ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』を運営し、手帳などのオリジナル商品を販売する株式会社ほぼ日が3月16日、東証ジャスダックに上場した。上場初日は、買い注文が殺到して初値がつかなかったが、糸井重里社長は当日の記者会見で、「問われているのは株価ではない」「鏡を見れば、そんなに美人じゃないって分かっている」とコメント。その冷静さが「反利益主義だ」「資本主義への挑戦か」と話題を呼んだ。

 『ほぼ日刊イトイ新聞』は著名人との対談企画など手の込んだコンテンツが満載だが、全てのコンテンツは無料で閲覧でき、他社の広告も一切なし。「ほぼ日手帳」と関連商品が売上高の7割を占める中、利益を生み出す秘訣はどこにあるのか。糸井氏の人気が同社の収益を支えてきたとすれば、あえて上場した理由は――。

 そんな不躾とも取れる疑問にも、一つひとつ丁寧に答えてくれた糸井氏。比喩表現や例え話を交え、話しながら新たな言葉を生み落としていった。インタビューは当初の予定を大幅に超過して、およそ120分間にわたった。その全容を公開する。

(聞き手は日経ビジネス編集長 東 昌樹、構成は内海 真希)

[いとい・しげさと]1948年群馬県前橋市生まれ。68歳。法政大学文学部中退。71年コピーライターとしてデビュー。79年東京糸井重里事務所を設立、2002年株式会社に組織変更、16年株式会社ほぼ日に社名変更。17年3月16日、東証ジャスダック上場。主力商品の「ほぼ日手帳」の販売部数は60万部を超える。ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』ではエッセーを毎日更新。愛犬であるジャックラッセルテリアのブイヨンも時々登場する。(写真:陶山勉、以下同)
[いとい・しげさと]1948年群馬県前橋市生まれ。68歳。法政大学文学部中退。71年コピーライターとしてデビュー。79年東京糸井重里事務所を設立、2002年株式会社に組織変更、16年株式会社ほぼ日に社名変更。17年3月16日、東証ジャスダック上場。主力商品の「ほぼ日手帳」の販売部数は60万部を超える。ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』ではエッセーを毎日更新。愛犬であるジャックラッセルテリアのブイヨンも時々登場する。(写真:陶山勉、以下同)

3月16日に上場してから約1カ月。何が変わりましたか。

糸井重里氏(以下、糸井):世の中ががらりと変わりますよ、と言う人がいる一方で、名前が知られているから上場する意味なんて無いと言う人もいました。どちらも本当でした。

 例えば同じマンションに住んでいるおばあさん。今までは挨拶すらしなかったのですが、郵便受けの所で「上場おめでとうございます」と言ってくれました。これまで何の関係もなかった人たちの視線が全く変わった気がします。趣味でお店を開いているのとは違い、しっかりした事業をやっていたのかと見直してくれたのでしょう。

ふわふわした仕事をやっていると思われていたのかもしれませんね。

糸井:上場前に亡くなった、妻のお父さんもその一人。昔から「お宅の糸井君は随分楽しそうだね」と、冗談めかして皮肉を言われていたのですが、上場が決定した時、ケアホームで日経新聞を読んで「(東証)1部なのか2部なのか」と言ったそうです。真剣な顔で聞かれたからびっくりした、と妻が話してくれました。それに近いことが、全社員の家族で起きたわけです。取引先でも変化が起きました。

 上場前は、僕らもどこかに甘さがあったんでしょうね。「うちの会社においでよ」なんて、知り合いに気軽に声を掛けたりしていたし。だから今いる社員は、無謀なことを冒険と呼ぶ人、いたずら心のある人が多いのかもしれない。でも上場を機に違うタイプの人、経営哲学や成長を重視する社員に選ばれる会社になれる気がします。

ウェブサイトの『ほぼ日刊イトイ新聞』の開設から、2018年で20年。創刊当初から、こうしたいなという青写真はあったのですか。

糸井:青写真があったわけではなく、どうなるか分からないけどやりたかった。そもそも、前にやっていたことをやめたかったというのが(ほぼ日の)始まりでしたし。

 創刊1周年、2周年とやっていくと、節目ごとにちょっと感慨があるわけですよ。「そうか1歳か。これくらいでいいかな」とか、3歳になると「これからちょっと楽しみだな」とか。年齢をメタファーにして励んできたところはありますね。今は、「もう19歳だから、このくらいはできるでしょう」なんて思っていますね。

「前にやっていたこと」というのは、コピーライティング業のことですか。どうしてやめたいと思ったのでしょうか。

糸井:請負仕事というものは風向きがちょっと変わると、基盤が全く変わってしまうんですよ。広告もしかり。もともと広告は販売促進から始まったと思います。その次は、広告によって企業のイメージや個性を差異化する時代がきた。バブルが弾けた後は、そんなことも言っていられなくなり、また販促中心に戻ったり、一方で商品そのものの値引きや過剰なサービスで引きつけたりと、試行錯誤が続いていました。

 そうやって広告が変わっていくのを見ていて、自分がやっていた時代の方法論はもう古いなと思ったんです。このまま同じ場所に居続けたら、いずれお飾りの顧問のような立場になって、「またあの変なおじいさんが来たよ」「昔の社長の知り合いだったらしいんだよね」なんて陰口をたたかれるんだろうな。そんなことを想像して、これはまずいなと思ったんです。

 インターネットと出会ったおかげで、新しい出発が案外楽しいぞと思えた。インターネットがなかったら、僕は違うことをやっていたんじゃないかな。何をやっていたんでしょう(笑)。ただ、広告をやるにしても、いわゆる3大メディアを使わないことを考えていたでしょうね。インターネット以外でも、デザインや行政の広告の作法のような未開拓の領域は山ほどありますから。

2018年で開設から20年となる『ほぼ日刊イトイ新聞』。吉本隆明氏や谷川俊太郎氏、矢沢永吉氏など、多数の著名人とコラボレーションして企画を行ってきた。
2018年で開設から20年となる『ほぼ日刊イトイ新聞』。吉本隆明氏や谷川俊太郎氏、矢沢永吉氏など、多数の著名人とコラボレーションして企画を行ってきた。

成長は当然したい。でも軽々しく口にできるものじゃない

上場初日は、買い注文が殺到して初値がつきませんでした。当日の記者会見で、「高く評価してくれるのは、『美人だ、美人だ』と言ってくれるようなもの。でも鏡を見れば、そんなに美人じゃないって分かっている」とコメントしました。

糸井:「反利益主義」と受け止められたようで、猛烈な反響がありましたね。時価総額が上がるのは結果であって、それが目的じゃないでしょう。成長を拒否しているわけではないと、みなさんにものすごく念を押したんですけど、やっぱり「あんなことを言った人はいない」と話題になってしまいました。じゃあ何が大切なんですかと聞かれれば、「顧客と一緒につくる事業です」と、ごく普通の、まっとうなこと言うわけです。すると今度は、「随分と真面目な会社なんですね」と言われる。

 経済誌の記者ですら、「資本主義に対する素晴らしい挑戦ですね」って、いかにもわくわくしながら聞いてくることもありました。でも、それは仕方がない。メディアの理解度や利害によって書き方が違ってくるということを、僕自身の頭の中に入れておくようになりました。

利益や成長を否定しているわけではない。

糸井:成長は当然したいですよ。あめ玉を売る会社が「世界中の人がこのあめ玉をなめたらすごいぞ」と意気込むように、誰もが自分の会社が何百倍もの規模に育つことを想像している。でもビジネスでは、逆の事態もあり得ます。あめ玉のせいで病気になる人が出てくるかもしれない。軽々しく時価総額が何倍になりますとか、支店を100出しますとか言えませんよね。だからちょっと静かに考えませんか、と思うんです。

売上高の7割を占めるのは「ほぼ日手帳」と関連商品。このため小売業に分類されましたが、実際、何の会社ですか。

糸井:上場前は「要するに手帳の会社ですね」ってよく聞かれました。キングジムや良品計画をイメージさせる、文房具にも強い手帳の会社。最初は抵抗があったんですが、今では割り切っています。農業に例えれば僕らの事業は苗木だらけ。(手帳以外は)数字に表れていないヒヨコばかりですからね。

ほぼ日の売上高の7割を占める「ほぼ日手帳」。手帳カバーのデザインや素材のバリエーションも豊富。
ほぼ日の売上高の7割を占める「ほぼ日手帳」。手帳カバーのデザインや素材のバリエーションも豊富。

確かに収益源は限られています。ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』は無料で見られ、広告も掲載しないというスタイルを貫いています。

糸井:詳しい人は「ほぼ日は場を作っている会社だよ」と説明してくれるのですが、すると今度は「場からいくら稼いでいるんですか」と聞かれる。コンテンツを売ったり広告代を稼いだりしていないほぼ日は、メディア企業とも呼べない。会計帳簿に反映できないことを、僕らは山ほどしているわけです。

 これから僕に求められるのは、口で実態を説明し、理解してもらうことではありません。事業から果実を得られるように育てていくのが仕事です。心からそう思うようになったら、随分と憂鬱になりましたね。楽しいだけでは不十分で、成功しなければ約束が違うといわれてしまいますから。今までとは違う厳しさがあります。

ほぼ日の流儀は、「狩猟」ではなく「農業」

ほぼ日が作る「場」とは、好みや価値観を共有する人が集まる場所をイメージするといいですか。

糸井:好みというとちょっと違うかもしれません。象牙の塔やアカデミズムという言葉で表現される研究者。僕は彼らを研究人と呼んでいます。本をたくさん読む人は読書人。芸人というのもありますね。一人ひとりが所属する「○○人」の種類は様々ですが、みんなに共通するのが「生活人」という役割です。僕は「町人(まちびと)」と呼んだりもします。

生活する全ての人が、ほぼ日のターゲットということでしょうか。

糸井:人間は結局、食って風呂に入って寝る存在ですからね。僕らが企画について話し合っている時、「それは飛鳥時代の人が喜ぶとは思えない」と言うことがある。いつの時代でも喜んでもらえるかどうかが、ほぼ日が事業を手掛ける基準になるんですよ。周囲の環境に影響されない、おいしいや美しいといった、人間が本来持っている基準です。生活人という軸では、みんな同じだと思うんですよね。

 強いて言うならば、生活人であることを自覚している人が、ほぼ日のターゲットです。基本的に、女の人の方が生活人であることを自覚して楽しんでいる。ほぼ日のお客さんが65%以上女性だというのも、そこにマッチしているのかもしれません。

 僕らのやっていることは標的を絞った狩りではなく、農業なんです。荒れ地も農地。石をどかせば、そこで枝豆を作れるよというのが農業です。ただ集まってくれればオーケー。発信にかかるコストを考えずに済む、インターネットだからこそできるのだと思います。上場をきっかけにそんな市場があったんだと気付く人もいて、お誘いは増えましたね。

 今までは水と太陽で育ってきた、天然の成長です。最近ようやく、農作業をやりながら発電もできるじゃないかとか考えるようになりました。

ほぼ日の商品のベースにあるのは「肯定感」

生活人であることを自覚している人に、何を提供していくのでしょうか。

糸井:大げさな言い方かもしれませんが、共通するのは肯定感でしょうか。同じものを見て面白いと肯定するか、悲しいと否定するかは人それぞれです。僕自身は否定感を抱えている人間なんですが、振り返って「生まれてよかった」と言える人がいる社会の方が、少なくとも他人を幸せにしますよね。だから、その肯定感につながるものを提供するというのが、ベースにある気がします。

 2016年6月にリリースした、犬猫の写真を共有するSNSアプリ「ドコノコ」なんかもそうです。「捨てられたかわいそうな犬や猫がいて、こんなふうに処分されています」と悲しい現実を前面に出して虐待防止を呼び掛けるやり方もあるけれど、一方でアプリを使って、Facebookみたいに犬や猫を“住民登録”して、みんなが「うちの子」を思い切り自慢し合う。そんなフィールドを作る方法もありますよね。やっぱり肯定感がベースにあると思います。

このところ、消費者の嗜好が多様化しているとよく言われます。糸井さんはどう受け止めていますか。

2016年1月、約5年ぶりにオフィスを移転した。秩父宮ラグビー場正門前のビルの9階にある、広いワンフロアだ。「近代的なオフィスビルは、ほぼ日に似合わないでしょ」と笑う。
2016年1月、約5年ぶりにオフィスを移転した。秩父宮ラグビー場正門前のビルの9階にある、広いワンフロアだ。「近代的なオフィスビルは、ほぼ日に似合わないでしょ」と笑う。

糸井:身の丈以上の数を作ることが、高度資本主義の前提です。だから、大量生産を仕事にして、ある種の装置産業になっていくのが一つの成功モデルと言えるしょう。手帳はもう大量生産品の領域に入っていますから。

 ただし手帳を除くと、僕らは偶然、1000個売れるものを1000種類作るということをやってきた。いわば、うちは小企業のバザールがたくさんあるような感じです。だから当然、ミスるんです。在庫になる前に売り切れたり、ちょっとしたビジネスチャンスを逃したりとか。大企業の発想では、「そんなので食っていけるのか」と思われるかもしれませんが、僕らにとって1000人にしか売れない新しい商品を次々と生み出すというのは、楽しみでもあり仕事でもあるので、願ってもないことです。

作物が育つように、企業風土は自然とできてきた

ログハウスのような牧歌的なオフィスですが、ゆるんだ感じの社員はおらず、みんなが真剣にパソコンに向かっている姿が印象的でした。

糸井:社員が退屈しないようにということは、いつも気にかけていますね。最近、力仕事を含む大掛かりなイベントを社員総出でやったのですが、うちの良さがよく分かりました。「あいつも一生懸命やっているんだし俺も頑張ろう」とか、互いにちょっと尊敬しちゃうんですよ。

 創業当初はこうした雰囲気はありませんでした。岡山県は今でこそ桃の産地として有名ですが、誰かが最初に苗を植えた時は違っていたはずです。だから最近、僕らの仕事って農業っぽいなと痛切に感じるようになりました。時間とともに変わってきたことが、結構ある気がしますね。企業風土はこうして自然とできていくのでしょう。

企業が大きくなると、どうしてもセクション化が進んで階層ができて、出世欲とか妬みとか出てきてしまう気がしますが。

糸井:それでいて健康な状態というのをもし見つけられるのであれば、セクション化や階層化が進んでもいいと思います。ポイントはどういう体制であるかということ以上に、その体制で健康でいられるかどうかだと思うんです。健康ということは、一定の持続性があって、そこでそれぞれが生き生きと暮らしているかどうか。

 だから、無理のかからない競争社会がもしあり得るのだったら、それでもいい。スポーツのチームはそうですよね。もう僕の代で実現するのは難しい気はしますけど、代が替わったらあるかもしれませんね。

糸井さんが考える会社の適正な規模感はどれくらいですか。

糸井:最初は会社の適切な規模は7人だと言っていた。人間、数字は7つまでしか覚えられないし、(東京の地上波)テレビのチャンネルも7つです。それから14人、21人へと増えていき、ある時期は7人×7グループ、自分を入れて50人がいいと考えていました。今では、アルバイトなどを合わせて100人ぐらい。それでもやりたいことに比べたら、少ないですね。過去に口にした数字はでたらめになってしまったので、最近は「何人が適切だ」って、あまり言わないようにしているんです。

 金魚と金魚鉢じゃないですけれど、人ってスペースの大きさに合わせてサイズが決まる面もあると思います。なので、手狭になるたびにオフィスの引っ越しをしてきました。さらに人数が増えても、今のオフィスのスペースの開放感が維持できている間は大丈夫だと思いますが、それが維持できなくなったら、箱ごと考えなきゃいけませんね。社員の人数ではなく、箱のイメージで考えたいなと思う。今より大きい箱となると、割と近代的なオフィスビルばかりになっちゃうんですよね。それはほぼ日には似合わないなと思います。

上場によって社風や今の事業の良さを崩すことになりませんか。

糸井:僕自身はもともと上場を、企業が強くなるためのエクササイズだと考えていました。受験の世界では、日本で一番難しいのは東京大学です。東大に受かったかどうかで、その先の人生が変わってきますよね。

ほぼ日の上場については反対意見も多かった

難しいから挑戦する価値がある。

糸井:上場を考え始めたのは10年くらい前。ただ2~3年前までは、いつでも引き返すぞ、なんて言っていました。

誰かが背中を押してくれたのですか。

糸井:むしろ上場にトライした多くの人から、「会社がめちゃくちゃになるぞ」と言われました。外から株主が入ってくると人の見方が変わってしまうとか、糸井重里の良さは株式市場とは違うところにあるとか、社風がつまらなくなるとか。皆さん本当に、親身になって心配してくれました。

それでも、思いとどまらなかった。

糸井:紋切り型の批判に聞こえたんでしょうね。上場するとダメになると最初から決めつける人が多くて、疑いが強まったのかもしれません。昔は総会屋がいて大変だったとか、駅のホームの端には立たない方がいいとか、そんな話をされてもね。

 それに、知り合いの上場企業の社長は、誰も悪いことを言わなかった。任天堂の岩田さん(元社長の岩田聡氏)もその一人でしたね。僕が「株主総会って嫌じゃない?」と聞いたら、「いや、確かに根気が求められることもあるけれど、僕は楽な方ですよ」って。それから任天堂を大企業に育てた山内溥さんとのいろんなエピソードを、楽しそうに語ってくれた。任天堂が何かの機械を作ると言ったら、その材料の値段が1万円から100円になるようなことが起こるわけで、岩田さんにのし掛かる責任の重さは、僕とは比べものにならないくらいだったと思いますけどね。

上場はお受験ビジネスに似ている

応援してくれる人もいたのですね。

糸井:途中から、株式上場は幼稚園のお受験ビジネスに似ているように思えてきたんです。あの塾に行って、あの先生に付け届けして、写真はどこの写真館で撮らないとダメだとか。そうした手続きを、あたかも貴重な情報かのように語る人だらけなんですよ。

 ところが、ある段階を超えたら逆に楽しくなってきた。特に面白かったのが証券会社との交渉です。僕が話す言葉と、証券会社の人が使う言葉は全然違う。「こう話すと絶対だめなんだな」「あ、この話は通じたようだ」など発見があるんですよ。社外の人が何を知りたいのか、どうすれば的確に伝わるのか。いろんなことがまだら状にあぶり出されていくのです。

 最後の仕上げはロードショー。株を買ってもらうために、約30の投資会社を回ったんです。僕らの話を理解してくれない人に限って、悪い人じゃないというのが面白い。そんな人たちが、一生懸命になって僕らの話を聞いてくれる。ありがたいことです。

 ロードショーに出る前、みんなに脅されたんですよ。「死にかねないですよ」って。終わったら確かにヘトヘトになりました。でも僕にとっては面白かったんですよ。あれが面白かったと言ったら、みんなが驚いた。それぐらい、人は知らないですよ。見たことのない幽霊を怖がっているようなものですね。みなさん、ロードショーは恐ろしいものだという先入観を持ち過ぎです。好奇心の強い人は、ぜひ株式上場を試みて経験してほしいですね。

物欲はほとんどない。多くの人が自分の悪口を言い合う「にぎやかなお通夜」が開かれるのが希望。
物欲はほとんどない。多くの人が自分の悪口を言い合う「にぎやかなお通夜」が開かれるのが希望。

上場によって、チームの会社にやっとなれた

社内ルールの整備や書類作成など、準備作業は大変ですよね。

糸井:その過程も楽しみました。上場にあたって申請する書類を、ひな型通りに作るのはつまらない。僕らなりの言葉を使って表現できないか、一つひとつ考えていきました。書類から「ございます」という文言を削除したのは、ほんの一例にすぎません。

 大変だったのは僕以外の人ですよね。証券会社の担当者や、上場を想定せずに入社してきた管理系の社員たち。面倒臭かったでしょうね。かなりハードなエクササイズになりましたが、最後まで付き合ってくれて本当に尊敬しています。

 会社の一体感も高まったと思います。あらゆる社員が、上場準備チームを応援していた。チームのメンバーが黒い服を着て面接に行く時なんか、みんなが拍手して見送りました。

上場したことで株主に対する責任が生まれました。糸井重里の個人商店でなくなると、企業としての永続性が求められるようになります。

糸井:以前なら「俺はこの会社をつぶすぞ」ってわがままも言えたかもしれない。でも上場準備の過程で、それは無理だと気付いたんです。ほぼ日は読者や顧客も含めた組織です。自分でも意外なくらい、顧客のことを考えるようになったんです。まさかこんな人間になるとは思わなかった(笑)。

頼りにされると人間は変わる。

糸井:永ちゃん(矢沢永吉氏)はコンサートの時、舞台に出る直前までドキドキしているけれど、舞台に出た時には「俺んちの庭だ」という感覚になるらしいんですね。何万人ものお客さんがいなければコンサートは盛り上がらない。同時に、「俺がいなきゃそもそもできない」ということなんでしょう。今となっては、その気持ちが何となく分かる気がします。

 上場によって、僕の会社ではなくチームの会社にやっとなれました。それが喜びを持って迎えられたことは、すごくうれしいですよ。重たくもあり、誇らしくもあります。

引き際は聞かれるたびに本気で考えている

チームで運営する以上、後継者問題は避けて通れません。

糸井:最近は「糸井さんが死んだらどうするんですか」と露骨に聞かれるので、その都度考えていますね。でも同時に、思えばそんな年だったのかとハッとする。ちょっと悩ましいです。駅で歩くのが遅い老人がいるじゃないですか。「何しているんだよ」とイライラしかけて、いやいや、老人なんだから冷たくしちゃいけないな、と思いとどまる。隙を見て追い抜いた後で、俺の方が老人だったじゃないか、って気付く(笑)。

実際、お若く見えますよ。

糸井:68歳になっても足腰は丈夫で、不都合があるのは視力ぐらい。老化を忘れているんじゃないのかな。でもね、引き際は本気で考えているんですよ。

 僕が飼っている犬、もう老犬なんですが、これまでと同じトレーニングをしているはずなのに、歩くのが遅くなっているんですよ。何をしても年を取ればこうなるんだなって、犬で勉強していますね。だから、老いる練習というか、元気なうちに「こういう状態になったら身を引きなさい」って、将来の自分への置き手紙を作っておきたいなと思います。延命治療じゃないけど、無理して続けるのはかわいそうでしょう。

「ほぼ日手帳」に、その置き手紙を記入する欄をつくって、老眼鏡とセットで出したら、売れるんじゃないですか。

糸井:ほぼ日手帳のユーザーに老人が多いわけじゃないから(笑)。でも、そういう色々な物を作る時期が、もうそろそろ来たなとは思っています。同じものをずっと作っているわけですからね。

「(事業を突き詰めていくと)結局は、人間がどういう態度でいるか、どういう行動を取るか、どう考えるか、感じるかにつながっていく。どこの業界にいてもこれは同じ」と語る。
「(事業を突き詰めていくと)結局は、人間がどういう態度でいるか、どういう行動を取るか、どう考えるか、感じるかにつながっていく。どこの業界にいてもこれは同じ」と語る。

「いつかやろう」ではなく「いつやろうか」

働くことは快適さの対極にあるというのが、糸井さんの持論ですね。今は快適ですか。

糸井:苦しさとうれしさは紙一重。楽じゃないですよね。休みなしに働いている感はありますし、休んでいる時も何か考えている。

 昔からそんな状態が続いていたのですが、上場により、良い意味できりっとさせられました。上場前は、アイデアを思いついても「いつかやろう」と先延ばしにする部分があった気がします。でも上場したことで、「いつやろうか」と考えるくせがついた。チャンスが巡ってきたときに、その運を見失わないために起きていなきゃなと思っています。

 僕の中には、さぼろう、さぼろうとする自分がもう1人いますから。ぐずな自分が、そういう動機の弱さを更新して、今の自分になっていった。そのプロセスは、なかなか楽しかったです。

起き続けていると、色々な情報が目に飛び込んでくるでしょう。株価とか。

糸井:感じ過ぎないようにはしていますね。上場直後は「糸井は株価をひっきりなしに見ている」と噂されたんですが、ちっとも見ないですね。今は、売り出しのタイミングでまとめて買った人が売っている時期ですから。将来のどこかで株価を見て、「僕らの事業が理解されてきたな」と感じてみたいですね。

多様な上場企業のモデルとして責任を感じる

どんな人に株を持ってもらいたいですか。

糸井:勝手なことは承知していますが、僕が思う理想の株主は「親しい知人」です。同じ目線で航路を進み、時折うなずき合える関係。常に励ましてくれるだけでなく、親身になって批判してくれる。これまで様々な人に支えられてきたので、今後もそういう人と航海したいと思います。

収益や成長だけを重視する株主ばかりだと、市場が偏ってしまう。もう少し多様性があった方が、日本にとってもプラスだと思います。

糸井:ほぼ日は、そのモデルなのだと思います。僕はちょっとだけ責任を感じています。上場に至るまでのハードルの高さを語る人たちの頭の中にも、上場企業はこうあるべきだという固定観念があったのかもしれません。そのような画一的な考えの下では、玄人は得をするけれど、素人は近づけなくなってしまう。僕は素人なので、「せっかく素人なんだから」という見方をしてくれる人には励まされました。自分たちが上場したことで、変わっていく第一歩が始まったんじゃないかな。

糸井さんにとって、次の挑戦は何でしょうか。

糸井:ウェブサイトの「ほぼ日」開設から20年。正直言って、もう古くなっていると思います。ビジネスモデルであるかさえも分からなかった時代から、最近はオウンドメディアとか、プラットフォーム事業とか、コンテンツビジネスとか呼ばれるようになった。それはちょっと危険な兆候です。

 大掛かりな事業も含めて、いろいろ準備を進めています。小さなことでは、もうすぐ学校も始めますよ。

 働き方改革が進むと、普通の勤め人は会社にいられなくなります。かといって早く家に帰っても夫婦げんかになるし、飲み屋通いも次第に飽きる。そうした人が何をしたいのか。僕は勉強だと思います。

 ところが今は、英会話やスポーツジムぐらいしか選択肢がありません。そこで考えているのが、シェイクスピアや万葉集など古典を学べる学校です。歌舞伎役者がこぞって学びに来るような、刺激に満ちた本格派なエンターテインメントにできるかもしれません。私も生徒の一人として学びたいくらいです。

もうかりますかね。

糸井:偉そうに話すのは実績を出してからにしろと、投資家からしかられるかもしれません。でも投資というのは、結果が出る前に手掛けてこそ。僕としては、「今に見ておれ」という気分で燃えています。

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