トランプ新大統領が就任して、2週間弱が経過した。

 この10日間ほどのうちに、これまでの米国の常識からは考えられなかった大統領令が矢継ぎ早に発令され、そのうちのいくつかは、米国のみならず世界中に混乱を引き起こしている。

 その大統領令のひとつに異議を唱えた政権首脳の一人が、いきなり更迭された。

 中東・アフリカ7カ国からの渡航を制限するトランプ氏の大統領令について、従う必要はないとの考えを司法省に伝えていたサリー・イェーツ司法長官代理が解任されたのだ。

 報道によれば、イェーツ氏は、オバマ前政権下で司法副長官を務め、トランプ政権になっても政権側の意向で長官代行を務めていた。彼女は、1月30日に今回の大統領令が合法であるとの確信が持てないとし、司法省は擁護しないとの見解を明らかにした。で、自身の見解を明らかにしたその1時間後に解任された。

 なんと電撃的な人事であろうか。
 まるでテレビ用演劇プロレスの人事往来シナリオそのものではないか。

 ホワイトハウスは、解任にあたって発表したステートメントの中で「米国市民を守るための法令執行を拒否し、司法省を裏切った(英語では"betrayed")」と非難し、同氏の行動は政治的なものだと説明している。さらに「イェーツ氏は、国境警備に弱腰で不法移民問題にも非常に疎かったオバマ前大統領に指名された」旨も付記している(こちら)。

 政府の最高機関であるホワイトハウスが、その公式な声明文の中で、職を離れる人間に対して、このような罵倒に近い表現で言及した例が過去にあったものなのかどうか、私は詳しい事情を知る者ではないのだが、いずれにせよ、こんな言い方で解任を言い渡すケースが極めて異例であることは確かだと思う。

 解任の意図なり意味なりは、職を解いたという事実を通して、既に、これ以上ない形で端的に、本人にも世間にも広く周知されている。

 とすれば、ホワイトハウスが、その公式ステートメントを通して、既に職を辞して一般人となった人間の背中に向けて、追い討ちをかけるようにして非難の言葉を投げかけなければならなかったのはいったいなぜなのだろうか。

 答えは、トランプ大統領その人の心の中にしか求めようがない。
 要するに、この声明文の中にある非難の文言は、トランプ大統領が一連の人事を

 「ムカついたから」

 という14歳の子供みたいな感情に基づいて執行したことを示唆するとともに、大統領自身が、そのこと(自分が感情的な判断を下す人間であること)を隠そうともしていないことを意味している。

 大統領が怒りの感情にかられて人事の判断をしたのだとすれば、それはそれでかなり恐ろしいことだ。
 が、より恐ろしいのは、彼が怒りの感情を隠そうとしていないことだ。

 私自身、犯罪を犯したわけでもない個人に向かって「betrayed」という言葉を使って非難する政権のやりざまに、不吉なものを感じないわけにはいかなかった。

 というのも、権力者というのは、怒りの感情をほのめかすだけで、その権力の及ぶ範囲のすべての人間に恐怖を感じさせることができる存在であり、その意味で、自身の悪感情を隠さない人間が米大統領の座に就いたことは、ホワイトハウスがまるごと、もっと言えば、世界中が、この先、恐怖の中で暮らさなければならなくなったことを意味しているからだ。

 おおげさなことを言っているように聞こえるかもしれない。
 が、怒りというのは、それほど破壊的な作用をもたらすものなのだ。

 つい最近『クラッシャー上司 --平気で部下を追い詰める人たち--』(松崎一葉著 PHP新書)という本を読んだのだが、その中に、部下を鬱病や退職に追い込む(つまり部下を「潰す」)上司の典型例がいくつか出てくる。

 怒鳴り散らして恫喝する上司もいれば、冷静な言葉で外堀から埋めるみたいにして部下の一挙手一投足を論破して行くタイプの上司もいて、潰すに至る手法は様々なのだが、共通しているのは、それらの「クラッシャー上司」と名づけられた中間権力者が、「恐怖」によって他人をコントロールする点だ。

 読んでいて興味深かったのは、著者が、部下を鬱病に追いやる共感性を欠いた独善的な上司の人格モデルと、粉飾決算を通じて倒産の危機に至っている東芝の経営陣に蔓延していたと思われるパワハラ体質に、共通するモデルを見出している部分だった。

 たしかに、「反論を許さない上司」の下で働く部下がいずれ潰れることと、「反論できない空気」をその内部にかかえた組織が最終的に狂った集団に変貌して行くことには、不気味な相似がある。

 パワハラが顕在化するのは、上司と部下の一対一関係においてではある。
 が、実のところ、パワハラはひとつの組織の中に「体質」として宿っているものなのかもしれない。

 その意味で、女優のメリル・ストリープさんが、ゴールデングローブ賞の授賞式のスピーチの中で述べた内容は、非常に重要なポイントを指摘している。

 彼女は、

《--略-- このような衝動的に人を侮辱するパフォーマンスを、公の舞台に立つ人間、権力のある人間が演じれば、あらゆる人たちの生活に影響が及び、他の人たちも同じことをしてもいいという、ある種の許可証を与えることになるのです。軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を駆り立てます。権力者が弱い者いじめをするために自分の立場を利用すると、私たちは全員負けてしまいます。--略--》

 と言っている。

 彼女が示唆している通り、権力者のマナーは、彼の権力の及ぶすべての範囲でのデフォルト設定のコミュニケーション作法になる。

 会社でも部課でもそうだが、日常的にパワハラを発動するリーダーが率いる組織では、誰もがサル山のサル的な人間として振る舞うようになる。

 上下関係に敏感で、権力関係に忠実な、軍隊ライクな組織は、ある場面では強みを発揮するのかもしれないが、居心地が良いかどうかについて言えば、明らかに寒々しい場所になる。

 逆に、上司に度量のある部署の部員は、誰もがのびのびとふるまうようになる。
 監督交代を経たプロ野球の球団やサッカーの代表チームが、監督の人となりやチーム編成方針を反映して、驚くほど短期間に生まれ変わるのも、チームの中にいる人間が、基本的にはボスのマナーをコピーすることでチーム内の関係を構築しなおす性質を持っているからだ。

 そういう意味で、リーダーが怒りを隠さないことは、組織全体を恐怖と恫喝で動く集団に変える結果をもたらす。

 もうひとつ考えなければならない問題がある。
 それは、トランプさんの「怒り」が、演技なのか本物なのかどうかについてだ。

 検討してみる。
 まず、トランプさんの怒りが本物だった場合、結果から見て、彼は自身の怒りの感情を適正に制御できなかったということになる。でなくても、怒りにかられて感情的な人事を断行するリーダーは、人間として未熟であると評価せざるを得ない。

 この結論は、大変にまずい。
 世界一の権力者が、中二病のガキ同然のメンタリティーの持ち主なのであるとしたら、クソガキに核のボタン(実際には日替わりの暗証番号なのだそうですが)を委ねているわれわれの世界の安全は、まさに累卵の危うきにある。

 もう一方の可能性は、さらにまずいかもしれない。
 トランプさんの「怒り」がニセモノだった場合、トランプさんは、自分の本当の感情はともかくとして、自分が感情的にふるまうことの効果を知悉した上で、戦略的な判断として怒りを表明してみせたことになる。

 とすると、彼はかなりの程度邪悪なリーダーということになる。

 というのも、トランプ氏は、部下に

「この人はいつブチ切れるかわからないぞ」
「ボスは怒らせると突発的な行動をとるからなあ」
「とにかく、ボスの虫の居所には常に注意を払っておくに越したことはない」

 と思わせておくことで人々をコントロールするタイプの上司であるわけで、これは、まさにクラッシャー上司のマナーそのものだからだ。

 米国ではかつて「マッカーシズム」と呼ばれる社会運動が猛威をふるったことがある。

 この時代に書かれた書物を読むと、ハリウッドの映画人やジャーナリストたちが、互いに疑心暗鬼を抱き、自分の仕事を自己査定しては不安に陥り、右顧左眄しながら、次第に活力を失っていった様子がよくわかる。

 いわれのない疑いゆえに追放された人々の被害は言うに及ばず、不安に駆られた人々の「自粛」と「忖度」によって、社会がこうむった自由と創造性の萎縮は、その大きさを計算することさえできない。

 反共運動を先導したジョセフ・マッカーシー自身は、大酒飲みの大言家で、個人としては取るに足らない人物だった。その情緒不安定な一介の上院議員が、結果としてあれだけの恐怖の連鎖を引き起こしたことを考えると、突発的な怒りで他人をコントロールする大統領の影響力には、最大限の警戒心を持つべきだろう。

 この10日ほどの間に、私は、世界がすっかり変わってしまったような感慨を抱いている。

 画面に流れてくるニュースをぼんやりと眺めているだけでも、「風雲急を告げる」という感じで、時代が急速に変転して行く勢いに圧倒される気持ちだ。

 普通に考えれば、こういう時こそ、冷静さが大切なのであろう。
 実際、そう言っている人は多い。
 というよりも、多くの有識者は、事実上
 「落ち着け」
 ということしか言っていない。

 言いたいことの主旨はわかる。事態が急転している時にあわてふためいた反応を示すことで状況が好転するようなことはあんまりないはずだからだ。

 とはいえ、

「あわてるな」
「論理的に考えろ」
「感情に流されるな」

 みたいなことを言っている人たちの記事を読んでみると、実のところ、ほとんどまったく意味のある内容が書かれていなかったりする。

 はじめから最後まで

「過剰反応するな」
「複数のレイヤーから総合的に評価するべきだ」
「常に自分の予測に反する事態を想定しておく注意をおこたらないことだ」

 みたいな決まり文句が並べられているばかりで、現実にいま現在起こっているトランプ現象そのものについては、

「理念的に考えるべきではない」
「イデオロギーに偏った見方は差し控えた方が良い」
「事態を慎重に見極めるべきだ」
「短兵急な判断は墓穴を掘ることにつながる」
 ぐらいな教訓を垂れて、それでおしまいにしている。

 私は、こういう時(つまり非常時)に冷静さを訴えてばかりいる書き手を信用しない。

 というのも、理性であるとか冷静さであるとか言った言葉は、われわれが事態を傍観する時の弁解として採用しがちなお題目だからだ。臆病な人間は、いつでも理性という言葉の後ろに隠れて自分の恐怖心を隠蔽しにかかる。そういうものなのだ。

 びっくりした時に感情が動くことは人間として自然な反応だ。
 自分が大切にしている理念や理想が裏切られたり傷つけられていると感じた時、人は憤ったり悲しんだりするものだ。それは少しも不自然なことではない。

 だから、自分が憤っていることや悲しんでいることを「感情的になっている」からという理由で恥じる必要はない。
 あるタイプの論者は、「起こっている事実をあるがままに評価することができない人間は、つまるところ現実から目をそらしているのだ」という言い方で、世界の変貌を嘆く人々や、失われつつある正義に憤る人々を嘲笑する。

 ところが、実際に彼らがやっていることを見ると、当人が「あるがままに」評価していると思っている、感情を切り離したその彼らの見方は、単に現状を追認しているだけだったりする。

 であるから、
「難民に対して門戸を閉ざすという選択は、一見冷酷な施策であるように見えますが、これもまたアメリカの安全という別の理想を実現に近づけるための現実的なステップの一段階なのです」
 てな調子の冷静ぶった説明を、私は信じない。

 トランプ大統領の就任に反対するデモ(Women's March)が大きく報じられていた1月22日の午後、元大阪市長の橋下徹氏が、こんなツイートを投稿した。

《(トランプ大統領)いわゆるセレブの反トランプデモ。それをやるなら自分の収入の大半を経済的困窮者に寄附してよ。自称インテリが一銭も金を出さずに文楽を守れ!と口だけでカッコつけてたのとよく似てる。空の言葉より行動を、のトランプワードが身に染みる。》(こちら

 これに対して、私は、氏のツイートを引用した上で、以下のようにつぶやいている。

《(1)「セレブのデモ」という言い方は印象操作だよ
(2)寄付とデモは二項対立の行動ではない
(3)誰が「インテリ」を「自称」しているのか
(4)文楽協会への補助金見直しへの反発と反トランプデモは別の話
(5)デモという「行動」をツイッター上の「言葉」で叩いているのは誰か》(こちら

 政治の手が届かない貧困を、寄付で集められた金銭が救っている事実に目をつぶろうとは言わない。
 しかし、社会の中にある困難や不正に対して、民間の寄付の恩恵によってではなく、政治の力で立ち向かうのが政治家の役目であることを思えば、デモの隊列の中にいる人々に向かって、デモをやめて寄付をすることを求めることは、筋違いであるのみならず失礼でもある。

 このツイートを引用したのは、橋下徹氏を非難したいからではない。
 彼の声を紹介したのは、トランプ大統領の登場を歓迎している人々が日本人の中にも少なくないことを知ってもらいたいと思ったからだ。

 日本に伝わってくるメディアの報道を見ていると、トランプ大統領が打ち出している大統領令は、どれもこれも無茶な話で、米国の前提をひっくり返す暴挙であるように思える。
 が、実際には、世界中から批判を浴びているあの大統領令は、国民におおむね支持されている。

 ロイター通信が全米50州で実施した世論調査によれば、トランプ米大統領による中東・アフリカ7カ国からの一時入国禁止や難民受け入れ停止をした大統領令の是非に関して、49%の国民が賛成している。この数字は、反対の41%を上回っている(こちら)。

 トランプ大統領がはじめた変革は、無視できない数の支持を受けている。
 というよりも、米国には、これまでの米国に満足していない人たちが、それだけたくさんいるということだ。

 日本にも、トランプ大統領を支持する人たちがたくさんいる。
 これは私の臆断に過ぎないのだが、日本のトランプ支持層の大きな部分は、トランプ氏の登場を嘆き悲しんでいる人たちを嫌っている人々によって占められている。

 まわりくどい言い方をしてしまったが、簡単に言えば、トランプ支持者は、必ずしもトランプ氏の人物や政策を支持しているのではないということだ。

 彼らの中では、まずトランプ氏の登場にダメージを受けている人々が嫌いだということが先にあって、だからこそ、自分の嫌いなタイプの人間たちを悲しませたり憤らせているトランプさんに喝采を送るという順序で、支持が形成されているわけだ。って、簡単な言い方になっていなかったかもしれない。

 ヒントは、橋下徹氏のツイートの中にある。
「セレブ」
「自称インテリ」
「口だけ」
「文楽」
「カッコつけ」
 というキーワードが、たった140文字の中にきれいに揃っている。

 トランプ大統領を支持する人たちは、
・現場を知らず、自分のカラダを動かさず、机上の空論と口先だけのきれいごとで収入を得ている人間
・大学教授、新聞記者、評論家、役人など、いい大学を出て、その資格だけで食っている人々
・文化や芸術に親しんでいる気取り屋のセレブ
 が嫌いな人たちだということが、おわかりいただけるだろうか。

 と、ちょうどそんなことを考えている時に、興味深いツイートが流れてきたのでご紹介しておく。

《米ホロコースト記念博物館にある「ファシズムの初期段階における危険な兆候」
・強く継続的な国家主義
・人権軽視
・国民を統一するための敵国認識
・セクシズムの蔓延
・メディア統制
・国家安全保障への執着
・知性と美術の軽視
・政教一致
アメリカだけじゃなく、日本にも当てはまります。》(こちら

 この言葉の原文や出典の確認はできていないので注意が必要だが、なんともいやな感じの符合だ。

 トランプ大統領に関しては、あまりにも言いたいことがたくさんありすぎるからなのか、現状ではまだ自分の中でうまく話をまとめることができずにいる。

 ひとつだけはっきりしているのは、トランプ現象のような直感的に「ヤバい」と思える事態に直面したら、ある程度感情的に動かないといけないと私が思い始めていることだ。

 マッカーシズムも、ナチズムも、戦前の日本の好戦的な空気も、ごく初期段階のおかしな兆候をアタマの良い人々が傍観しているうちに、巨大化して手がつけられなくなったものだ。

 こういう流れに対して、果たして理性的に立ち向かったものか、それとも感情的に訴えるべきなのか、私は、この10日ほど考え込んでしまっている。
 理性的に傍観する態度が良くないことだけはわりとはっきりしているのだが。

コメント欄へのレスポンスをありがとうございました。
今後も緩く理性的かつちょっと感情的に運営して参ります。
全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『<a href="http://amzn.to/2hoz1xY" target="_blank">超・反知性主義入門</a>』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『<a href="http://amzn.to/2ilPQYQ" target="_blank">ザ、コラム</a>』が晶文社より発売になりました。
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 前回のこの欄(こちら)に書かせて頂いた内容に、たくさんの方から思いも掛けず好意的な反響をいただきました。隅っこまで読んで頂いているんですねえ、本当にありがとうございます。コメント欄への投稿も、現状108件も賛否両論で頂戴しました。感謝しております。

 引き続き、コメント欄では、他の発言者の立場を「右翼」「左翼」などと決めつけることを控えませんか、とご提案させていただきます。モラル、マナーというより、ある意味ゲーム的に楽しんで頂けたらと期待しております。読む方がイラっとするのではなく、ニヤっとするようなコメントで唸らせて下さい。

 言葉狩りを行う気持ちは毛頭ありません。どうしても批判、非難のニュアンスが混ざるこうしたレッテルを、他人にぺたっと貼って「よし、言いたいことを言ってスッキリした!」と満足する。それではトランプさんとあまり変わらないように思うのです…。って、期待する投稿の最低ラインは米国大統領以上ってことなんですよねえ、ああ。(Y)

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