(©2016 TOHO CO.,LTD.)
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日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。

「日経ビジネスでシン・ゴジラ特集をド~んとやるんですけど、……河合さん、興味ないですか?」(編集担当Y氏)
「観ようと思ってたけど」(河合)
「じゃ、お願いします!」(編集担当Y氏)

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 というわけで、シン・ゴジラについて今回は書きます……、が、「書く」と編集者に言ってしまったことを少々後悔している。

 面白くなかった?

 いやいや、そういうわけではない。

 確かに観に行くまで、「本当に面白いのかな?」と内心疑っていた。なんせシン・ゴジラオフ会だの、シン・ゴジラ飲み会だのを催し、「アレは、コレは、ソレは」と意見し、「すごい映画だ!」と大絶賛しているのは、“男子”ばかりで。“女”の私が見て盛り上がれるのか? と不安だった。「シン・ゴジラ=怪獣映画」と高を括っていたのだ。

 しかしながら、シン・ゴジラは怪獣映画でも戦隊ものでなかった。完全なるヒューマン映画で、実に、面白かった。至極ストレートに、“人”が描かれていて、最初から終わりまで、そして原稿をこうやって書いている今も、“人”だけが私の脳内に浮かんでいる。

 じゃ、なんで後悔している、のかって?

 はい。小田嶋サンのコラム(巨災対の諸君、お家に帰ろう)を読んでしまったからで〜す!(と軽く言わせてください)

 私はこの特集が、“そういう”成り行きになっていることを全く知らなかった。しかも、ずぶの素人。私ごときがシン・ゴジラを語っていいのだろうか?と後悔しているのだ。 

 でも、やっぱり書きま〜す!だって、書きたいんだも~ん。(と、敢えて軽く言わせてください)

 “甘利大臣”のことを、片桐はいりさんの“すごさ”を、リアル社会の巨災対の“現場”のことを、無性に書きたい衝動に駆られている。

 おそらくこの「言いたくなる」ところが、シン・ゴジラのすごさなのだな、きっと。というか、だからこそ日経ビジネスもシン・ゴジラ特集をやってるんじゃないか!……私は何を今さら言っているんだ。

 なので「私の視点」は、人、です。数カ月前に取材訪問した福島第一原発の“現場”報告も交えながら、アレコレ自論を書き綴ります。

 ちなみに私は、自分でお金を払って観ました(苦笑)。MX4Dです。

甘利氏が出ているではないか!

中村育二さんが演じる金井内閣府特命担当大臣(©2016 TOHO CO.,LTD.)
中村育二さんが演じる金井内閣府特命担当大臣(©2016 TOHO CO.,LTD.)

 では、最初の“人”のお話から。はい、そうです。名演技だった“甘利大臣”について、です。

 いやはや何とも驚きました。豪華キャストとは聞いていたけど、甘利明氏が出ているとは知らなかった!銀幕の甘利氏も“名演技”でしたよ!

 って、ウソです。ホンモノが出ていたわけではありません。

 内閣特命担当大臣役の中村育二さんが、金銭授受疑惑で辞任した元経済再生相の甘利明氏にあまりにそっくりすぎて……。家に帰って「シン・ゴジラ 甘利」でググるまで、ことの真偽が気になって仕方がなかったのである。

 初対面の人が「この人誰かに似てるな~」って気になり始めると、話の内容がちっとも耳に入らないという経験はよくある話だが、今回はまさしくそれ。

 要するに、最初の官邸のシーンの記憶は、“甘利大臣”の顔しかない。

 その結果、

・会議というものは、所詮、結論ありきのものであること。
・偉い人たちは、前例のないことは絶対に認めないということ。
・偉い人たちは、働かない、考えない、動かないってこと。
・偉い人たちは、互いに守りあっているということ。

 

…といったイメージしか残らず、偉い人たちの“無能”ぶりが印象付けられた。おそらく、これは庵野秀明監督の狙いだと、私は理解している。

 だって、中村育二さんの所属事務所のページに掲載されている写真はこちら

 あまり似てない……。

 つまり、早口で会議の内容がわからないのだの、テロップが多くて読み切れないだの批判があるが、それらは「わからなくていい」。“甘利大臣”に釘付けになっていればそれでいいのだ。

 これらはすべて庵野監督の作戦で、当官邸の会議のシーンのテロップで「中略」もあったことから考えると、「偉い人たち」の生態こそが、監督が伝えたかったメッセージ。“ピーターの法則”がどこの企業にも存在するように、官邸にも存在する。とにもかくにも、“甘利”さん効果がすごすぎて、最初から画面に釘付けになった。

感激した、片桐はいりさんのおにぎり

片桐はいりさん演じる、お母さん的役割のベテラン官邸職員(©2016 TOHO CO.,LTD.)
片桐はいりさん演じる、お母さん的役割のベテラン官邸職員(©2016 TOHO CO.,LTD.)

 さて、次なる“人”は、わずか30秒程度の出演にも関わらず、圧倒的な存在感を示していた片桐はいりさんだ。

 ゴジラが暴走し東京が壊滅したあと、残ったメンバーで巨災対(巨大不明生物災害対策本部)を再結成。新たなゴジラ撃退作戦のため、連日連夜徹夜で働き続けるメンバーに、片桐さんがおにぎりを振る舞った。

 明確なクレジットは出なかったが(私の記憶では)、おそらく役柄は官邸内の食堂に長年勤める、みんなの“お母さん”的存在といったところだろうか。

 この119分の上演時間の中で、実にすばらしい、もっとも感激した30秒だった!それをいっそう引き立てたのが、次のやりとりである。

「家族がいる人もいるのに危険な場所にとどまって、寝る暇も惜しんで頑張ってくれています」
「この国はまだまだやれる」
(こんな文言だったと記憶している…)

 おにぎりの差し入れにより一拍入れるような穏やかな空気が流れた後、、矢口(内閣官房副長官)と志村(内閣官房副長官秘書官)が、力を得て先のように語ったのだ。

 そうなのだ。チームを支える“片桐さん”がいるからこそ、メンバーたちはふんばることができる。ミッションが明確で、誰かの為に戦っている現場には、必ずこういう縁の下の力持ち的存在がいる。

 以前、取材したある企業は、“すべて”のメンバー参加の社員旅行を行っていた。

 旅費は全額会社負担。その年の売り上げによって、日帰りだったり海外だったりさまざまだが、正社員、非正規社員、お掃除の方など、すべての人たちが参加する。

「同じ会社で働いているのだから、一緒に行って当たりまえ」

 創業時からの会社の方針が、何十年にもわたって、トップからトップに受け継がれた。誰もが知る、日本を代表する長寿企業のひとつであるこの会社では、社長からトイレをお掃除してくれている“おばさん”まで、みんな一緒に旅行に行くのが恒例だったのである。

 私の知る限り、元気な会社やチームでは、役職や役割、性別、年齢を超えて、「人」として接する瞬間を大切にする。いかなる人も区別することなく、ひとりの「人」として敬意をはらい、人と人のつながりに投資する。それがチーム力を高め、個人のパフォーマンスとモチベーションの向上につながることを、トップがわかっているのだ。

 そして、例外なくそういった企業のトップは、温かい。

 目にみえない力をきちんと評価できる、しなやかな心を持つ人だ。

変人に悪い人はいないし、みんな生真面目だ

 庵野秀明監督も、きっとそういう方なんだと思う。

 奥さんである安野モヨコ氏の漫画「監督不行届」では、“カントク”の超オタクで愛すべき生態を伺い知ることが出来る。

 結婚式で仮面ライダーのコスプレをまとい、出席した人たちに同人誌を配ったり、効果音などの擬音をすべて口にしないと気が済まなかったり、どんなに深刻な場面でも好きなアニメソングが流れた途端、なりふりかまわず大声で歌い出したり……。面白すぎる。

 庵野監督は大の風呂嫌いで、一年間ほど入らなかったこともあるという逸話の持ち主だが、その理由もこの漫画には描かれている。

 「お風呂に入るとやさしさ成分が流される。お風呂に入らなければ入らないほど、人にやさしくなれる」のだそうだ。

 んな、バカな(笑)。だが、こういうことを言う人だからこそ、“甘利大臣”を起用したり、片桐はいりさんを30秒だけ登場させたのだと思う。

 「天才はみな変人だった」というのが私の自論なのだが、“カントク”もやっぱり変人で、私はそういう人が大好き。変人は、確かに変な人だが決して人を傷つけることがない。自分も変だから、変な人を差別しない。でもって、変人は、大抵、メチャクチャ真面目な方。

 「真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ」との名言を残したのは文豪の夏目漱石だが、これまでみなを驚かせてきた庵野監督の桁外れの才能は、腹の底からの真面目さが引き出した。

 でもって、シン・ゴジラを止めたのも、巨災対のメンバーの無骨なまでの真面目さだったと確信している。

 と、いつになく、いや、いつも以上に自論を展開しているが、日経ビジネスの特集の趣旨が「私の視点」でのシン・ゴジラなので、お許しください。

ラストシーンで想起した福島第一原発

 いずれにせよ、いつの時代も、現場は「付加価値が流れる場所」だった。それを否定する人はいないはずだ。

 世界で認められている“日本のワザ”は、いずれも小さな町工場で、何十年にもわたって作業着に身を包んだ職人さんたちが、毎日同じ作業を繰り返す中で生まれている。ときには繰り返しの中で見つけた発見が“ワザ”につながることもあったし、ときには「こんなものが作りたい」と、毎日試行錯誤して、何十年もかかって生まれた“ワザ”もある。

 現場の人たちにとっては、社内の事情やら、出世やら、権力など関係ない。彼らにとって大切なのは、自分の仕事へのプライドのみ。現場には、いわゆる“オトナの事情”は存在しない。

 その“現場”が、シン・ゴジラのいたるところに描かれていた。それが、個人的にはメチャクチャ嬉しくもあり、心地よかったのである。

 ただ、映画のラストシーンは、不気味過ぎた。あのシン・ゴジラの無表情さこそが、私たちへの警告である。

 そうなのだ。アレはまさしく、福島第一原発。

 福島の“現場”は、“シン・ゴジラ”と今も戦っている。現場はシン・ゴジラを完全に止めることができるのだろうか。

 数ヶ月前、私は福島第一原発に入った。ラジオ局が定期的に原発内を取材していて、レギュラー出演している番組が私を取材陣に加えてくれたのだ。

 敷地に足を踏み入れ即座に感じたのは、「ああ、ここが現場なんだな」ということだった。

 7千人ほどの人たちが、自分たちの仕事を黙々と、ただひたすら真面目にやり続ける現場。

 さまざまな分野の技術者たちが、荒れ狂ったシン・ゴジラが再び動き出さないよう、必死で目の前の作業に全力を注いでいた。廃炉に何年かかるとか、原子力村とか、社会の評価とか関係ない。

 実に活気に溢れていたのである。

「この仕事を辞めようと思ったことはないですか?」

 こんな言い方をすると批判する人たちもいるかもしれないけれど、“現場”の人たちはとても明るくて、元気だった。

 行き交う作業員の方たちが「こんにちわ!」「ご安全に」と、明るく挨拶する。

 ご安全に―――。なんかいい。素直にそう思った。

 そして、現場には“片桐はいりさん”もいたのである。

 昨年5月に完成した大型の休憩所には大きな食堂があり、定食や麺、丼などの温かいメニューが、すべて380円で食べられる。大熊町内に作られた給食センターから、毎日運んで来るのだそうだ。

 作業員たちが手慣れた様子で、次々と定食を選んでいく横で戸惑っていると、
「カレーも美味しいけど、ポークジンジャーが今日のおすすめよ」 と、“片桐はいり”さん。

 ご飯は大盛りでたらふく食べることができる。お茶が置かれているが、こちらはセルフサービス。あちらこちらで作業員たちが笑顔で、ご飯を口に搔き込んでいた。

 コンビニもオープンしていたのでのぞいてみたのだが、やたらとスイーツが多い。「みなさん甘いものをよく買っていかれるので、増やしたんです」と、ズボンを履いた“片桐はいりさん”(店長さん)が説明してくれた。

 食後に作業員の方にインタビューしていいと許可が取れたので、

「この仕事を辞めようと思ったことはないですか?」

と、うかがってみた。すると、

「全くないです。一度もありません」

と即答した。

「この先もずっとここで働いていくのですか?」

「はい。事故前からずーっとここで働いています。この先もここで働きます」

 力強くこう答えた。彼らは自分たちの仕事に、誇りを持って働いていた。

でも、どこか違う。そう、何かが違う。

 現場には世界で誰もやったことがない、技術に挑もうとする空気があったし、おそらくこれが、“現場”で働く人たちのモチベーションになっていたように思う。

 本当に現場は、活気があって、働く人たちは明るくて、元気な“現場”のどこにでも漂う温かい空気が、そこにはあった。

 でも、どこか違う。そう、何かが違う。いったい何が違うのだろう……。

 原発内の見学を終え、Jビレッジに向かうバスの中で、広報の偉い方が、「桜の木があったのわかりました? 桜の開花予想とかも、作業員たちとやってるんですよ!」と明るく言った。

 が、その瞬間、なんとも言葉にし難い微妙な空気が車内に漂った。

 そうなのだ。この微妙な空気の正体こそが、“違い”だ。

 負の遺産を背負っていることを彼らは強く感じていて、無意識に無理して元気に振る舞っていたんじゃないだろうか。

 私たちはJビレッジで小さな線量計を付けさせられ、バスで移動して敷地内に入ったわけだが、“現場”の放射線量は極めて低かった。

 土の地面や斜面をコンクリートやモルタルで覆う「フェーシング」と呼ばれる取り組みの結果、線量は劇的に低下。外に出るときはヘルメットとマスクを付けるだけ。防護服を着る必要はない。

 ただし、原子炉周辺は別。特に3号機付近は放射線量が高く、外で作業する人たちは防護服。爆発でぶっ飛んだ建屋の屋根や、津波で曲がった柱は、テレビに映し出される景色と比べられないほど壊滅的。事故当時、この現場にいた人たちの壮絶な戦いは、私の想像する何千倍、いや何万倍も厳しく、しんどいものだったことが容易に想像できた。

 私はそれを見て、「本当によくやってくださいました。ありがとうございました」と、当時の現場の方たちに感謝した。

 その一方で、作業員の方たちが一言では語り尽くせない、苦悩と葛藤を抱えてながらこれまでの時間を過ごしたのだと痛感した。健康への不安を抱え、世間からのまなざしに耐え、罪の深さを十二分に感じ取りながらも、目の前の作業に徹してきた。それが、“シン・ゴジラ”が再び息を吹き返さないための最善の策。彼らには、前向きに作業すること以外、自分を肯定することができなかったんじゃないだろうか。

 そして最後に。

 私は震災のあと何度か福島に足を運んだ。

 原発で潤った町が、原発で壊れた。人がいなくなった村に、除染作業員たちがたくさんやってきた。

 村には至る所に、大きな黒や青色のビニール袋が積み上げられていて、それを見る度に、「人間ってなんて愚かなんだろう」と切なくなり、「人間ってなんて滑稽なんだろう」と悲しくなった。

 福島第一原発の現場には、今も4000人近くの福島県内の方たちが働いている。あそこで作られていたのは、東京の電気だ。シン・ゴジラのラストシーンは不気味だった。“現場”とシン・ゴジラの新たな戦いが、もう二度と起こらないことを、心から願っている。

読者の皆様へ:あなたの「読み」を教えてください

 映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?

 その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。

 その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。

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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)

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