戦争の予兆、歴史が動き始めた

 ここのところ、急速に米朝関係が悪化しています。

 3月1日、アメリカ側が米韓合同軍事演習で北朝鮮に対して示威を行うと、これに対して北朝鮮は4月5日、同国東岸から弾道ミサイルを発射してアメリカを挑発。最近では北朝鮮がミサイルを発射することなど、珍しくもなくなっていましたが、今回はこれまでとは異なりました。

 この日を境にして、歴史が動き始めます。

 その翌日の4月6日、トランプ米大統領は日本の安倍首相と電話会談をして「すべての選択肢がある(戦争も辞さない)」と伝え、その日のうちにフロリダ州の自分の別荘で中国の習近平国家主席とも会談、「中国が協力しないなら単独でも行動する」と表明しました。

 さらにその翌日(7日)、アメリカが「シリアに向けて59発もの巡航ミサイルによる爆撃を行った」という報道が世界を駆け巡ったかと思ったら、そのわずか1週間後(13日)には、「アフガニスタン東部のIS(イスラム国)拠点に向けて、通常兵器としては最大の破壊力を持つ大規模爆風爆弾『GBU43』を投下した」との報道が飛び込んできました。

 「あれ? 矛先が北朝鮮から中東にそれた?」

 「シリアもアフガニスタンも地球の裏側だから関係ないや」

…などと暢気なことを言っていてはいけません。

 これらは、米朝開戦に向けていよいよ最終段階に入っていることを示しており、我が国にも深刻な意味を持つ出来事です。

「1939年ごろのヨーロッパ情勢」に酷似

 中には「米朝ともお互いにポーズにすぎない(本気で戦争する気はない)」という意見もあるようです。筆者も以前、「ウクライナ危機(クリミア半島の帰属を巡って2014年ごろよりロシアとウクライナの間に生じた危機)」が深刻化し「すわ、第三次世界大戦か!?」と騒がれる中、「第三次世界大戦にはならない」と各方面で広言していました。しかしその筆者ですら、今回は開戦の可能性は非常に高いと感じています。

 なんとなれば、現在の米朝関係は、第二次世界大戦へと向かう「1939年ごろのヨーロッパ情勢」に酷似しているためです。

 歴史というものは、いったん動き始めると人の想定を超え急速に進展するものです。したがって、今回このコラムが掲載される前にすでに開戦しているかもしれない…と思えるほど、事態は緊迫しています。

米朝開戦を示す2つの理由

 なぜ、そう言えるのかを歴史的観点から探っていくことにしましょう。

 まず第一に、外交的慣習のひとつとして、ある国が開戦を決意したとき、いきなり軍事行動を起こすのではなく、あらかじめ友好国や同盟国などに“諒解(りょうかい)”を取っておくという手続を踏むことが多いのです。今回アメリカが日本・中国に対して立て続けに「戦争も辞さない」との意志を伝えたことが、これに当たります。

 第二に、軍事行動的観点から見ても、やはりアメリカは「開戦」を決意していることが見て取れます。何事も準備不足のまま「ぶっつけ本番」でことに臨むのでは失敗する確率が高くなりますが、特に軍隊というものは「本戦」の前に念入りにシミュレーションをしておかないと、命取りになります。したがって「国家が本気で戦争を決意」したとき、まず実際に“予行演習”を始めることが多いのです。

 軍隊というものは、兵の練度や数、兵器の優劣や多寡といった単なる「数字」からだけではその強さや能力を計ることができません。戦前の下馬評を覆して「大軍が寡兵に大敗する」例など、歴史には枚挙に遑(いとま)がないほどです。

ムッソリーニの失態

 そこでひとつ例を挙げますと、かのイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ(1883年~1945年)。彼は第二次大戦前、イタリア軍の練兵と軍備増強に明け暮れ、屈強な軍隊を創りあげました。これに自信を得たムッソリーニは、ついに1935年10月、19世紀の第一次エチオピア戦争(1889年~1896年)で獲得し損ねていたエチオピアに対し、植民地化を狙って再度侵掠(しんりゃく)戦争を始めます。

 侵掠に当たって、ムッソリーニにはひとつ心配ごとがありました。それは国際連盟の動きです。当時イタリアは石油を全面的に輸入に頼りきっていたため、もし国際連盟が「石油禁輸」の経済制裁を発動したら、イタリアは破滅してしまうためです。しかし、ムッソリーニは自信がありました。

 「なぁに、国連がごちゃごちゃ言う前に、我が屈強なイタリア軍が短期間のうちに一気にカタをつけてしまうさ!」

 こうタカを括っていたムッソリーニは“見切り発進”で開戦してしまいます。

ローマ市内で演説をするムッソリーニ。(写真:The Granger Collection/amanaimages)
ローマ市内で演説をするムッソリーニ。(写真:The Granger Collection/amanaimages)

開戦してみると、急造イタリア軍は弱かった

 ところが!

 いざ開戦してみると、急造イタリア軍の弱いこと! イタリア軍はたかがエチオピア軍ごときに苦戦の連続を強いられます。戦線は膠着し、短期決戦どころか1936年へと越年しても埒があかず、モタモタしているうちにムッソリーニが何より恐れていた「経済制裁」に向けて国連が動き始めてしまいました。

 ただ、このときの国際連盟が腰抜けで、きわめて中途半端な制裁(石油禁輸は除外された)に終わったため、ムッソリーニは間一髪これを乗り切ることができたものの、のちに彼はこう述懐しています。

もしあのとき、1週間でも2週間でも経済制裁が石油禁輸に及んでいたら、我がイタリアは崩壊していただろう。

 戦争に敗れるどころか、政権そのものが倒れていた可能性は高いことをムッソリーニ自身が認めているほど危機的な状況に追い込まれたのです。

 よほどこの失態に懲りたと見えて、ムッソリーニは以降しばらく大人しくなってしまったほどでしたが、それというのもすべては“予行演習”もせずに自軍の力量を過信して、いきなり「本戦」へと突っ走ったムッソリーニの軽率さゆえです。

前車の覆るは後車の戒め

 ちょうど同じころ、イタリア同様、アドルフ・ヒトラー(1889年~1945年)のドイツもまた、死に物狂いでドイツ陸軍・空軍の増強と練兵に力を注いでいましたが、このときのムッソリーニの失態を目の当たりにして一抹の不安を感じます。

自分が再建したドイツ軍は、ほんとうに実戦で役に立つのか。

 そこでヒトラーは、ドイツ軍がどこまで実戦で通用するのか“予行演習”したいと望むようになります。その絶妙のタイミングで、スペインに動乱(スペイン内乱 1936年7月~1939年3月)が起こりました。

 ヒトラーはただちにこれに介入し、1937年4月にはスペイン北部の町に大空襲をかけさせています。これこそがパブロ・ピカソ(1881年~1973年)の作品の題材ともなった「ゲルニカ爆撃」です。

 ボクサーでも「100回のスパーリングより、1回の試合」を経験した方が強くなるといいますが、軍隊も実戦経験を経ることでグッと強くなります。こうした経験からドイツ軍は、実戦でなければ気がつけない軍事行動上の問題を洗い出し、強さを増していきました。もしこのときの“予行演習”がなければ、ひょっとしたら第二次世界大戦でドイツもあれほど暴れまくることはできなかったかもしれません。

スペイン内戦中の1937年4月、ヒトラーはスペイン北部の街・ゲルニカに対して無差別爆撃を行った。(写真:Everett Collection/amanaimages)
スペイン内戦中の1937年4月、ヒトラーはスペイン北部の街・ゲルニカに対して無差別爆撃を行った。(写真:Everett Collection/amanaimages)

現在のアメリカと、ヒトラー時代ドイツの“予行演習”

 このように、突発的に起こった戦争でもない限り、戦争を決意した国はまず“予行演習”を行って自軍の問題点を炙(あぶ)りだしてから、「本戦」に臨むというのが常套です。

 今回、アメリカはシリアに爆撃を行い、アフガニスタンでは今までアメリカ軍が実戦で使ったことのない新型爆弾を使用しました。これはもう、アメリカがすでに開戦を決意し「本戦」を前にした“予行演習”を始めていると考えるのが自然です。

 もはや現状は、第二次世界大戦の開戦前日である「1939年9月2日」のような状況になってきているのです。

 ヒトラーは1936年3月のラインライト(ライン川に沿うドイツ西部の地名、第一次大戦後の平和条約であるヴェルサイユ条約により非武装地帯に定められていた)進駐以来、挑発行為を繰り返していました。

 しかし、当時の英仏はとにかく「事なかれ主義(宥和政策)」。それがかえってヒトラーに見くびられることになり、ヒトラーはオーストリア併合・ズデーテン併合・チェコ併合・スロヴァキア保護と、つぎつぎと自分の要求を実現させていきます。しかしこの成功はヒトラーを慢心させました。

よし、次はポーランドだ!

 「総統閣下、それだけはおやめになった方が! もはや英仏の怒りは頂点に達しており、今度こそ戦争となってしまいます!」

うろたえるな! あやつらは腑抜け、今度も黙認するに決まっておる!

 しかし。ヒトラーの思惑は外れ、ドイツ軍がポーランド侵攻を始めた1939年9月1日のわずか2日後の3日、ついに英仏がドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が幕を開けることになります。慌てたヒトラーはなんとか外交的解決を図ろうと、何度も何度も英仏に和平交渉を持ちかけましたが、もはや時すでに遅し。取り付く島もなくヒトラーは破滅に向かっていくことになりました。

 このときの英仏=アメリカ、一方のドイツ=北朝鮮、ラインラント進駐以降のヒトラーの拡大政策=北朝鮮の挑発行為(ロケット発射など)──と読み直すと、現在の状況は驚くほど1939年に似ています。

 そして、4月5日の北朝鮮によるロケット発射が「ポーランド進撃」となって、米朝開戦へと突き進む様相を呈してきたと言えます。

ハリボテ国家・北朝鮮

 開戦に向けてのハードルとして「戦争口実」がありますが、これはたいした障害とはならないでしょう。

 アメリカがひとたび戦争を欲したが最後、「挑発」「誘導」「因縁」などあらゆる裏工作を駆使して戦争口実を作ることなどお手の物、それでもダメなら事実の「捏造」(ベトナム戦争へと発展するきっかけとなった、1964年のいわゆるトンキン湾事件など)程度のことは平気で行う国ですから。(このあたりの詳細に興味がある方は拙著『戦争と革命の世界史』をご覧ください)。

 もはや開戦「待ったなし!」の情勢を受けて、マスコミも「北朝鮮は1000発ものミサイルを持っている!」「そのうち1発でも東京に着弾したらこれだけの被害が出る!」と国民の不安を煽っていますが、その点については筆者は比較的楽観しています。

 軍事力というものは経済力によって支えられます。洋の東西や古今を超えて、経済の破綻した国が保有する軍隊など、外観がどれほど恐ろしげに見えようとも“張り子の虎”にすぎません。そしてこの「1000発」というのはあくまで北朝鮮の“自称”。

弱い犬ほどよく吠える。

 たとえば、平壌の街並みは高層ビル群が建ち並んでいますが、あれはドリフの舞台セット同様、見えるところだけしかない壁だけのハリボテです。そんな“ハリボテ国家”北朝鮮が「我が国は1000発のミサイルを保有している!」と叫んでみたところで、それをいちいち真(ま)に受けることはできません。

 また、仮にミサイルが1000発あったところで、発射台が1000基あるわけでもなく、それだけの燃料もないでしょう。さらには、ミサイル発射には準備に相応の手間と時間がかかるのに、アメリカ軍が雨あられと空襲を行う中、それだけのミサイルを発射できるはずもなく。

米朝開戦となれば!

 また、米朝開戦となれば「すわ、第三次世界大戦の前哨戦か!?」とマスコミが騒ぎ立てていますが、それもないでしょう。

 ヒトラー・ドイツの場合には米・英・仏・ソという当時の覇権国家を敵に回して6年間も持ち堪えましたので、その間にどんどん戦線が拡大していって「世界大戦」へと発展してしまいましたが、今回、北朝鮮などほんの数日と保(も)たないどころか、アメリカ軍の侵寇(しんこう)が始まった途端、戦わずして崩壊する可能性すら考えられます。

 おそらくは中国がこれに介入するヒマもチャンスもないでしょうし、また中国も北朝鮮と心中する覚悟はないでしょう。

大山鳴動鼠一匹。

 それより、戦いの終った後の混乱が日本に及ぼす経済的・外交的・政治的・社会的影響の方が筆者はずっと心配です。

 しかしその点に関しては、またの機会に。

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