文部科学省の天下りが話題だ。

 私は、この種の話題には、勘が働かない。

 なんというのか、会社組織で働いた経験が浅いので、現実に、組織で働く人たちがどんなふうに日々をやりくりしているのかについて、実感を伴って考えられないのだ。

 先日来国会で取り上げられて特に大きな反響を呼んでいるのは、文科省を退職した後輩の文科省職員の天下りのあっせんを仲介していたと言われる、嶋貫和男氏のケースだ。

 2月7日に開かれた衆院予算委の集中審議の中で、民進党の小川淳也議員が、顧問報酬について

「月2日勤務で1千万円か」

 と質問すると、嶋貫氏は、

「社に出向く回数は基本的にそう」
「金額はその通り」

 と答え、委員や傍聴人からはどよめきが起きたのだそうだ(こちら)。

 たしかに、月に2日の出勤で、年収1千万円の顧問料報酬を得る契約のあり方は、一般人の感覚からあまりにもかけ離れている。

 「労働への対価」というよりは、「便宜供与に対する現金授受」と解釈した方がずっと飲み込みやすい。それほどべらぼうな条件だ。

 ほかにも、悪質な事例として民進党の井坂信彦氏が、消費者庁長官だった阿南久氏がパソコン量販チェーン「PCデポ」のアドバイザーに就任していたケースを追及している。

 PCデポと言えば、昨年の夏に、高齢者に高額の解約料を支払わせる悪質な商法がツイッター上で炎上したことが記憶に新しい。消費者庁はこの問題の監督官庁にあたる。

 ということは、このケースは、警察のトップが暴力団の幹部として再就職するお話に似ていなくもない。
 あるいはそれほど露骨ではないにしても、違法賭博を取り締まる立場の警察官が、パチンコ業界に再就職するケースにほんのりと近い、とは言えるだろう。

 とにかく、誰の目から見ても怪しいこんな形の再就職が世間の理解を得られるとは到底思えない。

 ただ、ここで取り上げたケースが悪質であることはその通りなのだとして、それではこの種の不快な天下りを根絶するためには、官僚についての組織的な再就職のあっせんを一律に禁止すれば良いのかというと、必ずしもそうすることが正しいとは言い切れないようだ。

 「言い切れないようだ」

 と、歯切れの悪い言い方をしているのは、実のところ、私自身、自分の目で現場を見ているわけでもなければ、官僚の再就職事情について、取材した経験も持っていないからだ。
 まあ、自信が無いわけです。

 ツイッターに流れてくる様々な関係者の発言を眺めていると、天下りについては、それぞれに違った立場からのそれぞれにもっともらしい言及があって、どっちにしても、一刀両断の解決策は無さそうに見えるということだ。

 以下、私がこの10日ほどのうちに見たり聞いたりした声を再構成してみる。

「同期の中から事務次官が出た時点で、一斉に退庁することになっているキャリア官僚のキャリア設計がそもそもどうかしている」

「50歳そこそこで東大や京大を出たエリート官僚が職場を離れる以上、再就職しないわけにはいかないはずだし、再就職先にしたって、現役時代の経験と知識が活かせる職場ということになれば、当然行き先ははじめからわかりきった場所になる」

「お役人の再就職をいちいち天下りだといって敵視していたのでは、ただでさえ流動性の低いわが国の労働市場がますます閉鎖的になる」

「とはいえ、規制官庁のお偉いさんがほぼ閑職の顧問やら相談役の肩書で、自分たちの影響力下にある業界の企業やら外郭団体を渡り歩いて3年毎に退職金を巻き上げて去って行く姿は、あまりにも型どおりに腐敗し過ぎていて三国志に出てくる十常侍そのまんまだぞ」

「でも実際問題として、優秀な元官僚がマネジメントしないと動かない現場もあるわけでね」

「そんなことより、天下り人材の厚遇を嫉視することの副作用がむしろ深刻で、楽して報酬を得ている勤労者をよってたかってリンチにかけたら、彼らはその罵声に対応して、次からは不必要な仕事を創造しては、それに従事するようになる。と、天下り人材が降りてくる現場には穴を掘って穴を埋めるみたいなタイプの、ただただ職場の人間たちを疲弊させるためだけに設定されるノルマがどんどん増えるようになるわけさね」

「もっと言えば、天下りの先生方には怠けていてもらわないと困るわけで、たいして現場を知っているわけでもない管理職がいちいちやる気出してマネジメント改革に乗り出したりしたら、現場は大混乱ですよ」

「結局、アレだよね。オレら民間の中にもクズみたいな管理職と会社にとって不可欠な管理職がいるのと同じことで、天下り人材の中にも優秀な人とどうしようもないクズが両方含まれているわけで、そういうところを見極めないで、一律に禁止したりしたら、角を矯めて牛を殺すじゃないけど、日本の官僚組織のみならず、産業界もけっこうなダメージを受けることになると思うよ」

「角を矯めてどうこう言ってるけど、角の方が牛の本体よりはるかにデカいから問題視されてるわけで、実際に天下りを一つ残らず根絶することで、混乱やら弊害が広がるのだとしても、長い目で見て、天下りありきのキャリア設計がわが国の社会にもたらしている非効率と不公正を正すことは、必ずや国民の利益になるはずだね」

「とすると、50歳で退庁する官僚の第二の人生はどうなるんだ?」

「出世ルートから外れたからってケツまくって飛び出さないでも、ラインから外れた場所にぶら下がればいいんじゃないの?」

「なんのためにハローワークがあると思ってるんだ? まさか、ハローワークは民間の失業者のための施設で、お役人は一生涯失業とは無縁だとか思ってないか?」

「でも現実問題として、50代のキャリア官僚がハローワークに行って、ふさわしい仕事が見つかると思うか?」

「お前はなんにもわかってないんだな。ハローワークっていうのは、自分にふさわしい仕事を見つける場所じゃなくて、見つかった仕事にふさわしい人間になるべく自分自身を叩き直す場所だぞ」

 延々と書いたが、私個人は、この件に関して確固たる結論を持つことができずにいる。

 文部科学省の天下りに限って言えば、ただでさえ天下り先を見つけることが難しいと言われている官庁だけに、彼らが再就職先として、大学に職を求めることそのものは、半ば仕方のないことなのかもしれないと思っている。

 大学にしてみれば、文科省の内部に通じた人材を雇用することで、中央とのパイプを作れるわけだし、文科省にしてみれば、退官した高級官僚の再就職先を確保できることになる。とすると一見、この両者のやりとりはウィン・ウィンに見える。

 ただ、ウィン・ウィンというのは、なんだか誰も損する人のいない素晴らしいソリューションみたいな意味で使われることが多い言葉だが、基本的には「閉鎖的なサークルの内側にいるインサイダーだけが得をする仕組み」の周辺に発生する特権的な利益を指すもので、乱暴に言い換えれば「利権」そのものと言っても良い概念だ。

 このケースで言うと、大学当局と文科省がおいしい思いをしている外側では、理念としての「教育」だとか「研究」みたいなものが隅に追いやられている。利益共同体のサークルの外部にいる人間から見て、私学助成金の配分と天下り人材の受け入れがバーターになっているように見える点も問題といえば問題だろう。

 李下に冠を正さずという言葉になぞらえて言うなら、文科省の態度は、ぶどう畑で阿波踊りを踊っているカタチと言って良い。

 文科省出身の官僚が大学で働くことそのものを一律に「悪」とすることはできないだろうが、条件や働き方については、一定の枠組みが必要かもしれない。どういう枠組みを作れば良いのかはわからない。

 その枠組みを考えるのが、役人であるべきなのか大学人であるべきなのかも、私には判断がつかない。

 ただ、財務省みたいな別のお役所が、今回の文科省の不祥事をとらえて、それを教育関連予算の削減のための口実にするみたいな近未来には、反対しておきたい。

 私のツイッターのタイムラインに時々顔をだす大学の先生方に言わせると、文科省のやることなすことは、なにかにつけて評判が良くないことになっている。

 とはいえ、文科省は、学問研究と教育の味方ではある。
 頼りない味方だったり、いけ好かないボスだったり、役立たずの仲間だったりするのかもしれないが、それでも最低限、まあ敵ではない。

 敵は、ほかの場所にいる。
 しかも、どうやらたくさんいる。

 たとえば、財務省はあらゆる機会をとらえて、教員の数を減らそうと画策している。
 政治家も、官僚や大学エリートへの闇雲な攻撃を浮動票の獲得に結びつけようとしている。

 その種の、「○○を殺せ」「××を火あぶりにしろ」みたいな声が力を持つと、うちの国の世論は、時にとんでもない暴走をはじめる。

 天下り役人といういかにも小面憎い顔貌を備えたあの人たちが、デフレ下の庶民の魔女狩り衝動に無駄な火をつけることがないことを祈っている。

 最後にひとつ付け加えておく。

 私は、ボトムから積み上げていく通常のキャリア形成と相反する形で、文字通りに天上の存在たる神々が人間界に舞い降りるようにして着任する倒錯した再就職ルートが設定されていること自体、わが国の労働市場の異様さを物語るものだと思っているわけだが、それ以前に、そもそもこんな奇天烈な制度が何十年も不動の前提としてまかり通っている背景には、キャリア官僚の内部に根を張っている序列意識が、いまなお武家社会由来のサル山構造から一歩も外に出ていないからだと考えている。

 国家公務員一種試験に合格した公務員は、同期の中で事務次官が出ると、基本的には退官することになっている。理由は、次官よりも年上の部下がいると、仕事がやりにくいからなのだそうだ。なんでも、プライドの高いキャリア官僚にとって、年下の部下に仕えることは耐え難い屈辱であり、一方部下を使役する側の次官にとっても、年上の部下に指示を出すことの精神的負担は御免被りたいものであるらしい。

 なるほど。

 この間の事情が物語っているのは、官僚という人々が、どうやら職業人としての死を迎えるその瞬間まで、肩書と上下関係でしかものを考えられない人間たちであるらしいということだ。

 漏れ聞いた話では、銀行の同期社員たちの行末も、キャリア官僚の出世双六に似て、同期の一番出世が役員になるや、同じ期の行員たちは、揃って子会社なり傍系の企業に出向を余儀なくされるというのだ。

 サル山構造の組織は、その内部で暮らすメンバーを、サルのような人間に変えてしまう。

 天下りを根絶するためには、同期が役員なり次官になるずっと以前の段階の、若い働き手である時代から、一人ひとりがサルの心を持たないように努めるところからはじめないとうまくいかないと思う。

 関係各位のご検討、だけでは足りない。健闘を祈りたい。

「いや、小田嶋さん、それ、お役所や銀行だけじゃないですから」
サル山暮らしン十年、そろそろお尻もすり切れました。
全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『<a href="http://amzn.to/2hoz1xY" target="_blank">超・反知性主義入門</a>』以来約1年ぶりに、小田嶋さんの新刊『<a href="http://amzn.to/2ilPQYQ" target="_blank">ザ、コラム</a>』が晶文社より発売になりました。
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 全国のオダジマファンの皆様、お待たせいたしました。『超・反知性主義入門』以来久方ぶりに、小田嶋さんの新刊『ザ、コラム』が晶文社より発売になりました。以下、晶文社の担当編集の方からのご説明です。(Y)

 安倍政権の暴走ぶりについて大新聞の論壇面で取材を受けたりと、まっとうでリベラルな識者として引っ張り出されることが目立つ近年の小田嶋さんですが、良識派の人々が眉をひそめる不埒で危ないコラムにこそ小田嶋さん本来の持ち味がある、ということは長年のオダジマファンのみなさんならご存知のはず。

 そんなヤバいコラムをもっと読みたい!という声にお応えして、小田嶋さんがこの約十年で書かれたコラムの中から「これは!」と思うものを発掘してもらい、1冊にまとめたのが本書です。リミッターをはずした小田嶋さんのダークサイドの魅力がたっぷり詰まったコラムの金字塔。なんの役にも立ちませんが、おもしろいことだけは請け合い。よろしくお願いいたします。(晶文社編集部 A藤)

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