サウジアラビアが大きく揺れている。

 11月4日、有力王族・現職閣僚・有名実業家数十名が突然汚職容疑で拘束された。国内的には脱石油依存を目指す国内改革「サウジ・ビジョン2030」の進捗遅延が、国際的にも対イラン関係を中心に緊張激化が伝えられる中、次期国王を目指すムハンマド・ビン・サルマン皇太子による権力基盤強化の動きと見られている

 本稿では、最近のサウジを巡る内外の情勢を展望するとともに、今回の拘束劇の概要を紹介し、今後の展開を考えたい。

国内改革の停滞

サウジアラビアのサルマン国王(左)はムハンマド皇太子(右)と共に、傷みの伴う国家改革に乗り出した。(写真=AP/アフロ)
サウジアラビアのサルマン国王(左)はムハンマド皇太子(右)と共に、傷みの伴う国家改革に乗り出した。(写真=AP/アフロ)

 現在、サウジアラビアは、サルマン国王の第7男で次期王位継承権者であるムハンマド皇太子主導の下、石油収入に依存する経済体制から脱却するための経済改革プログラム「サウジ・ビジョン2030」を進めているところであるが、その進捗状況は必ずしもはかばかしいものではない。

 ビジョンの具体的な数値目標を示した「国家変革計画」(National Transformation Plan)の実施が遅れており、目標数値の下方修正や実現年次の先送りが続出している模様で、年内にも改訂発表があると言われている。例えば、2016年6月に公務員給与の削減が発表されたが、17年5月にはその方針が撤回され、給与の削減分が遡って支給された。

 また、歳入・歳出の財政均衡の実現年次も20年から23年に先送りされると見られている。ビジョンの中核は、若年・女性労働力の活用による非石油・民間部門の経済活性化であるが、これまでの石油依存経済に慣れてきた保守層や官僚たちからは反発が強いという。

女性の自動車運転解禁

 しかし、そうした中で、9月26日には、大きな進展があった。女性の自動車運転を18年6月から解禁することが発表された。女性の運転禁止は、サウジの閉鎖性・女性の人権制限の象徴的規制であったが、女性の社会進出を促進するためには必要不可欠な措置で、長年の懸案でもあった。

 イスラム法上、その旨定められているわけではないが、宗教界からは、解禁反対が強かっただけに、驚きをもって受け止められた。家族の宝(主人の所有物)である妻や娘が自分の意志で移動してはおかしいではないかと、サウジ人から聞き、筆者は妙に納得したことがある。

 この発表前の9月10日には、サウジの宗教指導者多数が逮捕されており、改革への抵抗勢力として、宗教界に対しても実力行使に出ている。

アラムコ上場の難航

 また、ビジョン実施の前提、改革のための財源措置として予定されているのが、国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)である。当初、18年中に、資産価値約20兆ドルの5%を株式公開し、サウジ国内外の株式市場に上場することとされていた。

 ところが、ここに来て、どうも、株式公開の実施が遅れそうな模様である。アラムコ当局からは予定通りであるとの発表が行われているが、英「エコノミスト」等の海外メディアからは、19年に先送りされるとか、上場はサウジ国内取引所だけで海外では関係先への私募にとどまるとか、種々の観測が出ている。

 総資産も想定の2兆ドルにはるかに届かない、あるいは、アラムコの経営情報の開示が海外株式市場の上場基準に遠く及ばない、などとも言われている。そもそも、原油価格が低迷している現状は、株式上場のタイミングとして適当ではない。

 しかし、本来、この改革は、長期にわたる原油価格の低迷を前提に、石油収入への国家財政の依存から脱却することを目的としている。ここで、原油価格が回復した場合、改革へのモメンタムが低下する可能性がある。原油価格が回復すると改革の必要性が薄れる。原油価格の回復は、サウジにとって、「もろ刃の剣」であろう。

「未来投資イニシアティブ」

 さらに、10月24日から26日には、今回関係者が拘束されていると伝えられる最高級ホテル・リッツカールトン・リヤドで、公共投資基金(PIF)主催の国際金融会議「未来投資イニシアティブ」が開催された。

 公共投資基金は、サウジの国家投資ファンド(SWF)であるとともに、将来的には、アラムコを含め民営化後の国営企業株式の受け皿となることを予定しており、今回の会議はそのお披露目の意味がある。会議には、世界の著名投資家とともに、国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事も出席した。公共投資基金と10兆円規模のファンドを組成したソフトバンクグループの孫正義氏がムハンマド皇太子と並んで着席する写真も配信された。

 また、会議では、紅海沿岸に5000億ドルを投じ、自動運転、人工知能、ロボット、再生可能エネルギー等の最先端技術を集積した新都市を建設する計画が発表された。

対外関係の行き詰まり

 サウジを巡る対外的関係も、対イラン関係を中心に良好とは言い難い。

 16年1月に国交を断絶して以来、イランとの関係は、石油政策やメッカ巡礼受け入れなど特定の問題を除いて、改善の兆しは見られない。むしろ、イエメンを実効支配するフーシ派やレバノン政府と対立する武装集団ヒズボラへのイランの支援に対するサウジの反発は高まっている。

 偶然かもしれないが、汚職容疑の拘束があったのと同じ11月4日には、フーシ派からイラン製ミサイルの攻撃を受けたとの報道があり、ヒズボラの攻勢を警戒しレバノンからの自国民の退去を勧告している。

 また、イランへの融和姿勢をとるカタールとの対立も、6月5日の国交断絶以来、電話会談等接触の機会はあったものの膠着状態にある。そのため、イランに対抗する有力な地域組織である湾岸協力協議機構(GCC)も機能不全に陥っている。

 シリアにおいても、三つ巴の対立の中で「イスラム国(IS)」は打倒されたものの、サウジが支援する反政府勢力は優勢とはならず、ロシアとイランに支援されたアサド政権の勢力が回復した。イランと同じシーア派が政権を握るイラクを含めて、サウジは、イラン(シーア派)の包囲網を大きな圧力として感じている。

 対米関係については、5月のトランプ大統領の初外遊先となり、サウジ外交は大統領の支持を得ているように、ホワイトハウスとの関係は良好であるが、議会や国務省、国防総省、情報機関等との関係は必ずしも回復しているとは思えない。カタール断交についても、大統領は一貫してサウジ支持であるが、ティラーソン国務長官は双方に対し中立的な仲裁姿勢を堅持している。

サルマン国王のロシア訪問

サウジアラビアのサルマン国王は2017年10月、ロシアを初めて訪れプーチン大統領と会談した。この直後、息子のムハンマド皇太子が主導する形で、王族の大量拘束が実施された(写真:ロイター/アフロ)
サウジアラビアのサルマン国王は2017年10月、ロシアを初めて訪れプーチン大統領と会談した。この直後、息子のムハンマド皇太子が主導する形で、王族の大量拘束が実施された(写真:ロイター/アフロ)

 こうした状況の中、外交関係の立て直しのため、サウジは、ロシアとの協調路線に舵を切った。10月5日、サルマン国王はサウジ国王として初めてロシアを訪問し、プーチン大統領と会談した。

 両国は、20億ドル(約2300億円)規模の投資ファンド設立を含むエネルギー・経済部門における協力協定を締結、軍事面ではロシア製地対空ミサイルの導入で合意するとともに、原油の協調減産合意の延長等についても協議したといわれる。サウジは、ロシアとの協調関係の演出によって、米国をけん制するとともに、イランとシリアに対するロシアの影響力行使を期待したものと思われる。米国は、このロシア製ミサイル購入で、保留中であった対空ミサイルシステムTHAADの対サウジ供与を即時承認した。

 当然、両国が主導する原油価格維持・回復に向けた協調関係も確認されたことは間違いない。この機会に、ファリハ、ノバク両エネルギー相の2国会談はもちろんのこと、イランのザンガネ石油相らモスクワに参集した主要産油国石油相との会談も行われ、協調減産を18年の年末まで9か月延長することが合意されたと言われる。

 その結果、足元で原油価格は堅調に推移しており、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)先物価格は60ドル/バレル近くまで上昇した。サウジにとっては来年のアラムコ上場を控え、また、ロシアにとっては来年春のプーチン大統領再選を控え、原油価格の維持は必要不可欠なのだろう。

対イラク関係の見直し

 また、外交関係で注目されるのは、対イラク関係の改善に動いていることである。

 イラクは、イラク戦争後、米国ネオコン主導の「民主選挙」実施で、シーア派政権が成立し、スンニ派であるフセイン政権時代の反イラン政策から、親イラン政策に転換した。そのため、イラクは、イランによるサウジ包囲網の一翼を担っている形であるが、10月22日には、新政権成立後初めて、イラクのアバディ首相がサウジの首都リヤドを訪問し、国王・皇太子と会談するとともに、米国のティラーソン国務長官を交えて、三か国会談も開催された。

 米国とサウジは、イスラム国(IS)打倒のためイラクに派遣していたイラン民兵の撤退を要請したと報じられている。石油関連では、湾岸戦争時の戦時賠償でサウジが接収し利用していた、イラクからサウジを経由し紅海につながる「イラク・パイプライン」(IPSA)の再開が話題となった模様である。

有力王族・現職閣僚・有名実業家等の拘束

 17年11月4日、サウジのサルマン国王は、勅令を発令。ムハンマド皇太子をトップに、検事総長・会計検査院長等をメンバーとする腐敗防止委員会を設置、腐敗防止に必要な措置を取る権限を与えた。また、同日、別の勅令で、ムトイブビンアブダッラー国家警備隊相(長官)、ファッキーフ経済企画相、アブダッラースルタン海軍司令官の解任を発表した。

 5日には、サウジ・メディアは、同委員会の命令で、11人の王族、4人の現職閣僚、数十人の官僚・実業家等が拘束されたと報じた。拘束者は、王宮に近いリヤドの最高級ホテル、リッツカールトンに軟禁、取り調べを受けているという。リッツカールトン・リヤドの日本語サイトで、空室照会カレンダーを見ると、来年1月末まで「ご利用いただけません」の表示が出ている(11月14日現在)。

拘束現場とされるリッツカールトンホテル・リヤド(写真は同社サイトから)では来年1月末まで、宿泊予約ができない状態になっている
拘束現場とされるリッツカールトンホテル・リヤド(写真は同社サイトから)では来年1月末まで、宿泊予約ができない状態になっている

 拘束者名簿が公式発表されているわけではないが、拘束されたと伝えられる人々は、概ね3つのグループに分けられる。

ムハンマド皇太子は国軍・警察・国家警備隊を自らの指揮下に

 第1は、王族メンバーである。このグループは、後継国王として名前が挙がったこともあるムトイブ国家警備隊相、トルキビンアブダッラー元リヤド州知事らアブダッラー前国王の子息など、前国王と関係が深いメンバーが中心である。特に、国家警備隊(National Gourd)は、国軍とは別系統の軍隊組織で、遊牧民「ベドウィン」のラクダ部隊の伝統を受け継ぐ勇猛果敢な精鋭部隊といわれる。

 ファハド元国王やサルマン現国王など「スデイリ・セブン」(スデイリ家のハッサ妃から生まれた7兄弟)といわれるサウド家の主流派に対して、王族内基盤の必ずしも強くなかったアブダッラー前国王が、国王に即位でき、10年間の治世でリーダーシップを発揮できたのも、国家警備隊の武力が背景にあったからだといわれる。

 ムハンマド皇太子は、15年の父王サルマンの王位継承時に、父王から国防相の地位を受け継いだ。また、17年6月21日には、内務相を兼任するいとこのムハンマドビンナイーフ皇太子(当時)が解任、廃位され、副皇太子から昇格したムハンマド皇太子が警察・検察組織を掌握した。

 今回の措置で、ムハンマド皇太子は、国軍・警察・国家警備隊と3つの実力組織を自らの指揮下に置くこととなり、その国内権力基盤は大幅に強化されたと言える。汚職容疑でライバルを追い落とし、権力基盤を強化するとともに、国民的人気を高めようとするのは、習近平を見るまでもなく、よくある話でもある。

改革遅延の責任を取らされたか?

 第2のグループは、ファッキーフ経済企画相、アッサーフ前財務相、ダッバーグ総合投資庁長官、王宮府長官、前・現儀典長など、現職閣僚を含む経済・王宮官僚である。

 汚職容疑での拘束ではあるが、むしろ、改革に抵抗したか、改革遅延の責任を取らされ、解任されたと見るのが妥当であろう。ファッキーフ経済企画相は、「サウジ・ビジョン2030」の担当大臣で、ムハンマド皇太子との関係は悪くないと言われていた。ビジョン自体、その原案は米国のコンサルタント会社マッキンゼーが作成したと言われ、最近では、経済企画省は「マッキンゼー省」と揶揄されている。テクノクラート官僚として、ファッキーフには言いたいことが沢山あったのだろうと推測する。

「アラブのバフェット」も拘束

 第3のグループは、世界的な投資家、「アラブのバフェット」といわれるワーリッドビンタラール王子を含む、サウジの財閥経営者・有名実業家である。この中には、ウサマビンラーディンの実家の異母兄バクルビンラーディン、大財閥バラカグループ代表も含まれる。ビンラーディングループは、歴代王族との関係が深いサウジ最大の建設業者で大規模公共事業で拡大してきた。

 実は、筆者には、このグループが摘発対象となったことは意外であった。特にワーリッド殿下は、国内改革の必要性を常々主張してきた改革派であり、国際的影響力も大きい。サウジ経済の中で、非石油部門を成長させ、民間部門を振興させることが、皇太子の主導する国内改革の中核である。改革に逆行する措置に見える。

 ただ、米「ウオールストリートジャーナル」によれば、拘束者は200人を上回り、差し押さえた銀行口座は1700口、没収金額は1000億ドルを超えているとしており、国民的人気を集めたいだけでなく、本気で、国家財政の支出改革にも取り組む姿勢を示したものかも知れない。

王位継承への道

 このように、内外で難しい局面を迎えているサウジアラビア。そうした中で、有力王族を含む汚職容疑による大量拘束が行われた。従来であれば、王族内のコンセンサスによって全てが決まるシステムであったが、サルマン国王が即位して以降、こうした強硬措置による決定が目立ってきた。

 サウジアラビアが世界最大の石油輸出国であり、わが国の原油輸入の約35%を占めているだけに、先行きが懸念される。

 ただ、石油依存から脱却して「普通の国」になるためには、普通のやり方では物事は進まないのかもしれない。また、サウジの王族には、コンセンサスでは決められない課題がある。王位の第二世代から第三世代への継承問題である。

 建国の父アブドラアジズ大王は、リヤド近郊の豪族から身を起こし、戦いと婚姻政策で、メッカとメディナという二つの聖地を含むアラビア半島の大部分を統一した。地方豪族との婚姻政策の結果、43人の王子をもうけた。

 大王は、王位は自分の子と孫に継承されるとし、国家基本法にもそのように定められている。ただ、王位継承は、ベドウィン遊牧民の伝統に則り、長子相続ではなく、兄弟相続で行われた。遊牧民は一族が集団で移動するが、その時、リーダーは一番経験豊かな長老がふさわしいという考え方である。年長者から順にリーダーになる。

 当然、国王にふさわしくない者は、王族会議で排除されたが、これでは、70歳を超えた高齢即位が多くなり、王位継承権者である皇太子が国王より先に亡くなるケースも出てくる。さらに問題は、大王の第二世代で回している間は良いが、どこで第三世代に王位を移すのか、決められない。数千人と言われる王族の中で、第三世代の誰に王位を移すか、王族のコンセンサス形成には期待できない。おそらく、これだけは権力闘争を経て、決めていくしかないのだろう。

 サウジの国内改革は、経済改革、社会改革だけではない。この王位継承を中心とする王室改革も大きな課題である。その意味で、サルマン国王・ムハンマド皇太子父子は、不退転の決意で勝負に出たのだと思う。

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