今回は「過労死等」について書く。

 過労死等?
 そう、「等」だ。

「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」――。

 日記にこう綴ったひと月後の、2008年6月。大手飲食店勤務の26歳の女性社員は命を絶った。女性の残業は1カ月当たり100時間を超え、朝5時までの勤務が1週間続くなどしていた。

「昨日帰ってからなんか病んでもて仕事手につかんかった。家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」――。

 2011年6月。このメールを最後に、英会話学校講師の女性(22歳)は、自宅マンションから飛び降り自殺。女性は毎晩「持ち帰り残業」をし、睡眠時間は3時間の日々が続いていたと、金沢労働基準監督署は結論づけた。

「1日20時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな」――。

 大手広告代理店に勤務していた24歳(当時)の女性(高橋まつりさん)が、昨年12月に投身自殺したのは、直前に残業時間が大幅に増えたのが原因だとして、労災認定されていたことが、先週、わかった。

 女性は東京大学卒業後の昨年4月入社。本採用となった10月以降、業務が増加し11月上旬にはうつ病を発症。発症前1カ月の残業時間は約105時間に達し、2カ月前の約40時間から倍増していた。

 肉体的にも精神的にも限界をとっくに超え、苦しくて苦しくて仕方がないのに、健気にがんばりつづけた末の結末が、こんな形になるだなんて。いったい、同様の悲劇が何度繰り返されれば、長時間労働はなくなるのか? 

 高橋まつりさんの母親の高橋幸美さんは記者会見で、
「労災認定されても娘は二度と戻ってこない。過労死等防止対策推進法が制定されたのに、過労死は起きた。命より大切な仕事はない」
と訴えていたけど、何度もこういった事件が大きく報道されているのに、未来ある20代の若者たちが自ら命を絶つという、いたましい事件が後を絶たない。

 奇しくもまつりさんの事件が報じられた10月7日は、「過労死白書」が、初めて公表された日だった。

「過労死」と「過労自殺」は別物である

 この白書は、2014年に制定された「過労死等防止対策推進法」で義務づけられたもの。過労死遺族たちの「過労死をなくそ う」という活動がやっと実を結んだ末の法律なのに。過労死等の実態、長時間労働や職場のストレス、パワハラやセクハラの実態などが調査され、詳細に記されているにも関わらず、またもや過労死が起きた。

 その思いを知ってか知らずか、この白書を受け、ある大学のA教授は経済ニュースアプリ 「News Picks」に以下のようなコメントを投稿。

月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。(原文まま)

 投稿されるやいなやA教授のコメントはネット上に瞬く間に拡散され、

「過労自殺した女性を『情けない』と吐き捨てた」
「こういう人たちが労災被害者を生み出している」
「死者にむち打つ発言だ」

と、大炎上したのはご存知のとおりだ。

 翌日、A教授は「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」と謝罪コメントを投稿するも、大学側は公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを学長名で掲載し、A教授の処分を検討しているという。

 A教授が「100時間」という数字を取り上げた理由も(過労死認定基準は80時間)、何を持って「過労死」としたのか、さらには、どういった意味あいで「情けない」という言葉を使ったのかは定かではない。

 だが、どのような状況であれ、“過労死”を個人の資質に帰するような発言をすべきではないし、憤りを覚えている。その一方で、今回の一連の騒ぎでは「長時間労働」という言葉のもと、さまざまな問題が一緒くたにされ、事の本質がなおざりにされている危うさを感じた次第だ。

 だから「等」。そう。「等」なのである。

 「過労死等」とは……、

1.業務における過重な負荷による脳血管疾患若しくは心臓疾患を原因とする死亡
2.業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死
(これら脳血管疾患若しくは心臓疾患若しくは精神障害も、死に至らなくとも「過労死等」に含まれる)

過労死等防止対策推進法で、こう定義されている。

 1の「過労死」と2の「過労自殺」は明確に区分されており、高橋さんの場合は「過労死」ではなく「過労自殺」。どちらも「過労」による「死」であることに変わりないが、過労死と過労自殺は分けて考える必要がある。

限界を超えると、体は悲鳴を上げなくなる

 もし、A教授が使っている「過労死」が「1」の過労死を意味していたとしたら、「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」というのは、自己の肉体への過信である。

 国内外を含め多くの研究で長時間労働および深夜勤務と、脳血管疾患若しくは心臓疾患とは強く関連していることが認められている。週50時間を超える勤務で、リスクが高まるとする報告もある。

 また、過労死をする人が、疲れを自覚しないまま亡くなっている実態のメカニズムを解こうと行われたのが、“スーパーネズミ”の実験だ(参照記事:日経ビジネスオンライン2009年11月12日付「スーパーネズミはなぜ、死んだ」)。

 人の前頭葉には「疲れの見張り番」のような機能があり、アラームが鳴ると「疲れてますよ。休んでください。寝てください」と指示が出る。ところが、指示を無視して働き続けると、見張り番自体が疲弊し機能しなくなる。

 その結果、実際は疲労が蓄積し体は悲鳴をあげているのに、それが自覚できず「忙しいのに馴れた。睡眠時間が短いのにも馴れちゃった」という状態に陥る可能性がわかったのだ。

 そもそも「過労死」が日本で問題になり始めたのも、いわゆる働き世代の「突然死」がきっかけだった。

 1970年代の石油ショック期に、中小企業の管理職層で心筋梗塞発症が増加。1980年代に入ると、サラリーマン・労働者が突然、脳・ 心臓疾患で命を失うという悲劇が多くの職場で発生するようになった。

 そこで1988年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって、「過労死110番」を設置したところ電話が殺到。その多くは夫を突然亡くした妻で、それをメディアが取り上げたことで「過労死」という言葉が広まった。

 「過労死」には、長時間労働に加え、精神的な集中や極度の緊張を強いられる仕事、責任の重さ、自分のペースで仕事ができない、体調が悪くても休むことができないといった職場環境が強く関連する。

 ただ、ここでのポイントは、「長時間労働」と「脳血管疾患・心臓疾患」が、直接的に関係している点だ。つまり、「本人のやる気ややりがいに関係なく、長時間働き続けるだけで過労死する可能性がある」。

 フィリピンから来ていた技能実習生の男性が、2014年4月に従業員寮で心疾患のため27歳で亡くなったのが「過労死」と認定されたが、男性のひと月の残業時間は、78時間半~122時間半。「リサイクルショップに娘のお土産を買いにいくんだ」と同僚にうれしそうに話していた翌日、長時間労働が命を奪ったのだ。

 一方、「過労自殺」という言葉は、過労死問題に長年取り組んできた川人博弁護士によるもので、1998年に、自著「過労自殺」(岩波新書)の中で使われたのが始まりだった。

 川人弁護士の古くからの友人が、突然失踪。その3カ月後に自殺体となって発見され、その後の調べで、その職場では3名もの方が同時期に自殺していたことがわかった。これがきっかけとなり、川人弁護士は「過労自殺」が疑われる事案に、本格的に取り組むようになる。

労働時間を短くすればいいというものではない

 どの事案も、長時間労働、休日労働、深夜労働などの過重な労働による肉体的負荷、重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などによる精神的負荷など、過労性の脳や心臓疾患(=過労死)と共通した要因が自殺の背後にあることがわかった。その上で、川人弁護士は次の点を強調した。

「過労自殺の場合には、目標の達成ができないなどの行き詰まりから来る精神的なストレスの比重が高い。どの事例も、自殺の半年から1年前は長時間残業、休日出勤が繰り返されたことに加え、納期の切迫やトラブルの発生などにより精神的に追いつめられていた」と。

 そこで「仕事による過労・ストレスが原因となって自殺に至ること」を、過労自殺と定義。過労自殺は、多くの場合、うつ病などの精神障害に陥った末の自殺であるとしたのである。

 私の大学院での指導教官だった山崎喜比古先生は、厚生労働省などが主導するさまざまな職場ストレス研究のメンバーを務めていたので、川人弁護士のお話をよくされていた。

 「過労自殺」という言葉を作ったのは、すごいと。

 実例を追い、原因究明した川人弁護士しかできなかったことだ、と。

 それまでの研究が、
・職場の心理社会的要因や長時間労働とストレス症状の関係(心臓疾患、脳疾患、精神障害)
・精神障害と自殺との関係
と分けられていたのを、「過労」という言葉で職場と自殺を結びつけた。

 つまり、「過労自殺」は、単に「労働時間を短くすればいい」というものではない。本人を追いつめる「仕事上のストレス」も同じように考慮すべき問題なのだ。

 実際、長時間労働と精神障害との直接的な関係は「ない」とする研究結果も、少なくない(量的調査による統計的な分析)。

 ただし、“overwork”、すなわち「自分の能力的、精神的許容量を超えた業務がある」という自覚との関係性は一致して報告されている(「労働時間と精神的負担との関連についての体系的文献レビュー」藤野善久ら)。

 また、overworkには、実際の「長時間労働」が影響を与えることがわかっている。

 つまり、

「長時間労働」⇒「overwork」⇒「精神障害」⇒「過労自殺」

という具合に、長時間労働は「過労自殺」のトリガーになる絶対的に悪しき要因なのだ。

「見習い」「新人」時代を経験できない若者

「1日20時間とか会社にいると、もはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな」(高橋まつりさんのtweet)

「今から帰宅だが、どう見積もっても時間が足りないぞ?苦手なことがあると効率が悪くなりすぎるな…」(同上)

「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」(大手飲食店勤務の26歳の女性社員)

「家帰っても全力で仕事せないかんの辛い……でもそうせな終わらへんよな?」(英会話学校の22歳の女性講師)

 彼女たちのつぶやきを振り返れば、いかに彼女たちが“overwork”に苦しんでいたのかがわかるはずだ。

 重い責任、過重なノルマ、達成困難な目標設定などにより精神的に追いつめられ、長時間労働で肉体的にも極限状態に追い込まれる。

 過去10年で10倍も増えた過労自殺(未遂者も含める)をなくすには、「長時間労働」だけでなく、「職場のストレス要因」も除去しなければならないのである。

 そして、もうひとつ。近年、若者の過労自殺が増加している背景には、「組織社会化」、すなわち「適応の途中なのに、一人前の仕事を期待されている」という問題がある。

 組織社会化(organizational socialization)とは、「個人が組織内の役割を引き受けるのに必要な社会的知識や技術を獲得するプロセス」で、新入社員の組織社会化の最大の課題は「役割の獲得」である。

 会社で確固たる居場所を得て、自分がやるべきことを見いだし、自分の役割を獲得していくことで新入社員は組織に適応する。

 このプロセスには最低でも3年かかる。年功序列が当たり前で、人員的な余裕もあった時代には、組織社会化が自ずと行われていた。

 ところが、プレイングマネジャーが当たり前になり、人的余裕も、時間的余裕もなくなった現代社会では、新人はすぐに「一人前になる」ことが強要される。

 半年もたたないうちに、「ひとり」で仕事を任され、多大な業務を押し付けられる。取引先や顧客もかつては、「見習いさん」「新人さん」と多少の失敗も見逃してくれたのに、「新人とかなんとか関係ない。ちゃんと仕事してくれよ!」と厳しく接するようになった。

 この組織社会化過程の欠如こそが、若者たちを追いつめている。長時間労働が悪しきに昭和の遺物であるなら、組織社会化の欠如は平成の悪しき産物。「命より大切な仕事はない」のに、命が会社のためにないがしろにされている。

 「だったら逃げろ!」とオトナたちは言うけれど、「逃げる」エネルギーさえも奪われた末の自殺なんじゃないのか。

 どうか今一度、みなさんのまわりを見渡して欲しい。私が以前行った「新卒社会人の一年間にわたる追跡調査」では、いったんメンタルが低下した社員でも、「仕事に役立つ情報」を上司から頻繁に提供されるとメンタルが回復した。

 その仕事にどんな意味があり、どういったことが重要で、どのように進めればいいのか。縁の下の力持ちとなって、彼らが「役割を獲得」できるまで伴走者になってください。 そして、みなさんの「プロ意識」がどんなに高かろうとも、自身の肉体を過信しないでください。

■訂正履歴
文章の一部を修正しました。[2024/2/2 13:50]

本コラムの著者、河合薫さんによる「難題やプレッシャーを成長の糧にする!困難に打ち勝つ、若手社員育成講座」を開催いたします。

対象は、入社3~10年目の若手・中堅社員。“困難や難題に立ち向かう力”を身につけることを目的にしており、徹底的な内省により、「考え抜く力」と「やり遂げる力」を強化します。

■日時:11月29日(火)10:00~17:30(9:30受付開始)
■会場:エッサム神田ホール1号館 東京都千代田区神田鍛冶町3-2-2
■受講料:42,000円(税込)

講座の詳しい内容やお申込みはこちら から。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中

この記事はシリーズ「河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。