「障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします」

 障害に対する意識――。みなさんは、この言葉の意味がわかるだろうか?  

 実はこれ、2014年12月に32歳で亡くなった、車椅子のジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤングさんが、常に私たちに問うてきた有名なフレーズである。

 ステラさんは生まれた時に、「骨形成不全症」という骨の成長障害であることがわかり、医師からは「1歳まで生きられないかも知れない」と宣告されたという。だが、その後、車椅子で走り回る元気な子にすくすくと育ち、オーストラリアのディーキン大学に進学。メディア論と教育学を学び、高校の教師になった。

 亡くなる数年前からは、障害アクティビストとして活躍し、「気の毒な障害者」という従来の概念を打ち破る率直な発言で人気を集めた。ときにシニカルに、ときに非情なまでに冷静に紡がれた彼女の言葉からは、「社会」への痛烈な批判を感じ取ることができる。

 ここでいう「社会」とは、私たちの障害への“まなざし”。いや、「私」の障害へのまなざし、である。

 そのイビツさを物語るような紙面が、7月21日の日本経済新聞に掲載された。

 左上に
「不安強める障害者 『全力で守る』支援団体が声明」

の文字がデカデカと踊り(声明についてはこちらをご覧下さい)、

その右下に、
「職場の障害者虐待 15年度は970人」

という記事の見出しが、こじんまりと申し訳なさそうに記されていたのだ。記事の内容は以下のとおり。

 障害者を雇用する事業主や職場の上司など、いわゆる「使用者」からの虐待が認められた障害者は前年度比100.8%増の970人と、過去最悪を更新したことが、厚労省の集計で明らかになった。

 虐待の内容は、賃金不払いなどの経済的虐待が855人と最も多く、次いで心理的虐待が75人、身体的虐待が73人、放置等による虐待が15人、性的虐待が10人。心理的虐待、身体的虐待ともに昨年より大幅に増えていることが明らかになった。

 虐待をしていたのは事業主が450人と最も多く、次が所属の上司の48人。所属以外の上司が2人、その他が19人だった。

 「おまえがいなくなれば楽になる」などの暴言を上司から吐かれ、頭を拳やへらでたたかれるといった事例が報告されている。

障害者雇用が進む陰で

 2013年4月に「障害者雇用率制度」改正され、従業員数50人以上の民間企業では2.0%以上の割合での障害者雇用が義務付けされたことで、民間企業で働く障害者は12年連続で過去最高を更新している(達成企業47.2%:2015年6月1日時点)。

 2015年時点で前年より5.1%多い約45万3000人。精神障害者は25.0%増(約3万5000人)、知的障害者は8.4%増(約9万8000人)で、身体障害者の2.4%増(約32万1000人)より伸びが大きい。

 そういった状況下で、むごい扱いを受けている障害者数が過去最高を記録したのだ。

 「おまえがいなくなれば楽になる」といった暴言は、決して例外的な事例ではない。

「義務だから雇っているだけ」
「何もしなくていいよ」
「トイレ掃除くらいできるだろ?」
「いいな~。来るだけでおカネもらえるんだからな」

などと、上司や同僚から心ない言葉を浴びせられたり、「耳が聞こえない」のに電話番をさせられている人たちが、少なからず存在する(これらはすべて私が実際にインタビューした中で得られた証言)。

 私たちは障害者(この呼び方にも抵抗があるのだが)を、どんなまなざしで見ているのだろうか?

 そこで今回は、「障害と社会」について考えてみる。

障害者はみな、「感動的な話をする人」???

「私はオーストラリアのビクトリア州の小さな町で育ちました。学校へ行き、友達と遊び、妹たちとケンカし、とても『ふつう』でした。

 ところが、私が15歳になった時のことです。地元のコミュニティのメンバーが私の両親のところへ来て、私を地域の“achievement award(達成賞)”にノミネートしたいと言いました。そのとき、両親はこう言いました。

 『とてもありがたいお話ですが、ひとつ明らかな問題があると思います。彼女は何も“達成”』していないと思うんですが』と。

 私は学校に行き、良い成績を収め、放課後は母の経営するヘアサロンでのんびりとお手伝いをしていました。そして『吸血キラー聖少女バフィー』や『ドーソンズ・クリーク』といったテレビドラマをよく見ていました。

 両親が言ったことはまったく正しかった。私は『ふつう』以上のことを何もしていません。何ひとつとして。障害というものを、平均以下の状態であると見なさない限り、“達成”と言われるようなことは何もしていなかったのです。

(中略)

 数年後、私はメルボルン高校で2年目の教師生活を迎えていました。法律に関する11年生向けの授業で、1人の男子生徒が手を挙げて、私に尋ねました。

『先生、いつになったら講演を始めるんですか?』
『何の講演?』私は訊き返しました。

 すると、『何か、感動するようなスピーチですよ。車椅子の人が学校に来たら、ふつうは人を感動させるような話をするものでしょう? たいてい大きな講堂でだけど』。

 学生のこの言葉が、私が自分に向けられている“まなざし”に、気付くきっかけになりました。その生徒が今まで出会った障害者はみな、『感動的な話をする人』という存在だったのです」

「感動ポルノ」という刃

 これは、ステラさんが、2014年6月に、Ted ×シドニー(プレゼンテーションをテーマにしたカンファレンス)において、「I’m not your inspiration, thank you very much(私はみなさんの感動の対象ではありません。どうぞよろしく)」というタイトルの講演の中で、話したこと。

 彼女は世間で流布されている「感動的な障害者」のポスターやエピソードの事例を示し、「感動ポルノ(inspiration porn)」という言葉で社会における“障害者の役目”を説いた。

・“ポルノ”という言葉を使うのは、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているから。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしている。

・健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いする。自分の抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするために。

・「自分の人生はうまく行っていないけれど、もっとひどい人だっているんだ」と思わせるためのもの。「あんな大変な人もいるんだ」と。

・私は「障害者」という言葉を意図的に使ってきた。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているから。

……こう感動ポルノたる所以を説明した。

 そして、講演の最後をこう締めくくった。

「障害が例外としてではなく、ふつうのこととして扱われる世界で生きていきたい。部屋で『吸血ハンター 聖少女バフィー』を見ている15歳の女の子が、ただ座っているだけで何かを達成したと思われることのない世界に生きたいです。

 障害そのものは、何も特別なことではありません。でもあなたの障害に対する意識について考えることは、あなたを特別な存在にします。ありがとうございました」

 感動ポルノ―――。

 これほど多くの人たちを後ろめたくする、悲痛な悲しみに満ちた言葉に、私は出会ったことがない。

「もっとさ~、普通に扱ってよ。別に私たちは、みなさんを感動させるために存在してるわけじゃないよ。普通に生きてるんだよ。みんなだって、そうでしょ?」

 そうステラさんは訴えたかった。

 感動ポルノという言葉から、「私たちに同情しないでよ!」という怒りが、肌にビンビンと突き刺さる。同情は、自尊心を傷つける刃だ。そして、感動もまた、刃になる。「あなたに勇気をもらった」「あなたはすばらしい」」――。そういった障害への“まなざし”こそが、障害者にとっての「障害」を産んでいたのである。

「勇気をもらった」の裏に存在する優越感

「ボクの願いはたった1つ。この競技を1つのスポーツ競技として見て欲しい。パラリンピックを純粋にスポーツだと評価し、楽しんでくれるお客さんで競技場を埋め尽くしたい。

 ロンドンパラリンピックは、ファンが純粋にスポーツを楽しむ感覚で観ていたからこそ大成功を収めた。ボクが金メダルを取っても、日本ではテニス選手として評価されるんじゃなくて、障害者が車椅子テニスをしてまで前向きに頑張っているのが偉い、感動する、と言われてしまう。どこか同情の対象なんですね」

 かつて、テニスの国枝慎吾選手も、こんなコメントを述べた。

 国枝選手の活躍が、日常のスポーツコーナーで報じられることは限りなく少ない。5月末に日本で初めて開催された、車いすテニスの国別対抗戦「BNPパリバワールドチームカップ車いすテニス世界国別選手権」の扱いも、めちゃくちゃ小さかった。

 その一方で、「世界の国枝を追う!」なんてタイトルのドキュメンタリーでは(←私が勝手につけた架空のタイトルです)、感動ドラマが描かれる。

 なぜ、彼らの「がんばり」ばかりにスポットを当てるのか? 元気をもらった、勇気をもらった、と私たちは彼らが壁を乗り越えようとする姿に感動するけど、壁って何なんだ?

 「あんな障害があるのに……」と、「壁=身体の障害」としているのではないか。

 「自分の抱えている問題は、彼らに比べたら大した困難ではない」と、思い込むための“感動ポルノ”。そうなのだ。感動ポルノは、社会のあちらこちらに存在しているのである。

“温かい”まなざしに潜む冷やかな刃

 私は大学院に在学中に、「障害をもつ人の意識と、障害者に対するまなざしを比較分析した調査」を行ったことがある。ちょうどドラマのなどの影響でバリアフリーという言葉が市民権を得た時代で。障害者と共に生きるということが、散々言われた時代だった。

 そんな社会で、人々の障害への“まなざし”と、障害者が感じている“まなざし”を比べることで、障害者の生きづらさを知るのが目的だった。

 調査では、同じ質問を一般人(非障害者)と障害者に問い、「ある」「ない」で回答してもらった。その結果、

・障害者は、「かわいそうだと哀れむような雰囲気」
・障害者は、「結婚できないという考え方」
・障害者は、「親の役割を果たせないという考え方」

に関して尋ねた3つの質問では、障害をもつ人々のほうが、一般の人より「ない」と答える傾向が強かった。

 一方、

・「障害者1人ひとりのよさを尊重する考え方」

に関する質問には、一般の人々のほうが障害をもつ人々より、「大いにあると思う」と回答する傾向が強かったのである。

 2005年に同様の調査を実施したときには、これらの結果から、「障害者への温かいまなざしが一般人にある」と考察した。

 が、今改めて調査結果を見直してみると、この温かさこそが、感動ポルノそのものなんじゃないかと。ごく普通の少女を、青年を、大人を、障害があるだけで「特別な人」扱いする。そのまなざしこそが、障害者にとっての最大の「障害」になっていたのだ。

障害者だけの問題ではない

 障害学(disability studies) ――。

 これは、1982年にアーヴィング・ケネス・ゾラたちによってアメリカで創始された学問で、その後イギリスでもマイケル・オリバーを中心として大きく発展し、日本では2000年代に入ってから、徐々に広められている。

 私の専門の健康社会学は、個人と環境の関わりにスポットをあて、健康(単に病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態)について考える学問だが、障害学も同じように社会モデルに基づく。

 つまり、障害学とは、従来の医療モデルが「障害そのもの」にスポットを当てるのとは異なり、「障害を生み出す社会について考える」学問である。

 先日、日本における障害学の第一人者である、東京大学先端科学技術センターの福島 智教授のお話を聞く機会があった(教授は、3歳で右目、9歳で左目を失明、18歳のときに突発性難聴で失聴した、全盲ろう者)。

 福島教授いわく、「身体に障害を持つ人が、“障害者”と区別されるようになったのは、産業革命と大きく関係している」のだと。

 産業革命によって、大量生産構造に適合できる「歯車としての人」が誕生した。歯車としての人は、生産性を上げることだけを目的に存在し、短時間で、効率的に、いかなる要求にもこたえられる、バリバリ働ける「人」が標準になった。

「生産活動にプライオリティをおいている社会である以上、障害者は社会における“無駄な人”。より効率的、目的合理的に行う社会活動の潮流が進めば進むほど、その中で無駄だと見なされる人の位置はシリアスになりうる。どこまで社会を効率化する必要があるのか? 立ち止まって考える必要があるのではないか?」

 福島教授はこう訴える。要するに、障害者(=身体に障害がある人)という概念は、「正当に働けない人を見分けるためのものでしかない」のである。

 何が普通で、何が普通じゃないのか。何が障害で、何が障害じゃないのか。「個人」の問題とされている当たり前を、「社会」の問題とするとほのかな光が見えるように思う。ただ、闇は想像する以上に深く、早々に解決できるものではない。

 だが、上記の「障害者」という部分を、「高齢者」「病を患った人」「働きながら介護している人」「働きながら育児をする人」「外国人労働者」などと置き換えても文章は成立する。

 アナタの「まなざし」は何を見つめていますか? 私も今一度、考えてみます。 

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