神奈川県小田原市で、生活保護を担当する職員らが、「保護なめんな」などとプリントされた揃いのジャンパーを着用して、生活保護家庭を訪問していたことがわかった(こちら)。

 わかりにくいニュースだ。

 「何を言うんだ。わかりやすいニュースじゃないか」

 と思った人もいることだろう。
 が、このニュースは、受け止める側の考え方次第で、様々な読み取り方が可能なところが眼目で、その意味では、むしろ、わかりやす過ぎると言うべきなのかもしれない。

 まず、見出しを見るなり、

 「なんという非道な仕打ちだろうか」

 と、そう思った人がいるはずだ。

 そういう人たちにとって、このニュースは、市職員による生活保護家庭への非道な仕打ちと受けとめるほかに、解釈の余地のない、大変に「わかりやすい」ニュースだったことになる。

 けれども、反対側には

 「保護なめんなのどこがいけないんだ?」

 と思っている人々がいる。

 揃いのジャンパーを作った職員たちは、誰に対して何を訴えようとしていたのだろうか。
 そして、その彼らの示威行為のどの部分にどんな問題を感じて、記者はこの事件を記事にしたのだろうか。

 これらの質問に答えることは、簡単な作業ではない。
 色々な解答が考えられる。
 本稿の読者に問いかけたのだとして、おそらく、人それぞれで、相当に違った反応が返ってくるはずだ。

 メディアの伝え方も、だから、一様ではない。

 冒頭でリンクを張った朝日新聞の記事は、事件の概要を伝えてはいるが、ジャンパーにプリントされていたテキストの意図や、それを着て職務に就いていた職員の意識の持ち方については、特に論評を加えていない。解釈もしていない。全体に慎重な書き方をしていると言って良い。

 NHKのニュースは、
《市職員が「不正受給許さない」のジャンパー 厳重注意》(こちら

 と、ジャンパーの背中に書かれていた英文の要約を見出しに持ってきている。

 不正受給を許さないことは、もちろんそれ自体としては、間違った考え方ではない。反社会的な言明でもない。

 問題は、生活保護家庭の立場に立ってその彼らのために働く立場であるはずの市職員やケースワーカーが、まるで、不正受給を摘発するべく当局から派遣された査察官みたいな構えで、自分たちがサービスを提供するべき人々を威圧していた点にある。

 たとえばの話、

「ポックリ死ねれば万々歳」

 という言葉を、皮肉屋の小説家が色紙に書くのは、特に問題のある態度ではない。
 しかし、同じ言葉を老人福祉施設の介護士がTシャツに大書して勤務していたら、やっぱりあんまり素晴らしい言葉ではないということになる。

 揃いのジャンパーを着た職員たちは、自分たちが担当する福祉の対象である人々全員の目に入るカタチで、「不正受給」を攻撃するジャンパーをあつらえていた。

 私の目には彼らの態度は、スタンフォードの監獄実験が示唆していた通りのものに見える。

 すなわち、他人の生殺与奪の権を持たされた人間は、相手に対して嗜虐的にふるまうようになるということの典型的な実例を、彼らは体現していたわけだ。彼らは、自分たちが握っている権益をチラつかせて、支配下にある人間をなぶることを楽しんでいた。

 で、NHKは、その彼らの態度を正面から批判する文脈を避けた見出しをつけた。
 私の目にはそのように見える。

 ついでに言えばだが、より詳しいソースを見に行けばわかる通り、職員が作ったジャンパーにプリントされていた文字は、「不正受給を許さない」といったようななまやさしい文言ではない。
 以下、ジャンパーに刺繍されていた文字を逐語訳してみる。

SHAT
TEAM HOGO
We are “the justice” and must be justice, so we have to work for odawara.
Finding injustice of them, we chase them and Punish injustice to accomplish the proper execution.
If they try to deceive us for gaining a profit by injustice ” WE DARE TO SAY, THEY ARE DRESH!”

SHAT(Seikatsu Hogo Akubokumetsu Team=生活 保護 悪撲滅 チームの頭文字)
チーム保護
われわれは「正義」であり正義であらねばならない。それゆえにわれらは小田原のために働く。
不正を見つけたら、適正な処分を遂行するために、彼らをを追い詰め、罰する。
不正受給のためにわれわれを騙そうとする者たちに対しては、あえて言おう、クズであると。

 一見、マトモなことを言っているように見える。
 というよりも、ここに書かれている言葉そのものに反社会的な要素は無い。

 もし、市職員に課せられているのが「不正受給Gメン」のような役割であり、彼らの主たる業務が、不正受給の撲滅であったのだとすれば、彼らが背中に背負っていた文言(こういう文言の書かれた衣服を着て生活保護家庭を訪れることの是非を別とするなら)は、そんなに的外れな言葉とは思われなかったはずだ。

 しかし、彼らは本来、生活保護家庭に寄り添うべき立場の人々だ。
 生活保護家庭の相談に乗り、悩みごとに耳を傾け、生活再建へのアドバイスを提供し、経済的に自立できるように促すのが、彼らの本来の職務であったはずだ。

 その彼らが、生活保護家庭に向けられる世間の蔑視や偏見を助長するようなメッセージを書き込んだジャンパーを着て、本人たちの目の前に現れたのは、普通に考えて「いやがらせ」としか解釈のしようがない。
 彼らは、それを集団でやっていたわけだ。

 不正受給が良くないことは誰もが知っている。
 不正受給者がいるおかげで、本来なら受給できるはずの家庭に生活保護の恩恵が行き渡らずにいることも事実だ。

 とすれば、不正受給者を摘発し、追及し、罰することも大切な仕事である。

 不正受給の割合が相対的にわずかだからといって、それを無視して良いということにはもちろんならないし、0に近づけなければいけないこともその通りだ。しかし、仕事の優先順位として、市の生活保護担当職員やケースワーカーがより注力すべきなのは、むしろ「受給漏れを無くすこと」の方であるはずだ、ということを私は言っている。

 少なくとも、不正受給をバッシングすることで正当な生活保護受給者に肩身の狭い思いをさせることは、適切な態度とは言えない。

 ジャンパーに書かれていた英文は、聞けば「機動戦士ガンダム」由来の有名なセリフであるらしいのだが、このあたりにも、ヤンキー臭を感じないわけにはいかない。

 いや、ガンダムがヤンキーなコンテンツだと言いたいのではない。
 64人もの大の男(報道された記事からは、ジャンパーを購入した64人の性別はわからないが)が、アニメから引用したセリフを背負ったジャンパーを作るということのはしゃぎっぷりに、ヤンキーじみた集団性を感じ取るということだ。

 以前から何度も繰り返し述べていることだが、わたくしども日本人は揃いの衣装を身につけると、およそ3割方知能指数が低下することになっている。

 逆に言えば、普段より3割ほど考えの浅い人間になって、チームのために粉骨砕身するべくしてわれわれはユニフォームを作るわけで、法被であれ浴衣であれスタジアムジャンパーであれ、揃いのユニフォームに袖を通した時点で、われわれは、現代人であるよりは、「軍団」であるとか「組員」であるとかいった前近代の存在に生まれ変わるのである。

 もう1回別の言い方をすれば、このことは、ユニフォームのようなものを通じて実現される前近代性が、われわれの社会の集団にはじめて規律を与えているということでもあるわけで、要するに私たちは、封建的なマナーでしか集団的な行動をとれないのである。

 話を元に戻す。
 産経新聞の「産経抄」の書き方は、朝日新聞ともNHKとも違っていて、

「生活保護『なめんな』…正義の声だけがまかり通れば現場は疲弊するばかり」

 という見出しで記事を書いている(こちら)。

 書き手は、まず、平成5年6月に朝日新聞の「天声人語」が「矛先を向けた」「福祉川柳」を引用する。そして、

「金がないそれがどうしたここくんな」
「親身面(づら)本気じゃあたしゃ身がもたねぇ」
「母子家庭見知らぬ男が留守番す」

 というこれらの川柳が生活保護受給者を侮蔑しているとして、掲載したケースワーカーの機関誌が一時休刊を余儀なくされた経緯を紹介し、次に、今回の「保護なめんな」のジャンパーを着用して勤務に当たった小田原市の職員が批判にさらされている現状を伝えている。

 以下、後半部分を引用する。

《▼確かに適切な表現とはいえない。同時に、職員たちの人権意識を糾弾するだけで済ませてはならない問題でもある。生活保護の受給者は、年々増え続けている。「福祉川柳事件」当時に比べて、職員たちは、ますます仕事に追われるようになった。

▼暴力の危険にもさらされている。19年にジャンパーを作ったきっかけも、職員が生活保護を打ち切られた男にナイフで切りつけられ負傷した事件だった。別の自治体では、殺人事件も起きている。第一線の過酷な状況に、改めて光を当てる機会にすべきだ。

▼最近、「ポリティカル・コレクトネス」という言葉をよく耳にする。政治的に公正な言葉を使わなければならない。そんな建前の押しつけに疲れた米国社会が、差別的な発言を繰り返すトランプ氏を大統領選で勝利に導いたというのだ。生活保護についても、実態からかけ離れた正義の声だけがまかり通れば、現場で悪戦苦闘する人たちが疲弊するばかりである。》

 私の読解力では、今回の事件で厳重注意処分を受けた小田原市の職員を擁護しているというふうにしか解釈することができない。

 「仕事に追われている」という理由で、発言や行動が免罪されるわけでもあるまいに、いったい産経抄は、何を訴えたいのだろうか。
 現場の過酷な状況と、受給者を圧迫する服を身につけることはまったく別の問題だ。

 私たちの国は、こんなヨタ記事が、新聞に載る国になってしまった。
 そう思うとつくづくなさけない。

 書いていてうんざりしてきた。
 私は、産経抄をクサすためにこの原稿を書いているのではない。

 私個人は、産経抄が書いている内容をほとんどまったく支持しない。共感もしない。
 とはいえ、産経抄が書き起こしている内容とほぼ同じ考えを抱いている人間の数が決して少なくないこともよくわかっている。

 私がうんざりしているのはそこのところだ。

 われわれは、残酷な振る舞い方をすることを「現実的」だと考えるような国民に変貌しつつある。「本音」であれば他人がどう感じようが許されるべきだとも思いつつある。産経抄の内容は、ごく一般的な日本人の意見の代表的な一例として、堂々と通用している。

 この変化は、おそらく最終的かつ不可逆的な何かなのだと思う。
 そう思うとつくづく悲しい。

 2013年の3月には、兵庫県小野市が生活保護費や児童扶養手当をパチンコなどのギャンブルで浪費することを禁じる市福祉給付制度適正化条例を成立させ、4月に施行している。

 当欄でも以前紹介したが、2012年の7月には、世耕弘成参議院議員(当時)が、「週刊東洋経済」誌上で、

《「…略…「(生活保護給付水準の)見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ。つまり生活保護を受給していても、パチンコをやったり、お酒を頻繁に飲みに行くことは個人の自由だという。しかしわれわれは、税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える。この根底にある考え方の違いが大きい。」》

 という発言をしている(当コラムの記事はこちら)。

 こうした思考には「罪を犯した人が、人権を制限されるのは仕方ない、自業自得だ」というロジックが透けて見える。犯罪者の場合、悪い話に乗ったのは自己責任だろうということだ。生活保護を受ける立場に立たされる人を、自己責任のロジックで考えていいものかどうか。それは、まさか思っても見なかった不運に自分自身が見舞われて、生活の基盤を失った時に、初めて答えられる問いなのかもしれない。

 結論を述べる。

 刃は、必ずしも不正受給に向けられているのではない。
 私たちの社会の攻撃欲求は、正しく、生活保護受給者そのものに向けられている。

 生活保護受給者に対する冷酷な視線が、わたくしども一般国民の間で広く共有されているからこそ、こういう事件が起こると、ここは一番、ぜひそういうふうに、リアルに考えなければならない。
 だからこそ、事件が起これば起こったで、小田原市には職員を応援する声が寄せられているのだ。

 産経抄によれば、正義の声だけがまかり通れば、現場で悪戦苦闘する人たちが疲弊するばかりであるらしいので、私もこれ以上の言及は控える。
 でなくても、この件に関しては、沈黙以上に説得力のある言葉を思いつくことができない。

残酷とは、知性や寛容さの不足ではなくて
想像力が決定的に足りないことなのかもしれません

 全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『超・反知性主義入門』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『ザ、コラム』が晶文社より発売になりました。以下、晶文社の担当編集の方からのご説明です。(Y)

 安倍政権の暴走ぶりについて大新聞の論壇面で取材を受けたりと、まっとうでリベラルな識者として引っ張り出されることが目立つ近年の小田嶋さんですが、良識派の人々が眉をひそめる不埒で危ないコラムにこそ小田嶋さん本来の持ち味がある、ということは長年のオダジマファンのみなさんならご存知のはず。

 そんなヤバいコラムをもっと読みたい!という声にお応えして、小田嶋さんがこの約十年で書かれたコラムの中から「これは!」と思うものを発掘してもらい、1冊にまとめたのが本書です。リミッターをはずした小田嶋さんのダークサイドの魅力がたっぷり詰まったコラムの金字塔。なんの役にも立ちませんが、おもしろいことだけは請け合い。よろしくお願いいたします。(晶文社編集部 A藤)

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