ドナルド・トランプ氏の“目玉政策”とも言える移民政策。大統領選が始まった当初から、「メキシコからの不法移民を防ぐため国境に壁を作る」「イスラム教徒の入国を禁ずる」と発言、移民排斥に向けて強硬な姿勢をとり続けている。

 こうした強硬な移民排斥の動きが仮に実現した場合、イノベーションの聖地である米シリコンバレーにも影響が及ぶ。シリコンバレーには起業家として成功している移民が多く、今やシリコンバレー経済圏に移民は欠かせないからだ。

 2013年にシリコンバレーでベンチャー支援組織、WiL(ウィル)を設立し、自身も15年間シリコンバレーに身を置く伊佐山元CEO(最高経営責任者)に話を聞いた。(聞き手は齊藤美保)

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ある大学機関の調査によると、過去20年間、シリコンバレーで起業したベンチャーの創業メンバーは、半数以上が移民だそうです。シリコンバレーで活動する伊佐山さんから見ても、移民のベンチャー起業家は多いでしょうか。

1973年東京生まれ、1997年東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。2001年スタンフォード大学ビジネススクールに留学。2003年米大手ベンチャーキャピタルのDCM本社パートナーとして、インターネットメディア、モバイル、コンスーマーサービス分野への投資を担当。2013年にWiLを設立。シリコンバレーと日本を中心に、ベンチャー企業の発掘と育成を続ける。(写真:鍋島明子)
1973年東京生まれ、1997年東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。2001年スタンフォード大学ビジネススクールに留学。2003年米大手ベンチャーキャピタルのDCM本社パートナーとして、インターネットメディア、モバイル、コンスーマーサービス分野への投資を担当。2013年にWiLを設立。シリコンバレーと日本を中心に、ベンチャー企業の発掘と育成を続ける。(写真:鍋島明子)

伊佐山:非常に多いと思います。「ユニコーン企業」と呼ばれる時価総額10億ドルを超える非上場ベンチャーの創業者を見ると顕著ですね。米国のユニコーン企業トップ10のうち、半数の創業者が移民です。例えば、米ベンチャー時価総額ランキング1位の配車サービス「Uber」の共同創業者、ギャレット・キャンプ氏はカナダからの移民、4位のシェアオフィス運営「WeWork」のアダム・ニューマン氏はイスラエル出身です。宇宙開発ベンチャー「スペースX」のイーロン・マスク氏が南アフリカからの移民であることは有名ですね。これだけ見ても、移民が創業したベンチャーは市場評価の高い企業が多く、第2のフェイスブックやツイッターがこの中から出てくる可能性は大きいと言えます。

シリコンバレーはアメリカンドリームの聖地

そもそも、なぜシリコンバレーに移民が集まるのでしょうか。

伊佐山:ランキングを見るとインド系の移民が圧倒的に多く、この後にカナダ、欧州、イスラエル、中国が続きます。カリフォルニア州に限定すれば、よりインド人の割合が多く、次は中国、欧州系だと思います。彼らは「より豊かになりたい」「より良い生活をしたい」といったアメリカンドリームを実現すべくシリコンバレーにやってきます。

 では、なぜシリコンバレーなのか? それは単純で、豊かになるためには世界をリードしている新しい産業に携わらなくてはならないからです。それが何かを考えると、今はやはりIT(情報技術)産業ですよね。

 IT産業なら、シリコンバレーでなくても、ロシアでもイスラエルでもいいと思うかもしれません。パソコンがあればどこでも仕事ができますから。しかし、重要なのは事業化するときに才能ある人材と資金が必要だということ。シリコンバレーにはそのどちらもが集積しています。

 あとは環境が良いことも影響していると思います。シリコンバレーは温暖で天候が安定しています。ストレスを感じることの多いベンチャー起業家にとって精神的にも居心地がいい場所なのです。

 まとめると、移民として米国に来るキッカケはより豊かになりたい、より良い生活をしたい、より上を目指したいという気持ち。それを実現するには、最先端のIT産業に携わることが最も近道で、シリコンバレーはその分野の中心地です。だから、ここには世界中から移民が集まってくるのです。

シリコンバレーに来れば誰でも成功できるとは限りません。成功したベンチャーの半数に移民が多いのはなぜでしょうか。

伊佐山:経済学者のヨーゼフ・シュンペーター氏は、イノベーションの源泉は「コンビネーション(結合)」だと定義しています。コンビネーションとは、アイデアとアイデアのつなぎ合わせですね。

 面白いコンビネーションを作るには新鮮な発想が必要。今までとは違う角度で、もう一度世の中を見直す視点が大事なのです。移民のほうがより新鮮な目で産業を再定義したり、これとこれを組み合わせてみようという発想にたどり着いたりしやすいのだと思います。

 移民は、国を移動した時点で色々な世界を知っています。つまり、新たな組み合わせを発想する際のバリエーションが豊富なのです。これは、「中」にずっといる人に比べ、圧倒的に強い優位性だと思います。

移民を突き動かす2つの力学

 移民がイノベーションを起こしやすいと言われる背景には、さらに2つの力学が働いていると考えます。

 シリコンバレーに来ると、誰もが最初「お前誰だ」という目で見られます。もちろん私もそうでした。成功して、自分自身の存在価値を証明しないと、シリコンバレーの住民だと認めてもらえないのです。そのため、何とかこの地で芽を出したいという力学が猛烈に働きます。

 ここに、「母国に錦を飾りたい」といった力学も加わります。移民と言っても、母国に二度と戻らないわけではありません。米国に来て認められれば日本も盛り上がります。メジャーリーグで活躍しているイチローを見ると分かりやすいですね。シリコンバレーと母国の両方に認められたいという力学が働くのです。

 目立ちたい、成功したい、人と違うことをしたい、といった意識が強くなると、普段いるゾーンから飛び出しリスクを取ってでも何かを成し遂げよう、挑戦しようとなるのです。それが、大きなイノベーションを生み出す最初のキッカケになるはずです。

トランプ氏が掲げている「移民排斥」について、シリコンバレーのベンチャーはどう受け止めていますか。

伊佐山:シリコンバレーにいると、「あいつはどこ出身の移民だったっけ?」という議論はほとんどありません。移民のほうがマジョリティーなので、ここでは移民を議論すること自体がナンセンスなのです。

 ただ、トランプ氏が掲げている厳しい移民規制政策が実行されれば、人を雇うのは難しくなる、という話は最近よく出ています。外国から気合いを入れてわざわざやってきてPhD(修士号)まで取得した人材は、高いお金を出してでも雇いたい。彼らがそのまま本国に戻ってしまうことになれば、非常に困りますね。

移民排斥は米国経済にも影響

移民が雇えなくなれば、シリコンバレーのイノベーション力がゆくゆく低下してしまうこともあり得ますか。

伊佐山:あると思います。今の米国のGDP(国内総生産)を因数分解すると、20%がベンチャー枠だと見られています。ベンチャー枠の企業の半分の創業者が移民なら、結局、米国のGDPの10%を移民が創った企業が生み出していることになります。これはあくまでも数字上の計算に過ぎませんが。この10%を、移民排斥政策によってゼロにしてもいいのかと、懸念しています。

 世界のGDPランキングを見ると、1位が米国、2位が中国、そして日本、ドイツ、英国と続きます。実はカリフォルニア州単体のGDPは英国と同じくらいあります(2015年は2.5兆ドル)。カリフォルニア州自体が世界ランキング5位の規模があるんです。ハリウッドもありますが、GDPのほとんどを占めているのはIT産業でしょう。つまり、移民排斥によって州自体が危機に陥る可能性がある。

 アップルやグーグル、ヤフーのような企業が将来誕生する可能性が減ってしまえば、中長期的に見た経済損害は非常に大きく、米国の国力の低下にもつながりかねないと思っています。

 また、シリコンバレーが移民を排斥すると、世界に「希望の地」がなくなってしまうのではと懸念しています。あそこに行けば一発逆転できる、世の中を見返すことができる、という場所がなくってしまうのです。

 これは、カリフォルニア州だけでなく、世界的にイノベーションの地がなくなることを意味します。これを機に、米国以外の国もどんどんドメスティック志向に変わっていけば、イノベーションの源泉である「コンビネーション」は生まれなくなってしまいます。つまり、シリコンバレーのような化学反応が起きる場がなくなってしまうことは、どの国にとっても大きな損失になるのです。

VCへの課税負担増も懸念

シリコンバレーでは、トランプ氏の大統領就任に反対する人が多いのでしょうか。

伊佐山:シリコンバレーが持つオープンネス(開放性)さえ維持されるのならば、国のトップは誰でもいいと思っている人が多いように感じます。オープンネスとはまさに移民受け入れの土壌を壊さないことですね。

 ここで活動する人は、自分が世界を変えるためには一体何ができるかと常に考えているので、大統領が誰になってもやることは変わりません。

両候補とも、ファンド運用マネジャーが受け取る成功報酬である「キャリードインタレスト」に課す税金の税率を引き挙げると宣言しています。トランプ氏のほうが引き上げ幅が大きいため、ベンチャーキャピタル(VC)の収益が減少することが予想されます。

伊佐山:これは大きな問題ですね。まず、VCとヘッジファンドなどあらゆるファンドを一括りに敵視していることが問題だと思います。例えば、VCの税負担が増えると、ベンチャー産業全体が縮んでしまう危険があります。今までVCは、長期投資なので、キャピタルゲイン課税扱いでした。しかし、「VCは儲けているから税率を上げて、通常の所得税にする」と言われてしまったら、「誰が長期のベンチャーリスクをとるのか?」となりますよね。また、通常の長期株式投資の税率との整合性も取れていません。

 トランプ氏が掲げる政策が全部実現すれば、シリコンバレー経済圏が大きなダメージを受ける可能性があると危惧しています。

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