もし、トランプ氏が米大統領になったら、米中関係はどうなるのか。日本へはどんな影響が想定されるのか。中国経済事情に詳しいキヤノングローバル戦略研究所の瀬口清之研究主幹に、「もしトラ時の米中関係」について聞いた。(聞き手は白壁 達久)

日経ビジネスオンラインは「もしトランプが大統領になったら…」を特集しています。
本記事以外の特集記事もぜひお読みください。

<b>瀬口 清之(せぐち・きよゆき)</b><br /> キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 1982年東京大学経済学部を卒業した後、日本銀行に入行。政策委員会室企画役、米国ランド研究所への派遣を経て、2006年北京事務所長に。2008年に国際局企画役に就任。2009年から現職。写真は丸毛透。
瀬口 清之(せぐち・きよゆき)
キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 1982年東京大学経済学部を卒業した後、日本銀行に入行。政策委員会室企画役、米国ランド研究所への派遣を経て、2006年北京事務所長に。2008年に国際局企画役に就任。2009年から現職。写真は丸毛透。

ヒラリー・クリントン候補が優勢と報道されています。ドナルド・トランプ氏が大統領になる可能性はあると考えますか。

瀬口清之(以下、瀬口):ヒラリー氏の優勢が続いていますが、選挙当日まで何が起こるか分かりません。

 ヒラリー氏を支持する票は「トランプ氏への批判票」が多い。一方のトランプ氏には熱狂的な支持者がいます。気になるのは投票率。ヒラリー氏の支持者はトランプ支持者に比べると熱狂的ではないので、自分から積極的に投票に行く人はそれほど多くはないでしょう。投票率が下がると、「もしトラ」が現実のものになる確率は上がると考えます。

英国がEU離脱の可否を決めた国民投票でも、メディアは反対派が勝つと予想していました。しかし現実は、僅差で賛成派が勝利した。

瀬口:まさに同じようなことが今回の大統領選挙でも起こり得ます。投票日が寒い日になったり、雨が降ったりしたら、「大差がつきそうだから自分は投票に行かなくてもいい」と考える有権者が増える。これが選挙結果に大きな影響を及ぼしかねません。

中国がアジア自由貿易の盟主に

「もしトラ」が実現した場合、どのような影響が及ぶでしょう。専門である中国の観点から教えてください。

 まず、トランプ氏のスタンスを確認しましょう。彼は安全保障や外交の軸足をアジアに移すリバランス(再均衡)を否定しています。環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱する姿勢も示しているため、成立は難しい。となると、アジアにおける米国のステータスは大幅に後退することになります。

 自由貿易の旗振り役たる米国が抜けてしまうと、その地位に台頭する可能性があるのが、中国ではないでしょうか。

 米国が主導する自由貿易協定であれば、レベルの高いものになる。TPPはその最たるものです。でも、「もしトラ」となれば、米国はTPPから離脱するでしょう。そうなれば、TPPは事実上成立しない。すると中国の存在感が圧倒的になります。

 中国主導になると、自由化を高める動きは遅くなるでしょうし、中国にとって都合の良い、レベルの低い協定を押し通しかねません。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国に日中韓、インド、豪州、ニュージーランドの6カ国を加えた東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の締結に向けた交渉にも悪影響を与えるでしょう。これは、日本やアジアの国々の今後の成長や発展に大きなマイナスになります。

米国が内向きになれば中国製品が売れない

自らが自由貿易の枠組みを決められるのであれば、「もしトラ」は中国にとって好都合のように見えます。

瀬口:一見すると、そうです。

 そのため、中国政府や同国内では当初、トランプ氏の大統領就任を歓迎する声がありました。ヒラリー候補が大統領に当選すると、対中政策でより厳しくなると見られているからです。またトランプ氏は日本に対して厳しい姿勢を見せていました。

 ですが、最近は中国内のメディアも、「もしトラ」が市場に与える悪影響を書くようになってきています。長期的に見ると、やはりデメリットが大きい。

どんなデメリットがあるのでしょう。

瀬口:トランプ氏が大統領になれば、米国は内向きの姿勢に変わります。となると、米国市場から中国製のモノが排除される圧力が働くことになる。この動きに欧州も追随する可能性がある。

 つまり、中国でモノを作っても、欧米市場で売ることが難しくなってしまうのです。

 中国企業の技術力や革新力が高まり、「価格の安さだけ」に頼らずとも、欧米市場を攻められる時が来ています。にもかかわらず、米国市場が閉じてしまうと売り込みにくくなってしまう。

 例えば小米科技(シャオミ)はスマートフォンで、米アップルや韓国のサムスン電子といった世界の巨頭を超える可能性を秘めている。そんな中国企業がたくさんあります。それらの躍進も、「もしトラ」によって止まってしまいかねない。

米中の緊張は日本企業の好機

米大統領の交代に際して、中国政府は米国との付き合いをより深める動きを取るでしょうか。

瀬口:当然、対米関係は重要と考えているでしょう。ですが、中国政府には対外的なことに時間を割きたくない事情があります。

 来秋には、5年に一度の党大会が開かれます。最高指導部の入れ替わりも予想されている。中国政府からすると外交よりも国内の人事に注力したいのが本音だと思います。

米企業による対中投資はどうなると考えますか。

 米国企業による対中投資は今年に入って増えていますが、米中関係が悪化すれば、その流れに変化が起こるかもしれません。「何とかして中国市場をこじ開けよう」としていた米国企業の動きがスローダウンすることも考えられます。

 これは、日本企業にとってプラスに働く可能性があります。中国の景気減速が伝えられながらも、中間層の拡大は続いています。日本企業は、この市場を取るべく対中投資をより積極化するのも一手ではないでしょうか。

日本企業にとって追い風になる。

瀬口:そうです。1人当たりGDPが1万ドル(約103万円)を超える「中間層」は2013年に3億人でしたが、2020年には8~9億人にまで増えると言われています。中間層の拡大はまだまだ続く。

 自動車市場も今の2倍に拡大してもおかしくないと言われている。しっかりと狙うべきです。トップシェアを取るのは難しいかもしれません。でも一定以上のシェアを取れれば、少子高齢化が著しい日本市場に比べてずっと高い伸びが期待できるのですから。

北朝鮮のリスクが高まる

経済的リスクに続いて、政治的なリスクはどのようなものが考えられますか。

瀬口:南シナ海問題と北朝鮮に影響が及ぶと考えます。

 日本にとっては、北朝鮮の動きが特に気になります。米国のプレゼンスが弱まり、抑止力がなくなった場合に北朝鮮はどう動くのか。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は物事のリスクをきちんと考えることのできる人物なのか、あるいは暴発してしまう人物なのかよく分かりません。

中国は、米軍の影響力が減った方が好ましいと感じているのではないでしょうか。

瀬口:一部の専門家は、北朝鮮が今後2年以内に韓国か日本に向けて直接ミサイル攻撃をする可能性を排除できないとしています。そうなると、米軍も北朝鮮に本気で対応しなければならない。中国としても正面から対応する必要が生じます。つまり、中国にとっても、北朝鮮が暴発する事態は好ましくないのです。米国による抑止力を失うのは心元ないというのが、中国の本音ではないでしょうか。

 トランプ氏が大統領になると、これまで保たれていたアジアの均衡が崩れてしまう。それよりもヒラリー氏の方が「まだまし」というのが、中国の中でもトランプ反対派が出始めた背景にあると考えます。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

春割実施中