ダボス会議でトランプ大統領が「TPP復帰を検討」と発言したという。しかし、その本気度はいかほどか。トランプ大統領の発言やこれまでの通商戦略を見ると、それがトランプ流の単なる「揺さぶり」の可能性が高いことが浮かび上がる。
スイスで開催された世界経済フォーラム(通称、ダボス会議)でのトランプ大統領の演説に衝撃が走っている。これを受けて日本の新聞は一斉に「環太平洋経済連携協定(TPP)への復帰検討を明言」「TPP再検討」「多国間協定に意欲」と報じている。「軌道修正」「現実路線への転換」などの言葉が躍り、一部の報道では「就任2年目で方針転換する」とまで言い切っている。
果たしてそうだろうか?
かつて私も「いずれ、米国がTPP復帰する可能性は十分ある」と指摘した(参照:2017年5月26日付記事「米国抜きTPP11に隠された日本のしたたか戦略」)。果たして、今回の演説がそれに当たるのだろうか。
演説を先入観なく読めば・・・・・・
こうした発言を読み解く上で、我々は「期待から生まれるバイアス」には注意しなければならない。
トランプ氏は前日のテレビのインタビューで、再交渉を前提にTPPへの復帰を検討する考えを明らかにして大きな波紋を呼んだ。この衝撃発言を受けて、当然演説には注目が集まっていた。勢い演説内容もそれを前提に見てしまう。トランプ氏の計算された演出だ。
しかし、そういう先入観なく、演説内容を虚心坦懐に読めば、どうだろうか。まずは、該当する発言部分を見てみよう。
これは「TPP参加国を相手に、TPPとは違う、米国の利益に合致する内容の協定を交渉する用意がある」と読めるのではないだろうか。米国政府高官によると、微修正ではなく、TPPとは大幅に内容を変更したものでなければならないと考えているようだ。しかも個別2国間で、ないしは(恐らく=perhaps)グループとして、だ。
これが果たして、「TPPへの復帰検討」「多国間協定に意欲」だろうか。これまでの2国間一辺倒の交渉から多国間交渉の可能性も匂わせることで、若干選択肢を広げたというのが正しい読み方だろう。むしろ、本質的な部分は方針転換なし、と見るべきだ。日本の新聞の見出しに違和感を覚える。
ちなみに、「個別2国間」という中には、日米自由貿易協定(FTA)の交渉も当然含まれることにも同時に注目すべきだ。
TPP11の3月署名合意は米国の想定外
前日のテレビインタビューもトランプ氏の思いつきではなく、意図的な「揺さぶり戦術」だろう。TPP復帰を検討、方針転換であるかのように報道させることが目的で、日本の報道はトランプ氏の思うつぼに違いない。
ではなぜ、このタイミングで揺さぶってきたのか。
先週、TPP11(米国抜きTPP)の内容が参加国で固まり、3月署名で合意されたことは米国の想定外であったようだ。
振り返れば、1年前の日米首脳会談での共同声明で、日本は「米国抜きTPP」を追求することを米国に巧みに仁義を切った(参照:2017年2月15日付「トランプ氏が発した『互恵的』の真意」)。その後、米国の反発を気にして外務省が躊躇している中で、昨年4月、日本はやっと官邸主導でTPP11に動き出した(参照:2017年4月25日付「米国抜きTPP、官邸が慎重論を跳ね返した意味」)。
その頃はTPP11に対して米国は撤退した立場で表立って反対することもできないので、冷ややかに「日本のお手並み拝見」であった。どうせ日本はまとめ切れないだろうと、高をくくっていた節がある。それが予想に反して、日本が主導して難航する調整に奔走し、最後は強硬に抵抗するカナダまで説得し切ったのだ。
しかも英国が参加の意向を伝えてきたことは、米国にも衝撃が走った。経済的な意味はともかく、戦略的、国際政治的な意味は大きい。
米国が焦って当然だ。豪州などTPP参加国に比べて相対的に高関税になって輸出が不利になる牛肉などの畜産業界の焦りは高まる。畜産業界は政治力の強い業界でもある。この秋の中間選挙の対策としても何らか手を打つ必要が出てきたのも事実だ。
TPP11には反対はできないが、TPP11の早期成立を揺さぶり、あわよくば中間選挙までに成立していなければありがたいと、トランプ氏が考えても不思議ではない。
そこで再交渉前提で、TPP復帰の可能性もあるかのような「思わせぶり」の戦術に出たのだろう。米国の復帰に期待を寄せて、3月の署名に動揺が走る国が出てくれば御の字というわけだ。本気でTPP復帰を検討する気は、毛頭ないのではないか。
その「思わせぶり」は国内の産業界の焦りにも配慮したポーズにもなり、中間選挙対策としても有効だ。「産業界からの圧力で方針転換を迫られた」との報道もあるが、だからと言って、トランプ氏が本気で方針転換すると思うのは早計だ。
今回のトランプ氏の演説を「軌道修正」と捉えて、その背景として、スティーブン・バノン前首席戦略官との関係が切れたこと指摘する報道もある。もちろん国際社会への関与を嫌うバノン氏が政権を去ったことの影響がないとは言えないが、トランプ氏自身の「TPPはひどい合意だ」とする思い込みは根深いものがある。
トランプ氏の岩盤支持基盤は、あくまでも中西部を中心とする労働者層だ。TPPに対して「雇用を奪う象徴」のように受け止めている人たちである。中間選挙に向けて、支持層を固めようとしている中、TPPからの撤廃という選挙公約を守って大統領令まで署名した方針を転換することは当面考えにくいだろう。
また、米国政府の現状を見ると、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し交渉もカナダ、メキシコの反発で暗礁に乗り上げている。米韓自由貿易協定(FTA)の見直し交渉も始まったが、本格化はこれからだ。さらに、中間選挙に向けて、中国との関係でも貿易面で強硬姿勢を取らざるを得ず、一方的な制裁を次々と発動して貿易摩擦を起こすことは避けられない。日本との関係でも、日米経済対話での成果を出すことが必要だ。
これだけ戦線が拡大した中で、通商交渉を担当する米国通商代表部(USTR)に人的余力がないことは明らかだ。本気でTPPの再交渉ができる体制ではまるでない。
こうして見てくると、トランプ氏流の嗅覚で、あくまで駆け引き、戦術として、ダボス会議という効果的な舞台を最大限使って、揺さぶってきたと見た方がよさそうだ。
TPPの再交渉を喜ぶのは中国だ
クセ玉を投げられたのに、単純に期待を抱いて喜んでいてはいけない。大事なことはトランプ氏の言葉に振り回されないことだ。
もちろん米国のTPPへの参加が最終目標ではあるが、まずTPP11を予定通り3月に署名して固めることが先決である。豪州のターンブル首相も「米国がすぐにTPPに参加するとは期待していない」と発言したようだが、当然だ。米国市場の餌に目がくらんで、「揺さぶり」に動揺する参加国が出ないように警戒すべきだろう。
多国間交渉の合意は、各国の複雑に絡み合った利害を長い時間をかけた激しい交渉を経て調整して、微妙なバランスで成り立っている。いわば「ガラス細工」のようなものだ。トランプ氏がイメージするような、単純なビジネスの相対取引とはわけが違う。一旦再交渉でパンドラの箱を開けると、際限ない交渉で収拾がつかず、漂流するのがオチだ。
この関連で、米国に伝えるべきことがある。
TPP11には「凍結」で合意した項目がある。著作権の保護期間を70年にするといった項目である。これらはかつて、米国が交渉に参加していたからこそ各国が米国の要求を呑んで譲歩した項目で、米国の離脱に伴って、将来米国がTPPに復帰するまでは凍結することにしたものである。米国が仮に再交渉でTPP以上の要求を持ち出せば、それらの凍結項目が「解凍」されないリスクも米国は覚悟すべきだろう。それが交渉というものだ。
いずれにしてもこういう混乱した事態になれば、喜ぶのは中国であることを忘れてはならない。
今、グローバルに直面している最大の課題は、台頭する中国が国家主導の経済モデルで世界の経済秩序にチャレンジしていることである。これは日米欧が協力して取り組むべき共通の課題だ。TPPには電子商取引のルールや国有企業への規律など、「仮想中国」を念頭に置いたルールも盛り込まれている(2017年11月14日付「TPP11は『仮想中国』との交渉だった」)。そこにTPPの本質的な戦略的意味があることを忘れてはならない。早急に国際ルールのベースとなるよう固めることが最優先だろう。米国にはその本質を理解してもらった上で、参加することを促したい。アジアの国々はもちろんのこと、将来的には欧州の参加も視野に入れるべきだろう。
今は、中国の台頭によってこれまでの経済秩序が大きく変革する大移行期だ。
米国の大統領たる者には、グローバルな経済秩序の将来像に思いを致した、深い戦略論を期待したいものだ。そうではなく、ビジネス取引のような次元の発想で、「揺さぶり」「駆け引き」戦術をとること自体、嘆かわしい事ではある。しかしそれが悲しい現実だ。
なお、トランプ氏は英国のテレビインタビューで、米国が離脱した世界の温暖化対策の枠組み「パリ協定」についても、「パリ協定に復帰しろと言うなら、それはまったく異なった取り決めでなければならないだろう」と、TPPと同様の発言をしている。日本の政府や産業界には、こうした揺さぶりに左右されず、冷静な判断をしてもらいたい。
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