遺体安置所の経営に乗り出しているのは、民間企業だけではない。東京都内の寺院の中には、独自に霊安室を設置するところが現れてきている。

 東京都文京区本郷地区は、50カ寺以上が集まる寺町で知られる。江戸時代の明暦の大火の際、多くの寺院が移転してきたためだ。界隈を歩いていると、巨大な布袋像が目を引く寺があった。浄土宗・浄心寺である。浄心寺は境内に、地上3階建ての葬祭会館「さくらホール」を備えている。

浄心寺のさくらホール。バス通りに面し、人通りも多い。
浄心寺のさくらホール。バス通りに面し、人通りも多い。

 さくらホールの地下室に入ると、女性のすすり泣く声が聞こえてきた。

 8畳ほどの部屋の中央に、白いシーツでくるまれた遺体が横たわっている。4人の遺族が遺体を取り囲み、「お別れ」をしている最中だった。

1週間の保管はざら

 遺体はこの日の早朝、千葉県内の老人施設で亡くなった90代の女性だ。寝台車で浄心寺の霊安室に運ばれてきたのだ。遺族は臨終の場に立ち会うことができず、ここで対面を果たした。自宅はここからさほど離れていない文京区内だという。

 昔は人が死ねば、遺体は自宅に戻るのが通例だった。しかし、自宅に運び入れられない何らかの事情があり、火葬までさくらホールの霊安室に安置されることになった。遺族の心の整理は、まだついていないように見えた。

 浄心寺の霊安室は、前回に紹介した遺体ホテルの「そうそう」とは異なるタイプのものだ。

 「やすらぎの部屋」と書かれた霊安室の入り口を入ると、淡いさくら色の壁面の内側にストレッチャーで収納する仕組みだ。納棺された遺体もあれば、この女性のように生身のまま納められるケースもある。内部は摂氏3度を保つよう温度がきちんと管理されている。浄心寺では24時間体制で遺体の搬入を受け入れる。

 収容数は8体。筆者が訪れた時は5つが埋まっていた。入庫中の扉には札が掛けられている。札を見ると、一番古いのは4日前に運び込まれた遺体だと分かった。1週間程度の保管はよくあることだという。また、このあたりは、東京大学などを擁する文教地区であり、多くのビジネスエリートが住まう場所。親族が亡くなった時に家族が海外赴任中で、帰国まで「待ってもらう」ケースも多いという。また、芸能人や経済界の重鎮など、その死をすぐに公表できない一時避難場所として使われることもある。

 一方で、身元不明の孤独死体が運び込まれることもある。身内が見つかるまで、半月以上も入っていたことも過去にあったという。都会特有の事情を抱えた遺体が、この霊安室に運び込まれているようだ。

 浄心寺の住職、佐藤雅彦(58歳)は言う。

 「ここに運ばれてくる多くの方は文京区内の住民です。文京区には火葬場がなく、霊安室を備える寺院は、このさくらホールの他にありません。最近は死後、自宅でお通夜をすることが少なくなりました。火葬場も区内から遠く離れた場所です。生前過ごした故郷の地を死後、再び踏めないなんて。霊安室を造ったのは、うちの寺が死後、ひとときの安らぎの場所になればいいと考えたからです。地元の人が、地元で送られる。都会ではこんな当たり前のことすら、できなくなっているんです」

 だが、佐藤の理念に対し、社会は冷たく突き放す。遺体ホテルのそうそうのケースほどではないが、さくらホールの建設を巡っても、住民から反対の声が上がった。

 「霊柩車が出入りするのは縁起でもない」

 「遺体が部屋の窓から見えると、友達を自宅に呼べなくなるじゃない」

 極めつきは、「そもそも、お寺の墓が見えるのもイヤ」との声もあったという。

「死」を避ける都会人

 寺である限り、霊柩車や遺体が出入りすることは、至極当たり前のことだ。一昔前までは、檀家が死ねば寺が遺体を受け入れ、本堂で通夜や葬式を執り行ったものだ。だが、民間の葬祭ホールが出現し始めた1990年代以降、寺院葬は影を潜め、生身の遺体が寺に運び込まれることが少なくなってしまった。

浄心寺の葬儀会館地下にある霊安室。公表を遅らせるため、孤独死、火葬待ちと、使われる理由は様々だ
浄心寺の葬儀会館地下にある霊安室。公表を遅らせるため、孤独死、火葬待ちと、使われる理由は様々だ

 ここ寺町を形成する本郷地区ですら、寺院に遺体が運び込まれることの忌避感は強い。

 「人の死を見ないに越したことはない、というのが都会人の感覚なのでしょう」(佐藤)

 それでも、霊安室の存在意義を感じる出来事があったという。2015年春のことだ。

 ある高齢者の男性が施設で亡くなり、葬式の準備までの間、さくらホールの霊安室で保管されることになった。すると3日ほど経った頃、男性の後を追うように妻が亡くなった。結局、2人一緒に葬式をすることで「仕切り直し」になり、夫婦はこの霊安室で再会した。

 もし遺体を保管するところがなく、また遺族が直葬を選んでいれば、男性のほうはさっさと火葬されていた可能性があった。佐藤は、二人の遺体が霊安室で隣同士になれるよう配慮をしたという。

 ある時、佐藤は自殺した青年の直葬に立ち会ったことがある。佐藤が家族に「菩提寺はないのですか?」と尋ねると、「自殺は恥ずかしい。住職には言えたもんじゃない」と、菩提寺の住職に連絡を入れることなく直葬を選び、見知らぬ佐藤に読経を依頼してきたのだという。佐藤は、「死後のケアが疎かになっていることに危惧を覚えています」と憤る。

 「檀家と菩提寺との付き合いは、形だけのものになってしまっているのでしょうか。『葬式仏教』という批判があちこちで聞かれますが、その葬式や遺族のケアですら、十分にできない僧侶も少なくないと思います」

 死のケアが満足にできないのは、僧侶だけではない。たとえば檀家から最近、よくこういう訴えを聞くという。

 「生きている間は、お医者さんや看護師さんは献身的に面倒を見てくれました。ですが、臨終を迎えた瞬間から、命をなくした物体のように扱われ、病院の裏側からさっさと運び出されてしまう」

 たとえ入院中は手厚いケアを受けていたとしても、死後の遺体への接し方ひとつで、行ってきたケアの評価が崩れてしまうこともあるだろう。逆に言うと、死の前だけでなく、死の後にも思いを馳せ、寄り添ってくれる人がもっと増えれば、来る多死社会にも光明を見いだすことができるかもしれない。

=敬称略=(最終回に続く)

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無葬社会――彷徨う遺体 変わる仏教
鵜飼秀徳著/日経BP/1700円(税別)
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今後20年以上に渡って150万人規模の死者数が続く。
遺体や遺骨の「処理」を巡って、死の現場では様々な問題が起きている。
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『寺院消滅~失われる「地方」と「宗教」~』の著者、渾身の第2弾。

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