ポケモンGOを少しずつ進めている。

 現在、トレーナーレベルが13で、ポケモン図鑑に記載したモンスターは51種類だ。
 ちなみにゲーム開始からの歩行距離は12日間で26.2km、捕獲したポケモンの総数はのべ291匹になる。

 面白いか、と?
 その質問に答える前に、ポケモンGOをプレイしているおっさんが浴びなければならない世間の反応の冷たさについてご報告しておきたい。

「えっ? いいトシしてポケモンですか?」
「ははは。スマホ歩きしてホームから転落したりしないように」
「あんなもの、どこが楽しいんですか?」
「お前ってああいうのに飛びつくタイプだったっけ?」
「そういえばうちの近所の公園にも、フラフラ歩いてる挙動不審の連中が真夜中までたかってるな」
「ああ、あれな。駅前のベンチのところに人だかりがしてるからなんかの宗教かと思った」
「で、もう飽きましたか?」

 まあ、半ば予想のついていた展開ではある。
 この種の突発的な流行に乗っかった人間が冷遇されるのは、いまに始まった傾向ではない。

 特に、それまで世の中に無かったものが登場したタイミングでは、必ずや「○○亡国論」式の言説が勃興することになっている。

 実際、われわれほど亡国論好きな国民は、ほかにいない。
 もし仮にこの国を滅ぼすものがあるのだとしたら、それは亡国論好きの国民性であるはずだと、私は半ば大真面目にそう考えている。

 というのも、亡国論を唱えるのは、何であれ理解の及ばない変化を嫌う人々で、この先、予測を超えた出来事が続くであろう時代に、いち早く没落して行くのは、そうした新しく登場したものへの寛容さを欠いた国家であるに違いないからだ。

 ウォシュレットも、紙おむつも、パソコンも、スマホも、それらがこの世界に登場したばかりの頃は、人間の自然な生き方を阻害し、子供たちの発育を捻じ曲げる悪魔の発明だってなことで、さんざんなバッシングを浴びたものだった。

 紙おむつに関しては、私自身、いくつかの週刊誌が「おむつ替えを通じて自然にやりとりされる母と子のスキンシップを阻害し、母子関係を致命的に破壊する」という主旨の反対キャンペーンを展開していたことをいまでも覚えている。ほかにも、「布おむつに残存する尿や便の不快さが自然に育んでいた赤ん坊の排尿・排便制御のトレーニングを台無しにする」であるとか「布おむつを洗濯することの手間が母親の自覚を促す」であるとか、「紙おむつは環境破壊の一大原因になる」といったあらゆる種類の糾弾の声が、およそ10年間にわたって執拗に繰り返されていた。

 私の世代の者は、紙おむつを子育てに利用した最初の世代だった。
 同時に、紙おむつを使うことを上の世代の姑や教育評論家や有識者や文化人にねちねちと非難され続けた母親の世代でもある。われわれが、マスコミ(特に週刊誌)報道を信用しない最初の世代になった背景にはそういうことがある。

 マスメディアは、新しいものの味方でもなければ、正しい者の擁護者でもない。

 彼らは、単に数の多い人間たちの声を代弁しているにすぎない。そして、何であれ新しいものは、それが登場した時点では、異端の外形を纏っており、一方、多数派に属する人間たちは、常に新しい異端を排除する審問官の立場でものを言うことになっている。

 ポケモンGOによる、「スマホ歩き」が社会問題化しつつある折も折、産経新聞の大阪版に、こんな記事(「娘のために車でポケモン探し、女子高生2人はね逃走…ひき逃げ容疑で47歳男を逮捕 兵庫県警(こちら)」 )が載ったのだが、思うに、これは「ポケモンGOのブームを揶揄するブーム」に乗っかった一種の便乗記事だ。

 本文を読むと、ひき逃げをしたとされる容疑者自身は、ポケモンGOをやっていたわけではない。とすると、この事件は、「ポケモンGOに熱中した結果運転がおろそかになった」という、読者が抱くであろう予断とは違うものだ。

 が、見出しでは「ポケモン」が主役になっている。つまり、父親が「ひき逃げをしたこと」よりも、「クルマを運転することになった理由」の方に力点が置かれているわけだ。

 これはおかしい。
 私は、新聞社のデスクが、ポケモンGOの流行がもたらす弊害を過大に見せかけるための印象操作として、見出しに手心を加えたというふうには思っていない。これは、そこまで悪質な見出しではない。

 デスクは、むしろ、現在世間の注目を集めている「ポケモン」という4文字を見出しの中に掲げておいた方が、読者の食いつきが良いに違いないと考えて、こういう見出しを打ったのだと思う。

 たとえばの話、ひき逃げをした父親が、娘の塾通いや母親の病院への送迎のために運転をしていたのであれば、デスクはわざわざ父親が車を運転した理由を見出しに含めなかったはずだ。

「妻の買い物のために車でコス●コ探し、女子高生2人はね逃走……ひき逃げ容疑で47歳男を逮捕」
 という見出しは、いかにも変だ。

 ついでに言えばだが、私はこの見出しの中にある「女子高生2人はね逃走」の部分も、「女子高生」という言葉に誘引される読者を意識したフレーズなのではなかろうかと疑っている。
 少なくとも、はねられたのがおっさんだったら、デスクは、その旨をわざわざ見出しに反映させなかったはずだ。

「娘のために車でポケモン探し、中年男性二人はね逃走……ひき逃げ容疑で47歳男を逮捕」

 デスクは色気の無い見出しを嫌う。彼らは、扇情的な言葉を好む。その意味で、盛り場の呼び込みに似ている。偏見かもしれないが私はそう思っている。

 もっとも、この見出しも、同じニュースを伝えた

「ポケモンGO帰りに女子高生ひき逃げ(こちら)」

 という毎日放送(MBS)のニュースのヘッドラインに比べれば、はるかに良心的に作られている。

 この言い方はあまりにもひどい。積極的に視聴者の事実誤認を誘導していると言われても仕方がない。これではまるで、女子高生がポケモンで遊んだ帰りにひき逃げをやらかしたみたいに聞こえる。

 私は、ご存知の方はご存知だと思うのだが、もともとコンピュータのゲームに縁の深かった人間だ。ライターとしてのデビューは、「マイコンゲームのためのリトルマガジン」と銘打って1984年に創刊された「遊撃手」という雑誌への寄稿記事だった。以来、しばらくの間「遊撃手」「コンプティーク」「朝日パソコン」などの雑誌を舞台に、ゲームをはじめとするパソコン関連の文章を書いていた。1992年には朝日新聞社から「パソコンゲーマーは眠らない」という単行本を出版している。

 なので、ファミコンの登場や、ドラクエ発売時の騒動、任天堂とSCEの間で繰り広げられたゲーム機戦争などなど、この30年ほどの間にコンピュータおよびテレビゲームの世界で起こってきた出来事は、ひと通り見てきている。

 したがって、ポケモンGOみたいなものは、やはり、なんとなく無視できない。
 長らくゲームの業界に関わっていた人間からすると、ポケモンGOは、この5年ほど、スマホベースの安易な課金ゲームに市場を蚕食されていた感のあるゲーム業界が、久々に放った大ヒットに見えたからだ。

 というよりも、古手のゲーマーである私の目には、スマホ上のゲームは、広告と結託している点でもスロットやガチャを回すことに課金している点でも、邪道に見えていたわけで、そういう意味で、ポケモンGOに対しては、実際に入手してプレイしはじめる以前から、すでに好意を抱いていたのかもしれない。

 無論、ポケモンGOが、旧来の「ゲーム業界」発のゲームであるのかどうかについては、議論が分かれる。むしろ、Googleというインターネットの世界を代表するガリバーと、ポケモンならびに任天堂というテレビゲームの世界の老舗が手を組むことで実現した新世代のAR(Augumented Reality=拡張現実)ゲームという見方のほうが一般的だろう。

 いずれにせよ、ポケモンGOの中には、伝統的なRPG(ロール・プレイング・ゲーム)の要素と、新機軸の地図情報援用アドベンチャーの要素が混在している。だから、プレイヤーの側から見れば、上記2つの遊び方以外にも、ポケポイント探訪アプリとして、あるいはレアポケモン採集ゲームとして、でなければ裏ワザ探求およびバトル必殺技のための情報交換ベースとして、多様な楽しみ方が許される。ある意味で完成度の低いゲームではあるのだが、その完成度の余白部分をユーザー自身が埋めていくことで成り立っているという意味で、ゲームというよりは、コミュニケーションツールに近い広がり方をしているのかもしれない。

 さてしかし、そのポケモンGOの一般メディアでの評判は、やはり、あまりよろしくない。

 さる社会派の漫画家氏が、7月下旬に放送されたテレビの情報番組の中で、

「こんなの愚かでしかない」
「(やっている人を)心の底から侮蔑する」
「道端の植え込みにいる虫にだって興味を示せばいいものを、そこを見ながら現実的じゃないものを探す。親はもっと楽しいことを子どもに提供する義務がある」

 と述べたことが話題になったのも、そんな評判のあらわれのひとつだ。
 この発言には、主にネット上で大きな反発の声が寄せられて、しばらく「炎上」みたいな騒ぎになった。

 私自身も

《特定のコンテンツを享受している何百万人もの人間をひとっからげに「心の底から軽蔑」するみたいなコメントを、よりにもよって何百万人の人間が視聴しているテレビカメラの前で言い放ったのが、まがりなりにもクリエーターと呼ばれる職業に従事する人間だったことに驚きを禁じ得ない。(こちら)》

 と、その発言があったその日のうちに感想ツイートを書き込んだ。

 いまになって振り返ってみるに、この人のこの発言が巨大な反響を呼んだのは、主として「心の底から侮蔑」という口調の強さによるものだ。

 テレビをはじめとする様々な媒体で、同じ趣旨の発言をした人間は、たくさんいるし、実際に、

「あきれちゃいますね」
「どうして日本人はこういうものに飛びつくんでしょうか」
「周囲が見えなくなる人たちがこれだけ出ている以上、何らかの規制を検討しても……」
「まあ、平和だってことですよ」

 といった調子の、揶揄や冷笑を含んだ否定的な声は、それこそそこら中に山ほど転がっている。

 おそらく、テレビ視聴者の多数派は、ポケモンGOの流行に対して冷ややかな感情を抱いている。
 件の漫画家先生がコメンテーターをつとめている昼の時間帯のワイドショーの視聴者ということになると、おそらく70歳以上の高齢者が相当数を占めるのであろうからして、ポケモンGOのようなものに対しては、はっきりと敵意を抱いていると思われる。

 彼の発言が炎上したのは、それがネット上に引用されて拡散されたからにすぎないのであって、テレビ視聴者の間での大勢の支持は間違いなく確保していると思う。だから大丈夫、彼は無傷だ。

 ポケモンGOのためにスマホを見ながら歩くことで、周囲に危ない思いをさせたり、ポケモンGOに熱中するあまり勉強や仕事がおろそかになることは、望ましいことではない。歩きながらスマホの画面を操作する「スマホ歩き」は危険だし、マナー違反だし、なにより見苦しい。

 スマホ歩きをしていないのだとしても、誰に見られているかもわからない路上や、立ち止まることさえもが迷惑になりかねない公共の空間で、非現実の空間に身をまかせるゲームに打ち興じることは、大人として恥ずべきマナーなのかもしれない。

 とはいえ、「過度な没入」が有害で、「身も心も奪われる」ことが周囲に迷惑を及ぼすのは、なにもポケモンGOに限った話ではない。釣りであれ写真撮影であれ、あるいは読書やスポーツであっても、やり過ぎれば、心身に害を及ぼすものだし、周囲を困惑させることにもなる。

 やりすぎがいけないなんてことは誰でも知っている。
 どんな食べものだって食べ過ぎれば害になるし、薬だって飲み過ぎれば毒になる。

 なのに、ポケモンGOに関しては、もっぱら「やりすぎ」の局面だけが問題にされる。で、それらは記事化され、有識者による警告の対象になり、テレビ番組の企画ネタになっている。そのくせ、テレビは、テレビの見過ぎによる弊害を決して語らない。雑誌の読みすぎがもたらす害毒にページを割く雑誌もない。

 不公正な態度だ。
 彼らは、見ようによっては、自分たちが提供しているコンテンツと受け手の余暇時間を奪い合うライバルであるゲームを、自分たちが提供しているコンテンツが備えている公共性を使って貶めるという世にも卑怯な手段を採用している。

 このことを踏まえて申し上げるに、わたくしどもゲーマーとしては

「ゲームの中の架空現実でなく、本物の現実に触れるべきだ」

 などというお説教を、テレビという架空現実の中で薄っぺらな提言を垂れ流しているあんたたちの口から聞かされなければならない筋合いはひとっかけらもありゃしないのである。

 ポケモンGOに興味を持っていない人は、どうかそれに興じている人々にかまわないであげてほしいと思う。

 個人的な見解を述べるなら、私は、ポケモンGOが万人にとって楽しいゲームだとは思っていない。

 ポケモン(「ポケットモンスター 赤・緑」)は1996年2月の発売だ。小学生時代にこのゲームに触れた20代後半から30代前半の男女にとっては、子供のころに慣れ親しんだなつかしいポケモンたちと、昔遊んだのとは違ったカタチで再会できるこのゲームは、何の留保もなく楽しい経験をもたらすはずで、実際、路上で立ち止まってスマホの画面をひっかいているのは、この世代の若者たちが多い。

 私の世代の者にも、トレーナーデビューを果たした人間がそこそこいるが、まあ、誰も「没入」などしていないし、ゾンビみたいに真夜中に歩いているわけでもない。

 なので、街で猫背になってスマホの画面を突っついている変なおっさんを見かけても、できれば、目をそらしてあげてほしい。彼らは、モンスターみたいなものではあっても、無害だし、それに、この国の経済を回転させることに貢献している。

 大切なのは、楽しめない人々や、楽しむつもりのない人間たちが、ほかの誰かが楽しんでいることを非難しないことだ。

 自分の好むものを他人に押し付けず、他人の好むものについてはそれを攻撃しないのが、大人として望ましい態度だ、と言い換えても良い。

 が、実際にこれができる人は少ない。

 職業柄なのかもしれないが、出版業界には、本を読まない人間を本人の前であからさまに軽んじてみせる人間が少なくない。私は、そういう人にでくわすたびに、なんとも悲しい気持ちになる。食べ物道楽の人間の中にも、味のわからない人間をバカにする人たちがかなりの度合いで混じっている。

 そうした彼らと引き比べて、われらゲーマーは、実にしおらしい。
 ゲーマーは、ゲームで遊ぶことを他人に強要しない。ゲームに興じない人間を軽蔑することもしない。
 ただ、放っておいてほしいと、静かに願っている。
 なので、たのむからかまわないでほしい。

 最後に、日本文学振興会が、ポケモンGO日本解禁直前に発表した広告の話題にリンクを張っておく(こちら)。

 他人の趣味を腐すことの醜さと、自分たちの趣味性を誇ることの見苦しさがみごとに表現されていると思う。
 これほどの自爆がほかにあるだろうか(文学か?)。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

乗り遅れるのも寂しいので
そっと後をついていきます…。

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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。