東京ビッグサイトで開催された「オートモーティブワールド」
東京ビッグサイトで開催された「オートモーティブワールド」

 トヨタ自動車が、一線を超えた――。毎年1月、 自動車関係者が多く集まるイベントが東京ビッグサイトで開かれる。複数の自動車技術関連のイベントをまとめた総称として「オートモーティブワールド」というのだが、このイベントの一環として開催された技術セミナーで、自動運転について講演したトヨタのエンジニアの言葉に、筆者は耳を疑った。それは、これまでのトヨタの開発方針から、逸脱したものだったからだ。

 その発言は、「自動運転技術に対するトヨタの考え方」を説明したときに飛び出した。説明した「考え方」には、以下のような4項目がある。

  1. 「すべての人」に「移動の自由」を提供する
  2. ドライバーが運転したいときに運転を楽しめない車は作らない
  3. 運転したくないとき、できないときは安心して車に任せることができる
  4. Mobility Teammate Conceptのもと、人と車が協調する自動運転を作る

 これらの方針は、一見すると特筆すべきことは何もないように感じるかもしれない。しかし、これらの方針は、明らかにこれまでのトヨタの自動運転に関する開発方針から一歩踏み出したものなのだ。なぜならそこには、「完全自動運転」を目指すという方針が、明確に刻み込まれているからである。

 実際、講演したエンジニアは「すべての人に移動の自由」を提供するという方針を説明したときに、「運転ができない人にも移動の自由を提供したい」と語り、また「Mobility Teammate Concept」について言及したときには、「同コンセプトの考え方に基づきながらも“究極を目指す”」と明言したのである。運転ができない人に移動の自由を提供するということは、人の操作を全く必要としない自動運転の実現を意味し、「究極を目指す」という言葉も「究極の自動運転」すなわち「完全自動運転」を指すことは明白だ。

開発方針を大きく転換

 なぜこんな、政治家の発言の真意を読み解くような、言葉の解釈にこだわるかというと、トヨタはこれまで自動運転車の開発方針として、開発担当者や開発担当役員が「ドライバーを必要としないような自動運転車は作らない」としばしば公言し、自動運転技術を「人間が安心してクルマを運転できるようにサポートするための、ドライビング・プレジャーを向上させるための技術」と位置づけてきたからだ。「完全自動運転」すなわち人間のドライバーを必要としない運転技術を目指すとすれば、それはこれまでの開発方針を大きく転換することを意味する。

 こうした開発方針の大転換は、経営者の意思決定なしにはあり得ない。トヨタの豊田章男社長自身、これまで公の席で「自動運転の開発の目的は交通事故をなくすこと」「所有者がクルマを愛車と呼ぶ意味にこだわりたい」「自動車メーカーが造るのは『愛車』。これに対し、IT(情報技術)企業が造るのは『i車』という違いがある…」などと発言しており、「完全自動運転」を目指さない方針を明確に打ち出していた。

 これまでのトヨタの開発方針も、こうした社長のポリシーに沿うものだった。トヨタはつい3カ月ほど前の2015年10月、先の4つの「考え方」の中にも出てきた「Mobility Teammate Concept」を、同社の自動運転に対する考え方として表明したばかりだ。このコンセプトは、「人とクルマが同じ目的で、ある時は見守り、ある時は助け合う、気持ちが通った仲間(パートナー)のような関係を築くトヨタ独自の自動運転の考え方」(トヨタ)であり、人間と機械が助け合うことで、より高い安全性を求めていくという方針が表れている。この方針は、人間のドライバーを必要としない「完全自動運転」とは相容れない。

 実際、2015年10月にこの方針を打ち出した際には、この方針に基づいて開発した自動運転の実験車両「Highway Teammate」を公開し、2020年に同社が実用化を目指す高速道路での自動運転技術のデモ走行を実施し、首都高速道路での合流、車線維持、レーンチェンジ、分流を報道関係者に体験させた。それからわずか3カ月後の方針転換。豊田社長には、どんな心境の変化があったのか。

トヨタ自動車が2015年10月に報道関係者を同乗させてデモ走行を実施した自動運転の実験車両「Highway Teammate」(写真提供:トヨタ自動車)
トヨタ自動車が2015年10月に報道関係者を同乗させてデモ走行を実施した自動運転の実験車両「Highway Teammate」(写真提供:トヨタ自動車)

 その舞台裏を伝える注目すべき報道が、2016年1月13日付の「ウォール・ストリート・ジャーナル」の電子版によってなされた。この報道によれば、2015年9月に3人の幹部が、トヨタも完全自動運転を含めた自動運転車の開発に取り組むべきと進言しようと、社長室に入ったという。長時間の説得を覚悟していた幹部たちだったが、説明を始める前から、豊田社長は既に考えを変えていた。

 この心境の変化が起こったきっかけは、1年以上前に、格好いいクルマに乗りたがっているパラリンピックの選手たちと会ったことだという。そこから「運転することができない人を含むすべての人に、移動の自由を提供する」という新しい方針が生まれた。この新しい方針が、国内で公の場で表明されたのは、筆者の知る限り、今回のセミナーが初めてのことではないか。

 ただし、完全自動運転の実現には、まだまだ技術的な課題が多いほか、法的な整備が進み、社会の受容性が高まることも必要だ。今回のトヨタの講演では、そうした困難に対してどのような技術開発や法整備が進んでいるかについても、これまでのトヨタの自動運転に関する講演に比べて格段に踏み込んだ説明があり、この技術に対する本気度をうかがわせた。

「完全自動運転のその先」をにらむ日産

 「完全自動運転を目指す」という大きな方向転換をしたトヨタに対し、従来から完全自動運転を究極の目標に据えてきた日産も、同じセミナーで講演し、自動運転への取り組みについて説明した。

 トヨタやホンダが、2020年に高速道路での自動運転技術の実用化を目指しているのに対して、日産は2020年に、一般道路を含めた自動運転技術を実用化すると表明している世界で唯一の完成車メーカーである。そのため、一般道路を走行するうえでの困難や、それを克服するための技術開発について講演したのに、筆者は興味を惹かれた。

 自動運転車が普及するうえで重要なポイントとして日産は「乗員が安心して移動を楽しめる自動運転」と「交通社会に受け入れられる自動運転」の2点を挙げた。このうち「乗員の安心」という点で重要な技術の例として、ブレーキの踏み方などを挙げた。

 一般道路では、発進・停止が頻繁に発生するが、ブレーキを踏み始めてから停止するまでの時間は、ドライバーによって大きく異なる。あるいは、路肩に停車しているクルマの脇を通り過ぎる際に、どの程度の速度で、どの程度の間隔を取るかも、ドライバーにより様々だ。こういった問題に対応するため、日産はドライバー各人の運転の特徴を学習し、この結果に基づいてドライバーが好む運転パターンを再現することを考えている。

 また、交通社会への受け入れという観点では、1つの例として、歩行者と自動車の関係を挙げた。歩行者は自動車の動きや、アイコンタクト、手振りなどからドライバーの意図を解釈して、道路を横断しても大丈夫かどうかを判断する。例えば、横断歩道を渡り始めたとしても、クルマが減速しなければ立ち止まるなど、クルマの反応を観察して行動を調節する。ただし、その調整の度合いは、各国の慣習により異なる。

 このために、日産は歩行者や自転車にクルマの意図を伝えるためのディスプレイを備えることなどを検討しており、この連載の第39回でも紹介したように、2015年秋の東京モーターショーに出展したコンセプト車「IDS Concept」では、フロントウインドーの下に「お先にどうぞ」などの歩行者や自転車へのメッセージを表示する機能を搭載している。

 単にクルマの運転を自動化するための技術を開発するだけでなく、「その先」で必要になる、他のクルマや歩行者、自転車とのコミュニケーション手段の検討も始めているところに、日産の先進性がある。

日産自動車が2015年秋の東京モーターショーに出展した「IDS Concept」。自転車が横を通ると、車体の側面が光り、自転車に乗る人に、「認識していますよ」と知らせる(写真提供:日産自動車)
日産自動車が2015年秋の東京モーターショーに出展した「IDS Concept」。自転車が横を通ると、車体の側面が光り、自転車に乗る人に、「認識していますよ」と知らせる(写真提供:日産自動車)

クルマの価値の60%はソフトウエアに

 もう1つ、筆者が日産の講演で「その先」を感じたのは、自動運転技術が自動車産業自体の大きな変革につながることを日産が見据えていることだ。筆者はこの連載の第11回で、自動運転技術が自動車産業の大きな変化につながる可能性があることを紹介したが、これまで日本の完成車メーカーでそうした展望を示すメーカーはなかった。

 今回のセミナーで日産は、クルマの価値が現在は車体の剛性や合わせ品質、乗り心地など「ハードウエア」によって90%がつくりだされており、「ソフトウエア」がもたらす価値は10%にすぎないが、2020年になると、自動運転技術や、ドライバーの意のままの走りを実現する制御など、価値の60%がソフトウエアによってもたらされるようになるという予測を紹介し、クルマが“鉄の箱”から“ソフトウエアの塊”へと変貌していくことを示した。

 また、国内の自動車関連ビジネスの規模が約4000億ドル(1ドル=120円換算で約48兆円)に達するうち、クルマの製造、販売、アフターサービスなど、完成車メーカーやディーラーが関わる部分は半分にも満たないとし、残りはガソリンスタンド、保険、レンタカー、中古車販売などが占めているが、将来はオンラインのタクシー配車、オンラインショップ、eコマースなどの新しいプレイヤーが交通社会に参入し、新しい価値を提供するようになるという見通しを示した。

 今回のセミナーでは、新しいプレイヤーの参入がもたらす具体的な未来像を示すところまではいかなかったが、自動運転の技術が、自動車ビジネスのあり方を変えることまで、日産が視野に入れていることを示す発表だった。

 実際、2015年秋の次回モーターショーで、日産の説明員に話を聞いたときにも、2017年の東京モーターショーでは、単に自動運転のコンセプトカーにとどまらず、交通社会の変化まで視野に入れた展示をしたいと語っていた。

 トヨタが「完全自動運転」まで視野に入れ始めたのは大きな変化だが、そこにとどまらず、日産以外の完成車メーカー各社もそろそろ「自動運転技術そのもの」だけでなく、「自動運転によって交通社会や自動車ビジネスがどう変わるか」について語る時期が来ているのではないだろうか。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

この記事はシリーズ「クルマのうんテク」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。