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※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。

 「シン・ゴジラ」の中に出てくる首相官邸と思しき部屋の壁に掛けられている1枚の絵が話題になっている。日本画家の片岡球子(1905~2008年)が描いた富士山の絵が登場するのだ。

 時代劇では、太い松の木を描いた襖絵などのセットをしばしば目にする。だが、たいていの場合、描いた絵師の個人名までは想像が及ばない。幕府や大名家に仕えた御用絵師の狩野派っぽければ雰囲気は作れるので、それでいいといったところではないだろうか。ところが、「シン・ゴジラ」に出てくる富士山の絵が片岡球子の絵であることは、この画家のことをちょっと知っている人であればピンとくる。

 1978年以来、東京・池袋のサンシャインシティ地下1階のメインエントランスに片岡球子が原画を描いた富士山の陶板壁画があった(今年1月、同じサンシャインシティ内の西街区1階の表正面に移設されたとのこと)ので、そちらで図柄に親しんだ人も多いだろう。

 企業の社長室などに絵が掛かっているのはよくあることだ。もちろん社長が美術好きの場合もあるだろうが、一般的には絵の1枚もかかっていたほうが雰囲気がよくなると考えているからだろう。お偉方が集う首相官邸も同じような空間である。そうした意味で、「シン・ゴジラ」の首相官邸に絵がかかっているのは、極めてありえる光景を再現したと考えていい。

なぜ富士山なのか

 しかしそこに、たとえばムンクの《叫び》のような、病的な表現をした絵を持ってくるわけには、普通はいかない。ピカソの《泣く女》もあまり似つかわしいとは言えないだろう。その点、富士山の絵は素晴らしい。まず山自体が美しい。東海道新幹線に乗って富士山が見える場所を走っているとき、あるいは飛行機で富士山上空を飛んでいるときにスマートフォンやデジタルカメラで写真を撮ってSNSで披露する人は、筆者の周りにも多い。外国人の旅行客がカメラを向けている光景も時々目にする。

 「富士山は日本を象徴する存在」という捉え方に異論がある人も、あまりいないだろう。「霊峰」という言葉で修飾されることもある。葛飾北斎が描いた赤富士(《冨嶽三十六景 凱風快晴》)は世界的に有名だ。1940年、横山大観は、富士山の絵10枚を含む「海山十題」(全20点)というシリーズを完売した売り上げ50万円を陸海軍に寄付した。

 ほかにも前田青邨、横山操、梅原龍三郎などそうそうたる画家たちがたくさんの富士山を描いている。日本では美術品の売買は盛んだとは言いがたいのだが、富士山は昔から市場でも一定のニーズがある画題だった。

 近年は世界文化遺産にもなり、富士山の“格”は以前よりさらに上がっている。こう考えていくと、首相官邸に富士山の絵があるのは当たり前、あるいは理想的な姿にも思えてくる。

“受け入れられなかった個性”ゆえに選ばれた

 さて、ここで片岡球子について考える。ピカソなどを思い浮かべれば分かるように、近代以降の絵画界は世界的には個性が評価される時代である。ところが日本画の世界というのは少々“ガラパゴス”な部分があり、必ずしも際立った個性が評価されずにきた状況があった。

 しかし、片岡球子はその中で、なかなか個性的な画家だった。原色のような派手な色使いに、あえて稚拙さを出したような独特の造形。だからこそ、一目見て、彼女の作品と分かるのである。最終的には文化勲章を受章するまでの社会評価を受けているものの、帝展(現・日展)や院展に何度も落選したのは、個性が受け入れられなかったことも理由にありそうだ。

 一方、個性的なだけに、存在感が強い。「シン・ゴジラ」の中で首相官邸は何度も登場するが、そのたびに絵に目が行く。パワーを持っているのである。あたりさわりのない表現の日本画が現実にたくさんある中で片岡球子の作品が掛かっているのは、あえて「選んだ」結果だと推測できる。

女性の時代を象徴

 個性以外に選ばれた理由として考えられるのは、女性画家だったことだ。「シン・ゴジラ」では男性の配役が多くを占める中で、石原さとみ扮する米国人など、女性が重要な役割を果たす場面がある。もはや女性は社会の中で重要な役を担うべき時代である。片岡球子の場合は、絵を見ただけでは性別までは分からない。しかし、首相官邸の中で強い個性をもって訴えかける絵の描き手が女性であることは、女性の時代であることを暗示していると捉えてもいいように思う。

 日本の首相経験者にも美術好きはいる。絵を描く趣味がある海部俊樹さんや、陶芸家・画家として近年活躍している細川護熙さんだ。しかし彼らはレアケースだろう。概してそれほど深い愛着をもって美術に向き合っているようにも思えない。だからこそ、この映画で、女性画家による個性的な絵があることにピンポイントの主張を感じるのである。

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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)

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