「ドルは高すぎる」発言で市場を揺るがしたトランプ大統領には、米国の金融政策の当事者たちも「この先どうなるのか全く分からない」と困惑している。ただし、ドル高を懸念する声はほとんど聞かれず、為替問題については中国をそれほど問題視していない。むしろ、トランプ政権の標的になるリスクが高いのは、日本かもしれない。このほど、サンフランシスコ連銀関係者と意見を交わしてきた元日銀審議委員で慶応大学教授の白井さゆり氏が解説する。

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税規制の見直しに署名したトランプ大統領。為替問題では日本が標的に?(写真:AP/アフロ)
税規制の見直しに署名したトランプ大統領。為替問題では日本が標的に?(写真:AP/アフロ)

 先週、サンフランシスコ連邦準備銀行の討論会に参加し、スタンフォード大学でも講演を行った。この機会をとらえて、サンフランシスコ連銀の研究者、スタンフォード大学の教授ら10人程度と個別に意見交換をした。

連銀関係者には「ドル高懸念」はほとんどなし

 まず、彼らから聞かれたのは、トランプ大統領の経済政策については場当たり的で、これまでの発言を平気でひっくり返しており、この先どうなるのか全く分からないという意見ばかりであった。特に経済・物価の動向を常に分析し、先行きの見通しも立てて、金融政策判断の参考にしている同連銀では、トランプ政権の政策をどう見通しに織り込んだらよいのか、苦労しているとの印象を受けた。

 とはいえ、そうした経済政策の効果を織り込まなくとも、足元の米国経済については緩やかな回復が続いており、労働市場もほぼ完全雇用状態にあるので、今後は賃金圧力や物価上昇圧力が高まっていくとのことであった。インフレ率は今後数カ月は低下するものの、次第に上昇に転じ、来年半ばには2%を達成できると強い自信が伺えた。

 ドル高については、中銀関係者の間では、インフレや経済成長への影響を考えるうえでは、ドル高が進行するペースが重要であり、水準自体はあまり問題ではないという見解が多かった。ドル高の急伸は本年2月以降止まっているせいか、トランプ氏がドル高発言をして注目を集める一方で、ドル高を懸念する声はほとんど聞かれなかった。

 ただし、2014年半ばからの急速なドル高については、米国の競争力を下げて米国の経済活動を抑制する影響があったとの見方は聞かれた。しかも、米国経済への打撃になっただけでなく、日本、中国、韓国の経済活動もかえって下押しすることになったとの興味深い分析を披露する研究者もいた。

 一般的には、ドル高になれば円、人民元、ウオンは安くなって競争力が付くのでむしろ米国向けの輸出が増えるように思われる。しかし、実際には、そうした効果よりも米国経済が減速することで、これらの国の対米輸出が減ってしまう弊害の方が大きいということのようである。

 フランス大統領選の第1回投票も終わり、世界の注目は、再び、米国の利上げやトランプ大統領の今後の経済政策に戻りそうだ。

米中首脳会談のポイントは100日計画

 日米関係について言えば、4月18日に麻生副総理とペンス副大統領による日米経済対話の初会合が実施され、貿易投資ルール、経済財政・構造改革、個別分野の3項目で今後協議していくことで合意した。しかし、具体的な交渉はこれからとなったうえに、2国間の貿易交渉を望む米国と、それを回避したい日本との間での食い違いも目立った。

 今後の日米経済交渉を考える上では、米中経済関係もしっかり見ていく必要がある。そこで、4月上旬に開催された米国のトランプ大統領と中国の習近平国家主席との首脳会談を振り返ると、会談のポイントは米国の対中貿易赤字の是正に向け、100日計画を策定することで合意したことにある。米国のモノの貿易赤字は2016年で見ると世界に対して7500億ドルにもなるが、このうち中国が約半分を占める。これだけ大きな赤字の是正計画を100日で策定するというのは時間的にはかなり短い。

 100日計画は、7月にドイツで開催されるG20サミット(20カ国・地域首脳会議)に向けた準備との見方もあるようだが、トランプ大統領が今年3月末に署名した不公平貿易の是正を目指す大統領令に関係はないのだろうか。この大統領令では、90日以内に米国の貿易赤字の要因分析をするように商務長官と米通商代表部(USTR)代表に要請した。

 貿易赤字の対象となる中国を筆頭に、日本、ドイツ、韓国などについても不公正な輸入関税や輸出補助金などを徹底的に調査するであろう。それらの分析や情報を踏まえて、中国との貿易赤字を減らす計画を立てるということのようにも考えられる。

 いずれにしても、100日という短さは、選挙で公約した政策を早く実現させないといけないという焦りの表れだと言える。オバマケアの修正案もうまくいかず、トランプ大統領の政策遂行能力には大きな疑問符がついている。しかも、4月にトランプ大統領は中国を「為替操作国」と認定しないと発言し、4月14日に発表された米国財務省の「為替報告書」でも認定しなかった。あれだけやると言い続けておいて認定しなかったのだから、 なにか米中で駆け引きがあると考えるのは当然であろう。

ようやく分かった中国の為替操作の実体

 その駆け引きの道具として、北朝鮮の核実験やミサイル発射に対して政治的圧力をかけてもらうという見方が多いが、中国の為替介入についての実情をトランプ大統領がよくやく分かったということも大きいように思われる。

 実は、中国では2015年8月の人民元切り下げをきっかけに人民元安圧力が強まったことで、国内から米国などに向けて資本流出に拍車がかかってきた。人民元は、この間、対ドルで6.5%、主要通貨に対して平均で10%も安くなっている。

 一見すると、人民元安は中国の輸出を有利にするので、中国の経済刺激策のようにも見える。しかし、実態は違う。人民元安を招くと国内から海外への資本流出が止まらなくなることを懸念し、中国人民銀行(中央銀行)は、人民元安の急速な進行を何とか抑えてきた。外貨準備(中央銀行が保有する外貨資産)の取り崩しで対応してきたのだ。

 今年からは企業の対外送金などの資本流出規制の適用を強化しているため、人民元の対ドル為替レートは安定するようになっている。このため、外貨準備の取り崩しは減って、2月と3月は逆にごくわずかだが外貨準備は増加に転じている。

 つまり、ここ3年間は人民元が一段と安くなるのを抑えようと、外国為替市場に介入してきたわけであり、トランプ氏がこれまで考えてきたような国際競争力を不当に高めるために人民元安を誘導していたわけではない。トランプ氏がこれまで主張してきたように、中国が完全に自由な変動相場制に移行すれば、人民元は大幅に安くなり、ドルがもっと高くなってしまう。そのため、米国の製造業はさらに打撃を受けることになるので、米国の国益とは合わないであろう。トランプ大統領もそれが分かってきたので、中国を為替操作国と認定しないという流れが出てきたようだ。

トランプ政権は中国の為替は問題ないと見ている

 「為替報告書」では、2015年法に基づき米国の貿易相手国について3つの基準で監視リストを発表している。3つの基準とは、(1)対米貿易黒字が200億ドル以上、(2)経済収支の対GDP(国内総生産)比が3%を上回ること、(3)自国通貨高を抑制する一方向への為替介入などとなっている。

 現在、3つの基準を満たす国はないが、2つを満たしているのが、日本、ドイツ、台湾、韓国である。実は、中国はこれまで(1)と(2)を満たしていたが、経常黒字の対GDP比が3%を下回るまで減っており、今回は(1)の基準を満たすだけになっている。

 つまり、米国政府は中国が現状の政策を続け、人民元高を抑制するための為替介入を再開しない限り、為替は問題ないと見ていることになる。今後の米中交渉は、冒頭にも指摘したとおり、2国間の貿易に関する関税・非関税障壁に焦点が移ったことになる。

 何らかの対中圧力を示すためにも、象徴的に、個別鉄鋼品目などで大幅な輸入関税率の引き上げをする程度にとどまるというのが、今回、米国で聞かれた見解である。北朝鮮でのリスクが相応に高まっているなかで、中国に圧力をかけすぎるのは、中国にも、米国にとっても良くないとの見方が、米国の有識者に多いように思われる。

米中の貿易不均衡を改善するのは難しい

 では、仮に、二国間の個別貿易交渉を締結したとして、米国の世界に対する貿易赤字は減らせるのだろうか。答えは、かなり難しいと言えよう。特に現在は、1980年代とは異なり二国間貿易の不均衡に注目しても意味がない。

 アジア地域では2001年の中国による世界貿易機関(WTO)への加盟をきっかけに、アジア域内でサプライチェーンが加速して、日本や他のアジア諸国が付加価値の高い中間財・資本財を中国へ輸出、あるいは中国・アジアに生産拠点を構えて生産し、世界最大の市場である米国に輸出する生産分業体制が進んだ。米国が中国に高関税を適用し、その状態が長期化すれば、外資系・中国系問わず企業は中国から他の国へと生産拠点を移して、そこから米国に輸出をするようになるだろう。

 米国社会が消費が旺盛で安い物を買いたい限り、海外のほうが安く生産できる以上、貿易不均衡を改善するのは難しい。

中国より、むしろ日本が標的になる可能性

 中国から為替政策や貿易政策で、あまり多くの成果が得られない可能性があるとなると、日本や他の国に対しての要求が強まる可能性はあるかもしれない。米国の「為替報告書」で通貨が安過ぎると明確に指摘しているのが、台湾と韓国で、暗に通貨安の可能性を示唆しているのが、日本だ。

 日本に対しては、まずは、二国間交渉のなかで自動車や農業などの貿易問題が改めて焦点になっていくと見込まれる。USTRは本年3月末に2017年の「貿易障壁報告書」を発表し、日本に対しては牛肉など農畜産分野の高関税を批判し、自動車分野も「認証制度などさまざまな非関税障壁が米国車の市場参入を妨げている」と指摘している。そのため、どのような交渉になるのか、日本の企業も心配しているだろう。

 日本の場合、為替介入は2011年以降はしていないので、日本銀行の超金融緩和の結果として生じている円安を黙認するのかどうかが注目される。日本の金融緩和は、2%の物価の安定を目指して行われている。G20でも、国内の物価安定目的での金融緩和は認められている。ところが、そうした超金融緩和は、通貨安誘導との見方がけっこう内外である。

 日本では、超金融緩和をしても、お金の貸し出し先が乏しい。大企業も現金を多く抱えており資金需要が大きくないところに、人口減少で市場が縮小する見通しのなか更新投資や人件費を節約する設備投資が中心で、生産能力を増強する投資は少ない。家計の消費は低迷したままだ。そのため、円安・株高が唯一の金融緩和効果になっているとみられてしまっているのが現状だ。

財務省・日銀・金融庁の緊急会合は「円安誘導」

 また、円高になるたびに、財務省・日銀・金融庁幹部が緊急会合を開催し、市場を牽制するような行為が見られる。国際的には、そうした行動が円安誘導ととられがちで、昨年までの米国財務省の「為替報告書」ではそれを指摘してきている。この点は、この半年間は円安方向にあってそうした会合が開催されていないこともあり、今回の報告書には触れられてはいない。

 ただ、「超金融緩和も突き詰めれば円安誘導ではないか」という見方が、米国の自動車業界を中心にある。今回の米国出張でも、一般論として超金融緩和のもっとも強い効果は、自国通貨の為替安をもたらす「為替効果チャネルだ」との声は、複数の金融機関や研究者からも聞かれたところだ。中銀が認めるかどうかはともかくとして、実際にはそういう見方がされている。

 「為替報告書」では、日本に対して比較的厳しい内容だったとの印象を持っている。それには、2つ理由がある。一つは、仮に為替介入をする場合は、例外的な状況にあるときだけで、しかも事前に米国などと協議すべきと明確に書いてある。事実上、介入は認めないというメッセージだ。

 もう一つは、円の為替レートはもはや高すぎるという状況ではないと指摘している。既に過去20年平均と比べて実質為替レートは20%も安くなっているとしたうえに、国際通貨基金(IMF)の対日報告書の円相場は「ファンダメンタルズに沿っている」との判断も挙げている。

 ちなみに同報告書は8月始めに公表されたが、その報告書を執筆した6~7月頃は、円ドル相場が100~105円あたりなので、このあたりの水準を適正だとみているようだ。日米の金融政策の方向が違うことにより、ドル高円安が進んだので、米国がこうした金融緩和政策だけにたよらず、日本の成長期待を高めて内需を拡大するような構造改革をもっと迫る可能性はあるだろう。

 日本銀行は、あらゆる手段を使って超低金利を実現した。しかし緩和が長引くと、企業や家計がそれに慣れてしまって、当たり前になってしまい、金融緩和に対して設備投資や消費を増やすなどの反応は弱まってくる。

 一方で、超低金利が長期化することで、銀行や生保・年金などの収益を下押しし、企業の新陳代謝も進まなくなる。貯蓄型の年金保険商品などが姿を消し、低い預金金利の中で家計の資産形成も進みにくくなる。

 しかも、10年金利を昨年7月から0%程度で維持しようとしているので、国債の市場価格が市場価格でなくなってしまっており、市場の厚みが薄くなっている。そのため、何かあると金利が大きく上昇する恐れがある。直接、上場投資信託(ETF)も買い入れていることから、株式市場でも日銀介入を意識した取引が形成されている。

 日銀がいずれ今の超金融緩和をやめなければならない時期は来る。そのときに、きちんとした市場機能を持たせるようにするのは、大変だ。

 日銀に頼らなくても日本経済が自立していけるように、規制緩和や成長戦略に早く舵をきらないといけない。日米経済対話を一つのきっかけにするべきだろう。

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