駅高架、駅南地区の区画整理と一体なった開発でJR大分駅前は大きく変貌。2015年4月16日開業、JR大分駅ビルは施設総面積約3万1千平方メートル、店舗数224。JR九州運営のアミュプラザで博多、鹿児島に次ぐ九州3番目の規模。<br />*備考 大分県による「JR大分駅付近連続立体交差事業」は第28回全国街路事業コンクールで最優秀賞の国土交通大臣賞を受賞。
駅高架、駅南地区の区画整理と一体なった開発でJR大分駅前は大きく変貌。2015年4月16日開業、JR大分駅ビルは施設総面積約3万1千平方メートル、店舗数224。JR九州運営のアミュプラザで博多、鹿児島に次ぐ九州3番目の規模。
*備考 大分県による「JR大分駅付近連続立体交差事業」は第28回全国街路事業コンクールで最優秀賞の国土交通大臣賞を受賞。

中活法改正から10年、コンパクトシティ政策を検証する

 2006年の「改正中心市街地活性化法(通称「改正中活法」)」制定から10年。国が進めてきた「コンパクトシティ政策」でこれまでに認定された「中心市街地活性化基本計画(以下、「基本計画」」は136都市・200計画にも上ります。しかし、その中で実際に成果を上げた事業はどれだけあるでしょうか。

 改正後の基本計画認定1号、2号となった富山市青森市は、ともにコンパクトシティの先駆けとして当時多くの注目を集めましたが、1期(5年2カ月)を終えていずれも結果が出ないまま、既に2期も1年を残すのみ。最新のフォローアップ報告でも中心市街地の通行量や小売業の商品販売額は下降の一途をたどったまま、目標の達成には至っていません。この10年、各地で巨費を投じ、「都市機能の集中」「公共交通の整備」「まちなか居住の促進」を推進してきたコンパクトシティ政策ですが、その先駆例さえ、いまだ理想とは程遠い現状です。

 この10年間、筆者は全国主要都市の中心市街地を数百カ所、実際に歩いて見てきました。その中で現に賑わいを維持、又は回復した例はごく僅かです。富山、青森をはじめ、数年にわたって追跡調査しているいくつかの都市では、様々な整備が行われたにもかかわらず、まちに人の姿はなく、むしろ衰退が進んだようにすら感じます。単に拡散した都市機能を中心部に集約するだけでは中心市街地は活性化しません。結果の出ない事業を続けても地域に未来はなく、この10年のコンパクトシティ政策を検証し、問題点を整理する必要があります。

 今回はまず九州から一例、実際に成果を上げた取り組みを例に検証してみます。2008年7月に基本計画の認定を受けた大分市は、4年9カ月に及ぶ第一期の事業評価で「活性化には至らなかった(計画策定時より悪化)」と結論づけました。そこから事業は第二期に入り、大きな転換点を迎えました。その転機とファクターとは果たして――。変貌したまちを歩き、事業の成否を分けたものを追いました。

2009年当時、九州の県庁所在地で最も疲弊していた大分市の中心市街地

(左)2009年10月、JR大分駅前(北側)、(右)2015年8月、同じ場所で撮影したもの。
(左)2009年10月、JR大分駅前(北側)、(右)2015年8月、同じ場所で撮影したもの。

 昨年6月、大分に出張した際、予期せぬものを目にしました。大分空港に到着しリムジンバスで大分市内に向かうと、JR大分駅前が大きく変貌していました。それはもう「ここはどこ?バス間違えた?」というくらいの劇的ビフォーアフター的な変化。以前はだだっ広いだけで閑散としていた駅前は洗練された空間に生まれ変わり、巨大な駅ビルが出現。そこを多くの人が往来していました。駅の北側に広がる中心市街地にも以前にはなかったにぎわいが見られ、まちの雰囲気がツートーンくらい明るくなった印象を受けました。

 大分市内に赴いたのは2009年から2010年にかけ、九州・沖縄8県の県庁所在地の中心市街地を一斉調査して以来。2012年にコンパクトシティ政策を検証するレポートを書き、しばらくこのテーマから離れていました。そこから6年、隔世の感がありました。大分市の中心市街地は当時歩いた中で最も疲弊し、かつ、まちとしての特徴や魅力に乏しいと感じた場所でした。

 左側の写真は2009年10月の大分駅北口の様子です。セントラルステーションであるJR大分駅には人の姿はまばらで、目の前を通る幹線道路、片側二車線の国道10号線で車はスピードを落とすことなく、駅などないように通過していました。同年3月、大分市の中心市街地では地上8階、地下1階建て、床面積1万2800平方メートルの大型スーパー「大分サティ」(売上約20億円)が閉店。駅前商店街には空き店舗が目立ち、すでにシャッター街と化した通りもありました。どこを歩いても歩行者の姿はほぼ皆無。まちは閑散としてアーケードに響くのはパチンコ店から放たれるけたたましい騒音のみ。これが人口47万人の中核市(人口20万人以上、政令市に次ぎ、特別な権限を与えられる都市)、県庁所在地の中心市街地かと愕然としたのを今でも覚えています。

 2015年4月、JR大分駅ビル「JRおおいたシティ」が開業、大分駅前の風景は一変しました。右側の写真は昨年撮影したものです。以前はなかった高層の建物が、地上21階、地下1階建ての新駅ビル「JRおおいたシティ」です。1~4階には床面積約 31,000平方メートルの商業施設「アミュプラザおおいた」、地上5~8階に立体駐車場、8階に屋上庭園を設置した大型複合商業施設、8~18階の高層階には190室を有するホテル、19~21階には地下700メートルから湧き出る天然温泉を使用する温浴施設が入ります。商業施設のテナント183店舗のうち119店舗が大分初出店で、ファッション関連の店舗数は九州でも有数のスケールを誇り、飲食店も県外の話題店や地元の人気店が集結。1階の駅コンコースには『大分らしさ』を感じさせるモニュメントや地域食材を使用したメニュー、全店に100円商品をそろえた居酒屋横丁等もあり、東九州に位置する大分、宮崎にはこれまでなかった巨艦店となっています。

 しかも注目すべきはこれが単なる駅前再開発に終わらず、駅から中心市街地へ人の流れを生み出していることでした。

表1 「大分市中心市街地活性化基本計画」の評価指標と目標達成度
表1 「大分市中心市街地活性化基本計画」の評価指標と目標達成度
出典:大分市中心市街地活性化基本計画フォローアップ報告
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 ただ、大分市の基本計画が他と比べ特に優れた面があったかと問われれば、正直、懸念はあっても成果が上がるようには見えませんでした。実際、第一期では成果を出せず終わりました。上の表は大分市の基本計画の評価指標と目標達成度の推移です。第一期は「小売業年間商品販売額」、「歩行者通行量」、「まちなか滞留時間」の3つの指標いずれの目標も達成には至らず、計画策定前の基準値(2004年度)も下回りました。

 第一期は2009年の大分サティの閉店に加え、2011年に床面積1万5000平方メートル、若者にも人気があった大型商業施設「パルコ大分店」(売上約40億円)が閉店。当時大分市の調査で市民が中心市街地へ行く主目的は「百貨店など大型店での買い物」が約7割を占め、「商店街等の個店での買物」は約2割に留まっていました。相次ぐ大型店の閉店により大分市の中心市街地はかつてない苦境に追い込まれていました。

 そのどん底からどう転換したのか。大分市における中心市街地活性化の取り組みから、転換点と要因を探ってみましょう。

大分市の中心市街地活性化の歴史と転換点

 大分市は人口約47.8万人(2016年5月)、県人口の4割超を占める東九州の中核都市であり、県庁所在地として「県都の顔」を持ちます。戦後は重化学工業を中心に発展、近年はIT関連企業が進出するなど、人口も増え続けています。JR大分駅の1日当たりの乗降客数は2005年度の16,832人から2014年度は10,476人に減少しましたが、JR九州管内では博多、小倉、鹿児島中央に次ぐ第4位を維持。旅客営業成績(駅取扱収入)でも第5位にあります。

 一方、都市の認知度や魅力度においては、全国的に知られる別府や由布院のようなブランド力はなく、「大分の顔」としてはやや力不足が否めませんでした。

 中心市街地の衰退が始まったのは例にもれずモータリゼーションが進展した1970年代半ば(昭和50年代)、郊外に大規模なニュータウンが造成されると都心の空洞化が進みました。大分市で「(旧)基本計画」が策定されたのは「まちづくり三法」が制定された2000年。しかし2006年までの7年間、中心市街地の居住人口はわずかながら増加したのに反し、土日の歩行者通行量は約3割も減少、空き店舗率の上昇は止まらず、事業は成果を上げられませんでした。

 ちなみに「まちづくり三法」とは2000年に「大店法」が廃止され、それまで大規模小売店舗の出店にあたって地元中小小売業者との間で行われてきた商業調整を行わないこととし、新たに制定された「大店立地法」。空洞化が進行する中心市街地の活性化を図る「中心市街地活性化法」、まちづくりの観点から大規模店舗の立地規制等を可能にする「改正都市計画法」の3つの法律を指します。

 ただ大店法の廃止は郊外の大規模商業施設の出店拡大を助長、郊外への人口移動に拍車をかけ、中心市街地のさらなる空洞化、いわゆる「ドーナツ化現象」を招きました。これを受けて制度は見直しとなり、2006年に中心市街地活性化法の改正等がなされました。その趣旨は、わが国がおかれた人口減少・超高齢社会の到来を見据え、様々な機能をコンパクトに集積、歩いて暮らせるまちづくりを実現。これまでの商業振興中心ではなく、街なか居住の推進や図書館や病院等の都市機能を集積、中心市街地を生活空間として再生するというものでした。

 しかし、認定1号の富山市はライトレール等「公共交通の整備」で路面電車の乗車数、様々な再開発事業で「街なか居住」人口では目標を上回ったものの、「賑わい拠点」に面した商店街はシャッター街と化し、日曜日の歩行者通行量は目標の3万2000人に対し、北陸新幹線が開通した2015年においても2万3595人で、基準値である2011年の2万7407人をも下回りました。

 ウォーカブルタウンの確立をコンセプトに、観光による活性化を掲げた青森市も、2011年東北新幹線「新青森駅」開業の効果は通行量や小売業の商品販売額には反映されず。青森市が63.7%出資し2001年に開業したJR青森駅前ビル、複合商業施設「アウガ」は経営難で、運営する三セクは24億円の債務超過に陥っています。地上9階、地下1階建て、地下から4階が商業施設、4~8階に図書館など公共施設、駐車場を有するこの施設は、いわば改正中活法が目指す機能集積の先駆例ともいえますが来館者数は年々減少し、2014年は400万人。そのうち「買い物客」は84万人、「公共フロア」は74万人、6割が駐車場など「その他」の利用で、来館者がまちに出て回遊する効果も表れていません。

 どれだけ機能を集中しようと、ドア・ツー・ドアでまちに人が流れなければ、どこにあろうと同じことではないでしょうか。

大分市の基本計画(第一期)2008年7月から2013年3月まで

 大分市は2008年7月に基本計画(第一期)の認定を受けました。事業期間は2013年3月までの4年9カ月。大分市では計画策定に際し、(旧)基本計画を検証し中心市街地の課題を整理、事業の実施体制等を見直すとともに市民ニーズを調査しました。その結果、(旧)基本計画の事業実施後、中心市街地に行く機会が「減った」と「少し減った」と回答した市民は58.5%、「買いたいと思う店が少なく商店街の魅力が減った」と回答した人は42.5%に及びました。これを踏まえ、大分市は「中心市街地の活性化」とは「中心商業地の活性化」であると定義。

 新たな基本計画の骨子は(1)大分駅の北側に「商業」、南側に「情報文化」という性格の異なる都心を形成、(2)2つの都心をつなぎ、(3)南北を回遊し楽しめるまちの魅力づくりを目指すというものでした。具体的には同市の長年の懸案であった大分駅を高架とし、駅南側の土地区画整理事業を行い、これまで分断されてきた南北の市街地をつなぐ街路を整備。駅南側には新たに複合文化施設等を整備するというものでした。

 駅高架と駅南区画整理等を一体的に行う「大分駅周辺総合整備事業」は1996年に計画がスタートしており、大分県が担う「大分駅付近連続立体交差事業」は2013年度中、大分市が担う「大分駅南土地区画整理事業」は2016年度中の完成を予定。事業には総額1900億円が投じられ、100年に一度のハード事業と呼ばれました。基本計画はこうした大規模なインフラの整備をチャンスと捉え、商業地をエリアマネジメント、その質と魅力の向上を図るというものでした。

 しかし第一期はテナントミックス事業による122店の新規出店や旧サティ跡で建物のダウンサイジングによる空きビル再生事業、年間150 日のイベント開催で周辺の通行量が増加傾向を示すなどで一定の成果は認められたものの、全体としては活性化には至りませんでした。事業終了後の消費者実態調査で「中心部に行く頻度」を尋ねたところ「増加した」と回答した市民はわずか6.6%、これに対し「減少した」は42.6%。また商業事業者へのアンケートで「活性化の動きを感じているか」という問いに「あまり感じられない」又は「ほとんど感じられない」と回答した事業者は57.3%に上り、「活性化の動きが感じられる」の23.6%を大きく上回りました。

 2011年は中心市街地のまちづくりを考えるワークショップや意見交換会などが行われ、事業者だけでなく市民からも様々な意見が寄せられましたが、それをどうまちづくりへ反映するかにつては明確な展望は描けていませんでした。2012年3月には駅周辺の全面高架が完了、周辺の区画整理や駅の南北を結ぶ道路整備も進み、新駅ビルの工事や駅北口広場の整備も始まりましたが、(旧)基本計画で指摘された中心市街地での基本計画の浸透や地域一体となった取り組みには至らず、事業は第二期へ入っていきました。

基本計画(第二期) 2013年4月から5年間、転機は?

(左)大分駅南土地区画整理事業、駅南の新都心拠点の複合文化施設「ホルトホール大分」、駅前広場、幅員100mのシンボルロード整備等 (右)今後、近世の歴史文化観光拠点と位置付ける「大分城址公園・府内城跡」だが、現状内部の主用途は駐車場となっている。<br />画像提供:公益社団法人ツーリズムおおいた
(左)大分駅南土地区画整理事業、駅南の新都心拠点の複合文化施設「ホルトホール大分」、駅前広場、幅員100mのシンボルロード整備等 (右)今後、近世の歴史文化観光拠点と位置付ける「大分城址公園・府内城跡」だが、現状内部の主用途は駐車場となっている。
画像提供:公益社団法人ツーリズムおおいた

 大分市の中心市街地において一つ大きな転機となったのは、2011年11月にJR九州が新しい駅ビルの概要を明らかにしたことです。その内容は地下1階、地上23階建て、総延床面積約11万3600平方メートル、店舗面積約3万1000平方メートル規模の複合商業ビルを2015年春にオープン、2年後に200億円の売上を見込むというものでした。ただその予想を上回る規模に集客拠点となることを期待する声がある一方、駅ビルの一人勝ちを懸念する声もありました。これ以前にJR九州が新たな駅ビルを建設した長崎(2000年)や鹿児島中央(2004年)では中心商店街の来街者と売上が大きく減少したことなど、地元のシンクタンクが発表したレポートで懸念が示され、計画の全容が未だ見えない状況で地域では期待と不安が入り混じっていました。

 そうした中で事業は第二期に入り、2013年7月には駅南側ににぎわい拠点となる複合文化交流施設「ホルトホール大分」が開館。初年度(9カ月間)は150万人、翌2014年度は目標とする200万人を超える来館者を得ました。2014年7月には施設に隣接する幅100メートルのシンボルロード「大分いこいの道」が完成。芝生広場やイベントスペースも有し、市民活動や憩いの場として利用されるなど一定のにぎわいを生みましたが、そのにぎわいをまち全体に広げることはできず。第二期1年目も目標の達成には至りませんでした。

 しかし2015年4月16日、ついに新たな大分駅ビル「JRおおいたシティ」が開業。半年間の1日の平均来館者数は平日で約6万人、休日は約10万人となり、大分駅では周辺市町村からの乗客数が前年比3割近く増加。大分駅の2015年旅客営業成績(駅取扱収入)は前年比109%となる一日平均1553万円に増加しました。オープンから1年、2016年3月末までの入館者数は当初目標とした1100万人を大きく上回る2420万人、売上高は224億円に達しました。

 同年3月「東九州自動車道(豊前IC~宇佐IC間)」が開通、福岡県と大分県を結ぶ高速インフラが整備されたこともプラスに働きました。大銀経済経営研究所の調査で「1年前に比べて中心部への訪問回数が増えた」と回答した人は隣接市で36%、国東半島地域で40%、東九州自動車道でつながる宮崎県延岡市でも3割に上りました。

 しかし、大分市の中心市街地にとって大きかったのはここにもう一つの要素が加わったことにあります。それが駅ビル開業から8日後、4月24日に開館した大分県立美術館の存在です。大分県立芸術会館の老朽化等に伴い、新たに整備される施設の建設候補地は大分市、別府市、由布市等で争われ、2011年5月、大分市が建設地に選ばれました。建設地があるオアシスひろば21周辺は大分県の「芸術文化ゾーン」に位置づけられ、芸術文化創造の拠点にもなっていることから他の機関等との連携や県民の利用しやすさで勝るとされました。

 筆者が訪れた昨年6月、美術館の壁面にはその夏開催予定の特別展「進撃の巨人展 WALL OITA」に合わせ、原作の大人気漫画「進撃の巨人」のキャラクターが描かれていました。時期を同じくして実写版映画の公開も予定されており、話題性は抜群。これだけで全国から客を呼べる魅惑的なコンテンツでした。8月の特別展に合わせ、JR大分駅では駅ビルに壁を乗り越えようとする超大型巨人の顔が出現。大分市商店街連合会も連携、駅前商店街各所に巨人を迎え撃つキャラクターのパネルや巨大ポスター、宙に浮かぶキャラクターを配置しました。

 また2015年7~9月、大分県は大規模なデスティネーションキャンペーンを行っており、同時期にアートフェスティバル「おおいたトイレンナーレ2015」も開催されました。大分県立美術館は当初の年間来館者数50万人の目標に対し、初年度64万人を記録。駅と美術館を結ぶ道沿いに位置する商店街では通行量が増加しました。

駅から美術館を結ぶルートの商店街の通行量が増加

2015年4月に開館した大分県立美術館<br />外観©Hiroyuki Hirai 画像提供:大分県立美術館
2015年4月に開館した大分県立美術館
外観©Hiroyuki Hirai 画像提供:大分県立美術館

 2015年11月13日(金)~15日(日)、大分市が中心市街地で行った通行量調査で、最も通行量が多かった地点はJR大分駅北口の「府内中央口広場(西側宝くじ売り場付近)」で、3日間の合計で前回調査比184%増、日曜日に限定すると242%という高い数値を示しました。また駅から大分県立美術館へ向かう道上にある商店街でも顕著な増加傾向が見られました。駅から北に伸びる「セントポルタ中央町」では調査した8地点中、6地点で通行量が増加。中には前回と比較し2~3割近い伸びを見せた地点が2カ所あり、「ガレリア竹町」でも美術館に近い2地点で増加が見られました。

表2 新たな大型施設の開業と利用者数等
表2 新たな大型施設の開業と利用者数等
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2015年6月平日昼間に歩く人が増えていた。市調査で通行量が増えた(左)古いビルや倉庫をリノベしたカフェなどが増えてきた「ガレリア竹町」、(右)週末ライブやファッションショーなど、活性化イベントも多数開催してきた「セントポルタ中央町」
2015年6月平日昼間に歩く人が増えていた。市調査で通行量が増えた(左)古いビルや倉庫をリノベしたカフェなどが増えてきた「ガレリア竹町」、(右)週末ライブやファッションショーなど、活性化イベントも多数開催してきた「セントポルタ中央町」

 一方、調査した41地点のうち19の調査地点で、3日通して通行量が減少。中心市街地にある11の商店街の中で効果を実感できた地域とそうでない地域が鮮明になりました。大分駅北側の商業地の真ん中には大分のメインストリートの「中央通り」が走っています。その西側には大分県立美術館という新たな「芸術文化拠点」ができ、駅からの動線となったことで通行量を増加させましたが、西側でも動線から外れたエリアや中央通りの東側など、その人の流れを商店街全体に回遊させるまでには至っていません。駅ビル開業1周年を迎え、大銀経済経営研究所が中心部の商店を対象にしたアンケート調査で、開業の影響を「マイナスと受け止めた店舗」は30.2%、「プラスと受け止めた店舗」は22.6%、半数近くは「プラスマイナスゼロ」と回答、評価は分かれました。

 しかし基本計画の第二期2年目、2015年度は「歩行者通行量」と「まちなか滞留」の2つの評価指標で目標をクリア、空き店舗対策による新規出店数は49店舗と目標である40店舗を大きく上回りました。事業の真の評価は小売業の年間商品販売額の数字等を見なくては早計にできませんが、新たに集客力を持つ新駅ビルと美術館の2点が生まれ、それを結ぶ動線が中心市街地に引かれたことで、そこに新たな人の流れを生み出したことは誰もが認めるところです。

 またこうした中で民間事業者の意欲の高まりも見えてきました。中心市街地でのイベント開催数も年々増えています。このような地域のやる気は2011年11月にJR九州による新駅ビル建設の概要が発表されて以降、次第に高まってきたといいます。そのベースにはJR九州の戦略があります。JR九州は駅ビル建設に150億円を投じ、大分の新しいランドマークとすることを目指すとともに「駅ビルの一人勝ち」ではない、駅を中心とした新たなまちづくりを志向、地元商店街などと連携した取り組みを深めてきました。

 JR九州は平成28年度までの中期経営計画「つくる2016」において「駅周辺のまちづくりを通じた鉄道利用の促進(鉄道沿線人口の維持拡大)」を明確な方針として打ち出しました。それに次ぐ「JR九州グループ中期経営計画2016-2018」ではこうしたまちづくりを通じ、連結営業収益を2015年度の3779億円から10年後には5000億円にするという戦略目標を掲げており、2016年5月には大分駅前では有料老人ホームを開業、2018年2月にマンション建設を予定しています。

 その戦略に基づき、地元商店街等との連携を積極的に進めています。「Theまちなかバーゲン」は、JRおおいたシティなど3つの大型商業施設と中心街にある5つの商店街が連携し、以前はバラバラに行っていたセールやイベントを一斉に行うものです。1カ月に及ぶ期間中、情報発信も一体的に行います。こうした企画を推進するのはJR等の施設と商店街団体、まちづくり会社でつくる「大分都心まちづくり委員会」で、委員会では駅を中心としたまちの魅力づくりについても議論を重ねてきました。

 2015年駅や商店街の中には「大分らしさ」を感じさせる郷土料理を提供する店も多く見かけました。外からの客を迎えるため、大分らしさとは何かを地域で考える中、そうした取り組みも生まれてきたものと考えられます。ハード整備はほぼ完了し、新施設オープンの効果も次第に薄れていく中、沈んでいた地域がどうしたら訪れる人に楽しんでもらえるかを自ら積極的に考え、工夫し始めています。今年は9年ぶりに「歩行者天国」の復活も決定しました。

 大分市は新施設開業による来街者の増加を一時的なものとせず、今後これをどう維持するか、取り組みが求められるという認識を示しています。今後は大分市だけでなく、東九州の中核、ハブとして周辺地域とも連携してイベントの開催や観光PRを行い、広域での集客を図りたいとしています。大分県は「大分県文化創造戦略」を打ち出しており、2018年度の「国民文化祭」や2019年の「ラグビーワールドカップ」の開催地に決定していることから、県との連携も図りながら、今後はスポーツ・文化プログラムの相乗効果も狙っていきたいとしています。

 大分駅北側、中央通りの東エリアでは「歴史文化観光拠点」と位置づけられた府内城跡(大分城址公園)内にあった大分文化会館の解体に伴い、現在利活用の検討も進めているところです。

旅で見つけたお気に入り(27)箱根・塔ノ沢の土木遺跡と美食グルメ
ふと思い出して食べに行きたくなる! 鯛ごはん懐石の「瓔珞(ようらく)」
瓔珞の名物、ランチメニューの鯛ごはんのセット「松花堂 鯛ごはん」には鯛のお造りや季節の料理を盛り込んだ松花堂、デザートも付いてくる。鯛ごはんは鯛の形の器に入っている
瓔珞の名物、ランチメニューの鯛ごはんのセット「松花堂 鯛ごはん」には鯛のお造りや季節の料理を盛り込んだ松花堂、デザートも付いてくる。鯛ごはんは鯛の形の器に入っている
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 一時活発化した火山活動も落ち着き、ロープウェーの運行や名物の黒たまごの販売も再開となり、そろそろ箱根に出かけてみようという方も少なくないでしょう。箱根といえば、すぐに温泉が思い浮かびますが、塔ノ沢にはわざわざ訪れたい美食グルメがあります。

 塔ノ沢温泉の入り口に建つ、鯛ごはん懐石の「瓔珞(ようらく)」は目の前を早川が流れ、店の窓からは2015年に国の重要文化財に指定された「国道一号箱根湯本道路施設」の土木遺産、「千歳橋」と「函嶺洞門」を見ることもできます。

瓔珞からは、(左)塔ノ沢温泉を流れる早川の流れや(中)(右)<a href=" http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p907721.html"  target="_blank">国の重要文化財</a>に指定された千歳橋と「<a href=" http://www.pref.kanagawa.jp/prs/p845344.html"  target="_blank">国道一号函嶺洞門</a>」の姿を眺めることもできる。 画像提供:箱根町役場
瓔珞からは、(左)塔ノ沢温泉を流れる早川の流れや(中)(右)国の重要文化財に指定された千歳橋と「国道一号函嶺洞門」の姿を眺めることもできる。 画像提供:箱根町役場
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 瓔珞の名物「鯛ごはん」は京都の名料亭「瓢亭」で修業したご主人が、お祝い事や神事で重宝されてきた鯛を使った料理として考案したもので、箱根山の天然水を用いた昆布だしで米を炊き、赤穂の天然塩で焼いた鯛の身をほぐしご飯と共に頂きます。

 一番人気のランチメニュー、鯛ごはんのセット「松花堂 鯛ごはん」は鯛のお造りや季節の料理を盛り込んだ松花堂、デザート付き。セットはランチのみで、なくなり次第終了となります。

 箱根で鯛?と思う方もいるかもしれませんが、店から車で15分のところには小田原漁港があります。小田原といえば、蒲鉾が有名ですが、相模湾には箱根や丹沢の豊かな森、川から豊富なミネラルや養分が注がれており、小田原沖では急に海が深くなるため、漁場では豊富なプランクトンが育ち、美味しい魚が採れるといいます。

 瓔珞で出される鯛のお造りは実に味わい深く、思わず「これすごくおいしい」と声に出してしまうほどの美味。とにかく出される一つ一つの料理のクオリティがとても高いので、思い出すといつも食べに行きたくなります。

 ランチセットではまず松花堂が運ばれ、それを食べ終わった頃に真っ赤な鯛の器に入った鯛ごはんが運ばれてきます。ふたを開けると頭の部分に香の物が、身の部分に鯛ごはんが入っていて目にも楽しいです。

 場所は塔ノ沢駅を降りてすぐ、近くには塔ノ沢温泉を流れる早川沿いに有形文化財の宿が並び、箱根湯本方面へは湯本温泉の入り口まで約600mほど。散策も楽しめます。

箱根・塔の沢 鯛ごはん懐石「瓔珞」
「小田原の魚」小田原の魚ブランド化・消費拡大協議会
土木学会「関東の土木遺産」
神奈川県「箱根・大涌谷情報」

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