この連載も、今回でひとまず最終回となりました。

 最初は「4、5回くらいで…」という編集部の方からのお話だったのですが、「意外に読者の方に喜ばれていますので」と延長のお申し出があり、「そうか、確かに意外やな」と思いつつ、喜ばれると張り切ってしまうのがクセでして、あれこれ、自分の体験談を話し散らしておりましたが、皆様が飽きられる前に、お仕舞いにしたいとお願い致しました。

 振り返れば1年あまり、お付き合いいただいて、ありがとうございました。

 さて、湿っぽいのは苦手ですので、最終回もいつも通りにいきたいと思います。毎度お馴染み、てんやの季節ネタですが、今月は、「アサリごぼう・海老天丼」と「てんや風 ロコモコ天丼」。

 「アサリごぼう・海老天丼」は、旬のアサリを使用したいわゆる庶民の味のど真ん中。アサリは相性の良いごぼうと紅ショウガをあわせてかき揚げにしています。「てんや風ロコモコ天丼」は、ハワイの代表食ロコモコからの着想で、夏を先取りしたニューテイストのチャレンジ丼です。

 連載をお楽しみ頂いた皆様には、この二品の、そしてそれぞれの狙いも、もうお分かりの通りです。定番のワンコイン、500円の天丼を磨きに磨きつつ、季節感を大事にするてんやの常連の方を飽きさせず、一方では天ぷらになじみの薄い若い世代も取り込む、ですね。

老舗の天ぷらにチャレンジ!

 考えてみると、毎回お話ししてきた、毎度毎度の悪戦苦闘で自分が立ち返ったのは、「定番」と「限定」、「王道」と「覇道」、「サイエンス」と「カルチャー」というように、相対する発想とその比率の工夫、だったように思います。もう少し分解すると、まず「これは何のためにやっているのか」という自覚があり、それが王道ならば基本への徹底を、覇道ならば思わず人が振り返るような工夫を、という風に。

 家で天ぷらを食べることがめっきり少なくなった、あるいは次のお客様になっていただきたい若い方々には、思い切り目先を変えた「天丼」をフックに来店していただいたり、SNSで話題にしていただくことで、天ぷらそのものになじみを持ってもらいたい。年配の、王道の天丼、天ぷらを愛する人から見ると「てんやさん、また、あんなハチャメチャなことをやって」と言われるくらいでないと、フックそのものが効きません。その一方で、王道の天丼のほうは、品質を徹底的に上げた上で、通の方も「おっ」と思うくらいの季節ものをご用意する。「お客様は厳しく、ある意味飽きやすい」ので、その両方が必要です。

 そういえば、王道も王道、東京の老舗天丼屋の天丼の再現にチャレンジすることがありました。その老舗のご主人が目の前で揚げた通りに我々が天ぷらを揚げて、ご主人に食べていただく、という機会でした。

 先日、この連載に出てもらった三人組(「『海老なしの天丼って、あり? なし?』てんやの商品開発会議は言いたい放題」に登場、先代のマーケティング・商品部部長の高橋一志さん、現・マーケティング・商品部の髙橋宏彰部長、マーケティング・商品部の小竹さん)がチャレンジしました。

 これは我々にとってなかなか難題です。てんやの天ぷらはご存じの通り、オートフライヤーで揚げている。しかし、今回はこれを使用するわけにはいきません。そこで、3人は老舗に数回食事に行ったり、トレーニングセンター(トレセン)に籠もって特訓しました。

 天ぷらの中でも、特に難しいのは穴子です。揚げる油の温度は高温で、天ぷら用では最も高い温度。揚げ時間も普通のネタより長く、穴子は6分。皮と身の間に臭みがあるので、高温かつ時間をかけることでこれを抜き、からっと仕上げます。

 一方、同じどんぶりに盛る野菜のほうは低温で2分弱で揚がります。ひとつのどんぶりの中に、ネタによって揚げ方を変えたものが並ぶわけです。揚げる方は、ひとつのボウルの中で、泡の様子を見ながら粉と水を調整して衣の濃度を変えます。そして、揚がる音の具合で温度が適正かを判断する。まず野菜から油に入れて先に揚げて、ぐっと温度が上がったところでタイミングを見て穴子をいれる。ネタを入れれば温度が下がりますから、高温を保つのも大変です。

ストップウォッチ片手に揚げる三人組は情けない?

 我々は、普段はオートフライヤーを使いますから通常の天ぷら用の鍋で練習をしてもなかなかうまく行きません。うまいお店で、カウンターで穴子を注文しますと、おやじさんが揚げたての長い穴子を、菜箸でぽんっと割ってくれたりしますよね。叩いただけで見事にぱりんと真っ二つにして「うちのは、きっちり揚げてますよ」とデモンストレーションするわけです。さあ、三人組のはどうかというと、やってみたら「ぼてっ」。

 「だめだこりゃ」「ああ、温度がちゃんと上がっていなかったんだ」「かりっといかなかったね」と口々に反省して、「わかった。やっぱり徹底的に温度と時間の管理だ」となりまして、温度計で油温を管理し、ネタにも差し込んで、ストップウォッチを読み上げて、わいのわいのと叫びあって、それでもどうやら納得のいく揚がり具合になりました。

 名人、巨匠となればこういった計測のアシストなんてまったく不要でしょうし、普通のお店でもそうでしょう。日々の経験値でだいたいなんとかなる。では、天ぷらチェーンの社員なのに、温度計とストップウォッチを振り回す我ら三人組は情けないのか、間違っているのか?

 もちろん、そんなことはありません。彼らが行ったのは、我々の仕事の胆(きも)、「サイエンス」の部分です。

 料理は、つまるところTT管理、TimeとTemperature、時間と温度の管理です。てんやのオートフライヤーも、「最適の温度で決められた時間で正確に揚げる」ことを基本に作られています。それがてんやの味の基本になる。コックさんがフライパンを振るのも、結局は時間と温度を決めていて、出来映えをそれに合わせているんです。

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 三人組が温度や時間をやたら計測したことで、素人臭いところが見えてしまうのは、まったくかまいません。だって、天ぷら職人は、一人前になるのに15年、20年をかけるのです。1個1個、素材によって温度が違う、時間が違うことを覚えて、自分の身体に刻み込んだ技術でその差を吸収し、おいしく揚げる。我々がそれができる「ふり」をするのは失礼というものでしょう。しかし、その代わりに我々にはノウハウをつぎ込んだフライヤーがある。

 あ、誤解されたくないので詳しく言いますが、フライヤーがあれば誰でもすぐできる、というわけではありませんよ。フライヤーは揚げてくれますが、その前に粉(バッター)を付けたり、ボウルで混ぜるのも細かいノウハウがありまして、それはやはり人による職人的な技術だと思います。そして、以前も申し上げましたが、こうした過程の温度管理の手間をなくすために、チェーン店ならではの資材や設備投資も行っています。

 うちでは穴子はオートフライヤーで揚げます。でも、コンベアに入れるとどのネタも同じ時間揚げて出てくるので、臭みを取り、カリッと揚げるためにコンベアの手前のところで時間をかけています。仕様は基本的に海老に合わせているんです。では、揚がりやすいものはどうするかと言いますと、厚みで調整します。素材の厚さを変えて、フライヤーで最適になるように調整しているわけです。ですので、かき揚げは実は大変なのですよ(笑)。

 時間と温度を正しく管理し、そこに愛情を注げば老舗のご主人にかなり迫った料理ができる、と、改めて意を強くした出来事でした。

サイエンスは強い。では、カルチャーは?

 オートフライヤーは、我々のようなフードサービスの本質みたいなところがあると思います。時間と温度でちゃんと制御することを中核に置き、それがきちんと機能するように調理環境全体を整える。それを人が愛情を持って使いこなすことで美味しい天ぷら・天丼が出来上がる。まさに人とシステムの調和がてんやの強みです。これは、ある意味、個人店ではなく「会社」だからこそできる強みかもしれません。

 もともとてんやは、サイエンスの部分は強いと思います。きちっと前工程、調理、後工程が論理的に組み立てられています。前工程で言えば、食材が全部、オートフライヤーで規定時間揚げられると一番おいしい状態に加工されて、ジャストインタイム。必要なモノが必要なだけ、届く形になっています。揚がったら、保温するヒートランプがあって、ご飯をふんわり盛りつけるメカがあって、タレがすぐかけられるようになっていて、と、ムダがない流れができている。てんやの調理部門はサイエンスと人のバランスの上に支えられているのです。

 では、カルチャーは何でしょうか。例えば「盛りつけ」がそうです。

 海老のしっぽに衣がつかないように気を配っているか? けっこう、普通の天ぷら屋さんでも衣がついていることは多いんですよ。赤い尻尾を衣で隠さず、真っ直ぐ伸ばして、丼の真ん中に鎮座させる。そして、盛りつけに立体感を出す。まさしく言うは易くで、これは揚げる前、粉を付けるところから気をつけていないとできません。細部に神が宿ります。気がついていただけないかもしれませんけれど、でも、やるんです。

 そして、ホール(接客)。こちらでは、サイエンスをお客様に感じさせることはむしろマイナスです。お客様に近しく、非常にベタな、いわば近所付き合いみたいな感覚で、かしこまらないで、てきぱき手際よく感じよくやっていきましょうね、と考えています。ロイヤルホストですと、「地域の人に愛されるお店を作りましょう」と言っていまして、多少のリスペクトも感じていただけるくらいの気持ちで、と言っていますが、てんやの場合はもっと近く、地元の方にかわいがっていただけるようなお店を作りましょう。「てんやさん」と呼ばれるようなお店になりましょう、と。

 そして、それにはやっぱり、笑顔って大事なんですよ。

 おかげさまでてんやはここ数年好調で、お客様も増えてきてました。が、その分現場は忙しくなって、そうなると余裕が減って、挨拶、笑顔が出にくくなってきます。もともと、サイエンス、ハードが強い仕組みだからなのかもしれません。工場で忙しいときにニコニコしている人はいませんが、調理や会議の時は真顔でもいいけれど、お客様の前でそれでは、せっかくの食事が楽しくなくなるかもしれません。

パートさんたちは正しかった

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 せっかくお客様が増えているのだから、ここでもう一回、全社に笑顔を、と、1月の経営方針で話しまして、3月から実際に活動に移しました。といっても、こういうのはカルチャーですから、合理性で押すのではなくて超・手作りです。オリジナルの笑顔が二つ並ぶバッジを作って、店で付けています。二人の顔になっているのは、「仲間同士、お客様と私、ひとりでなくて相手がいる」、つまり、人が二人いれば「仁(相手に対する思いやり)」だよね、という気持ちです。

 えっ、ベタすぎですか(笑)。いや、我ながらベタだとは思います。「大切なモノは目に見えない」と、サン・テグジュペリが言う通りで、だったら目に見える形に無理にするのは野暮な事なんですが、我々の仕事においては、相手を大事にするという気持ちを、分かりやすく具体的に、どう翻訳するか。それも凄く大事です。気持ちがあったとしても、顔が無表情だったりぶすっとしていたら、相手はそれを感じない。ならば、まずは笑顔になる。すると、相手も笑顔になる。まず自分から努力、笑顔になっていけば、もっと「てんやさん」と、さんを付けて呼んでいただける、という思いでやっている。

 日本人はシャイで、こういうことは自分からはなかなか言えなかったり、笑顔を出せなかったりしますよね。でも、てんやでそれを誰から言われなくてもやってくれていたのが、ホールで働いてくれていたパートさんたちなんです。今回の運動は、そうしてきた皆さんに「現場で貴方たちが行ってきたことは、正しかったのですよ」と、敬意を表すため、でもあります。

 おかげさまで、この運動を始めてからお客様のサービスへの評価がとても良くなっているんです。てんやは、商品は褒められることが多い。天ぷら、天丼がおいしいのが第一だし、磨き上げていかねばなりませんが、一方でサービスは、あまりにも個人の能力任せだった。それがクレームにつながることも正直あります。「これこれのことを頼んだら、つっけんどんに『できません』といわれた」とか。冷たく、短い言葉で対応するのも、ひとつの個性ではあるし、鯔背(いなせ)に聞こえることもあるでしょう。だけど「あしらわれた」と思われることもある。

 で、あれば、商品だけじゃなくって、てんやが元々持っている原石としての、「お客様を大事にしたい、笑顔にしたい」という気持ちを、みんなのテーマにしていきたい、ということなんですよね。もちろん、自然に笑顔が出てくるには、現場が疲弊していたり、無理な仕事を抱え込んでいては無理で、そこはまさしく経営側の責任だと自覚しています。

 ええ、こういうことを「建前だ」と感じる方がいらっしゃるのも分かっています。こういう考え方は、接客業、わけても外食ならではかもしれませんね。逆に、ご同業の方にはおそらく頷いていただけると思います。

 お客様の反応がいい、明るい顔になった、やっていることが、ちょっと大げさですが社会を明るくする、と思える。こういうのは、「誰かに目の前で喜んでもらえる」という、外食で働く人ならではの感じ方。そういう部分はある。でも一方で、体験すれば、人間なら、誰でも分かってもらえる感覚だと思うんです。だって、人が喜んでいるのを見て悲しい、という文化は、成り立たないでしょう? これについては日本人かどうかを問わず、人って、ベーシックなところはいっしょなのではと思います。

やりがいと楽しさの輪を広げよう

 そんなふうに考えている私は、典型的な、朝から「今日も一日頑張るぞ」タイプです。そうですねえ、夜の一杯を飲んでいるときは、一瞬、仕事は消えるけれど、朝方に見る夢から仕事が始まっています。最近は流行らないみたいですけど、生活と仕事の境目、あまりないと思います。

 起きてご飯食べて電車の中から、ずっと頭が回っていて、会社に来た時点で、けっこう「全開」です。浅草のオフィスに入って、自分の席に着くまでに、建築、国内、海外、開発と通り過ぎる度に各部門に声を掛けまくって「あ、これやけど…」と確認したり指示したりしています。会社ではよく「タイムイズブレッド!」と言ってます。「焼きたてのパンはおいしいやろ? 冷めても、まあOK、食べられる。でも3日経ったら固い。1週間経ったら、もうカビが生える。『おいしい』ものが、タイミングを外すと毒になってしまう」というわけです。

 フードサービスの仕事が大好きで、目の前でお客様に喜んでもらえる仕事に就いたことで、一生懸命やったら、成果が出て、お客様が喜ぶ、評価してくれる。もちろん仕事ですから山あり谷ありの連続ですけれど、働いていてやりがいもあるし、楽しいし、その輪を自分の周りに広げていきたい、と、今日も思っています。

 有り難いことに、てんやには、てんやが大好きな多くの仲間がいます。てんやの夢(ビジョン)は、日本の天ぷら文化の素晴らしさを世界に広げていくことです。てんや愛に満ちた多くの仲間と伴にこれからも日本のてんやから、世界のてんやにその輪を広げていきます。大事なことはその夢に向かって「一生懸命」やることです。その夢の実現に向けて今日も皆で美味しい天ぷらを揚げていきます。

 ちょっと元気になりたかったら、てんやにおいでください。ご一緒に、笑顔の花を咲かせましょう。笑は商で勝なり。ご愛読、ありがとうございました。

【おわり】

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