「学校が死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃい」

 神奈川県鎌倉市立の図書館の公式ツイッターが、13時間で4万回以上もリツイートされたのは今からちょうど一年前。

If you feel like shooting yourself , don’t .Come library for help instead.

 米国の図書館に貼られている、ピストルを自分の頭に突きつけている男とその周囲に本がたくさん積まれているポスターに書かれていたフレーズを思い出し、図書館司書の女性はつぶやいた。

 夏休み明けに自分を追いつめる子どもが増えることを知り、「図書館には問題解決のヒントや人生を支える何かがあるよ」と、メッセージを送りたかったのだそうだ。

 平成27年版自殺対策白書によると、1972~2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別にまとめたところ、9月1日が131人で最多だった。春休み明けや大型連休明けも100人近い日があり、長期休暇が終わった直後の自殺が目立つ。

18歳までの日別自殺者数
18歳までの日別自殺者数
(出所:平成27年版自殺対策白書)
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 学校でしんどい思いをしていた子どもが「学校に戻ること」のプレッシャーに耐えられなくなったり、夏休み中に元気を取り戻した子どもが、「何も変わっていない現実」にショックを受けたり……。「生きていても仕方がない」、そんな風に自分を追いつめてしまうのである。

 ちなみに、2015年に自殺という悲しすぎる選択をした子どもは、小学生6人、中学生102人、高校生241人で(厚生労働省調べ)、全自殺者数の約2%を占める。また、10~14歳では死亡者数の約20%、15~19歳では約36%が「自殺」で亡くなっていて、15歳から39歳までの年齢層の死因のトップは、すべて「自殺」だ(平成27年版自殺対策白書)。

平成25年における死因順位別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率・構成割合
平成25年における死因順位別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率・構成割合
(出所:平成27年版自殺対策白書)
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 数年前、小学3年生の子がベランダで首を吊って自殺するという事件があった。まだ10歳の子が命を断つ社会。これは異常と言わざるをえない。

 本来、人間は「生きよう」とする動物である。必死で立ち上がり、何度も転びながら前に歩こうとする。3カ月微笑と呼ばれる赤ちゃんの愛くるしい笑顔も、人が社会の中で上手く「生きていくため」に、先天的に組み込まれていると考えられてるのである。

 だが、その生きる力を萎えさせるナニかが社会に存在し、子どもを追いつめる。

 「リストカットする子どもは誰一人として、最初からそういう子だったわけではありません。会社でストレスがたまった父親は、母親を家庭で怒鳴り散らす。ストレス社会でイライラした大人たちが、それを子にぶつける。その結果、子どもは傷つく。誰からも褒められたことがない。誰からも認められたことがない。そんな子どもは、自分を肯定することができません。自分は生きている意味がないと、自ら命を断とうとするのです」

 数年前に、自殺予防のシンポジウムでご一緒させていただいた「夜回り先生」こと水谷修氏はこう訴える。

 死にたくて死ぬ子はひとりもいない、と。学校の中だけの問題じゃないのだよ、と。社会の問題でもあるんだよ、と。

 そして、今回。ある女性教師の話を聞き、「自分を肯定することができず、生きてる意味を失う」のは、子どもだけではないと痛感した。

 先生を取り巻く環境の厳しさは、これまでも幾度か取り上げてきた。が、今までとは異なる“苦労”を伺ったので、今回は「先生の仕事とストレス」について改めてアレコレ考えてみようと思います。

新学期になると、突然連絡が取れなくなる先生

「9月1日は、私たち教師にとっても“魔の日”。学校に来なくなる先生がいるんです。昨年も、突然、連絡が取れなくなった先生がいて、結局、辞めてしまいました」

 こう切り出しだのは29歳の小学校の教師。今年から6年生の担任になった、とてもやさしそうで、かわいい、女性である。

「前にいた学校は比較的裕福な家庭の子どもが多かったんですが、今いる学校は貧困家庭が多い地域です。そういう学区があるとは聞いていたのですが、想像以上で。正直、ショックでした。

 例えば、給食のない日。お弁当を持ってこない生徒がいます。親に何度連絡しても、『わかりました。気をつけます』って言うんですけど、絶対に持たせない。子どもがかわいそうなので、私、自分のお弁当をたくさん持っていって子どもにわけています。

 でも、本当はいけないんです。最初、それを知らなくて。校長にひどく怒られました。『食中毒にでもなったら大問題になる』って。とにかく学校は徹底した事なかれ主義なので、余計なことはやっちゃいけないんです。

 夏休み中は、ほとんど毎日補講です。貧困家庭の子どもは塾に通っていないし、勉強する習慣がありません。低学年で授業についてこれなくなるので、高学年になっても困らないように夏休みを利用するんです。

 補講は午前中で終わりますが、そのまま残って自習する子もいます。なので、やっぱりお弁当が必要で。毎朝、大きなお弁当箱にたくさん詰めて、子どものために持っていきます。

 とても大変です。でも……、私はその時間が結構好きなんです。夏休み中のほうが、子どもと向き合える時間が増える。補講を担当するのも、やる気のある先生だけなので楽しいです。ものすごく大変ですけど、はい。とても楽しい。

 前の学校では、夏休みの補講はありませんでした。ほとんどの子どもが塾に通っているので必要ないんです。それよりも二学期の修学旅行とか文化祭とか、子どもが満足できるように準備してくれって、親たちから言われました。

 親たちはものすごい上から目線です。私は三流大学なので、親たちからの信頼も低かった。下手に勉強なんか教えてくれるな、って感じでした。

 でも、今の学校はちがいます。初めて親から感謝されました。モンスターペアレンツはいません。モンスターペアレンツは裕福な家庭の多い学校ではたくさんいるけど、貧困家庭が多い学校には不思議といないんです。

 多くの貧困家庭は片親です。シングルマザーが多くて、私と同年代か下というケースもあります。子育ての相談とかされちゃうんです。スクールカウンセラーが月に一回来るんですけど、親がカウンセリング受けています。仕事にも子育てにも必死なんだと思います。

 なので前の学校では、親との関係がものすごくストレスだったけど、そういったストレスは減りました。頼りにされてるなって感じることがありますし、そういうときは本当にうれしい。先生になってよかったって、今の学校に来て初めて感じました」

「結局、学校でできることってものすごく限られていて…」

「前の学校では、そういう気持ちになったことはなかったんですか?」(河合)

「……まだ、自分にも自信がなかったからかもしれませんが、楽しいと思ったことはあまりありませんでした。もちろん子どもと一緒のときは楽しいですけど、保護者がこわかったです。 職員室も行きたくありませんでした。なので、いつも教室にいました。でも、今がいいかというと、そうともいいきれません。この学校にはこの学校の大変なことがある。

 教師を困らせるモンスターはいませんけど、中にはやはりひどい親もいるんです。離婚しているはずなのに、家に行ってみたら“両親”揃っているなんてことも珍しくありません。母子手当をもらうためです。

 そういった家庭は生活も荒れていて、子も勉強を学ぶレベルにない。すぐに飽きてしまって『ゲームやりたいから帰る』とか言い出す。どうにかして普通に勉強する習慣くらいはつけさせてあげたいと先生たちもがんばるけど、結局、親が協力してくれないので、勉強させるのがすごく難しいです。

 去年、夏休み中に補講を一緒にやっていた先生のクラスに、とても手のかかる生徒がいました。家は悲惨で、家庭訪問しても居留守を使ってでてきません。

 その先生が新学期に突然、来なくなった。連絡が全く取れなくなってしまいました。

 嫌になってしまったんだと思います。私もそうでしたけど、自分が子どもの力に全くなれなくて、無力感だけが募る。結局、学校でできることってものすごく限られていて、先生という仕事に絶望するんです。

 クラスにはDVを受けている子どももいます。教師はそのケアもする必要があるんですが、ものすごく難しくて。明らかにDVだと思える場合は教育委員会に報告できますけど、子どもは隠そうとするし、微妙なケースが多いんですね。でも、何か事件が起きると、先生は気付かなかったのかって責められる。責められて自殺した先生もいると聞きました。恐い社会です。

 実は夏休みに補講を毎日やるのも、子どもたちを守るためだったりもするんです。

 前の学校のときは、長時間労働と親からのいじめで登校拒否になった先生がいて。今の学校は長時間労働と貧困家庭に絶望して逃亡しちゃう先生がいて。40代の先生たちはなんだか開き直って、淡々とこなしていて。30代の先生が少ないので、20代に負担がかかります。

 私、学校の役割がわからなくなることがあるんです。親から感謝されたり、子どもたちが勉強をがんばるようになるのはすごく嬉しいし、やりがいも感じますけど……。関われば関わるほど、自分の無力を痛感させられちゃって。今は同年代の先生がもうひとりいるので、なんとかがんばれているんだと思います」

 以上が、先生が話してくれたことです。

「バーンアウト=ウツ」という誤解

「がんばれている」

 彼女はそう語っていたけど、私はこの言葉に危うさを感じずにはいられなかった。実は彼女。待ち合わせの場所に、顔面蒼白で登場したのだ。

「電車に乗ったら、ちょっと気分が悪くなってしまった」と、彼女は説明したけど、今回が初めてではなかったのである。

 前の学校で遠足にいくときに、電車で具合が悪くなった。そのとき、他の先生たちに迷惑をかけてしまい、それから電車に乗るのが恐くなったと言うのだ。

 普段は車で移動するので、電車は利用しない。私のインタビューに応じてくれた日は、「もう大丈夫」だと思い、電車に乗った。

 が、途中で気分が悪くなり、休み休み来たというのである。

 トラウマ? 単なる疲れ? 緊張?

 具合が悪くなった理由は定かではない。ただ、彼女が身体を酷使しているのは明らかだった。

 補講に加え、さまざまな書類の作成、二学期の準備などに追われ、休みはお盆の間の3日だけ。普段も残業は当たり前で、家に帰ってからは、子どもとの交換日記にメッセージを書き込む作業をする。気がつくと机の上で寝ていて朝になったとか、何日も給食以外食べていなかったとか。健康的とは、口が裂けてもいえない生活を送っていたのである。

 彼女は“学校の今”を私に話しながら、どんどんと元気になっていったけど、彼女を支えているのは、親からの感謝なのかも、と思ったりもする。と同時に、このままではいつか燃え尽きる、と危うさを感じてしまったのだ。

 「燃え尽き症候群=バーンアウト」

 この言葉を知っている人は多いが、その対処策を知っている人は意外と少ない。もっとも大きな勘違いは、バーンアウトとウツを混同してること。

 バーンアウトは「燃え尽き症候群」という言葉が示す通り、疾病ではなく、あくまでも症候群である。ウツ病でもなければ、バーンアウトしたからといって、必ずしもウツになるわけではない。

 そもそもバーンアウトという言葉は、「ドラッグ常用者が陥る無感動、無気力の状態」を意味する俗語で、1974年に米国の精神科医で心理学者のハーバート・フロインデンバーガーが、彼が勤務していた職場で熱意あふれる同僚たちが、次々と熱意を失い、エネルギーを吸い取られるようにやる気を失っていく状態を見て、「これはどういうことだ……バーンアウトに似ているぞ」と、使い始めた。

 現在は、社会心理学者クリスティーナ・マスラークらの「マスラック・バーンアウト・インベントリー」がバーンアウト測定に広く多く使われ、その状態は次のように定義されている。

「長時間にわたって人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を示す症候群」

燃え尽きたエナジーは灰になっている

 つまり、ウツもバーンアウトも、どちらもストレスが原因で起こる症状だが、そこに至るまでのプロセスと、発症後の対処策が全く異なる。

 ウツが自分の置かれた状況や、遭遇した困難にうまく対処できず陥る状態であるのに対し、バーンアウトはいわば過剰適応。

 高い目標設定を成し遂げようと踏ん張り、いかなる試練にも真っ向勝負で立ち向かい、ひたむきに頑張り続けた結果、“尽きる”。

 燃え尽きる、という言葉通り、正真正銘、燃え尽きた結果なのだ。

 バーンアウト症候群に陥った人は、休息をとり、体力が少しでも回復すると、再び、厳しい環境に果敢に挑もうとする。

「今度こそは、うまくやらなきゃ」
と、それまで以上に躍起になる。

 が、どんなに頑張ったところで、エナジーは燃え尽き、灰になっているので戻ってくることはない。熱い思いとは裏腹に、それまで対処できていたこともできなくなり、ますます心身衰弱に陥ってしまうのである。

 燃え尽きを防ぐ、あるいは燃え尽きた状態から回復するには、それまでの仕事へのコミットしすぎた働き方を見直し、「これくらいでいいじゃないか?」と、自分を許す緩さが必要になる。また、多くのバーンアウト研究から、「一人きりで責任を背負うことのない職場」にすることの重要性が示唆されている。

 だが、新人であれ、20代であれ、「先生」は「先生」。いったん「先生」になった途端、余人をもって代えがたい状況に追い込まれ、“その先生”が対応しなければならない仕事に四六時中追われ、何か問題が起きると、すべて“その先生”の責任にされ……。仕事が好きな人ほど、真面目な人ほど、「子どものため」にと孤軍奮闘し、追い込まれる。

 専門家の中には、「バーンアウトは個人の問題ではない。その職場でのサポート体制の欠如が真の問題である」として、「労働環境病」と断言する人たちもいる。

 自治体はメンタルヘルスケアのプログラムを設けるなど、休職した先生の復職支援を進めているが、職場環境を変えない限り、先生は疲弊するばかりだ。

 長時間労働、モンスターペアレンツ、親の貧困、子ども同士のイジメ、etc、etc……。先生を追いつめる問題は後を絶たない。これも「イジメ」なんじゃないだろうか。

 死ぬほどつらい先生は、どこに行けばいいのだろう。学校って何なのだろう。先生って何なのだろう。子どもを守ろうとするなら、大人社会をどうにかしなきゃ。いつの時代も子ども社会は、大人社会の縮図だ。

 国会に提出されている 「チーム学校運営の推進等に関する法律案」が、解決の糸口になればいいけど、まさかこれでまた先生の負担が増える、なんてならないですよね? 月末から始まる審議を、みなさんも注視してみてください。

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