ビジネスで多忙を極める日本の30~40代は体力の低下が著しく、5人中4人が将来寝たきりになる「ロコモティブシンドローム」の予備軍とされている。パワフルに働き、50代以上になっても健康的な生活を維持するには、正しい運動、食事、休養を行うことが大切だが、誤った健康術にまどわされ、成果が出ずにいやになってしまうケースも少なくない。そこで、著名トレーナーの中野ジェームズ修一氏が誤った健康常識を一刀両断。効率的で結果の出る、遠回りしないための健康術を紹介する。
長時間のパソコン仕事に、車や飛行機などでの長距離移動。ビジネスパーソンは同じ姿勢を強いられ、体の柔軟性が損なわれてしまうケースが多い。1日の始まりである朝、ベッドから起き上がる時に筋肉の“こわばり”が気になることもある。
人間の筋肉は適切なケアをしていないと20代をピークに衰え、筋力はもちろん、柔軟性も失われる。そして少なくなった筋力で体を支えようとするから、筋肉が収縮したままになって血流が悪くなり、さらに体の柔軟性がなくなるという悪循環に陥る。その状態で強めの運動をしようとすると、思わぬケガを負うことにもなりかねない。
筋肉を柔軟にしたり、ケガを防いだりするために多くの人が思いつくのが、“ストレッチ”と呼ばれる体操だ。この“ストレッチ”という言葉は、60年代にアメリカで発表されたスポーツ科学系の論文で使われ始め、NFLやMBLの有名チームにストレッチングを指導した、ボブ・アンダーソンという人物が75年に出版した『STRETCHING』によって、世の中に広く普及した。
しかし、「一般の方を見ていると、実践するストレッチングの選び方で、大きな勘違いをしているケースがよくあります」と、トップアスリートから一般人までの体づくりをサポートしている著名トレーナー、中野ジェームズ修一さんは指摘する。
「ストレッチには“動的(ダイナミック)ストレッチ”と“静的(スタティック)ストレッチの2種類があります。一般的にストレッチと言った時、多くの人が行うのは、前屈やアキレス腱伸ばしなど、ゆっくりと筋肉を引き伸ばす静的ストレッチだと思います」(中野さん)
静的ストレッチでは準備運動には不十分
しかし、中野さんは「静的ストレッチだけでは、筋肉の張りを解消して柔軟性を取り戻すのには十分ではありません。また、運動前に行う“準備運動”としても、適していません」と言う。
「まず、運動前のことから言いますと、英語の『Warming Up(ウォーミング・アップ)』を準備運動と訳したことから、勘違いが始まっているのではないでしょうか。例えば、今の高性能な車には走り出す前の暖機運転、アイドリングはあまり必要ないかもしれませんが、古い車であれば必要だったはずです。それを人間の体に置き替えて考えてみてください。激しい運動を行う前には、筋肉の温度を上げる、つまり体温を高くして血流量を増やす。加えて、関節の動きを良くして可動域を増やすために、関節から滑液をよく出すことが必要です。加えて心拍数を上げて、心臓の準備をしなくてはいけません。ところが静的ストレッチは、筋肉を伸ばすことで一時的な柔軟性を確保して関節の可動域を広くしますが、心拍数や体温を上げて心臓の準備をすること、そして滑液を分泌させることにはほとんど役立たないのです」(中野さん)
つまり静的ストレッチだけでは、ウォーミング・アップの“ウォーミング”、「温める」の部分が欠けている。よく、ストレッチングで「血流がよくなって体も温まり、代謝も高まる」と言われるが、それはほんのわずかな変化。筋肉をゆっくり引き伸ばすだけでは、体を大きく動かす行為には敵わない。
車であれば部品を変えたりすることで補修が可能で、毎年発売される高性能の新車に乗り換えることもできる。しかし、我々の体は一つ。パーツを交換することも、体を新しいものにすることもできない。賢くメンテナンスしなければ、長く使うことはできないのだ。
ウォーミング・アップに最適な動的ストレッチ
40~50代のビジネスパーソンであれば、年式を重ねた車と同じ。60~70年代に作られた車種を想像すれば分かるはずだ。通常走行であれば普通に走れるとは言え、いきなりエンジン全開で動かせば、細部の部品にかかる負担が大きくなり、故障や破損の原因になることもある。人の体もこれと同じだ。車のアイドリングのように、運動前には動的ストレッチでウォーミング・アップを行い、筋肉や関節、そして心臓に刺激を入れなければいけない。
「それは運動の前だけに言えることではありません。朝、ベッドから起き上がって仕事を始めるまでの間、十分に血液の巡りを良くして脳に酸素や栄養素が行くようにすると、仕事の作業効率がかなり上がるはずです。また、パソコンに向かい長時間同じ姿勢で仕事をして、肩にこりを感じ出した時は、肩甲骨周辺から首にかけての筋肉が伸びて固まっています。その筋肉を静的ストレッチで伸ばしたところで、肩こりを軽減することはできません。そこで必要になってくるのが、動的ストレッチです」(中野さん)
サッカーに興味がある読者であれば、選手たちが試合前のグラウンドで、隊列を組んで軽くジョギングやステップを踏みながら、大きく肩を回したり、股関節を旋回させたりする“ブラジル体操”というものを見たことはないだろうか。これも動的ストレッチの一種で、心拍数を上げて血流を良くし、関節の可動域を広げるために行っているのだ。
今回は、中野さん自らが実演してくれた、自宅やオフィスでできる3~4分程度の動的ストレッチを紹介する。また、このメソッドには、下半身の筋力を高めるエクササイズも入っているので、ぜひ一度、試してほしい。
これらの動的ストレッチには、肩回し、膝の曲げ伸ばし、脚の筋肉強化といった3つの動きの要素が含まれている。最初の練習の時には、それぞれ単独で練習してもいい。ただ、連続して行うことによって効果が最大限に発揮されるので、慣れてきたら続けてできるように挑戦してみよう。
仕事の前に行えば、作業効率が上がり、長時間同じ姿勢で筋肉がこわばったようであれば、柔軟性を取り戻して、体がずっと楽になるはずだ。
運動後や就寝前には静的ストレッチでクーリングダウン
しかし中野さんは、静的ストレッチを全面的に否定するわけではない。
「運動後やお風呂上がりに静的ストレッチを行うのは、とても効果的です。筋肉を長く伸ばしてあげることで、筋肉の柔軟性が上がります。筋肉を伸ばすのは、温度が上がって細胞の粘性が低くなっている時が最適です。運動後や入浴後に加えて、湯船に入っている最中でもいいですね。関節が硬い人は、筋肉が緊張して伸びない状態になっています。血行が悪く、疲れやすくなりますが、周辺の筋肉を静的ストレッチで引き伸ばせば、その状態を解消できます」(中野さん)
筋肉が大きな力を出すのは収縮する時なので、運動後の筋肉は縮んで短くなっている。この状態から静的ストレッチを行って正常な長さに戻すことによって、体がアイドリング状態からクーリングダウンし、興奮状態を治めてくれる。就寝前にも太ももや背中など、大きな筋肉の軽い静的ストレッチを行うと、この作用が働き、副交感神経が優位になってくる。寝つきが良くなって、疲れが取れやすいという効果も期待できるのだ。
運動や仕事前には“動的(ダイナミック)ストレッチ”、運動後や風呂上がり、寝る前には“静的(スタティック)ストレッチと使い分けて、健やかな体を保っていこうではないか。
フィジカルトレーナー/米国スポーツ医学会認定運動生理学士
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