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インド・グジャラート州のアーメダバードには「ガンジー・アシュラム」という、ガンジーが活動の拠点としていた家が残っている。(写真:PIXTA)
インド・グジャラート州のアーメダバードには「ガンジー・アシュラム」という、ガンジーが活動の拠点としていた家が残っている。(写真:PIXTA)

 安倍首相が9月13日からインドを訪問することになった。安倍首相の訪印は2015年12月以来のことである。それ以前の2014年、2007年(第一次安倍政権時)にも訪印しており、首相として4度目のインド行きとなる。

 安倍首相の今回の訪印日程は、インド西部のグジャラート州で組まれている。グジャラート州はマハトマ・ガンジー生誕の地であり、同州のアーメダバードには、1915年から30年まで生活し、運動を指導した場所であるガンジー・アシュラムがある。ガンジーがインド独立運動の中で有名な「塩の行進(ガンジーとその支持者が約380キロメートルを行進した抗議行動。イギリスからの独立運動の転換点となった)」を実行したのは、アーメダバードから同州の海岸までであった。英国の植民地支配における塩の専売制に抗議するためであった。安倍首相は、現在ではガンジー記念館になっているガンジー・アシュラムを訪問する予定だ。

「寛容の精神こそが今世紀の主導理念」

 安倍首相は2007年の訪印時、インドの国会で演説した。その中で安倍首相は、次のように述べている。

 「アショカ王の治世からマハトマ・ガンジーの不服従運動に至るまで、日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています。

 私はインドの人々に対し、寛容の精神こそが今世紀の主導理念となるよう、日本人は共に働く準備があることを強く申し上げたいと思います」

 ガンジーは1869年に、グジャラート州にあったポールバンダル藩王国の宰相の家に生まれた。英国に学び、弁護士となり、南アフリカで活動した。しかし、そこはアパルトヘイト(人種差別)の国であった。ガンジーは、屈辱的な扱いを受けながら、インド系の人々に対する差別廃止のために戦った。ガンジーは逮捕され投獄された。インドを英国から独立させようというガンジーの決意は、ここで芽生えた。

 1915年、ガンジーはインドに帰国した。その1年前の1914年、第一次大戦が始まった。英国はインドに自治権を与えることと交換にインド兵を徴用した。しかし、大戦後、英国は自治権の供与を渋ったので、インド人の独立への願望はさらに強まった。ガンジーは武闘には走らず、「非暴力、不服従」を唱え、英国植民地政府による投獄や弾圧を受けながら、国民的な運動へと盛り上げた。

 ガンジー・アシュラムはガンジーの「聖地」であり、インド独立の精神を象徴する場所である。ここを安倍首相が訪れるのには何の不思議もないが、実は、中国の習近平国家主席も訪れている。2014年の訪印時にモディ首相に招待されたのだ。中国にとって、植民地支配に抵抗したガンジーは「中国における、欧米諸国や日本の侵略」と結びつけることができる。

 一方、安倍首相がガンジー・アシュラムを訪れる狙いは「非暴力」と「民主主義」の共有をアピールすることであろう。今回の訪印では、アジアの二つの民主主義大国としてアジア太平洋地域に民主主義を広めるための協力を行うことが合意文書に盛り込まれる見通しだ。

「アジアを代表するもう一つの民主主義国」

 安倍首相は2007年のインド国会演説で、次のようにも述べている。

 「さて、本日私は、世界最大の民主主義国において、国権の最高機関で演説する栄誉に浴しました。これから私は、アジアを代表するもう一つの民主主義国の国民を代表し、日本とインドの未来について思うところを述べたいと思っています」

 民主主義には二つの側面がある。実質面(ないし内容面)と手続き面である。

 インド憲法は、市民権、基本的人権、国の統治機構など民主主義の諸原則を定めている。しかしインドの現実は、貧富の格差、教育の実質的機会均等の欠如、時に生じる権力の乱用など、実質面、内容面では問題が多い。特に、カースト制度は、憲法上は違憲、法律上も違法だが、社会慣習として根強く残っており、民主主義の本質に合致しない。

「最後の超大国インド」/平林 博(著)/1700円+税
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 他方、手続き面では、民主主義が機能している。国政も州の政治も、必ず選挙で選ばれた行政の長や議会が担う。独立以来、クーデターもなく軍事政権の経験もない。途上国では、稀有の例だ。インドの有権者数は世界最大の8億人を超える(詳しくは、拙著『最後の超大国インド』(日経BP社)で解説している)。

 同じガンジー・アシュラムを訪れることになっても、日本と中国の首脳の狙いは違い、それに呼応するインド側の思惑もそれぞれ違っている。安倍首相がガンジーについてどう語るかというのは、訪印の注目点の1つであろう。

アショカ大王と仏教

 なお、安倍首相が演説の中で名前を挙げたもう一人、アショカ王は、仏教を広めた紀元前3世紀の王である。マウリア王朝の第3代の王から出発し、古代インドを統一した傑出した王であるため大王と称される。

 仏教は、紀元前5世紀に、北インドのシャキア王国の王子ゴータマ・シッダルタが悟りを開き、起こした宗教である。当時支配していたバラモン教の形骸化や弊害を除去した改革宗教であった。もっとも、因果応報、輪廻転生などの考え方は生かした。

 アショカ大王は、征服戦争によってインドを広範に支配下に置いたが、東部インドのカリンガ王国との戦いで数十万人という死者が出たことを深く悔悟し、仏教に帰依した。以後、アショカ大王は、仏教の布教と仏法(ダルマ)に基づく政治を旨としたため、仏教はインド全土に広まった。

 現在でも、アショカ大王が征服した各地に建立した柱(Ashoka Pillar)が残っている。サルナートにある柱の柱頭は、四方に顔を向けた4頭のライオンであるが、これがインドの国章となっている。4頭のライオンは、力と勇気、そして自信を表し、満開の蓮華(仏教の象徴)の上に載せられている。その下には、「真実のみが勝つ」を意味する言葉が記されている。政府機関の主要な建物の正面に必ず飾られ、公文書にも表示されている。

波乱万丈の宗教史

 現在のインドでは、宗教別の信者の割合は表の通りである。仏教徒は1%にも満たない。

(表:『最後の超大国インド』から転載)
(表:『最後の超大国インド』から転載)

 インドの宗教史は波乱万丈だ。

 バラモン教は、前述したように改革宗教として興った仏教によって次第にとってかわられたが、民間信仰に交じりながら生き延びた。それがヒンドゥー教である。

 イスラム教は紀元後7世紀にアラビア半島で生まれ、東西に広まっていった。陸路および海路を通じてインド亜大陸にも進出した。イスラム教が優勢となったインドでは、仏教はヒマラヤ地方に追われた。ヒンドゥー教は民間信仰として生き残り、特に西部や南部のインドでは、ヒンドゥー教を奉じる藩王国が群雄割拠していた。この状況は、英国がインドに進出し、ついには植民地化するに至っても変わらなかった。

 ヒンドゥー教は、日本の神道のように、多くの神々を崇める多神教である。ヒンドゥー教の神々の中では、特に三大神が重要な役割を果たす。宇宙を創造したブラフマ神、その宇宙を維持し管理するヴィシュヌ神、宇宙が退廃したときにこれを破壊して新たな宇宙を創るためにブラフマ神にバトンタッチするシヴァ神である。

 そして、ここが重要なのだが、ヒンドゥー教では、仏教を起こしたブッダはヴィシュヌ神がこの世を救うために化身となって現れた9番目とされている。

 ヒンドゥー教の神々は、仏教とともに我が国にも導入された。ブラフマ神は梵天、ヴィシュヌ神は毘紐天ないし那羅延天、シヴァ神は大自在天ないし大黒天へと変身して日本に入ってきた。これら三大神の妃たちも、夫に従って日本にやって来た。ブラフマ神の妃神サラスワティは弁財天(弁才天)に、ヴィシュヌ神の妃神ラクシュミは吉祥天に、シヴァ神の妃神パールヴァティは烏摩として日本に「帰化」した。

 「寅さん」で有名な帝釈天は、インドで最も古い雷神インドラである。

 このようなヒンドゥー教由来の神々は、わが国に入ると仏教の守護神となった。京都の東寺講堂の仏像群はヒンドゥー教由来の神々に守られた形で配置されている。三十三間堂の1001体の千手観音たちも、前面にヒンドゥー教由来の神々が配置されて守っている。

ヒンドゥー教の最高の聖地

 安倍首相が2015年12月に訪印した時には、デリーでの首脳会談の後、モディ首相は安倍首相をヴァラーナシ(ベナレス)に招待した。ヴァラーナシはヒンドゥー教の最高の聖地である。ヒンドゥー教徒は、ヴァラーナシを流れるガンジス河で沐浴すれば、それまでの罪はすべて清められると信じている。さらに、ガンジス河畔の火葬場で荼毘に付されそのまま河に流されれば、輪廻転生の業から解放され永遠の生を得ると信じている。

 また、ヴァラーナシ郊外には、仏教の八大聖地のひとつサルナートがある。サルナートは、ブッダガヤで悟りを開いてブッダとなった釈迦が最初に説法を行った(初転法輪)地である。

 モディ首相が安倍首相をヴァラーナシに招いたのは、単に自分の選挙区であるためではない。同地は、ヒンドゥー教と仏教の聖地が併存している、いわば日印の精神的絆を象徴するからであった。

2015年の訪印時に、ヴァラーナシのガンジス河畔で火を焚いて祈る安倍首相とモディ首相。(写真:インド首相府提供)
2015年の訪印時に、ヴァラーナシのガンジス河畔で火を焚いて祈る安倍首相とモディ首相。(写真:インド首相府提供)

宗教対立の懸念

 インドでは、ヒンドゥー教と仏教のほか、シーク教やジャイナ教も生まれている。また、外来の宗教も、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教(拝火教)を受け入れている。特に、イスラム教は15%近くを占めている。

 インドにおいては、このように多くの宗教が共存しているため、宗教対立が国体を揺るがすことのないよう、政教分離(世俗主義ともいう)が国是となっている。多数派のヒンドゥー教も国教ではない。

 この原則はおおむね順守されてきたが、ここ20年来、インド人民党(BJP)が政権を取るに至った1998年以来、ヒンドゥー至上主義の風潮が勢いを増してきた。その勢いは、モディ首相率いるインド人民党政権下で加速している感がある。これへの反動と世界的なイスラム原理主義の台頭により、ヒンドゥー教とイスラム教の対立が懸念されるようになっている。

次回に続く)

筆者/平林 博(ひらばやし・ひろし)氏

 日印協会理事長・代表理事。1963年東京大学法学部卒業、外務省入省。在外公館では、イタリア、フランス、中国、ベルギー、及び米国に勤務。本省では、官房総務課長、経済協力局長等を歴任。在米大使館参事官時代に、ハーバード大学国際問題研究所フェロー兼同研究所日米関係プログラム研究員。1990年駐米公使、1995年内閣官房兼総理府外政審議室長(現在の内閣官房副長官補)、1998年駐インド特命全権大使、2002年駐フランス特命全権大使、在任中にリヨン第二大学より名誉博士号を授与、2006年在外公館査察担当大使。2007年外務省退官。同年から現職。退官後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授、国土交通審議会委員、日本国際フォーラム副理事長、日本戦略研究フォーラム会長、数社の社外取締役などを歴任。
 近著は『最後の超大国インド 元大使が見た親日国のすべて』(日経BP社)。

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