1月23日、東京都の小池知事の政治塾を運営する政治団体「都民ファーストの会」が、夏の東京都議会議員選挙に向け、最初の公認候補として4人を擁立し、あわせて同会が地域政党として活動を始める旨を明らかにした。
「都民ファーストの会」という会派名(あるいは「政党名」だろうか)に小池百合子さんらしさを感じる。この場合の「らしさ」とは、あえて標語にするなら
《あざとさと わざとらしさと いやらしさ》
という、どうにも人工的なとってつけたようないかものくささのことで、要するに私は、この種の目新しい言葉を政党の名前として担ぎ出してくるこの人のマナーに、そこはかとない忌避感を抱いたわけです。
その忌避感の詳細についてはおいおい説明するとして、今回は、昨今の政治の中で使われているいくつかの新しい言葉について、それらの言葉が好んで用いられる理由を考えてみたいと思っている。
「都民ファースト」のようなにわかづくりの言葉が、政党の看板として掲げられてしまうのは、基本的には小池都知事その人が持っている個性のしからしむるところだとは思うのだが、各方面の反響を観察するに、理由はどうやらそれだけではない。
こういう名前が見出しに採用される背景には、政治家とメディアの共犯関係が介在している。つまり、ポピュリズムは見出しになりやすい言葉が好きで、メディアもまた見出しになりやすい政治家が好きで、結局のところわれわれはポピュリズムの見出しが大好きだということだ。
会派の立ち上げと、公認候補の選定を伝えるVTRの中で、小池都知事は、自身の都知事としての初登庁の際に出迎えた3人の都議を「ファーストペンギン」という言葉を使って説明している。
その
「ファーストペンギンです」
という言葉を発音する時の、
「新聞の皆さん、わかってますか? ここ、見出しで使うとこですよ」
と、軽く小首をかしげてみせる表情と仕草を眺めながら、私は、
「ああ、この人は、ヘッドラインの8文字やスタジオ用の5秒VTRから逆算して、こういうコメントを並べに来ているのだな」
と思って、静かに鼻白んでいた。
インタビューのいちいちが小芝居じみているというのか、どの部分をカットしてワイドショーが使うのかをあらかじめ知悉している人間がそのことをわかった上でカメラに向かってキューサインを出すみたいにしてしゃべっているその様子が、もはやテレビウォッチャーとしては化石年代の人間になり果ててしまったオダジマには受け容れがたかったということでもある。
ちなみに「ファーストペンギン」というのは、近年ベンチャービジネスの世界などで頻発されている言葉で、「危険な海に最初に飛び込むペンギン」を指す。
なんでもペンギンの群れが暮らす氷のすぐ下の海中には、彼らの天敵であるシャチやらオットセイやらが常に待ち構えているものらしい。とはいえ、ペンギンたちとて、永遠に氷の上にいることはできない。エサを取りにいくために、必ずあるタイミングで海に入らなければならない。
で、ある時、勇気あるペンギンが最初の一羽となって海に飛び込む。
リスクを冒して天敵が待ち構えているかもしれない海水に飛び込んだその最初のペンギンが、果たしてシャチに食べられてしまうものなのか、それとも無事にエサの魚をくわえて浮かび上がって来るのかを、氷上のペンギンたちは息を呑んで見守っている。
ファーストペンギンがあっさり天敵に食べられてしまったら、見守るペンギンたちは、海中に飛び込むことを断念しエサ捕りの計画を延期する。しかし、一番乗りのペンギンが無事だったら、第二陣のペンギンたちは一斉に海に飛び込んで今日のエサにありつくことができる。このように、ファーストペンギンは後に続く群れの者たちのために、自らの身を試金石として、凍てついた海に飛び込んで行く。
このお話が象徴しているのは、「最初にリスクを冒してチャレンジする者がいなければ、群れの生活は成り立たない」といった感じの、おためごかしの冒険主義賛歌で、だからこそ、ベンチャーの世界では、危険に挑む者が尊敬されるということになっている。
おそらく、新しい商売を立ち上げるのは、この種の運と度胸の二本立てみたいなストーリーが大好きな人々で、その彼らは、より派手に失敗した先人を崇拝するみたいなヒロイズムを共有することで連帯し、その設定を拡散することで新たな参加者を誘引しようとしているのだと思う。
ベンチャーの人たちがファーストペンギンの寓話を好むのはかまわない。
かまわないというより、弱肉強食の世界では、その種のストーリーで純真な若者をそそのかしつつ、海に飛び込んできた粗忽者を捕食するのもプレデターの戦略のひとつであるのだろうからして、良いも悪いもない。彼らはやれることをやるだけだ。
が、政治家がファーストペンギンを持ち上げるのはちょっとスジが違うと思う。
サムライという言葉を振り回す政治家同様、私はこの種のヒロイックな物語を掲げるリーダーはあんまり信用しない。
さて、都民ファーストの会の旗揚げのニュースが配信されると間もなく、私のツイッターのタイムラインに
《小池百合子の「都民ファースト」って、なんかいい言葉のようにされているけど、元々は韓国人学校を否定した時の言葉なので、ただの差別用語なんだよねぇ。都民から韓国人学校に通う人たちを排除しているだけの。》(こちら)
というツイートが流れてきた。
フリーライターの赤木智弘さんのツイートだ。
なるほど。
私としたことが、いつの間にかメディアに洗脳されていたようだ。
言われてみればたしかに、小池さんがこの言葉をはじめて持ち出したのは、都知事選の候補者として、舛添前都知事が打ち出していた韓国人学校増設のための都有地貸与の方針を撤回することを訴える文脈の中でだった。私はよく覚えている。あの時、小池百合子さんは、たしかに「都民ファースト」という言葉を前面に押し出していた。
当選後、2016年8月5日の定例会見で、小池都知事は韓国人学校への土地貸与の白紙撤回について
「(韓国政府に対し)知事がした約束を撤回するのは重いのではないか」
と問うた記者の質問に対して
「--略--ここは東京であり、そして日本ですので、わが国が主体となって判断するものと、このように考えております」
と答えている(こちら。韓国人学校を巡る調査記事としては、「『韓国人学校は優遇されている』は本当か?――都有地貸し出しをめぐる誤認」など)。
「都民ファースト」は、そこで言う「都民」が「何に対して」ファーストであるのかによってかなり意味が違ってくる言葉だ。
私は、赤木智弘さんのツイートを読むまで、
「都民ファーストというのは、都の役人が押し付けてくる慣例や都議会議員が防衛しようとしている権益よりも、市井に住む一般の都民の生活と安全を第一に考える、という主張なのだろうな」
といったぐらいの、善意の勝手読みをしていた。
というのも、メディアがこの言葉を使う時の意味合いは、いかにも「都民の生活が第一」というニュアンスだったし、テレビのワイドショーあたりが繰り返している言い方からすれば「都民ファースト」は、「都の伏魔殿と戦うわれらのジャンヌ・ダルクが掲げる正義の旗」そのものに聞こえたからだ。
いや、もちろん、新たに会派を立ち上げることになった小池百合子さんや、その仲間の議員さんや塾生たちの真意は、なによりも生活者としての都民を第一に考えるところにあるのだろう。その点はよくわかっている。間違っても、排外主義を党是としているなんてことはないはずだ。この点も疑ってはいない。
とはいえ、「都民ファースト」が、いともたやすく排外主義のスローガンに変質し得る言葉であることもまた事実で、実際、英国で勢力を増大しつつある「ブリテン・ファースト」なる政治集団は、正真正銘の極右の民族派組織だったりする。
ともあれ、「都民ファースト」が、その出発点において、「都民の税金は都民のためにだけ使う」という、「排外主義的な文脈」の中で持ち出されてきた言葉であったことは事実だ。
そして、残念なことに、「○○ファースト」という言葉は、多くの場合「○○でないヤツは出て行け」「○○でない市民はひっこんでろ」という排除の論理において、ポピュリズム的な人気を博することになっている。
そういう意味で、この言葉はスジが悪い。
何かをファーストにする時、必ずセカンドに指定されるものがある。
悪くすると、特定の人間の集団がファーストの対象から漏れるケースがあって、そうなると、○○ファーストは、たちまち差別のスローガンになる。注意せねばならない。
同じように小池都知事が頻繁に持ち出す「アスリートファースト」という言葉も油断がならない。
このフレーズも、本来の意味は、
「五輪はなによりもまず、競技のために集ったアスリートのために開催されるべき大会だ。であるからして、国威発揚を目論む国家の思惑や、経済効果を期待する経済界の狙いが優先されるようなことがあってはならない」
といったあたりのことを訴える概念であったはずのものだ。
現在でも、大筋では、そういう意味で流通している。
ところが、これも、「ファーストから除外されるもの」の置き方次第で、まったく別のニュアンスを獲得する。
たとえば
「アスリートファーストの見地からすれば、スタジアムの建設予算を削減しようなどという意見はもってのほかだ」
という言い方でこの言葉が使われる場面では、アスリートファーストは、
「選ばれた選手でもないお前ら無名のパンピーは黙ってカネだけ出してやがれ」
「選手が気持ち良くプレーするために、オレらがどこまで支えられるのかってことが、要するにアスリートファーストってことだろ?」
というおそろしい圧政を押し通す合言葉になる。
そうでなくても
「選手たちが快適に大会期間を満喫し、思う存分に力を発揮するためには、最善の設備と最高度の利便が提供されなければならないはずで、そのために、一般国民は一定の忍耐を共有せねばならない」
という意味合いで「アスリートファースト」を使う人々は、徐々に増えている。
少なくとも、私は、「アスリートファースト」を疑いはじめている。
この言葉は、非アスリートを排除するために使われかねない。とすると、それは、アスリートの背後で何かをたくらむ人たちにとって大変に好都合な道具にもなり得る。
安倍首相の言う
「法案(共謀法)を整備しなければ東京オリンピックをできないと言っても過言ではない」
という言葉も、「アスリートファースト」をそのまま錦の御旗に掲げた言い方ではないものの、五輪の開催を第一とする民意から逆算された形で出てきたフレーズではある。
要するに、「○○ファースト」という形式で掲げられるものの言い方は、そもそも、対象にファースト、セカンド、サードという優先順位をつけている時点で、差別を内包した言葉の使い方であるわけで、何をファースト(優先)として何をセカンド(劣後)とするのかによっては、露骨な排外主義のスローガンに化けかねないということだ。
差別でなくても、少なくとも順位付けの言葉ではある。
であるからして、トランプ新大統領が繰り返し強調している「アメリカファースト」も、「何をもってアメリカとするのか」「アメリカが、何に対してファーストであるのか」というパラメーター次第では、かなり物騒な言葉になる。
共同電の伝えるところによれば、安倍晋三首相は2月にワシントンで開催を見込む日米首脳会談で、トランプ米大統領が掲げる「米国第一主義」に関し「理解し、尊重する」と伝える意向を固めた、のだそうだ。
正直な話、私は、安倍首相が何を意図してこんなことを言っているのか、まったく理解できない。
米国の大統領であるトランプ大統領が、「米国第一主義=アメリカファースト」を掲げるのは、まあわかる。国内向けのスローガンとして聞けば、理解できない話ではない。
しかし、その米国の大統領による国内向けの宣伝スローガンに、米国にとっては外国にあたる(つまり、ファーストでない)国のリーダーである安倍首相が同調するというのはどういうことなのであろうか。そして、その他国の自国第一主義に同調するリーダーの下にいる国民であるわれわれは、自分たちのリーダーのその言葉をどうやって消化すれば良いのだろうか。
「われわれは米国が第一だという貴殿の考えを受け容れます」
と言ってしまった国は、自動的に
「わが国の立場が第二以下であることを承認します」
と言ったことになってしまわないものなのだろうか。
ちなみに、トランプ大統領が国境に壁を作る旨を宣言している相手国であるメキシコのペニャニエト大統領は、メキシコへの批判を繰り返すトランプ米大統領について「対立も服従もしない。解決策は対話と交渉だ」と述べている。
当然だと思う。
トランプ大統領は、この23日、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉から「永久に離脱」するとした大統領令に書名した。
これはつまり、トランプ大統領がその地位にある限り、米国のTPP加盟は不可能になったということだ。
この件について、安倍首相は、24日午前の参院本会議で、「戦略的、経済的意義について腰を据えて理解を求めていきたい」と述べている(こちら)。
これもわからない。
大統領令に署名したトランプ氏を翻意させることが可能だと、安倍首相は、本気でそう考えているのだろうか。
安倍首相は、「トランプ氏は自由で公正な貿易の重要性は認識している」とし、米国に改めてTPP参加を働きかける考えだ、というのだが、これもにわかには信じがたい発言だ。
もし安倍首相が、本気でトランプ大統領を翻意させるつもりであるのなら、なによりもまず、「アメリカファースト」といっている彼の考え方を変えねばならない。
「アメリカファーストのような狭い考え方は捨てて、グローバル経済圏の中で共存共栄することを考えないといけない。でないとわれわれは共倒れですよ」
と、安倍さんが本気でTPPの意義と効用を信じているのであれば、そう言ってトランプさんを説得しなければならないはずだ。
なのに、安倍さんは、米国第一主義を尊重し理解すると言っている。
そうでありながらTPPへの参加を促すと言っている。
いったい、本当のところ、何がしたいのだろうか。
日本のファーストは、どこにあるのだろうか。
もしかして、就任前にいち早くトランプ氏のもとに駆けつけたことが第一のお手柄で、就任後もなるべく早く訪問するのが大事だと、そう思って勇み立っているのだろうか。
とにかく、功をあせって闇雲に飛び込むことは避けておいた方が良いと思う。
ファーストペンギンは、シャチの世界では「まぬけなごちそう」と呼ばれているらしいですよ。
以下、担当編集者よりのお願いです。
いつもご愛読をありがとうございます。当欄の担当編集者のYです。
前回の記事のコメント欄に、以下の投稿をいただきました。
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ごめんなさい。少しだけ。
最近,この手の話になると必ず出てくるキーワード。「左翼」「右翼」。そんなに重要ですか?ちょっとリベラルな話をすると「左翼」だし,ちょっと保守的な話をすると「右翼」だし。そんな言葉でくくれるような話ですか?左翼思想だ右翼思想だって,まるで危険思想のような扱い。小田嶋氏の意見が危険思想ですか?
日本には人が何人いるでしょう?その人が全員同じ思想って恐くないですか?もういい加減「左翼」「右翼」なんて枕詞無しに語ったらどうですか?この二つの単語を使わなくても同じ内容のことはかけるでしょ?物事の本質を色眼鏡で見ないで。読んでいても息苦しくなります。
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取り上げる内容と、筆者の筆法もあってか、コメント欄にはいつもたくさんの投稿をいただいていますが、相手の意見に対しての同意・異論・反論ではなく、発言者の立場を「これこれ」と決めつけることを目的としたものが確かに目に付きます。
当たり前のことですが、左翼だから悪い、右翼だから間違っている、ということはありません。コメント欄は、「意見が違う」ことは当然として、どこに同意でき、どこを違うと思うのかを交換する場になってほしい、と、改めて思いました。
これまたコラムの性格上、コメントに多少の罵詈讒謗が含まれていても、洒落と判断し、他のコラムよりもおそらくゆるめに見ております。この姿勢はそのまま行こうと思っておりますが、相手の立場そのものを批判する文言になっていないか、コメントの投稿前にいまいちど見直して頂けたらと思う今日この頃です。
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。