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※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。

名越康文(なこし・やすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)にて、精神科救急病棟の設立、責任者を経て、1999年に同病院を退職。引き続き臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。写真は稲垣純也。

名越さんは歴代のゴジラ作品をほとんど見てきた「ゴジラファン」と聞きました。「シン・ゴジラ」を見て、どのように感じられましたか。

名越康文(以下、名越):もうね、大好きなゴジラで、それも庵野(秀明・総監督)さんが手がけるわけでしょう。見る前からワクワクして、見たらやっぱり面白かった。めちゃくちゃ面白かったというのが前提なんですけれど、この取材を依頼されない限り、もう一度見るっていう気が起こらなかったの、僕。

え、意外ですね!?私なんて数を言うのが恥ずかしいくらい見ちゃいましたよ。リピーター続出というのが「シン・ゴジラブーム」だと思うのですが…

名越:宝島社のムックに寄稿もしていたし、見る前は「3回は見よう」と思っていたんですが、1回見て何かちょっと疲れてね。何で疲れたんだろうと考えたんです。そこで分かったのは、僕はベタなゴジラが好きなんだと。

いわゆる、怪獣映画としての「ゴジラ」。

名越:そうなんです。庵野さんの作品もたくさん見てきて大好きです。「新世紀エヴァンゲリオン」とかも全部見ています。でもね、ゴジラを見るときは別の自分になるというか、子供に戻るんです。今、56歳ですが、ゴジラを見ているときは8歳とか10歳になっているわけです(笑)。「ゴジラ少年」だった僕から見ると、ゴジラがあまりにもアクションが少なかった。ゴジラのアクションがね。暴れたりないというか。

もともとのゴジラファンからは、名越さんと同じ意見の方も多いように感じます。

名越:「ゴジラ対キングコング」とか、ゴジラがモスラやキングギドラと対決する映画をずっと見てきた僕からしたら、やっぱりもっとアクションがあってほしい。ゴジラの格闘ね。

 でも、そういうのも言いづらいというか、言ったらいけないみたいな空気がある。だからあえて言うのですが。何かこう、ゴジラを哲学的に捉えて、日本の歴史に位置付けてのムーヴメントが大きい。シン・ゴジラはエンターテインメントとしては十分面白いのですが…。

シン・ゴジラは「警鐘」ではなく「パロディー」だ

哲学的に捉える面白さが、今作の人気にもつながったのではないでしょうか。

名越:そうなんですけどね。

 「かの国はいつも我が国に無理難題を押しつける」というシーンを見て「ああ、アメリカと日本の関係を表現しているんだ!」と言うのも分かります。でも、そんな関係って、何年も前から分かり切っていることでしょう、と。それをあえてゴジラで意味づけなくてもいい。わざわざゴジラでそれを訴えなくても、みんな分かっているわけで。

 「朝まで生テレビ!」を1回ぐらい見ていたらそんな話ばっかり出てくる。アメリカに対してNOと言えないとか、基地問題や思いやり予算、そんなのニュース番組で散々報道されているわけだから、二番煎じを庵野さんがするわけではない!と。あれは庵野さんなりの「パロディー」なんだと僕は思います。

警鐘ではなく、パロディーだと。

名越:あえて二番煎じを意識してやっているパロディーとして楽しんでいると僕は感じました。

 本作のゴジラは、福島第一原子力発電所の爆発事故の暗喩だとも言われています。原発問題のパロディーをやるとしても、まだ時期的にお笑いとかで扱える段階では全然ないでしょう。そういう時期に正面を切ってもじっちゃう。ゴジラというハードカバーに入れて、そこでパロっている。そこに無意識レベルでのトラウマの昇華という面白さがあると僕は思うわけです。

お笑いでは扱えないし、しかしゴジラを使わずストレートに扱うのも難しい。

名越:出口がないよね。

 だから、ゴジラという文化、あるいは権威を借りてパロディーをする。ゴジラってある種の重量感というか、しっかりした枠組みがある。その中で表現することによって初めて、パロディーができる。パロディーと言うと、何かバカにするという意味で捉えられるかもしれないけれど、そうではなくて、心にある重い状態をそうやって昇華、あるいはうっ散していくという働きがあると僕は思います。

 今の日本を俯瞰的に見られて余地を生じさせることができるというか。今の自分たちを笑うという、笑うといったって中二病的に笑うんじゃなくて、どこかワクワクしながら見る。何か変な皮肉とかそうじゃなくて、もっとドラマ仕立てに本気で楽しむ。それがこの作品にはあった気がします。そこをいわば楽しむことによってちょっと乗り越えていく。つまり今の自分を生きるということ、そのものになるわけでしょう。

 だから、警鐘を鳴らしているというのはダサい。ダサ過ぎと思います(笑)。

 そうではなくて、今を楽しんでいるというか、今の中で本当にドキドキする、リアリティーすれすれのフィクションなんです。別に教育的配慮なんて寸分もないよと。そういう意味で何が今リアルに楽しいのかというエンターテインメントを追求した形なのではないでしょうか。

震災から5年というのはベストな時期なのかもしれません。

名越:そうそう。

 何かのきっかけでふっと連想して、そういえばあんなんだったというのを思い出したわ!とかという話も出たりして。本当にギリギリなところというんですかね。みんながそれを自分の中に位置付けるのにはまだ全く時間が足りないので、不用意にその意味付けや客観視をやろうとすれば、バッシングも激しくなります。日本の場合は同調性が高いからすごいタブーですごいバッシングされる。しかし、一方ではみんな、自分の中にもう一遍5年前の出来事を位置づけたいという時期なのかもしれません。日本人はこういった象徴化やアート化して消化していくことに不器用です。でもそこに、ゴジラという屈強な枠組みを使えばある程度何でもできる。庵野さんのそういうバランス感覚がやっぱり素晴らしいですね。

 だから、ある意味批評を無力化できるぐらいの今がそこにあるという感じかな。安直な批判や批評、あるいは警鐘とかをくっつけるのは、何かすごくダサく感じてしまう。僕も今、ダサいことを言っているのかもしれませんけれど(笑)。

ゴジラは「かい離状態」にある

精神科医の名越さんから見て、ゴジラの精神状態をどのように“診断”しますか。

名越:別のインタビューでも答えたのですが、ゴジラは「かい離(解離)」という状態だと思います。

かい離?どういう状況なのでしょう。

名越:自分が自分であるという感覚が失われる状態ですね。症状例としては、気づいたら知らない場所にいて、そこまでたどり着いた記憶もない状態だったりもします。

 分かりやすく言うと「パニック」ですね。怒りが頂点に達した時って、パニックに近いでしょう。何の原因もなく怒り狂う。ゴジラはパニック状態なのではないかなと思うんです。

 1954年に公開された最初のゴジラも見ました。もう登場した時から怒り猛っているんです。水爆の光を見て狂乱して、それで東京の町を壊しまくる。光で眠りを覚まされた怒り、よみがえった恐怖。安らかに眠っているはずの眠りを妨げられたという、それでそこには強烈な衝撃があって、やっぱり生物種として恐怖を感じる。恐怖は怒りに変わります。それで光を見て、その水爆の光と見まごうて東京を壊しまくる。そういう設定だったと思うんです。

熟睡しているところですごい衝撃を受けて起こされたら、パニックになって当然です。

名越:外国の怪獣、西洋では怪獣というよりモンスターでしょうか。モンスターには怒る理由がある。例えばフランケンシュタイン。博士に作られてはじめは人間になろうと努力するけれども、みんなから嫌われる。最後に自分をつくったフランケンシュタイン博士を殺そうとする。これきちんと理屈があるんです。

たしかに、そら怒りますわ。

ゴジラは「かい離状態」と名越氏は診断する
ゴジラは「かい離状態」と名越氏は診断する

名越:きちんと理由があるんです。ではエイリアンはどうか。エイリアンも初めから怒り狂って人間を殺そうとする。初めは何でか分からないのですが、卵を産みつけるためだと後で分かる。エイリアンは種族の保存の本能のために人を襲っている。ここにもしっかりとした理由があるんです。

 世紀の駄作と言われたハリウッド版「Godzilla」の第1作目もエイリアンと同じで、卵をマジソンスクエアガーデンの中へ一面に産みつけるという設定でした。そうすると、これはやっぱりゴジラではない、エイリアンなんですよね。

なるほど。そうでないと視聴者が怪獣の怒りを理解できない。

名越:欧米のモンスターが怒る背景には、生命の本能に基づく動物生態学あるいは生殖の本能、つまりは科学的な知見に基づく理由づけがある。

 アメリカは生物学的なものが多く、ヨーロッパはもうちょっと文学的で、自分が社会の中で差別を受けるとか、あるいは自分がなぜこの世に生まれてきたんだろうという哲学的テーマ、なぜ私をつくったのですかという神に対する訴えみたいなものに基づいている。つまりは理由がある。

日本の、特にゴジラに関してはそれがない、と。怒る理由がない。

名越:そうですね。ゴジラ自身がパニックなので、なぜあれだけ怒り狂っているのかは、はっきり認識していない。いきなり暴れ狂っている。

妄想のまま話を進めます。ではなぜ、ゴジラはかい離状態なのでしょう。

名越:ゴジラがかい離状態に陥る背景には、日本の歴史が絡んでいるような気がします。

 例えば明治維新です。フランス革命のように、一般市民が血で血を洗うような蜂起があったわけではありません。薩長連合などのごく一部が幕府と戦争をして、いきなり世界が変わった。

 士農工商といった階級もなくなり、封建時代から市民平等の時代へ急に変わった。憶測ですが、国民全体の9割以上はその心理的準備も猶予もなかったはずなんです。なかったままで、あれよ、あれよという間に社会の制度が変わる。

気づいたら世の中が180度変わっている。

名越:太平洋戦争もそうです。昨日までは鬼畜米英と言っておきながら、終戦後、米軍が来たら、「ギブ・ミー・チョコレート」。アメリカを大好きになって、僕だってアメリカの音楽も映画も大好きですよ。終戦を迎えてからは急速に欧米化していった。

 一度も日本は革命が起こらないまま近代化されたのです。僕たちが主体的に国をつくろうとか国を変えようとかということは、機会も含めてほとんどなかった。

 なぜ大政奉還をしたのか。なぜ王政復古したのか。なぜ市民平等になったのか。なぜ民主主義なのか、なぜ欧米化が急速に進んだのか。みんな、よく分からないうちに物事が変わっていく。分からないままに、市民は器用に合わせていく。でも、心の奥底には解消されない疑問がずっと残っている。

 体と心、文化がもうばしゃばしゃにかい離したままで動いている。すごく象徴的に、すごく効果的に表現しているのがゴジラという形態であり、ゴジラという生命であり、その生命の歴史であるのではないかと。

 つまり、我々日本人はずっとかい離状態にあるのです。

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