イプシロン2号機の打ち上げ。強化型イプシロンの1号機である(撮影:柴田孔明)
イプシロン2号機の打ち上げ。強化型イプシロンの1号機である(撮影:柴田孔明)
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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、12月20日午後8時、ジオスペース探査衛星「ERG」を搭載したイプシロンロケット2号機を打ち上げた。打ち上げは成功し、打ち上げ後13分27秒でERGを予定の軌道に投入した。成功後、ERGは「あらせ」と命名された。

 イプシロン2号機は「強化型イプシロン」という名称を持つ。2013年9月14日に打ち上げた初号機と比較すると、第2段の強化により、地球を南北に回る太陽同期極軌道への打ち上げ能力が、450kgから590kgに増強されている。打ち上げ後の記者会見でプロジェクト・マネージャーを務める森田泰弘JAXA・宇宙科学研究所教授は「試験機であったイプシロン初号機の段階では、自分の抱く自信には精神論的な部分が大きかった。が、今回の強化型イプシロンを予定日に打ち上げできたことで、精神論ではなく物理的に『確実に打ち上げることができる』という自信を持った」と述べた。

 2号機の後もイプシロンの開発は続く。3号機では、衛星をより正確な軌道に投入する「ポスト・ブースト・ステージ」という液体エンジンの小推力の段と、分離時に衛星に与える衝撃が小さい衛星分離機構が搭載される。この3号機で強化型イプシロンの開発は終了し、当面は完成した強化型イプシロンの打ち上げが続く事になる。

 が、イプシロンの開発は3号機で終わりではない。続いて、現在開発中の大型ロケット「H3」の固体ロケットブースターを第1段として使用する「シナジー・イプシロン」の開発が始まる。現在のイプシロンは、H-IIAロケットの固体ロケットブースターを第1段に使用しているが、H-IIA用ブースターは、2020年代初頭のH-IIA引退と共に生産を終了するからだ。

 シナジー(synergy)は「共働」という意味だ。ここではイプシロンとH3の協力を意味する。H3とシナジー・イプシロンは、設計段階から共通化を積極的に進めており、イプシロンで開発した機器や、先行して適用した設計思想がH3に組み込まれている。さらにその先には、より低コスト高パフォーマンスを徹底したイプシロン完成型の構想も存在する。

 先代のM-Vロケットが2006年に廃止になってから10年、2010年にイプシロンの開発が始まって7年――強化型の打ち上げ成功で改めて明確になったことが2つある。M-V、そしてイプシロンのように「研究開発を続けるロケット」は日本にとって必要であるということ、そして、安全保障面での“ブラフ”として、全段固体の高性能ロケットが必要、ということだ。

科技庁vs文部省の遺恨試合からの復活

 そもそもの始まりは、2001年の中央官庁統合により文部省と科学技術庁が統合されて文部科学省となったことだった。

 文部省と科学技術庁は1960年代にロケットの管轄を巡って大規模な権限争いを展開しており、1966年に「どっちの側からも有利に読める玉虫色」の国会報告という形で決着を図った。

 文科省発足により、旧科技庁系官僚は、文部省系のM-Vロケットの廃止へと動いた。1966年の国会報告は「Mロケットの改良」を認めており、それが文部省ロケットの研究開発の根拠となっていた。そこで、まず「M-Vロケットは完成した」ということにして、それ以上のロケット開発の道を封じた。次いでM-Vロケットが高コストであることを理由に、廃止へと追い込んだ。

 この時、M-Vロケットを開発した文部省・宇宙科学研究所(文部科学省・宇宙科学研究所を経て、2003年の宇宙三機関統合により宇宙航空研究開発機構[JAXA]・宇宙科学研究本部。現在はJAXA・宇宙科学研究所)は、M-Vを低コスト化し、かつ運用を簡素化した仮称「M-VA」という構想を実現しようとした。

 打ち上げ能力は強化型イプシロンよりも大きく、1機あたりの打ち上げコストは35億円とイプシロン並みになるという構想で、開発後にH-IIAと同様に民間移転して商業打ち上げに使うことになっていた。が、旧科技庁系官僚側の目的はM-Vの廃止そのものにあったので、宇宙研の主張を聞き入れなかった。

 M-VAは、M-Vの低コスト化と運用簡素化を狙ったもので、現在の強化型イプシロンに近く、早ければ2010年には打ち上げ可能になる構想だった。結局のところ1960年代の文部省と科技庁の遺恨試合は、新型固体ロケットの登場を7年遅らせたと言える。ロケット開発の中心は相模原の宇宙研から、旧科技庁系の筑波宇宙センターに移ったので、旧科技庁的には遺恨試合に勝利、ということなのだろう。

 現在のイプシロンにつながる構想は、M-V廃止にあたって「代償に、より小さな固体ロケットを開発してもいいから」という、組織内外の裏取り引きのような話から始まり、やがて低コスト化と先進的な性能・運用性を兼備した計画へとブラッシュアップされた。しかし開発の道のりは平坦ではなく、何回かのロードマップ変更を繰り返した。開始当初は「H-IIAロケットの固体ロケットブースターを第1段として利用することで、低コストかつ先進的な小型衛星打ち上げ手段としての固体ロケットを開発する」というものだった。が、十分な開発費が確保できなかったことから、搭載機器の軽量化や、衛星分離時の衝撃の軽減などの一部の開発を先送りしせざるを得なかった。

 その中から「できなかったことを、次の段階で開発する」という2段階に分けた開発ロードマップが浮上。さらに、初号機の開発途中で経済産業省が主導する小型衛星計画「ASNARO」の衛星を打ち上げる構想が浮上し、そのままでは打ち上げ能力が不足するため、強力な第2段を新たに開発することになり、今回の強化型イプシロンが開発された。さらにその先にH3と構成要素を共通化した「シナジー・イプシロン」が予定され、同時に強化型イプシロンの成果がH3にも組み込まれる、という流れになっている。

研究開発を継続的に進めるための基盤として

 イプシロン開発の経緯からはっきり分かるのは、「日本には“研究開発し続ける”ロケットが必要だ」ということだ。ロケットというより「研究開発し続ける宇宙輸送システムが必要」ということかもしれない。

 M-V廃止にあたって、宇宙研のMロケットは毎号機毎に新技術が組み込まれ、結果として仕様が異なる“無駄な学者のお遊び(研究開発)用のロケット”と批判された。が、その“学者の遊び”こそが、日本のロケット技術を確実に高め、進歩させてきた。一見役に立たないように思われる研究開発も、確実に「日本の棚の上に技術を積み上げる」役割を果たしてきた。

 2010年代に入ってから、米スペースXやブルー・オリジンのような宇宙ベンチャーが、華々しく高速度の技術開発を展開している。が、この事実を単純に「商業ベースのベンチャーなら高速度の技術開発が可能になる」と受け取るべきではない。スペースXもブルー・オリジンも、1950年代から過去に米国が、米航空宇宙局(NASA)と、軍や中央情報局(CIA)、国家偵察局(NRO)などの安全保障関連の官需との両方で「米国の棚の上に積みかさねてきた」技術に多くを負っている。豊富な「棚の上の技術(オフ・ザ・シェルフ・テクノロジー)」を選び、適宜取り出して使えたからこそ、彼らは合理的に効率よく、高性能のロケットを開発できている。

 民間が手を出すのが難しい、長い射程を狙う技術開発投資は、結局のところ国が行うしかないのだ。

 とはいえ、だ。長期の技術開発にあたっては「何を狙うか」という目標設定が大切だが、旧科学技術庁や通商産業省(現経済産業省)の実績をみるに、官僚が選ぶ目標は「ハズレ」であることが非常に多い。この12月には高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決まったばかりである。

 だから、むしろ研究者の目利きを許し、自発性を生かし、ある程度分散した多方向への投資を行うほうが、「棚の上の技術」を富ませることとなる。1件あたりの投資は少なくなるから、技術開発のベースはH3のような大型ロケットではなく、イプシロンのような小さくて経済的、かつ「失敗したとしても傷が小さい」なロケットが向いている。

 現在、日本が手を付けておらず、今後の宇宙開発には欠かせない宇宙輸送系の技術は数多い。液体ロケットブースターに有効な酸素リッチ二段燃焼サイクル技術も、「ファルコン9」ロケット第1段回収にあたってスペースXが採用した液体推進剤を過冷却して密度を高める技術も、中国が「長征5」ロケット初打ち上げで見せた通信衛星経由で飛行中のロケットを追跡管制する技術も、日本は持っていない。イプシロンはそれらの技術を継続的に開発するための基盤として使うことができる。

 今後のイプシロンは、仕様が確定し、安定して商業打ち上げに使えるバージョンと、各号機毎に新たな技術試験を入れ込むバージョンとの2系統にわけて、継続的に開発していくべきだろう。新たな技術は安定したところで商業バージョンに適用したり、あるいはH3やその先の大型ロケットへも適用していくという流れを作れば、日本は安定的かつ継続的に宇宙輸送系技術を蓄積していくことができる。

 1980年代から2000年代にかけて停滞していた世界の宇宙輸送系の技術開発は、2010年代に入ってから米ベンチャーの躍進と中国の大型投資により、急速に進むようになっている。日本も技術開発への投資を絞っている場合では、ない。

安全保障面でのブラフのカードとして

 強化型イプシロンの打ち上げ成功は、海外では「日本が潜在的に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を持つ能力を育てている」という論調で報道されてもいる。

 これはもっともな反応で、イプシロンロケットの持っている特徴、すなわち

  • 全段固体推進剤
  • 打ち上げ準備期間の短さ(第1段の射座への設置から打ち上げ翌日までの期間が、M-V は42日なのに対して、イプシロンは9日)
  • 少人数の運用者がパソコンを利用して“モバイル管制”で打ち上げる

 といった特徴は、すべてICBMにとって大変望ましい能力だ。

 先代のM-V、あるいはその前のM-3SIIロケットの時点から、諸外国は宇宙研の開発する固体ロケットを「ICBM技術の隠れ蓑ではないか」という目で見てきた。実際は単に、1955年に糸川英夫・東京大学教授がロケット研究を始めるにあたって、安価な固体推進剤を採用したがゆえの固体ロケットであり、その後の高性能化は工学研究者が世界第一線級の論文を書くために性能を追求した結果だった。その結果、「学者の遊び」と批判されてM-Vは廃止となった。

 ところが、「学者の遊び」であればこそ、結果的にM-Vは、日本の安全保障において有効なブラフのカードとして機能してきた。外から見れば性能はまさに世界最高。かつその性能が「ICBM的」なので、諸外国は常に「日本がICBMを持つ可能性」を考慮して、自国の安全保障政策を決定しなくてはいけない。

 一方、日本政府としては「あれは学者の遊びですので」と言っておけば、言い訳が立つ。しかもM-Vは打ち上げ準備期間が長く、斜め方向に発射するという特徴を持ち、内之浦宇宙空間観測所の専用ランチャーからしか発射できなかったので、「M-VはICBMに転用できない」と言い切ることもできた。

宇宙開発を国際政治にも活かせるセンスを

 ところが、日本の政治がこの便利なカードを持っている(いた)ことに気づいたのは、2006年に官僚の内輪揉めで、M-V廃止が決まってからだった。

 文部科学省には主に与党の防衛族議員から「なぜM-Vロケットを廃止するのか」という電話が次々にかかってきて、文科省は対応に苦慮したという。が、その時点では政治であってももう廃止を止めることはできなかった。

 日本がICBMを持つ合理的な理由は全くない。ICBMは高価なので、破壊力の大きな核弾頭と組み合わせないと兵器としてはコストパフォーマンスを発揮できない。日本はエネルギー安全保障の一環に原子力発電を組み込んでおり、国際原子力機関(IAEA)の査察の元に核燃料を輸入し、使用している。IAEAは原子力の平和利用促進と軍事利用への転用の防止を目的としている。つまり、日本が核兵器を持つ意志を示せば、現行のエネルギー安全保障政策は崩壊する。

 その一方で、世界最高の性能を持つ宇宙向けの固体ロケットを保持し、発展させていくことは、ブラフのカードを持つという意味で、日本の安全保障にとって悪いことではない。米国、中国、ロシアという大国のパワーがぶつかる東アジアに位置する島国としては、あくまで科学技術と商業打ち上げの発展という目的を掲げてイプシロンの研究開発を継続的に進める、というのが最上の策だろう。

 2006年9月23日に最後のM-Vである7号機が打ち上げられてからの、技術開発と安全保障における2つの空白は、10年後に強化型イプシロンが上がることで、やっと埋まるメドが立った。本当に空白を埋めることができるかどうかは、今後のイプシロンを賢く扱えるかにかかっている。

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