10年で6兆1503億ドル(約640兆円)――共和党のドナルド・トランプ候補は大規模な減税策を掲げる。一方、米民主党のヒラリー・クリントン候補は10年で約140兆円規模の増税を主張する。米大統領選挙を8日(現地時間)に控え、トランプ候補が支持率を回復させヒラリー候補を猛追する。「もしトランプ氏が大統領になったら(もしトラ)」、米国の税制はどうなるのか。みずほ総合研究所調査本部の安井明彦欧米調査部長に聞いた(聞き手は白壁 達久)。

トランプ氏が米大統領になった場合、米国の税制にどのような変化が起こるのでしょうか。

安井明彦氏(以下、安井):共和党の伝統的な方針は財政規模を小さくする「小さな政府」。民主党はその逆で「大きな政府」志向です。

 ところが、今回はトランプ氏もヒラリー氏も「大きな政府」志向となっています。ヒラリー氏ほどではないですが、トランプ氏も歳出を増やす主張をしている。ここが、共和党とトランプ氏がかみ合っていないところの1つです。

 一方で、歳入に関しては立場が異なります。ヒラリー氏は所得税や法人税などを、一部の国民や企業を対象に増税するよう主張している。対照的に、トランプ氏は富裕層を中心とした所得税の減税や法人税率の引き下げを唱えている。

安井明彦(やすい・あきひこ)氏<br />みずほ総合研究所 調査本部欧米調査部長 1991年東京大学法学部卒業、同年富士総合研究所(当時)に入社、97年在米国日本大使館専門調査員。みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長などを経て、2014年から現職(写真:北山 宏一
安井明彦(やすい・あきひこ)氏
みずほ総合研究所 調査本部欧米調査部長 1991年東京大学法学部卒業、同年富士総合研究所(当時)に入社、97年在米国日本大使館専門調査員。みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長などを経て、2014年から現職(写真:北山 宏一

この点は共和党の考えと近い。

安井:はい、確かに近いです。共和党も独自の税制改革案を今年作りました。法人税の税率を現行の35%から20%に引き下げる案などを盛り込んでいます。

 ただ、トランプ氏の税制改革案は共和党案に比べて規模が大きい。法人税を15%まで引き下げる案を出しています。富裕層向けの所得税減税も含めて、減税額の規模は10年で6兆ドル(約624兆円)を超えます。

財政赤字は必至

「歳出を増やして歳入を減らす」。耳障りは良いですが、収支バランスを崩すリスクがあります。

安井:歳出を増やす一方で、この規模の減税をすれば、財政赤字は免れないでしょう。これをどう埋めるかが課題です。

 減税は悪いことではありません。やりようによっては経済を好転させるきっかけになります。税負担が減るので、企業はその分を投資や配当、あるいは従業員への給与などに回すことができる。これによって市場にお金が回り、経済が良くなる。そうすると企業の業績が良くなり、結果的に、減収分をカバーするだけの税収拡大につながる――。これがベストシナリオです。

 トランプ氏は減税に伴う財政赤字の拡大を、規制緩和などの成長促進策によって穴埋めすると公約に掲げています。ですが、そこまでカバーできるほど成長して税収増が期待できるとは思えません。

 さらに議会との関係も読めない。あまりにも不透明度が高く、トランプ氏が大統領になると景気悪化につながるとの見方が強い。減税すれば経済は必ず好転するかと言えばそうではないのです。

歳出の中で大きな割合を占めている項目を圧縮するしかないのでしょうか。

安井:トランプ氏は「年金」や「医療保険」には手を付けないと言っています。軍事費も減らさないでしょう。

 歳出の中で大きな割合を占めるこれらの「聖域」に手を付けない限り、財政赤字の拡大は避けられません。歳出削減の対象は極めて限られた項目だけになってしまう。割合の小さい歳出項目を地道に削っても、大規模な減税をまかなうことはできないでしょう。

歩み寄りは可能か

そもそもトランプ氏は税制改革案を議会で可決させることができるのでしょうか。

安井:法案を通すためには議会の承認が必要です。ただ、議会がトランプ氏に協力的に動くかというと、疑問です。トランプ氏は移民排斥や保護主義を主張している。これらの問題を脇に置いて、減税案にだけ賛成する方向に議会が動いてくれるでしょうか。

 たとえ共和党が上院と下院の両院で過半数を獲得したとしても、現行のトランプ案を可決させるのは難しいと思います。前述の通り、共和党は独自に税制改革案をまとめており、その中心人物は下院の議長であるポール・ライアン氏です。大統領選挙戦の過程でも、トランプ氏とライアン氏が対立する場面が見られました。こうした背景がある限り、同じ共和党とはいえ、議会がトランプ案をそのまま支持するとは思えません。

どちらかが歩み寄るしかない。

安井:選挙期間中にトランプ氏は減税の提案を改定しています。旧トランプ案では10年間での減税規模が9兆5170億ドル(約990兆円)になっていました。これを6兆1503億ドル(約640兆円)へと下方修正したのです。共和党案の減税規模は3兆1009億ドル(約322兆円)。共和党案に比べて新トランプ案はまだ大きな数字ですが、トランプ氏が一方的に歩み寄ってきている。

 実現可能性を考えても、トランプ氏が歩み寄るのが妥当ですね。彼の性格上、当選後に妥協するかどうかは分かりませんが。

 トランプ氏の税制改革案の是非だけでなく、彼自身の「大統領としての器量」がどの程度なのかにも疑問符が付きます。つまり、数字をきちんとつくって、リーズナブルな規模に落とす運営ができるのかどうか。そこがすごく疑わしいのです。

どちらが大統領になっても「険しい道のり」

 実際、どういうスタッフがトランプ陣営に付いて、誰が議会と交渉して減税案をまとめていくのか。もしくは議会共和党が交渉に応じ、トランプ氏を盛り立てるべく党として譲歩することができるのか。大統領としての能力、議会との関係。ここのハードルがまず高い。

やはり、議会との関係が肝になる。

安井:そうですね。今回の大統領選挙では、トランプ氏とヒラリー氏のどちらが大統領になったとしても非常に異例な大統領になる。「国民の半分が『この人にはなってほしくない』と強く思っている大統領」だからです。

 もちろんこれまでだって共和党候補と民主党候補が票を二分してきました。それでも、「この人がなったら嫌だ」とほとんどの有権者が感じている選挙は珍しい。なので、どちらが大統領になったとしても、議会や国民をリードしていくのはものすごく難しいでしょう。

 議会もそれを分かっています。なので今回は、大統領就任から100日間の“ハネムーン期間”がないかもしれません。新大統領は選挙で国民によって選ばれているので、野党は、ある程度大目に見て仲良くします。ですが、今回は最初から対立する可能性がある。

 「私たちの役目はこの大統領の施策を止めることだ」と最初から決めている野党議員をリードするには、かなりの力業が必要でしょう。特にトランプ氏は移民排斥など派手で極端な政策をぶち上げており、議会からの反発が強そうです。そう考えると、減税もどこまでできるのか。道のりはかなり険しいと思います。

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