「為替操作で円安に導いている」「米国の自動車メーカーを叩きのめしている」と日本に対して声を上げるドナルド・トランプ氏。選挙戦ではドル安を通じた自国産業の保護を訴えかける。「偉大な米国の復活」に向けた政策は、為替市場に混乱をもたらすと共に、日本など関係諸国の経済に犠牲を強いる内容だ。

 トランプ大統領が誕生したら、日本経済への逆風はどれ程強いものになるのか。外国為替の専門家でソニーフィナンシャルホールディングス執行役員兼金融市場調査部長の尾河眞樹氏に影響を聞いた。

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仮にトランプ大統領が誕生した場合、金融市場にどのような影響が出ますか。

尾河:反射的にリスクオフの流れが起きるはずです。米国の経済・政治方針に強い不透明感が出てくる。金融市場では先行きが見通せないことが一番悪いことですので、株価が一旦下落するでしょう。

<b>尾河眞樹 (おがわ・まき)氏</b><br />ソニーフィナンシャルホールディングス株式会社 執行役員兼金融市場調査部長<br /> チーフアナリスト。ファースト・シカゴ銀行、JPモルガンなどの為替ディーラーを経て、ソニーの財務部(SGTS)にて為替リスクヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析、および個人投資家向け情報提供を担当。8月から現職。
尾河眞樹 (おがわ・まき)氏
ソニーフィナンシャルホールディングス株式会社 執行役員兼金融市場調査部長
チーフアナリスト。ファースト・シカゴ銀行、JPモルガンなどの為替ディーラーを経て、ソニーの財務部(SGTS)にて為替リスクヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析、および個人投資家向け情報提供を担当。8月から現職。

 トランプ氏は選挙戦でドル安(円高)政策を強調しています。短期的に1ドル=100円を試す展開も予想できますし、今後1年で95円や90円を付ける可能性も十分ありますね

ドル売り協調介入は可能性低い

トランプ氏はかなり強烈にドル安を訴えています。1ドル=80円などの大幅な円高になる可能性はないのでしょうか。

尾河:トレンドとして円高が続くことは避けられませんが、そこまで大幅な円高は予想していません。仮にトランプ氏が大統領に就任しても、極端なドル安誘導など、同氏が訴える経済政策が党内でどれだけ支持を得られるかは未知数だからです。

 トランプ氏は小さな政府を掲げる伝統的な共和党の候補ではありません。その上、最近では過去の女性蔑視発言が出てきて女性の支持が急速に落ちています。共和党の議員たちは、自分たちの支持まで低下するのではと不安視し、トランプ離れが加速しています。身内の共和党議員のサポートが得られないとなると、大胆なドル安誘導政策の実現は難しく、金融市場が大混乱に陥る可能性も少ないと見ています。

プラザ合意の時のように、ドル売りの協調介入を各国に要請するシナリオはありませんか。

尾河:要請しても各国が応じないでしょう。そこまでのリスクを織り込む必要はないと思います。

低金利政策は長期化する可能性

環太平洋経済連携協定(TPP)や北米自由貿易協定(NAFTA)に反対し、中国からの輸入には一律45%の関税をかけるとも言っています。

尾河:ドルを急に安くして輸入関税も上げると、海外からの商品の価格が米国内で高くなり、インフレになっちゃいますよね。ドル安効果が企業業績に波及して賃金が上がってくる前にインフレが起こると、景気にマイナスになります。そんなことは議会が許しません。

 トランプ氏が掲げる色々と無茶な公約は、実際に政策に落とし込む局面では修正されて、そこまで無茶な内容ではなくなる可能性があります。議会からの牽制が効くならば、心配しすぎる必要はないと思います。

米国は現在、利上げへと向かっています。金融政策に変化はあるのでしょうか。

尾河:トランプ氏は利上げに否定的で、米連邦準備理事会(FRB)のイエレン議長を交代させるとまで言っている。後任は利上げに対して慎重なハト派の人物を充てることになるでしょう。

 利上げが見送りとなると、短期的には米国の株価を押し上げる可能性がありますが、緩和政策の出口が見えなくなり、先々への不透明感がぬぐいきれなくなる。中長期的には景気にマイナスに働くでしょう。

 そもそも、金融政策はFRBが独立して決めるはずなのですが、変な話になっていますね。

超大規模な公共投資、ドルの信認失う

不動産ビジネスを手がけるトランプ氏ですから、やはり金利は安い方が良いという発想が強いのですかね。

尾河:直接的にどこまで関係しているかは分かりませんが、それもあるかもしれないですね。

財政政策では、クリントン氏が計画する5年間2750億ドル(約28兆円)の2倍以上の公共投資をすると打ち出しています。

尾河:本当にそんなことしたらドルへの信認が失われてしまいます。大型インフラ投資に加えて減税もやると言っている。でも財源をどうするのかという話が全然出てこない。クリントン氏が高所得者への課税強化を財源として示しているのとは対照的です。

 ドルへの不安感が高まり、米国企業が設備投資を手控えて、景気を下押しする流れになる可能性も否定できません。

クリントン氏もドル安誘導を同様に主張しています。順当に彼女が当選した場合の為替はどのように動きますか。

尾河:市場の反応としては、トランプ氏が当選しなかった安心感からドルが買われ、多少は円安に向かうと見ています。年内に1ドル=107円を付けると予想します。公共投資に関しても財源を示していますのでドルの信認への影響も限定的です。クリントン氏もドル安の重要性を唱えていますが、全体的に見るとドル円相場に与えるインパクトはニュートラルだと考えます。

 一方、トランプ氏の落選でドル買いが急速に進み、円安傾向に振れすぎるというシナリオにも警戒が必要です。主要通貨に対するドル相場の総合的な動きを示すドルインデックスが、足下で98まで上昇するなど、節目とされる100に近いドル高水準となっています。この水準までドル高が進むと、為替相場を牽制する発言が米当局から出る可能性は極めて高くなります。さらに、TPPを巡って、自国通貨安を誘導する加盟国に対して対抗措置を取れるよう定める「為替条項」を追加するよう米議会が強く主張する展開も予想されます。そうなると、日本経済にとってはむしろマイナスです。1ドル=110円の手前くらいで行ったり来たりしてくれる為替水準が当面は心地よいでしょう。

選挙前の為替取引は賭け事と同じ

日本国内で為替取引をしている個人に向けて、どのようにアドバイスされますか。

尾河:無理にリスクを取ることはしないでくださいと伝えたいです。丁か半かという2択の時に、わざわざどちらかにベットするのは危険です。かなりの余裕資金があって、損しても生活に問題ありませんという場合は構いませんが、先々必要となる資金でリスクを取るのはいけません。賭け事と一緒なので、避けた方が良いと思います。

 今はクリントン氏優勢と伝わって、短期的には円安進行が予想されますが、テールリスクが存在します。英国のEU離脱が良い例です。どれだけ皆が「離脱反対」と予想をしていても、当日になって風向きが変わることもあります。プロの機関投資家は大きなイベントの前には決して動きません。

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