トランプ米大統領が3月8日、北朝鮮の金正恩委員長との首脳会談に応じると明らかにした。米安全保障政策を研究する川上高司・拓殖大学教授は、会談の先にあるシナリオのうち最も可能性が高いのは、核・ミサイル開発の凍結。それは日米の離間を促す可能性があると指摘する。

(聞き手 森 永輔)

首脳会談を決めた北朝鮮の金正恩委員長(左)とトランプ米大統領
首脳会談を決めた北朝鮮の金正恩委員長(左)とトランプ米大統領

ドナルド・トランプ米大統領が3月8日、北朝鮮の金正恩委員長との首脳会談に応じると明らかにしました 。驚きました。

川上:実は私はあまり驚きませんでした。

え、そうなのですか。なぜでしょう。

川上:論理的に考えて、米国、北朝鮮、韓国それぞれに得るものがあるからです。

<span class="fontBold">川上 高司(かわかみ・たかし)氏</span><br /> 拓殖大学教授<br /> 1955年熊本県生まれ。大阪大学博士(国際公共政策)。フレッチャースクール外交政策研究所研究員、世界平和研究所研究員、防衛庁防衛研究所主任研究官、北陸大学法学部教授などを経て現職。この間、ジョージタウン大学大学院留学。(写真:大槻純一)
川上 高司(かわかみ・たかし)氏
拓殖大学教授
1955年熊本県生まれ。大阪大学博士(国際公共政策)。フレッチャースクール外交政策研究所研究員、世界平和研究所研究員、防衛庁防衛研究所主任研究官、北陸大学法学部教授などを経て現職。この間、ジョージタウン大学大学院留学。(写真:大槻純一)

 まず北朝鮮の事情からお話ししましょう。北朝鮮は平昌(ピョンチャン)パラリンピックが終了した後に予定されている米韓合同軍事演習をなんとしてでも中止させたい。この軍事演習は北朝鮮にとって切羽詰まった脅威だからです。米国が北朝鮮を先制攻撃する最大のチャンスになる可能性がある。

 北朝鮮が米本土に届く大陸間弾道弾(ICBM)を完成させれば、米国は先制攻撃をしづらくなります。一度の攻撃で、北朝鮮が保有するすべての核兵器を破壊できなければ、米本土が報復攻撃されるからです。米国が「そうなる前に先制攻撃をする」と考えてもおかしくありません。

 演習中はさまざまな戦略兵器を朝鮮半島の周辺に動員します。米軍はそのまま、先制攻撃に移ることができる。北朝鮮は米国がこのチャンスを生かす可能性があると恐れています。

 既に決まっている南北首脳会談に続けて米朝首脳会談が行われれば、少なくともその間、米韓合同軍事演習を先送りさせることができる。北朝鮮はその間に、米本土に届く大陸間弾道弾(ICBM)の開発を進めることができるわけです。

 北朝鮮としては、ICBMを完成させ最小限抑止を実現した上で、核保有国として米国と協議することが最善であるわけですが、この首脳会談の機会を生かさない手はありません。

韓国にはどのようなメリットがあるのですか。

川上:米国が先制攻撃をすれば、北朝鮮の報復を受けソウルが火の海になる公算が大きい。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、そのような事態は避けなければならない。また、彼の悲願である南北統一に向けて前進することができると考えているのでしょう。

 加えて、米朝首脳会談の仲介役を果たすことで、文在寅氏は株を上げることができます。

 このように、米韓合同軍事演習の延期もしくは中止について、北朝鮮と韓国は完全に利害が一致しているのです。南北首脳会談を4月末に設定したのもこのためです。この時期は、本来なら演習がピークに達する時期です。南北首脳会談が開かれていれば、米国はその間、先制攻撃に踏み切ることができません。

米国にはどのようなメリットがありますか。

川上:米朝首脳会談の結果、北朝鮮が核兵器の開発と保有を完全に放棄することが あればノーベル平和賞ものです。会談に応じる価値は十分にある。

 加えて、首脳会談に応じた場合と蹴った場合、そのどちらが秋に控える中間選挙で票につながるかを考えているのでしょう。トランプ大統領は4月末の南北首脳会談の行く末を見てから、米朝首脳会談に応じるか否かの最終決定をする。応じる方が得策と結論した場合には会う。会うだけでも画期的なことですから。決裂しても、北朝鮮がICBMを完成させる前であれば、先制攻撃のチャンスは残ります。決裂をその大義名分にすることもできる。

政治の舞台と化した平昌五輪

マイク・ペンス米副大統領と、金正恩委員長の妹・与正(ヨジョン)氏が平昌に滞在していた2月10日 、両者の会談 が直前にキャンセルになる事態がありました。あの一件は、今回の米朝首脳会談の実現に影響を与えているのでしょうか。

川上:そう思います。あの会談はけっきょく実現しませんでしたが、そこに至る過程で、米朝が水面下で接触しさまざまな話し合いをしていたと推測されます。米国はその場で、平昌オリンピック後に行われる米韓合同軍事演習が、北朝鮮への先制攻撃に転換しうるものであることを北朝鮮に強く印象づけたことでしょう。それが、北朝鮮の決断を促したと思います。

 ペンス氏が与正氏に声をかけなかった、見ることさえしなかった のは、そうしたプレッシャーが本気であること示す意図だったかもしれない。その後に平昌を訪れたイバンカ氏(トランプ氏の娘)にも、どのような態度を取るべきか、一挙手一投足について指示が出ていたと考えられます。

 関連して、興味深い情報があります。米国の病院船「マーシー」が6月に東京港に寄港するのです 。朝鮮半島で有事が起き避難民が日本に押し寄せる事態に備えるもの--と北朝鮮に印象づけるためと考えられます。

平昌では、オリンピックの祭典の裏で様々な駆け引きがあったのですね。

川上:はい、まさにオリンピックの政治利用です。文在寅氏は、米朝首脳会談を仲介したことを自らの手柄として誇ることでしょう。オリンピックがこの時期に韓国で開催されたのは偶然にすぎないわけですが。

米国の東アジア外交の劣化が言われています。トランプ大統領はスーザン・ソーントン氏を東アジア・太平洋担当の国務次官補に指名しましたが、上院の承認が得られていません。駐韓国大使も空席のままです。6カ国協議の米次席代表を務めたビクター・チャ氏の起用を撤回したことが報道されています 。

川上:私はその点は懸念していません。現在の対北朝鮮外交は国務省ではなく国防総省、七課でもジム・マティス長官が主導していると見ています。

考えられる三つのシナリオ

米朝首脳会談が実現するとして、核・ミサイル開発をめぐる話し合いはどう進むのでしょう。

川上:米軍関係者と話をすると、次の三つのシナリオが浮かび上がります。

 第1は北朝鮮が核の完全放棄を受け入れる展開。これが実現すれば、それに越したことはありません。しかし三つのうち最も可能性が低い。北朝鮮は在韓米軍の撤収、朝鮮戦争の終結と平和条約の締結を見返り条件として求めてくるでしょうし。

 第2は凍結のシナリオです。米国は、北朝鮮が既に完成している核兵器の保有はフリーズする*。しかし、保有数をこれ以上増やすことも、新たな核実験も絶対許さない。北朝鮮は、米本土を射程に収めるICBMの開発も凍結する。

*:数については諸説ある。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は10~20個の核弾頭を保有していると推定

 第3は決裂です。これは第2のシナリオの次にあり得るでしょう。

 北朝鮮は交渉決裂を米国のせいにして、核やミサイルの実験をさらに続ける。米国も、北朝鮮に責任があると訴え、「最大限の圧力」を加え続ける。

懸念される日米の認識のずれ

現実となる可能性が最も高い第2のシナリオは日本にとって最悪のものですね。米本土は核兵器の脅威にさらされないので、非核化に対するトランプ政権の真剣度は薄れる。一方で、日本が受ける脅威は変わらない。日米間の脅威認識にずれが生じます。デカップリング(日米分断)の危機が高まる。

川上:その通りです。日本は日米同盟に加えて、独自の防衛政策を考える必要に迫られるでしょう。この夏にもそうした状況が訪れるかもしれません。

 次に挙げる三つの事態が起これば独自の防衛政策に対する切迫感が高まると考えられますが、いずれも起こる可能性は低い。第1は尖閣諸島をめぐる日中の衝突。第2は中国による台湾への侵攻。そして第3は朝鮮半島有事です。

 こうした事態が起こらず日本人の切迫感が高まらない中で、デカップリングが進んでいく。

第2の凍結のシナリオは米中関係にどのような影響を及ぼすでしょう。

川上:米国と中国は大きく言うと、宥和の方向に向かっています。もちろん貿易の問題はありますが。米国は昨年12月に「国家安全保障戦略」を発表しました。この中で、中国を「revisionist power(修正主義勢力)」と位置づけています。従来は「potential adversary(潜在的な敵国)」としていた。つまり、中国は競争相手ではあるけれども、敵ではないということです。敵対姿勢を完全にトーンダウンしている。

 第2のシナリオはこの流れを加速させるかもしれません。米国は北朝鮮を先制攻撃しないのですから、中国にとっても歓迎すべき話です。

 米中の宥和は日米同盟を希薄にすることにつながります。同盟は、敵があってこそ真剣味が増すもの。敵がいない同盟は希薄化せざるを得ません。

 北朝鮮の一連の動きを見ていると、日米の手の内を読み切っている観があります。中国がインテリジェンスを提供していることが考えられます。中国は100年の単位でものを考える国です。米国と歩調を合わせて制裁強化に進んでいますが、その一方で、北朝鮮への支援を続けていることでしょう。北朝鮮が核兵器を保有し、日米に脅威を与えている状況は中国にとって悪いことではありません。

 さらに言えば、北朝鮮に対しても冷徹な姿勢を保っているでしょう。金正恩氏を取り除き、金正男氏の息子に後を襲わせることも視野に入れていると考えられます。

中国の外交は二枚腰、三枚腰というわけですね。日本独自の防衛策として、どのようなものが考えられますか。

川上:以前にお話しした、核持ち込みや核シェアリング、さらには核武装の議論が始まる可能性があります(関連記事「米安保戦略を読む、実は中ロと宥和するサイン」)。

「米国第一」の米国に頼り続けられるか

第2のシナリオへの道は、大統領が代わると変わるものでしょうか。つまり、「米国第一」を主張するトランプ氏が大統領だから選ぶ選択肢なのか。それとも、誰が大統領になっても米国はこの選択肢を選ぶのか。

川上:誰がなっても同じだと思います。米国はオバマ大統領の時から、米国第一の道を事実上歩んでいました。ロシアによるクリミア併合を許し、化学兵器を使ったシリアへの軍事攻撃も見送っています。オバマ氏は独立宣言の起草に加わった建国の父の一人、トーマス・ジェファーソンの考えを信奉していました。ジェファーソン主義は自由と平等を重視する一方で、「孤立主義」「一国平和主義」の性格も持っています。それゆえ「世界の警察」からも降りた。

 ジェファーソン主義は米国という国の本質です。第2次世界大戦後から今日まで覇権国であったことの方が米国にとって異常な状態と言えるかもしれません。米国は覇権国の座を戦争することなく他の国に明け渡すかもしれないですね。「トゥキュディデスの罠」の話よろしく、覇権の交代は戦争を招いてきました。しかし、米国が自ら降りることも考えられる。

少なくともアジアではそうなる可能性がある。

川上:そうですね。

 だとすると、TPP(環太平洋経済連携協定)やアジア・ピボットを進めていたのはいったい何だったのでしょう。

川上:幻想だったのかもしれません。私は米国が「アジア・ピボット」を「リバランス」と言い換えたことに衝撃を受けました。米国覇権体制の下で平和を維持するのではなく、バランス・オブ・パワーを維持することで平和を維持する存在に、自国の位置づけを自ら変更したことを示す出来事だったからです。

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