょう。「集団的自衛権は行使しない」とすれば、日本近傍すなわち自衛隊の力が及ぶところで米軍に大被害が起きそうな事態でも、日本は助けることができないことになります。そうなれば、日本の目の前で、窮地に陥った米軍が自衛隊に見殺しにされるわけですから、日米安保体制は確実に瓦解する。自国軍を守ってくれない日本のために米国が自らの血を流すのか。それはやらないですよ。

 ですから、あえて集団的自衛権に触れる必要はない。というより、集団的自衛権が独立国固有の権利であるということは国連憲章51条の普遍の真理ですので、触れてはいけないのです。

憲法で縛りすぎれば国は守れない

 整理すると、必要なのは、戦力として自衛隊を憲法に明記すること。自衛権については個別的とか集団的とか制限をつけず、国連憲章51条に則るとすればよい。そして、武力行使の新三要件や、武力攻撃を組織的・計画的とする政府答弁などを白紙にする。

 軍事は、何でもありの世界です。相手の国に日本の法律は通用しません。法執行機関である警察とか海上保安庁とはこの点で大きく異なる。なので、自衛隊の行動を憲法や国内法で縛り過ぎるのはよくない。今は、憲法と国内法で縛れという考えになっている。それでは、国内法で縛れない何でもありの侵略国に対して圧倒的な優位性を与えることになってしまう。ということは、自分の国が守れなくなる、あるいは防衛する自衛隊及び自衛隊員が本来は被らなくてもよい余分な被害を受けるということです。憲法や法律、そして規則の不備により、自衛隊員を無用に殺してはいけません。

 ただし、「自衛権の乱用は厳に戒める」「侵略国になることはない」ということを改めて明らかにする。改憲すると、中国などがわあわあ言うでしょうから。この意思表明は憲法に書く必要はないでしょう。政府宣言のようなかたちで公にすればよいのです。

 このように改憲しても自衛隊が変わることはないと思います。敵地攻撃をすることもない。日米安保体制があるのだから、日本がわざわざ敵地攻撃する必要はありません。矛と盾の、矛の役割は米軍に任せておけばよい。米国だってその方がいいはずです。この枠組みは変わりません。

日本が集団的自衛権を行使するのは桶狭間の合戦の時

日米安保体制を維持する観点から集団的自衛権を考えたときに、現行の新三要件は適切なのでしょうか。縛りがきつすぎるのか、あるいは、緩すぎるのか。

香田:私はこれで十分適切だと評価しています。

 どんな軍隊でも、単独で行動するのが最も動きやすい。日米の関係で言えば、米軍は、矛の役割に専念できればこんなに良いことはないのです。盾の役割は自衛隊が担って、我が国をしっかりと守る。米国が北朝鮮への攻撃を決断しても、最初から、航空自衛隊の支援戦闘機F-2と編隊を組んで行くことはおそらくないと思います。

 ただし、未来永劫、絶対に負けない軍隊はない。サプライズが起きることもある。織田信長が今川義元を討った桶狭間の合戦や、源義経が平家を西へ追いやった鵯越の合戦を思い出してください。

 米軍がそのような状況に陥った時に自衛隊が助けることができるのであれば、集団的自衛権を行使してよいのではないでしょうか。多くの人は日米安保体制を是としているわけですから。そうなれば、米国にとってもすごくありがたい。

 もっと言えば、日米安保体制を失った途端に我が国の防衛などできなくなります。侵略国の侵攻意図を萎えさせ放棄させる相手国への戦略打撃の役割を担うものがなくなるわけですから。

香田さんはいわゆるフルスペック*の集団的自衛権は必要ないというお考えですね。

*:全面的な集団的自衛権の行使。日本政府は新三要件を設け、集団的自衛権の行使に歯止めをかけている。こうした制限をかけないもの

香田:はい。ただし、憲法を改正するなら、いつでも行使できるようにしておくのが望ましい。

 そして、繰り返しになりますが、新三要件などを白紙にすることです。というのも、存立危機事態(編集注:新三要件を満たして自衛権を発動できる状態)の認定手続きにどれだけの時間がかかるか分からない。今の日本だと、安倍首相が集団的自衛権の行使を決断しても、国会で承認を得るのに相当に時間がかかる。

 諸外国の軍隊には、事態認定もなければ、防衛出動もないのです。せっかく憲法を改正するなら、増改築(既存の解釈をいろいろ触ること)するより、ご破算にする方がいい。

集団的自衛権の行使が認められると、米国の戦争に巻き込まれる恐れが高まると懸念する声があります。

香田:欧州や中東に米軍が縛られているときに、アジアで中国や北朝鮮が悪さをする事態を考えてみてください。日本周辺に展開する米軍の兵力が十分でないときがある。そういうときに集団的自衛権を行使するのは乱用ではありません。

 憲法を改正するなら、こういうときに限っては、政府が国民にしっかりと説明したうえで、米軍と一緒に攻勢作戦を展開できる余地を残しておかないといけない。我が国に核弾頭が飛んでくる可能性もあるのですから。

日本が攻撃に加わることもあり得ると……

香田:その余地は残しておかなければいけないということです。

 ただし、くどくなりますが、自衛権を好戦的に利用、乱用するための措置ではありません。

 米軍は世界の中で圧倒的に強い存在だけれども、世界情勢によっては2正面で対処せざるを得なくなることもあり得る。2正面対処になったときこそ、悪さをする国はここぞとばかり仕掛けてくる。そのときに、今の日米安保法制では不十分なケースがあり得るということです。

憲法より重要なのは国民の意識

香田さんは9条2項は削除すべきとお考えですか。

香田:あるべき論で言えば2項を改正すべき。

 だけど、9条改憲には公明党の賛成が必要。改正内容と政治的な実現手段は別の問題であり、実現のための方策は政治家に任せざるを得ません。

 今回、新3項を追加する改正をして2項が残ったとしても、また50年かけて次の機会に書き換えればいい、というような長い目も必要でしょう。

 憲法の規定はシンプルなのがいちばんです。自衛隊というか新国軍が合憲で、軍事・国防組織であり、交戦権も否定はしないと。

縛りがあればあるほどグレーゾーンが増えてしまうという考えですね。

香田:そうです。警察とか海上保安庁が対応できるのは日本の法律が通用する範囲にとどまる。そこから先はできません。しかも相手の軍は「何でもあり」です。であるにもかかわらず、相手の行動が組織的・計画的でないと自衛隊に防衛出動は発令されない。政府答弁で「組織的・計画的」と言ったために、防衛出動の敷居がこれほど高くなっている。警察と海上保安庁法が対処できる事態と、自衛隊が対処する組織的・計画的な武力攻撃との間には、非常に広い幅があるのです。

 ただし、一番重要なのは憲法じゃなくて、国民の意識です。私が話をすると好戦的ととらえられがちですが、例えば、私は非常に強い意思をもって「核武装は絶対にだめ」と反対しています。核装備すれば、日本は得るものが少なく、失うものがはるかに多い。

 我が国の核保有は、日米安保体制にとってもよいことはない。米国は日本防衛への関与を今よりずっと引き下げるでしょう。国際社会での日本の立場も一気に悪くなる。

 私は、敵基地攻撃能力を保有することにも反対です。この能力が独立国としての固有の権利であることは当然です。ただし、陸海空自衛隊の我が国防衛能力そのものが十分でない現状を考えた場合、まず優先すべきは、自衛隊が我が国を防衛する能力の整備です。それをしっかりと実施する前提で、日米安保体制における自衛隊と米軍の戦略的任務分担に基づき、敵基地攻撃能力は米軍が実施するのです。

 憲法に書かれた文言を基に、自衛隊をコントロールするのは国民です。だから国民の意識をどう高めるかが重要。

 例えば今、北朝鮮の核をめぐって、朝鮮戦争の危機が懸念されています。日本にも朝鮮半島から難民が押し寄せる可能性がある。もしもの事態に備え、人道上の措置として、A島やB地域に難民キャンプを準備すると提案したとしましょう。まず地元が反対することは明白です。同時に、左派のメディアが「難民キャンプは米軍の攻撃を前提とした戦争準備だ」と言って大騒ぎする。日本の国民の意識はこうしたレベルです。

 例えばマレーシアの国民はもっとずっと現実的です。いまマレーシアに、ミャンマーからロヒンギャ難民がやってきます。マレーシアは難民をどこに収容所にしたと思いますか? ランカウイ島です。マレーシアの顔でもある世界的な観光地。そのような観光地が風評被害を受けることも考慮したうえで、同島に施設を作ったのです。マレーシアの方が日本よりも人道意識がはるかに高い、あるいは、より現実的にものを考えているといえるのです。さて、日本人はどうでしようか?

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