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 ネットの登場以後、様々な分野の知識があっという間に深く広く共有されるようになった。一方で、“半可通”があっという間にバレるようにもなった。自分の専門分野に精通している人々が、ネット越しにウォッチしているからだ。出版業界で言う「校閲担当」の方が、それぞれの分野別に星の数ほどいるような時代になったのだ。

 分野によって、担当の方々、平たい言い方を許していただければマニアな人々の数も熱量も異なるが、個人的に、「ここは濃い」とよく感じるのは、軍事関連とのりもの関連。なかでも人の数、その熱意、文句なしに「特濃」だと、一般の方々にも認識されているのが「鉄道」分野だろう。迂闊なことを書いたら血祭りだ。

 で、ある日。イラストレーターのモリナガ・ヨウさんから電話が掛かってきた。

 「Yさん、鉄道詳しかったですよね。昭和33年の東京駅とか、そのころの電気機関車や客車列車について、資料持っていませんか」

 詳しい、とか、マニアとか言われて、すぐ、自分の何十倍も詳しい人間が思い浮かぶのが、本物のマニアというもの。そして、モリナガさんが求める資料のレベルの高さもよく知っている。

 「いや、嫌いじゃないけれど、モリナガさんのイラストの助けになるレベルの知識は全然ないですよ?」

 とお返事して、そのまま四方山話に流れてしまったのだが、実はこれは、実に面白い仕事に関連した相談だった。

 『点と線』などを書き、昭和を代表する推理小説作家である松本清張氏。氏は作品の中に鉄道を何度も登場させている。そこから、「現代小説320篇を読み込み、作中の誰が、最初に、どの路線に乗ったのかを徹底調査。デビュー作『西郷札』から没後刊の『犯罪の回送』まで、ちょうど100篇に「初乗り場面」があることを突き止めた」人がいる。その方が書く「清張世界の鉄道場面にこだわった」本の表紙を、モリナガさんは依頼されていたのだった。もちろん、鉄道の絵を。

 昨年『築地市場・絵で見る魚市場の一日』で産経児童出版文化賞を受賞したモリナガさん。その絵は緻密で、「こんなところにこんなものがあったのか」と、魚市場で働く人も驚くほど(この本については「こちら」を)。となれば、ディティールにうるさい、いや、厳格な鉄道好きの方々でも納得の絵が、さらさら描けるはず…だったのだが。

 モリナガさんが表紙を描いた『清張鉄道1万3500キロ』(赤塚隆二著)が無事できあがった直後、国分寺の喫茶店で、モリナガさん、そして彼に表紙を依頼した編集者である、文藝春秋文藝出版局第一文藝部副部長の、田中光子さんにお会いして、お話を伺ったら、出るわでるわ…。以下、「迂闊な話」にならないように細心の注意を払うが、行き届かなかったところは諸兄にフォローしていただければ幸いだ。

よろしくお願いします。そもそも、松本清張氏の作品群を鉄道から切ろう、という、こんなとんでもない企画をどうやって立てたんでしょうか。

田中光子さん(以下田中):実はこれ、北九州市立松本清張記念館の「第17回松本清張研究奨励事業」に応募された研究が元なんです。昨年12月の松本清張研究会で赤塚隆二さんの発表を聞いて、「これはおもしろい、本で出せる!」と。3月に清張記念館から報告書が刊行されました。タイトルは『作品中の鉄道乗車記録詳細と文学的効果の考察-清張世界への乗り鉄論的アプローチ』。

「乗り鉄論的アプローチ」?!…著者の赤塚さんは、JR完乗(全線完全乗車、乗りつぶし)達成者なんですよね。そしてこの本を書くために、かねて愛読されていた清張作品を、鉄道が出てくる場面を探すため、現代作品を完全読破して。すごい。

田中:そうなんです、ものすごくユニークな視点でしょう。朝日新聞の記者をされていただけあって、文章も簡潔で読みやすい。お恥ずかしいのですが、今思えば軽く考えていました。「原稿はある。タテに組めばいいだけじゃない?」って。

 ところが、実は最初から計算が狂いました。松本清張先生は、非常に加筆修正の多い作家なんですね。雑誌の連載時点から本にするとき、そして単行本から文庫にするときで、かなり手を入れられる。

ん? 新幹線、まだ走っていないはず…

この研究は、清張氏の小説を発表順に並べて、どの小説に、登場人物の誰がどこからどこまで乗ったのかを調べていますね。そして、初乗り(初めてその区間に乗ること)だけを地図に落とす。その時点をいつにするかが問題ですが、赤塚さんは、「作品が世の中に初めて出たとき=雑誌に発表されたとき」とされたのですよね。

田中:そうです。そして赤塚さんは、清張作品を手に入りやすい文庫で読んでらっしゃる。東海道新幹線の初乗りを確定するのが、たいへんでした。まずは赤塚さんが「『美しき闘争』のヒロインが熱海まで新幹線で行ったというけれど、開業2年前の新聞連載なのに」と。

新幹線が走る前なのに、新聞連載に出てくる、どういうことでしょう。

田中:人気作家の作品は、連載が終わるとすぐ本になります。ところが、この時は清張先生が忙しすぎたのか、「書き上げたけれど、直してから本にしたい」と思われたのか、1962年に新聞連載されたのに、やっと本が出たのは84年。22年経っていた。

書かれてから22年…。

田中:その間に新幹線が走り出した。本にして出すときに、ご本人か、あるいは編集者が「おかしい」と指摘して、改稿したのでしょう。

 そこで、赤塚さんは報告書では『殺人行おくのほそ道』のヒロインの叔母が京都まで新幹線で行くのが初登場、とされたんですが、調べてみると、「ちょっと待ってください、これも違います」と。雑誌にその場面が発表されたのは開業2カ月前。特急で行く、と書かれているんです。

なるほど、それで、赤塚さんの「雑誌の連載完結時」という定義に合わせると、この作品では特急に乗っていたから、「新幹線の初乗り」ではなくなるわけですね。

田中:そうです。

あれ? しかし、そんなことをどうやって調べたのですか?

田中:それはもう、国会図書館に行きまして、最初に連載されていた新聞や雑誌からその部分を探し当てて、コピーして…。

実は弊社最後の「清張番」でした

げげっ。じゃ、新幹線が出てきそうな場面について、そういうことをやったわけですか。これは大変だ。赤塚さんもすごいけれど、田中さんもよくそこまでやりましたね。マニアとマニアの壮絶なぶつかり合いですね。そもそも、連載から本の間や、文庫化の際に改稿されるなんてよくご存じで。

田中:あ、わたし、松本清張先生を弊社で最後に担当させて頂いた編集者なんですよ。

えっ。

モリナガ・ヨウさん(以下モ):そうなんですよ。それを聞いたので断れなかった。だってほら、昭和育ちとしては、「松本清張」「文藝春秋」「最後の編集者」と揃ったら、なにかこう、出版人としては断ってはならない、とか思っちゃうじゃないですか。

平成生まれの方には通じないでしょうけれど、清張作品の存在感を知っていた世代的には、分かる気がします。

 では、そろそろ装丁のお話を伺います。どうしてモリナガさんに依頼されたのでしょうか。そもそも、以前にお仕事をされていたとか?

田中:いえ、これが初めてのお仕事です。いったんは、デザイナーに写真を使ったラフも作ってもらいました。ですが、この本は、「松本清張の作品の中に出てくる、現実の鉄道」という、フィクションとノンフィクションが二重になった、ありそうでない本です。

 ノンフィクションならば写真でよいのですが、この本には、現実をしっかり写し取りながら、ご本人の対象への愛情がにじみでる「絵」でもある、モリナガさんのイラストがふさわしいのではないかと思いました。原作映画に一コマ出るのがお好きだった清張先生を、列車にお乗せすることもできますし(笑)。

なるほど。

「戦車に詳しいなら、鉄道にも詳しい」…え?

田中:昔から、モリナガさんの本は家族中で大好きだったこともあります。プラモ好きの家族がいまして、モリナガさんのサイン会に伺って、似顔絵を描いてもらったんですよ。それが、私から見ても、いい感じに描いてくださって嬉しくて。この方に清張先生の似顔絵も描いていただこう、と。

ああ、分かりますねえ。

田中:で、もちろん列車を描いていただきたい、新幹線の絵本も描かれているし(『新幹線と車両基地』)、戦車やその模型のお仕事もすばらしい(『モリナガ・ヨウのプラモ迷宮日記-第1集〔フィールドグレイの巻〕』など)。「戦車にこれだけ詳しいなら、鉄道も詳しいに違いない!」って。

は? ……戦車に詳しいなら、鉄道にも詳しい?

田中:あれ、おかしなこと言っちゃいました? それで、連載をされている模型雑誌の編集部の方に取り次ぎをお願いしまして。

:そうでした。編集部経由で連絡が来て、すごく時間がない感じは伝わってきたわけです。

経緯はよくわかりましたが、しかし、戦車と鉄道って全然ジャンルが違うじゃないですか。

田中:〝男の子の趣味〟って、素地は同じなんじゃないか、と思えてしまって。

ちなみに、田中さんご自身のご趣味は?

田中:自分自身はあまり……。ただ、仕事では『松本清張全集』(第三期、全66巻中の10巻)、『石原愼太郎の文学』(10巻)を担当したこともあり、年譜とか作品目録を作るのにのめり込むタイプかもしれません。校閲者に近い嗜好を持った編集者かな、と思っています。

分かる気がする。しかし、となるとモリナガさん、よく受けましたね。

:そうですよねえ。

「沼」だとはもちろん知ってましたが

戦車のイラストのお仕事を長年やっていたんですから、リアリティを持って鉄道の絵を描くのは、かなり“沼”に踏み込むことになる、と分かっていたのでは。

:まず、「バックアップとして写真による表紙デザインはできている。だから、万一完成しなくても、本が出せなくなることはない」と言われて、すこし気は楽でした。そして、「出版関係者として、とうとう松本清張の仕事が来たぞ」というワクワクもないとも言えず、まあ、お会いしてどこまで出来るのかを話しましょう、と、自宅近くの喫茶店でお会いしました。そうしたら、「私、最後の清張番だったんです」と言われて、ああ、どんどん退路がなくなっていく…そんな感じです。

 「じゃあ、電車を書いておきましょう。イメージは『点と線』で、東京駅ですよね。4編成くらいホームに並んでいるのは? ちょっとファンタジックに…」みたいな話になりまして。

モリナガさんの描いた表紙のラフ
モリナガさんの描いた表紙のラフ
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電車?

:ああ、列車というべきなんですよね。・・・もういきなり!夜行列車。客車か。その辺でYさんに電話したんでしたっけ。電話口で「EF58という機関車が…」と言ったら「ゴハチ? まず貨物用と旅客用があるし、他にもバリエーションがすごいですよ?」と即座に返されて、もう胸どきどき。正面の顔にある二つ目は、ライトかと思ったら「灯けちゃダメ。それは尾灯です」とか、そのレベルからですから。「あとこのヘッドマーク、これって照明が灯くの?」とか…(編注:さっそく詳しい方から修正を頂戴しました。コメント欄をご覧ください)

灯かないですよ。

:まあ、ラフを描いている段階で「どうもこれは、大変なことになりそうだぞ」とようやく気づくわけですよ。こちらもミリタリー系のマニアックな世界を知っていますから、おかしなところで手を抜いたら、本の価値を損ないかねない、ということは分かる。しかも、そのまんまの現物、昭和33年のホームにいる寝台特急「あさかぜ」を見て描くことはもうできない。

そうですよね…。

著者は乗り鉄、「車両はお任せします」

:でも、「鉄道関係は資料が沢山あるし」と楽観視していました。それに、なにより、著者の方が鉄道マニア…と言っていいですよね? ですから、ラフを見ていただければ、あそこが違う、ここはこう、と指摘してもらえるから、何とかなるだろうと。

そうか、なるほど。

:でもご相談したら「あ、私は乗り鉄ですからお任せします」と一蹴されて、びっくりしまして。

田中:赤塚さんとしては、「今から細かいことを言うのも大変だろうから、お任せします」と、口を出されなかったのかもしれませんが。

:私の先輩の鉄道マニアは、「車両の話題になったら『俺は乗り鉄』と言っておくと、争いに巻き込まれないんだよ」と言っておりました…。

あー(深く頷きつつ)。とはいえ、モリナガさんも鉄道絡みのお仕事はしてはいますよね。

:新幹線の絵本は、実際に行って、見たとおりを描くだけだからできたんです。ガシャ(『モリナガ・ヨウのデフォルメトレインミュージアム』)は、デフォルメですからね。そういえば、最近、鉄道関係でこんなのを描いたんですが…

あ、マルチプルタイタンパーだ。

:さらっと出ますね。

モリナガさんこそ、こんなすごい細かい絵をさらっと描くじゃないですか。

:いつも同じことを言ってますけれど、そのとおり描くだけなんですよ。たとえばこのタイタンパーの絵も、線路の犬釘の間隔も見たとおりにしてあります。絵のリズムでいくと、こんなふうにばらつかせたくはないのですが、でも、現物に忠実に描く。

 今回は、いただいたテーマは明快でしたので、ラフはささっと出来ました。あとは細部なんですが、これも、資料がたくさんあるだろうから、なんとかなるかと。

田中:問題のEF58は、鉄道博物館に行って写真を撮りましたし、外国人がカラーで撮った、当時の鉄道写真集を見つけて(『発掘カラー写真 昭和30年代鉄道原風景 国鉄編』)、「これだけ資料があれば大丈夫でしょう!」と大いばりでした。

窓が違う、ワイパーが違う、ハシゴが違う…

:ところが、まず鉄道博物館の写真は足回りが黒く潰れて分からない。

田中:す、すみません。

ありがちですね。

:カラー写真は足回りも含めて鮮明でとてもありがたかったのですけれど、いろいろ見比べると「おや? この車両はへんな部品があごに付いているぞ」と。

ああ、降雪時にラッセルを付ける部品ですよね。(※こちらにも修正をいただきました。コメント欄をどうぞ)

:窓の大きさもなんだかいろいろある。

大窓、小窓、Hゴムの有無とかでしたっけ。

田中:参考になればと、ネットで拾った写真もいろいろご紹介したら、「細かい違いがたくさんありますよ。どれを描けばいいですか?」と聞かれて、「すみません、わかりません…」。

:写真に見える盛り上がりは、線なのかひさし的なものなのか、フックがあるのか突起なのか、やはり画像では限界があるんです。

「ほら、窓にひさしが付いてますが、これも大小があるんですよ」
「ほら、窓にひさしが付いてますが、これも大小があるんですよ」
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 たとえ話ですけど、将棋を知らないまま絵を描いたら、「おい、『王』が両方にいるぞ」という次元の間違いをやってしまいそうじゃないですか、どうもそういう同じ匂いが漂ってきて…。

 他にも、あれ、前の窓にひさしがあるのとないのがある。ワイパーの装着位置も違う。アームも二重のと、一本のがある。写真ごとにみんな違うぞ! 横に付いている梯子も、外に付いているのと凹んでいるのがある、とか。もしやと思って屋根の上を見るとこれもいろいろ配置が違うし、パンタグラフも怪しい。

いや、すごいですよ。これまで興味が無かったのに、写真を見てほとんどの差異に気がついてるじゃないですか。私はたまたま聞きかじったから言葉を知っているだけで、知らなかったら絶対分からない。「そのまま描く」人には見えるんですね。

田中:私もぜんぜん、気がつきませんでした。

しかし、まあ、機関車もそうですが、戦車のバリエーションの細かさも相当のものじゃないですか。ドイツのIV号戦車ひとつとってもA、B、C、D、E、F、G、H、J型。

:IV号が作られたのは1936年~45年だからせいぜい8年で、それでおしまいじゃないですか。

ゴハチが作られたのも、このタイプ(注:同名だがデザインが全く異なる初期型が別にある)だけで(…検索中)、えーと昭和27年(1952年)から58年、6年くらいですよ。

:でもそのあと、2000年代までずーっと使い続けられたわけです。

ああ、そうか。約半世紀に渡って使われ、運用する機関区に合わせて細かい改造が施されたから、めちゃくちゃバリエーションが多くなった。

:そうなんですよ。そして、どのタイプがこの時期(『点と線』が描かれた昭和33年)に「あさかぜ」を引っ張って東京駅にいていいのか、分からないわけです。

完全にファンタジーに逃げる手は?

そのものズバリの写真は発見できなかったのでしょうか。

:非常に近いと思われるものはありましたが、ディティールまで描ける資料になるものは見つけられませんでした。もちろん、知識と時間が足りなかったからでしょうけれど。

細かい差異を詳細に紹介した、ゴハチのファンサイトもありますが。

:はい、すばらしい労作だと思います。その知識と蓄積への敬意は当然として、「見たままを描く」イラスト描きとして、自分自身の目で見るか、あるいは記録写真、映像を見つけたい、という気持ちがあるんです。無論、お仕事ですからそうも言っていられないことも多々ありますが、可能な限りオリジナルを見て描きたいんです。

なるほど。でしたらいっそ、今回は完全にファンタジーと割り切ってしまう手はなかったのでしょうかね。

:今回はかなりファンタジーですよ。そもそも、機関車にナンバーがついてないですから。「この車両」というモデルはなく、ディティールも自分の中で合成したものです。裏表紙の赤い煙を吐く煙突は、松本清張の故郷、九州の八幡製鉄所です。時空を越えたイメージになっています。

そういえばそうですね。だったらそんなにゴハチのディティールに悩まなくても。

:でも、松本清張の小説世界って、決してふわーんとしたファンタジーなものではないですよね。リアルで、国鉄時代の、昭和臭いものです。その世界を著者の赤塚さんが、これまたがっちりと読み込み、ご自身のJR完乗体験も重ねて、データを分析して出来上がったのがこの本ですから、表紙の絵はそれに負けないような、ディティールをしっかりと詰め込んだものにしたいわけです。「国鉄感は、足回りを黒く塗って逃げたら出せない」と思った。

だから、機関車の足回りの部分も描き込んでいるんですねえ…帯で隠れちゃうけど、ぜひめくって見ていただきたい。

:今考えてみると、時間が無かったからできたところもあるかもしれません。“沼”の入り口で全力で後ずさった、みたいな。〆切直前、今できることはなにか、を考えて、盛り込めるディティールを絞った。もしもですが、時間がたとえば1年間あったら、ただただ、資料を探して、「この写真の列車はもしかしたら?」と突き止めようとして、「これ近いんじゃないか?」とアゲアゲになって、でも誰も褒めてくれない…。

なんてことになっていたかもしれない。

沼の魅力と、その怖さと、誠実さと

:自分自身、沼というか、“何十年も掛けて積み上げてきたディティールの面白さ”はわからなくはないんですよ、もちろん。「D型のハブキャップが何種類あった」みたいな。最近も、朝鮮戦争の米国のシャーマン戦車の塗装はこんなじゃったのか! と、マニアがひっくり返る写真が出てきました。何十年かけても、全て分かるなんてことはないんだなあ、と思います。だから、こういう趣味は面白いんですけど。

 全ては分からないし、描くことも出来ない。ならばどこで線を引くか、これが難しい。たとえば、土木の仕事(『図解絵本 工事現場』)をしたおかげで、「ここにこういうものは置かないよ」ということが分かるところまでですけど、分かる。専門分野ごとにそういうことがいっぱいあるわけですよね。

 誠実にやろうとすると、これ描いたら絵としては盛り上がるだろうな、と思っても描けないし、描かない。今回の表紙で言えば架線や駅名表示を入れたらより駅らしくなるけれど、そこは資料と時間、画面サイズの制約もあって諦めました。「ウソのない範囲」を「自分なりに」決めて、その中で頑張るしかないんですよね。こういうのはそれなりに面白いんですけど。

田中:本としてもそうですよね。赤塚さんの研究の生真面目な面白さを表現するには、「ファンタジーだから」ではいけないと考えて、モリナガさんにギリギリまでがんばっていただいたおかげで、あたたかさと精緻さが両立した絵にしていただけたと思います。

お聞きしていると、著者の赤塚さんも相当マニアックな方で、編集の田中さんも絵のモリナガさんも相当で、これは本当に、フィクションの側からノンフィクションにどれだけ迫れるかを試したような本になったわけですね。

田中:あ、そうかもしれませんね。

鉄道がお好きだった清張先生

そもそもの世界を作り出した作家、松本清張氏について、最後の担当者である田中さん、ひとこといかがでしょう。

田中:北九州市の松本清張記念館(こちら、2018年で20周年)初代館長の藤井康栄(ふじい・やすえ)さんが、文藝春秋で40年近く清張先生に伴走してきた大先輩なんです。

 先生が亡くなったとき、藤井さんと一緒に書斎や書庫に入って記録写真を撮り、書庫の本棚の位置をスケッチして、「どの本棚の何段目に何の本がある」というリストを作りました。それを基に、ご家族のご厚意で寄贈された書斎や書庫をそっくり再現した展示が、清張記念館の核になっているんです。

 私たちが運び込んだ資料が、紙袋に入ったまま無造作に置かれていたり、そのとき必要だった本が机のそばの本棚に集められていたり。記念館へ行くと、82歳で亡くなるまで週刊誌2つに小説を連載されていた先生のパワーが感じられて、自分もがんばろう、と思えます。お2人もぜひ、行ってみてください!

おお、熱い。

田中:ちなみにですが、先生のご自宅は、東京・杉並区の浜田山にありました。原稿をいただきに応接間に伺うと、井の頭線の電車の音が聞こえるんです。深夜、電車の音が聞こえてくると、まだ働いている人がいるから自分も頑張ろうと思う、とどこかにお書きになっていました。いま、赤塚さんの本で見直すと、やはり、井の頭線の登場頻度が高いのですよ。

12月22日に東京・神保町にて、『<a href="http://amzn.to/2AYaK9s" target="_blank">松本清張地図帖</a>』(帝国書院編集部)と、『清張鉄道 1万3500キロ』それぞれの著者、編集者によるトークショウが開催されます(<a href="https://www.shosen.co.jp/event/66081/" target="_blank">こちら</a>)。これは、濃そうです
12月22日に東京・神保町にて、『松本清張地図帖』(帝国書院編集部)と、『清張鉄道 1万3500キロ』それぞれの著者、編集者によるトークショウが開催されます(こちら)。これは、濃そうです
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