医療情報サイト「WELQ」の記事が11月29日以来、非公開になっている。

 WELQを運営しているディー・エヌ・エー(本社:東京都渋谷区、代表取締役兼CEO:守安功)の説明によれば、掲載記事の信憑性について医療関係者から疑義が寄せられていることを受けての措置だという(日経電子版のニュースはこちら)。さらに本日(12月1日)、社長名で「9つのキュレーションメディアの非公開化と社長の減俸処分」を発表した(こちら)。

 まあ、当然ではある。
 というよりも、数日前からの経緯を踏まえて考えるなら、配信停止の判断は遅すぎたと言って良い。

 私がこのたびのWELQについてのニュースを知ったのは、例によってツイッターのタイムラインでの騒ぎを通してだったわけなのだが、考えてみればこのこと(私がツイッター経由でこのニュースに触れたこと)自体、WELQが引き起こしている状況と無縁ではないのかもしれない。どういうことなのかというと、世間で起こっている出来事の概要を、主にツイッター上の噂話から知り得ている昨今の私の暮らしぶりの危うさは、WELQに代表されるお手軽なキュレーションメディアをうっかり信じ込んでいる人々のおめでたさと同質だということだ。

 私たちは、ネットから流れて来る情報に対してあまりにも無防備だ。
 自分で選び取った気になっている情報は、実は「つかまされた」情報だったりするのかもしれない。でなくても、われわれは、つまるところ、誰かに誘導されている可能性が高い。

 ということで、今回は、さんざん言われ尽くしていながらほとんどまったく身についていない、わたくしどもの「メディアリテラシー」について考えてみることにしたい。

 まず、WELQの記事が炎上したいきさつを振り返っておく。
 当初、ツイッターに流れてきたのは、WELQのサイト内で紹介されていた記事への論評と、それに対する反応だった。

 現在、当該の記事は非公開の扱いになっている。ちょっと前まではアーカイブサイトで読めたのだがそちらも削除された模様だ。

 読んでみると、記事の書き手は、驚くべきことに、肩こりの原因のひとつとして「幽霊」を召喚している。

《ちなみに「肩が重い」と訴える方を霊視すると、幽霊が後ろから覆いかぶさって腕を前に垂らしている、つまり幽霊をおんぶしているように見えるそうですよ。肩の痛みや肩こりなどは、例えば動物霊などがエネルギーを搾取するために憑いた場合など、霊的なトラブルを抱えた方に起こりやすいようです。

 また右肩に憑くのは守護霊、という話もよく知られているかと思います。守護霊は人などに憑き、その対象を保護する霊のことで、多くの方の守護霊はご先祖様だと言われています。》

 なんと、右肩に憑くのは守護霊なのだそうだ。なるほど。
 解説はさらに続く。

《なお守護霊は実は1人ではなく、縁のある複数のご先祖様が憑くそうで、そうすると右肩にたくさんの守護霊が乗っている、ということになるので、肩の痛みやこりを感じるのは無理のないことなのかもしれません。》

 で、このお話は

《もちろんこれは科学的に実証された話ではないので、信じるか信じないかは人それぞれです。》

 という、なんとも人を食った物言いで一段落するわけなのだが、いったいこれは何を意図した記事なのであろうか。

 まあ、意図も何も、あまりにもバカげていて分析を寄せ付けない水準のテキストだという、それだけの話なのかもしれない。
 とはいえ、バカな記事だということで一笑に付すわけにもいかない。

 なぜなら、この文章は素人のブログに書き散らされた個人の日記でもなければ、趣味の情報交換を目的にやりとりされている好事家の私信でもないからだ。

 いまご覧いただいたリンク先の記事は、歴とした「医療情報サイト」に掲載されているテキストで、その「ココロとカラダの教科書」を謳うキュレーションプラットフォームを運営しているのは、プロ野球の球団を所有するなど、確固たる社会的信用を看板に商売をしている東証一部上場企業だ。

 ということは、記事には当然文責が生じ、配信元には掲載責任が発生すると考えなければならない。
 どこからどう考えても、到底笑って済ませられる話ではない。

 まして、相手は医療だ。人の命がかかっている。ただでさえ肉体の不調に苛まれて不安に陥っている読者を相手に「守護霊」だの「ご先祖」だのといったたわけた世迷い言を吹き込まれたのではかなわない。

 これでは、霊感商法と少しも違わないことになる。
 きっちりと責任を取ってもらわねばならない。

 深刻なのは、WELQがそこいらへんによくある泡沫サイトではないことだ。
 WELQは、一日に100以上の新記事を更新すると言われるネット界でも指折りの巨大情報サイトだ。

 配信元のディー・エヌ・エーがIT世界の大企業であるだけに、SEO対策(検索エンジンの挙動に最適化することで検索にかかりやすいページを制作する技術)にもぬかりはない。それゆえ、影響力はことのほか大きい。

 たとえばGoogleの検索窓に「肩こり」や「血糖値」といった医療・健康にかかわるキーワードを入力して検索ボタンを押してみると、検索上位には、必ずWELQのサイトの記事が表示される。

 さらに具体的に「膝 骨折」「頭痛 めまい」という感じの複合的なキーワードを入力して、より実践的な検索を試してみると、あらまあびっくり検索上位はWELQに独占されてしまう。

 つまり、一般のネットユーザーが、スマホなりPCなりの検索から健康情報なり医療知識なりを入手するべく、通り一遍の手順を経て検索を実行すると、かなり高い確率でWELQの記事に誘導されることになるわけだ。とすると、そのWELQが、何らかの意味で不正確な(商業的な思惑に歪められた、あるいは医学的に間違った、でなければ政治的ないしは社会的に偏向した)情報を提供しているのだとしたら、被害は、目に見えるものから目に見えないものまで、非常に多岐にわたることになるはずなのだ。

 現在は、検索候補に表示されたWELQの記事の見出しをクリックすると、

《【お知らせ】WELQの全記事の非公開化について(こちら)》

 という、ディー・エヌ・エーの告知ページが表示されてそれっきりだ。
 が、つい3日ほど前の11月28日までは、WELQのサイトが文字通りに検索候補を席巻していたわけで、これはやはり、なかなか深刻な事態と考えなければならない。

 そもそもの話をすれば、WELQの胡散臭さは「キュレーション」という言葉の胡散臭さからやって来ているものだ。

 「キュレーション」の意味は「知恵蔵2015」の解説によれば、

《IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有することを言う。キュレーションを行う人はキュレーターと呼ばれる。》

 てなことになっている(出典はこちら)。

 なるほど。
 この記述から考えるに、もしかして「キュレーション・プラットフォーム」を名乗るWELQは、情報を集めて整理しているだけなのだからして、はじめから編集責任は負わないつもりだったのだろうか。

 まさか。
 だが、その通りなのだ。彼らは、どうやら、責任を取るつもりを持っていなかったのである。

 WELQの記事の末尾には

《当社は、この記事の情報及びこの情報を用いて行う利用者の判断について、正確性、完全性、有益性、特定目的への適合性、その他一切について責任を負うものではありません。この記事の情報を用いて行う行動に関する判断・決定は、利用者ご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。》

 という文言が付加されている。
 さきほど紹介したアーカイブの記事の最後にも、信じがたいことに、この通りの言葉がそのまま書かれていた。
 本当に、ここに引用した通りのトンデモな言い草が表記されているのである。
 びっくりぽんだ。
 何度読み返しても、読んだ回数分だけ、必ずや何度でも驚愕させられるとてつもない但し書きだと思う。

 「自己責任」という概念が、ここまであからさまに情報提供側の無責任の弁解に使われた例を、私はほかに知らない。
 というよりも、文字を扱う人間としてこれほどまでに恥知らずな文言を掲げていながら、どうやって編集部に人材を集めることができたのか、そこのところが不思議でならない。

 いったい、どこの編集者が、こんな呪われた汚れ仕事にかかわりたいと考えるだろうか。
 あるいは、そもそもキュレーション・プラットフォームというのは、無批判にかき集めた低コストのテキストを無責任に垂れ流すだけの下水管ライクな仕組みなのだからして、はじめから「編集部」にあたる組織を置いていなかったのかもしれない。それ以前に「編集」という作業そのものを想定していなかった可能性もある。

 いずれにせよ、「守護霊」や「幽霊」の話を書いた記者が自ら

《もちろんこれは科学的に実証された話ではないので、信じるか信じないかは人それぞれです。》

 と、いけ図々しくもほざいていたのとほとんどまったく同じセリフを、その記事の配信元であるディー・エヌ・エーが、会社の名前を代表して記事の末尾に堂々と書いているわけで、してみると、これははじめから「記事」なんてものではなかったわけだ。

 正直なところを申し上げるに、私は、「キュレーション」という言葉の背後に隠れて無責任な商売をしている人々には、ずっと以前から、良い感情を持っていなかった。個人的には、ずっと昔、「愛人バンク」という名前で売春を斡旋していた組織が、世間からの非難に対して

「われわれは、電話番号を仲介しているだけで、売春を斡旋しているわけではない」

 という主旨の弁解を並べ立てていたことを思い出さずにおれない。
 バイラルメディアも、まとめサイトも、似たようなものだと思っている。

 要するに、インターネットを中心とした新参のメディアを舞台に収益事業を展開している人間の中には、記事を扱う人間が当然持っていて然るべき常識を欠いた人々が多数含まれているということだ。

 インターネットの登場以来、情報が双方向化して、これまで情報の受け手であった人々が、情報を発信する手段を獲得し、それまでの一方的なメディア状況に変化が生じると、「メディア・リテラシー」という言葉が、しきりに繰り返されるようになった。その意味するところは、

「IT化した世界の住人は、これまでのように、一方的に情報を享受するだけでなく、時には自分の側から情報を発信しつつ、様々なメディアの特徴とその配信内容を批判的に検証しながら、主体的にメディアを選択しなければならない」

 といった感じだろうか。まあ、そんなところだろう。
 いずれにせよ、「鵜呑み」が、最悪な態度で、メディアに対して批判的な態度を堅持することが、メディア・リテラシーの基本だってな話が、21世紀のメディアや情報に関して説教を垂れる人間の定番だったわけだ。

 大筋はその通りなのだろう。
 ただ、最近になって、私は、われわれ一般の人間が、既存のマスメディアに対して批判的な目を向けはじめたことが、果たして21世紀のメディア環境を改善せしめているのかについて、確信を持てなくなってきている。

 というのも、マスメディア発の「画一的」で「独善的」で「一方的」な情報に疑いの目を持つまでのところは良かったのだとして、その結果、人々が、ミドルメディアだったりマイクロメディアだったりする有象無象の情報源からの情報を重視することになっている現状が、必ずしもマトモな結果をもたらしていない気がするからだ。

 もう少し具体的な言い方をすると、マスメディアの情報を鵜呑みにしていた20世紀の日本人の方が、それを疑っている21世紀の日本人より、結果的には賢明だったのではないかと思い始めているということだ。

 というのも、マスメディア発の情報を「鵜呑み」にせず、疑い、検証し、さらに様々な個人や小さな組織や有識者や言論人やネット論客から発信される非常に幅広い情報を総合的に評価して、「自分のアタマ」で判断して情報を取り入れている21世紀のわれわれは、結局のところ、「正確な情報」ではなくて、「自分の信じたい情報」だけを集めるサルみたいなヤツになってしまっているからだ。

 2008年の2月、私は当時運営していた自分のブログに

《情報の双方向化は、メディアの側にもメディアリテラシーが求められる時代をもたらしたわけで、懐かしくも麗しい、古き良き二十世紀のおとなしくて無力なやられっぱなしの聴衆は、もう帰ってこないのだよ。残念だが。》(こちら

 という言葉を書いた。

 この言葉は、どこでどう引用されて拡散されたものなのか、いまでもネット上をさまよっている。で、時々私のツイッターのタイムライン上にも顔を出したりする。

 これを引用している人たちは、おそらく、20世紀のマスメディアが持っていた特権が失われつつある現状を歓迎する意味で、私の言葉を広めてくれているのだと思う。

 が、私自身は、マスメディアの力が弱まったことはその通りだとして、だからといって、メディアの受け手である一般の人々の情報感度が高まったとは思えなくなっている。

 自分のアタマで考え、自分の判断でメディアの善し悪しを判定し、自己の責任において情報の真贋を見極めるためには、その前提として、メディアの受け手である側の人間の側に、相当に高い知性と判断力が備わっていなければ、話が成立しない。

 それができない人間は、結局のところ、良い気持ちにさせてくれる記事を信用し、自分にとって居心地の良い結論に飛びつき、感情をゆり動かす文章にひきつけられることになる。

 で、その結果が、ページビューを稼ぐことにばかり血道をあげるバイラルメディアの猖獗であり、あることないことを確認もせずに騒ぎ立てるまとめサイトの隆盛であるのだとしたら、マトモなメディアも、どうせその後を追うことになる。

 新聞社が運営するサイトでも、見出しの付け方は、5年前に比べてあきらかに扇情的になっている。

 紙の見出しとウェブ上の記事の見出しの乖離(←紙の新聞の見出しは「記事の要約」を基本に書かれるが、ウェブの記事の見出しには、同じ記事でも、よりクリックを誘発しやすい扇情的でひっかかりのある言葉が選ばれる)も、ますます広がっている。

 肩こりに苦しむ読者が霊能詐欺師の門前に導かれる近未来が、もうすぐやって来ると思っていた私の見込みは、毎度のことではあるが、甘かった。

 その近未来は、すでに来ている。
 私たちは、自ら選んだ結末として、大雑把でノロマで胡散臭くて出鱈目なマスメディアを葬り、よりきめの細かい悪辣さを備えたインチキメディアに魂を抜かれはじめている。

 不快な結末になった。
 いやな気持になった人は、生活習慣をあらためると良いでしょう。
 私の文章が不快なのは、あなたの心の中に住む悪霊のせいかもしれないので。

何を言っても自分に返ってくるような
悪辣なコラムだ。怨霊退散、怨霊退散!

 全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『超・反知性主義入門』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『ザ、コラム』が晶文社より発売になりました。以下、晶文社の担当編集の方からのご説明です。(Y)

 安倍政権の暴走ぶりについて大新聞の論壇面で取材を受けたりと、まっとうでリベラルな識者として引っ張り出されることが目立つ近年の小田嶋さんですが、良識派の人々が眉をひそめる不埒で危ないコラムにこそ小田嶋さん本来の持ち味がある、ということは長年のオダジマファンのみなさんならご存知のはず。

 そんなヤバいコラムをもっと読みたい!という声にお応えして、小田嶋さんがこの約十年で書かれたコラムの中から「これは!」と思うものを発掘してもらい、1冊にまとめたのが本書です。リミッターをはずした小田嶋さんのダークサイドの魅力がたっぷり詰まったコラムの金字塔。なんの役にも立ちませんが、おもしろいことだけは請け合い。よろしくお願いいたします。(晶文社編集部 A藤)

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