鹿島アントラーズがFIFAクラブワールドカップの決勝に進出した。

 大切なことなのでもう一度書く。
 鹿島アントラーズがFIFAクラブワールドカップ(以下FCWCと略称します)の決勝に進出した。

 ……と、ひとり興奮している空気を演出しつつ、私がアタマのもう一方の側の冷静な部分で残念ながら自覚しているのは、自分のこのはしゃぎっぷりを、多くの読者は、むしろ冷ややかな視線で眺めているのであろうな、ということだ。

 実際、私たちが暮らしているこの極東の島国は、いま私が2度にわたってお知らせしたアントラーズの快挙の価値を、ほとんどまったく理解しない人たちが取り仕切っているどうにも息の詰まるようなムラ社会でもある。

 このことは、残念だが、認めなければならない。

 私の個人的な試算では、このたびのアントラーズによるFCWC決勝進出事案は、オリンピックの金メダルに換算して8個分の価値に相当する。が、多くのアタマの中に味噌汁しかはいっていない日本人は、アントラーズのこのたびの素晴らしい達成を、マイナー競技の銅メダル程度にしか評価していない。

 違うぞ、と、ぜひこの場をお借りして怒号しておきたい。
 金8個だ8個。
 10個と言わなかったのは、適当に口走っていると思われたくなかったからだ。

 私が、金8個と、あえてキリの悪い数字を提示してみせたのは、「詳細な検討の結果として算出されたガチな数字」であるニュアンスをアピールしたかったからで、つまり、それほど私は必死に訴えているのである。

 もし仮に、日曜日の決勝戦で、アントラーズが(原稿執筆時点の予想では、たぶんレアル・マドリードに)勝って優勝するということにでもなれば、メダルの数は一気に40個に跳ね上がる。

 それほど価値のあることなのだということを、ぜひ、話半分でも良いから、この場はとにかく信じてほしい。

 ここのところを信じていないアタマで読むと、これから先私が書くテキストは、単なるタワゴトにしか見えないだろう。

 なので、ここまでのところを読んで

 「なんだくだらねえ」

 と思った人には、先を読まない方が賢明だということを申し上げておく。そうした方が大切な人生の時間を節約できるだろうからだ。

 「やっぱり最後までくだらなかった」

 ということをわざわざ確認するために、あなたの時間を使うことは、あなたのためにもならないし、私のためにもならない。もちろんこの国の未来のためにもならない。

 きらいな人間同士はなるべく没交渉であるべきだ、というのが、今年1年で私が得た最も有意義な教訓だった。この智慧を皆さんにもシェアしておく。きらいな人間にはかまわないことだ。それだけで人生は2割ぐらい豊かになる。さようなら。

 先に進む。

 前述した通り、日本の平均的な善男善女の間では、FCWCが、サッカーの世界における一方の頂点であり、国際的にも大変に評価の高い大会であるということが、いまひとつ理解されていない。

 なぜなのか。

 ひとつには、この大会の放映権を独占し、その宣伝と普及の役割を担っている日本テレビが、どこをどう勘違いしたものなのか、毎年、企画番組のスタジオにジャニーズ事務所の人間を送り込み、世界的なサッカー選手に失礼な質問をぶつけるお笑い芸人を応援パーソナリティーとして重用し続けることで、この大会をいかにも安っぽいバラエティもどきの小芝居に見せかけてしまっている経緯がある。この間の事情は、サッカーファンの間では、言われ尽くしている耳タコ事案でもあるので、これ以上くどくどと追及することはしない。

 日テレ側の言い分を代弁すれば

 「サッカーマニアでない一般のテレビ視聴者を誘引するためには、人気芸人やアイドルの集客力が必要なのです」

 てなことになるのだろうが、当方の返事はたった一言

 「うるせえばか」

 ということに尽きる。
 反論にさえ値しない現場の人間の弁解に、いちいち真面目に付き合っている時間は無い。

 身内の人間たちの間ではどうせ、「ウィン・ウィン」だの「シナジー効果」だの「事務所とのお付き合い」だの「編成の顔も立てて」だの「他番組との兼ね合い」だの「言ってしまえばバーターですが」みたいな十年一日の相互弁解が飛び交っているのであろうが、そんなものはサッカーとは無縁な話だ。

 業界の人間の言う「ウィン・ウィン」は、昭和の時代劇の中で、口入れ屋の越後屋と悪代官が展開していた相互便宜供与の裏取引と選ぶところの無いもので、基本的には、ズブズブの贈収賄に過ぎない。

 「例の件、ぬかりはあるまいな」
 「ご心配なく。魚心あれば水心と申しますから」
 「越後屋、おまえもワルよのう」
 「お代官様こそ、欲がお深い」
 「ははははは」
 「ふふふふふ」

 話がズレた。
 きらいな人間にはかまわないと、さっき自分でそう言ったばかりなのに、どうして自分は越後屋を放置できないのだろうか。

 アントラーズの戦いぶりの見事さを賞賛しつつ、実のところと、その一方で、私の心の中には、今なお、すっきりしないわだかまりがある。

 というのも、現在鹿島アントラーズが戦っているFCWCのピッチは、もしかしたら、浦和レッズが立っていた舞台だったのかもしれないという思いが、どうしても拭いきれないからだ。

 アントラーズは、今回、「開催国枠」という資格で、当大会にエントリーしている。

 FCWCにおける開催国枠の意味を説明する前に、FCWCの前史にあたるお話を、ざっと振り返っておく。

 FCWCの前身は「ヨーロッパ・南アメリカカップ(インターコンチネンタルカップ)」と呼ばれるクラブチーム世界一を決めるカップ戦だった。

 インターコンチネンタルカップは、長らくヨーロッパカップ(現在の欧州チャンピオンズリーグ)を勝ち取ったクラブチームと、サウス・アメリカ・カップ(リベルタドーレス杯)で勝利した南米王者のクラブチームが、ホーム・アンド・アウェーで雌雄を決する大会として、世界中のサッカーファンに親しまれていた。

 ところが、この大会は、いつしか、熱狂した観客による暴力事件やトラブルに見舞われるようになった。これに業を煮やしたFIFAは、1980年からは、中立地である日本での一発開催でこの大会を存続することにした。

 ちなみに、開催地に日本を選んだのは、治安が良いことと、資金的な余力を備えていたことが理由だったと言われている。

 この日本での決勝大会は、大会をスポンサードしたトヨタの名前を冠して、1980年から2004年まで「TOYOTA CUP」という名前で、世界のクラブチームサッカーの頂点を決める大会として、広くサッカーファンに知られることとなった。

 2005年からは、Wikipediaの解説に

「2005年からインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を吸収し、6大陸の選手権王者がトーナメント方式で優勝を争う形となった。2005年までの大会名は「FIFAクラブ世界選手権」(英: FIFA Club World Championship)であったが、2006年以降「FIFAコンフェデレーションズカップ」を除くFIFA主催による国際大会の名称を「ワールドカップ」で統一する方針により、現在の大会名に改められた。」

 とある通り、出場国枠を6大陸のクラブチームに拡大して現在に至っている。

 なお、TOYOTAは、2014年を最後に大会スポンサーから撤退している。このため、2005年以来「TOYOTAスポンサードFIFAクラブ・ワールドカップ」と呼ばれていたこの大会の名称のスポンサーの部分は、以後、適宜変更されているようだ。

 さて、現在のレギュレーションでは、FCWCの決勝大会は、ヨーロッパ、南米、アジア、アフリカ、北中米カリブの5大陸の代表に、オセアニア代表と開催国枠の1チームを加えた7つのチームで優勝を争うことになっている(ちなみに開催地は、2005~08年が日本、09、10年がアラブ首長国連邦、11、12年日本、13、14年モロッコ、そして15、16年が日本だ)。

 開催国枠のチームは、トーナメントの予選に相当する第1ラウンドで、オセアニア代表と第2ラウンドへの進出権を争う。で、参加チームを6チームに絞った時点で、あらためて第2ラウンドが開催される。

 準々決勝をシードして準決勝から登場するヨーロッパ、南米の代表を第1シード、準々決勝から登場するアジア、アフリカの代表を第2シードとするなら、開催国枠は、オセアニア代表とともに、第3シードというのか、7チームの中で、この2チームは、1段階格下の扱いから出発することになる。

 それというのも、開催国枠は、各大陸の予選を勝ち抜いて来た結果として参加しているほかの大陸代表のチームと違って、大会の観客動員に資することを狙って設けられた、言ってみれば「おまけ」の参加枠だからだ。

 日本で開催される年のFCWCには、そのシーズンのJリーグの優勝チームが参加することになる。

 今年は、鹿島アントラーズが有資格チームということになった。
 ここにおいて、浦和レッズのサポーターである私の心中には、ひとつの葛藤が生じる。

 

 葛藤というよりは、一オールドファンの未練に過ぎないのかもしれない。要は、

「ああ、Jリーグチャンピオンシップ決勝の第2戦で、最後のあの無駄な失点をしていなければ、レッズが優勝していたはずなのに」
「っていうか、それ以前に、Jリーグが目先のカネに転んで2シーズン制なんていう意味不明なレギュレーションを採用せずに、世界基準通りに年間勝点王者を優勝チームとする王道の既定に従っていれば、わがレッズが文句なしの優勝チームだったはずじゃないか(机ドン!)」
「とすれば、FCWCの栄光のピッチを疾駆するチームは、わが浦和レッズだったはずなのだ」

 ということだ。まあ、愚痴と思ってくれてかまわない。実際愚痴なわけだし。

 鹿島アントラーズの決勝進出について、

 「まぐれっていうかフロックっていうか、なんかの間違いだろ」
 「出場自体おまけなのに、どうして図々しく勝つ?」
 「そもそもあのPKはインチキじゃないか」
 「世界中のサッカーファンが南米とヨーロッパの決勝戦を楽しみにしていたのに、どうしてここに場違いな素人チームがまぎれこんで来るんだ?」
 「紅白歌合戦に上高田少年合唱団が出場したみたいな違和感」
 「F1のサーキットをホンダフィットが走ってるみたいな場違い感」
 「ベルリン・フィルに小学生のリコーダーがまぎれこんだみたいなガッカリ感」

 といった調子の罵詈雑言が投げかけられていることはご承知の通りだ。
 が、これらの罵倒は、いずれも問題外のいちゃもんに過ぎない。
 多くは、嫉妬や羨ましさから来る粗探しで、それ以上のものではない。
 嫉妬と羨ましさで心乱れている私が言っているのだから間違いない。

 要するに、アントラーズサポ以外のサッカーファンは、うらやましくてアタマがおかしくなりそうなのである。

 ここで、あえてアントラーズの見事さを文字にしておくことにする。
 この作業を自分に強いておかないと、私は、たぶん心から応援することができない。

 特定のチームをサポートすることは、明らかな排外主義者として振る舞う覚悟を要求する仕事でもある。
 一方、リーグの立場を離れて、別の枠組みで、外国のチームと戦うことになれば、敵チームと言えども、同じ祖国のサッカーを代表する頼もしい仲間ということになる。
 ここのところの気持ちの整理は、簡単ではない。

「敵の敵が味方なのだとしても、アントラーズは味方ではない」

 ということを言うレッズファンはたくさんいる。

「アシダカグモがゴキブリの敵だという理由で、お前は八本足の生き物と共闘できるのか?」

 と、頑なに孤塁を守るサポも少なくない。
 が、昨日の敵は今日の友だ。
 それがサッカーの良いところで、本当の戦争と違っているところだ。

 アントラーズが決勝進出チームとして頼もしいのは、彼らが下克上の選手たちだからだ。
 決勝の相手となる(たぶん)レアル・マドリードの相手として、彼ら以上にふさわしい対戦相手はいない。

 アントラーズは、リーグチャンピオンシップに「Jリーグ年間勝ち点3位チーム」ならびに、ファースト・ステージの優勝の資格で出場している。

 で、その準決勝で、彼らは、川崎フロンターレに勝ち決勝に進んでいる。

 続く浦和レッズとの決勝戦では、ホームでの第一戦を0-1で敗北し、アウェーでの第2戦もいきなり相手に先制されたところから、2-1の逆転で勝利している。

 なんという土壇場の逆転力だろうか。
 さらに、FCWCの第1ラウンドでは、先制を許したところから逆転で勝利をおさめ、準々決勝のサンダウンズ戦でも、圧倒的に攻め込まれてシュートゼロで終わった前半から、後半に謎のような建て直しに成功して2-0で勝っている。

 これらの戦いを通じて言えるのは、鹿島が、一貫して「苦しい戦い」を「押されながら」「攻め込まれつつ」「耐えに耐えて」「なんだかわからないうちに」「あれよあれよと態勢を建て直しつつ」「摩訶不思議な修正力と謎の戦術対応で」「後半の最後のあたりでそれまで内に秘めていた実力を発揮し」「敵の一瞬のスキを突いて」「うまうまと」「スルスルと」勝ってきたという事実だ。

 1回や2回ならまぐれということもできるだろう。
 が、これだけ同じシナリオの逆転劇が続いている以上、これは彼らの身についている何らかの力なのだと判断せざるを得ない。

 個人的な見解を述べれば(って、生まれてこのかた個人的な見解以外の見解を述べたことなんかありゃしないわけだが)、私は、アントラーズのこの異様な戦術修正能力と、火事場対応は、個々の選手の個別のスキルやフィジカルとは別のところに宿っているもので、能力というよりは、「めぐりあわせ」に近いものだと考えている。

 その「めぐりあわせ」というのは、具体的に言えば、3人の選手がチームとして動く時の、3人目の選手の位置取りの適切さみたいなことだ。これは、もちろん訓練の積み重ねで身につくものでもあるのだろうが、結果から逆算して観察するに、まるでテレパシーが介在しているというふうにしか思えなかったりするのだ。

 「文章の品格は、言葉にではなく行間に宿るものだ」というお話が、仮にその通りなのだとしても、実際に文章を書く段になってみると、われわれは、言葉を書くことはできても行間を書くことはできない。

 ところが、アントラーズの選手たちは、ゴール前で、それをやってのけているように見えるのだ。

 「どうしてああいうところから選手が走り込んでくるんだ?」
 「自陣のゴールマウスの中から外に向かってヘディングするのって、それ、どういうポジショニングなんだ?」

 不思議なことばかりだ。
 アトレティコ・ナシオナルとの試合は、結果として、3-0というスコアになった。
 内容的には、終始押され気味だった。
 が、このスコアに落着したことは慶賀すべきことだ。

 3-0で勝っているにもかかわらずえらい言われようをしている現状から鑑みるに、これがたとえば、前半のあのPKの1点のみによる1-0の勝利だったら、何を言われるかわかったものではない。

 その意味で、2点目と3点目は、野次馬を黙らせるに足る素晴らしい仕事だった。

 決勝がどんな試合になるのか、予想するのはやめておく。
 外れたらくやしいし、万が一当たったらもっとくやしいからだ。

イラストは鹿島アントラーズの金崎夢生(かなさきむう)選手、とのことです。
担当編集者もこの方を存じませんが、オダジマさんが楽しげなので良しといたします。

 全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『超・反知性主義入門』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『ザ、コラム』が晶文社より発売になりました。以下、晶文社の担当編集の方からのご説明です。(Y)

 安倍政権の暴走ぶりについて大新聞の論壇面で取材を受けたりと、まっとうでリベラルな識者として引っ張り出されることが目立つ近年の小田嶋さんですが、良識派の人々が眉をひそめる不埒で危ないコラムにこそ小田嶋さん本来の持ち味がある、ということは長年のオダジマファンのみなさんならご存知のはず。

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■変更履歴
記事掲載当初、本文中に鹿島アントラーズがJリーグファースト・ステージで優勝していなかったという意味の記述がありましたが、混乱した筆者の勘違いでした。鹿島アントラーズの選手、関係者、ファンの皆様に心からお詫びいたします。本文は修正済みです。 [2016/12/16 10:00]
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