先週(10月27日)発売の「週刊文春」(11月3日号)に、昨年のレコード大賞に関する疑惑を告発する記事が掲載された。

 昨年のレコード大賞は、「三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE」(以下「三代目」と略称)の「Unfair World」が受賞したのだが、その選考の裏で、現金が動いていたというのだ。

 記事では、レコード大賞を受賞した三代目の所属する芸能事務所である「LDH」に対して、一部で「芸能界のドン」と呼び習わされている大手芸能事務所「バーニングプロダクション」(社長・周防郁雄氏)が、「年末のプロモーション業務委託費」の名目で1億円を請求していた事実を挙げており、その証拠として、株式会社LDH様宛ての額面 ¥108,000,000 の請求書の写真が添えられている。

 記事と写真を見て、私は、
「これは大変だ」
 と思った。

 音楽業界の腐敗を知ったからではない。
 そんなことは、いかな世情に疎いオダジマとて、先刻承知だ。

 ただ、レコード大賞の選考をめぐる疑惑について、領収書という証拠を伴った形で告発記事が書かれたことははじめてで、とすると、このニュースは巨大な反響を呼び起こすに違いないと考えたのだ。

「これは、大変な騒ぎになるぞ」

 と、であるから、私は、引き続きやって来るであろう巨大な後追い報道のメディア・スクラムにワクワクしつつ身構えていた。

 ところが、今年のはじめから立て続けにメディアを騒がせ続けてきた「文春砲」が、今回はどうやら不発だ。
 まるで続報が聞こえてこないのだ。

 これまでの流れからすると、文春砲の芸能スクープは、掲載初日のスポーツ新聞の一面を占領し、その日のワイドショーの番組テーブルを席巻するはずだった。

 で、翌日以降の情報ワイド番組のQシートも後追い報道で埋め尽くされるのが、これまでの定番の展開だった。
 ところが、今回に限っては、主要な商業メディアが、どこも後追い取材をした形跡が無い。

 テレビに関していえば、ほぼ完全に「黙殺」の体だ。
 シカト黙殺ネグレクト、無視知らん顔の見て見ぬふりの放置閑却あっち向いてホイってな調子で、とにかくテレビの中の人たちは、こんなエンガチョなネタにはさわりたくもないといった風情なのだ。

 どうしてこんなことになっているのだろうか。
 要するに、テレビは、この案件にシカトを決め込むことで、かの人が「芸能界のドン」であるという噂を裏書きしていると、そういうふうに受け止めてよろしいのだろうか。

 君たちは、その「裏の世界を支配するドン」の意のままに動く下っ端で、ということはつまり、君たちは丸ごと「裏の世界」の配下の人間だということなのか?

 バーニング関連のヤバげな噂や、ジャニーズがらみの面倒くさそうな話題や、ヨシモト周辺のキナくさいスキャンダルについては、とにかく見ざる言わざる聞かざるの一点張りで、ひたすらにアタマを低くして保身に走るのが、エンタメ雀の生きる道で、寄りかかった大樹の陰で長いモノに巻かれつつがんじがらめの緊縛地獄を耐えるのがオレら芸能ジャーナリストの知る権利ならびに表現の自由でございと、本気でそう大見得を切るつもりなのか?

 せっかく文春の記者が厄介な猫のクビに鈴をつけてくれたというのに、それでもなお鈴の音が聞こえないふりをして高樹沙耶案件の取材に走り回らなければならないほど、君たちは猫が怖いのだろうか?
 君たちはネズミなのか?
 それとも、ネズミの毛根に張り付いて余生を貪っているダニか何かなのか?

 私が今回書きたいのは、レコード大賞の腐敗そのものについてではない。
 腐敗にもレコード大賞にも、実のところ、興味は無い。
 ひからびた饅頭にカビが生えていようがいまいが、そんなことは私にはどうでも良いことだ。

 ただ、私は、芸能界についてささやかれているあれこれの噂が、いかにわれわれの「世間観」を毒しているのかについて、そろそろ真面目に考えてみる機会があっても良いはずだと考えている。

 だからこそ、テレビがレコード大賞の腐敗を報じないことの腐敗を掘り下げてみようと思った次第だ。

「しょせん世の中はカネとコネだよ」

 というセリフを、たとえば、背中に甲羅を背負った爺さんがつぶやくのならともかく、年端も行かぬ子供たちが口を曲げて繰り返している国があるのだとしたら、その国は、早晩活力を喪失して、30年後には世界の最貧国に転落していることだろう。

 若者たちが、自分たちの暮らす社会の(ある程度の)公正さを信じていないような国が、まともな経済成長を持続できるはずはないし、そういう国で育った子供たちが、まともな大人に成長するはずもないからだ。

 うちの国は、どうやらそういう国になりつつある。
 というのも、子供たちに「社会のあり方」を教える最も身近な教材は芸能界であり、若い人たちが、自分たちのロールモデルとして最初に思い浮かべる人間は、スターやアイドルだからだ。

 思うに、所属事務所からの独立を「恩知らず」「裏切り者」の所業と見なされて、業界から干され、自分の本名さえ名乗れない中での不自由な芸能活動を続けている「のん」こと能年玲奈ちゃんの苦境や、25年間にわたってトップスターの地位を守り続け、事務所に多大な利益をもたらしたにもかかわらず、事務所内の派閥争いのとばっちりを受けて、テレビカメラを前にしての理不尽かつ屈辱的な謝罪を強要されたあげくに、将来を閉ざされているように見えるSMAPの面々の無表情を眺めながら、この国の若い人たちは、組織に個人が対抗しても決して勝てないことを学び、上の者の命令に従わなかった部下がいかにひどい目に遭うのかを思い知り、どんなに理不尽な要求であっても、組織の指揮系統から下される命令には生命をかけても従わないと未来が閉ざされるという教訓をその身に刻みつけているはずだ。というのも、芸能界は、学校以外の世界を知らない十代の少年少女にとって、「社会」の実像をイメージするためのほとんど唯一の手がかりだからだ。

 もっとも、芸能界の腐敗そのものについて言うなら、どこの国のどんな種類のショービジネスであれ、多かれ少なかれ腐敗しているのだとは思う。

 興行の世界である以上、むしろ、隅から隅までご清潔で公明正大だったりするケースの方が珍しいのかもしれない。

 その意味では、この国で何十年も行ったり来たりを繰り返してそのあげくに、すっかり利権化してしまった賞の選考過程の一部に、ある程度の情実や癒着が介在しているであろうことは、いまさら文春が手柄顔で指摘するまでもなく、ほとんどの日本人にとって、あらかじめ見当のついていたはずのなりゆきだし、いまさらびっくりするような事柄でもない。

 だから、私自身、このことを取り立てて、嘆かわしくて涙が出るとか、こんなよごれた世界ではボクたちは生きて行けないだとか言ってしゃがんで泣きじゃくるつもりは持っていない。

 ただ、誰もが知っている国民的な人気アーティストについての、これほどあからさまな疑惑を、正面切って取り上げるテレビ局が、ひとつも出てきていない現状については、そこそこ大げさに嘆いてみせないといけないのではなかろうかと思っている。

 どの世界にも、他人を威圧することで我意を通そうとする人間はいるものだし、特定の賞の選考過程に不正な方法で介入を図る人間だっていないわけではない。

 いずれにせよ、そういう横暴な人間を、この世界からただちに根絶することはできない。
 ただ、報道機関で働く人々が、自分たちを威圧する組織や人間の存在について、報じることさえできないでいる現状は、看過して良い事態ではない。

 なぜなら、報道の萎縮は、社会そのものが萎縮する前兆であり、報道が腐敗していることは、社会が腐敗しつつあることの現れだからだ。

 彼らは、他人の腐敗はよってたかって叩く一方で、自分がかかわっている腐敗には頬かむりを決め込んでいる。
 そうしながら、70歳以上の高齢者で占められるほんの数人の「業界のドン」たちの一方的な指令に従って、今日も国民的アイドルや国民的スターの苦境に加担している。
 なんと醜い姿ではないか。

 どんな業界にでも腐敗はある。
 われわれ自身の周りにだって、注意深く探せば、それなりに深刻な無茶や横暴が発見されるはずだ。 

 ただ、レコード大賞をめぐる今回の疑惑には、それを伝えるメディア自身が関与している。
 ここのところが、今回の疑惑が、通常のメディアの取材対象となる業界の疑惑と、根本的に違っているところだ。

 言ってみれば、レコード大賞の疑惑は、それを伝えるメディア自身が招いた疑惑でもあるわけで、とすれば、これは、身内の犯罪と言って良い。
 メディアが、レコード大賞に関連する腐敗を伝えないことは、彼ら自身が、その腐敗の一部に取り込まれていることを物語っている。それどころか、彼らがこの疑惑を黙殺することは、これからも続くであろう芸能界の利権化とそこから漏れ出す不公正なカネとコネに、テレビ局ならびに芸能マスコミ自身が積極的に関与していく所存である旨を宣言していることを意味する。と、私は考えている。

 レコード大賞については、20年以上前から、とかくの噂があった。
 個人的になんとなく覚えているのは、私自身がまだ20代だった頃、岩井小百合というあまり名前を知られていない歌手が、なぜか新人賞を獲得した時のことだ。

「おい、このコは誰だ?」
「歌手なのか?」
「もしかして、誰かのマネージャーのコが代理で賞を受け取ってるとか、そういう話なのか?」
「まあ、大人の事情ってヤツだろ」

 と、当時、行き来のあった仲間うちでああでもないこうでもないと受賞の背景を憶測したものだった。

 いや、彼女については、単にわれわれが業界に疎くて、名前を知らなかっただけなのかもしれない。
 なので、この件について、これ以上深く追究するつもりはない。
 私は、なんの証拠をつかんでいるわけでもないし、当時不自然に感じた自分自身の印象すら、ほとんど忘れてしまっている。
 岩井小百合さんは気にしないでください。

 ともあれ、この頃から、私は、賞の行方への興味を失って行った。
 世間の大勢も、醒めた目で見るようになっていたと思う。

 実際、1990年代以降は、いくつかの事務所に所属する歌手やアーティストが、あらかじめ賞を辞退する旨を明言するようになって、レコード大賞の権威そのものが疑われる流れになっていた。

 21世紀に入ると浜崎あゆみ嬢が3連覇を果たす。

 と、私の中では、レコード大賞は、「ベストジーニスト」だとか「ネイルクイーン」だとか「ベストファーザー賞」だとかいった、業界にあまたある「賞を出す側の人間たちが、自分たちの業界の存在を宣伝する目的で、悪目立ちのする芸能人に金品を提供することを通じて、受賞イベントに記者を集めて乱痴気騒ぎを繰り広げる世にも恥ずかしいイベント」の一つに格下げになった。

 今回のことで、テレビが後追い報道するのかどうかはともかく、レコード大賞のありがたみが地に落ちたことはもはや疑いようがない。隠すこともできない。

 今年はなんとか賞を出すのだろうし、あと何年かは続行するかもしれない。
 でも、10年後には消滅しているはずだ。
 「ドン」と呼ばれる人たちも、その頃には誰一人としてこの世にいないだろう。

 あらかじめ合掌しておく。
 さようなら。

本欄担当者としては
とっても悔しいけれど、とても面白いです。

 全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『超・反知性主義入門』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『ザ、コラム』が晶文社より発売になりました。

 安倍政権の暴走ぶりについて大新聞の論壇面で取材を受けたりと、まっとうでリベラルな識者として引っ張り出されることが目立つ近年の小田嶋さんですが、良識派の人々が眉をひそめる不埒で危ないコラムにこそ小田嶋さん本来の持ち味がある、ということは長年のオダジマファンのみなさんならご存知のはず。

 そんなヤバいコラムをもっと読みたい!という声にお応えして、小田嶋さんがこの約十年で書かれたコラムの中から「これは!」と思うものを発掘してもらい、1冊にまとめたのが本書です。リミッターをはずした小田嶋さんのダークサイドの魅力がたっぷり詰まったコラムの金字塔。なんの役にも立ちませんが、おもしろいことだけは請け合い。よろしくお願いいたします。(晶文社編集部 A藤)

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